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雨中の悲劇

 その日はゴルザの街には珍しい、少しばかり強い雨だった。

 ライトが住む家もといボロ小屋は、まさにボロ小屋の名にふさわしいボロ小屋である。

 壁も床も汚く、所々に穴がある。つまりそれは、天井さえも例外にはない。

 つまり何が言いたいかといえば、雨を凌いでいる間、中で過ごしている人──それもこの家で初めて雨を経験した者にとっては酷く不安になる日だった。


「……なあ、本が濡れそうなんじゃが」

『心配になるのも無理はないが雨漏りはしない。安心してくれ』

「いやいや、そういう問題じゃないんだが。これじゃあまるで落ち着かないって話をしているんだが」


 スライム然とした楕円形のまま、器用に手を伸ばして本を読んでいたイデアル。

 だが読書に集中できなかったのか、ベッドの上から文句を述べると、同居人の不満を聞いたライトは、変わらずペンを走らせながらも少しズレた答えを返した。


「ゴルザはたまにしか雨が降らず、強い雨なんて更に稀だからな。防水の魔法が施された布を被せておけば、それで生活には問題ないんだ」

「そいつは農民泣かせな気候よな。……我の本、濡れたら弁償してもらうからな」


 皮肉交じりに呟きながら、イデアルはぱたりと本を閉じる。

 脱力した様子でのそのそとベッドを這いずり、飛び降りてコンロの下へと寄っていく。


 鈍い銀色のポッドが乗った、上の物を温めるための魔導コンロ。

 カチカチと、スイッチを押してお湯を沸かそうとするイデアルだったが起動してくれなかった。


『……おいライト。このコンロ、火が付かないんじゃが』

「え、そんなはずは……ああ魔石切れか、良かった。結構高いからな、魔道具の修理代は」


 抗議の意でもこもっているのか、ひたすらスイッチをカチカチさせるイデアル。

 流石のライトもペンを置いて立ち上がり、少し状態を確かめると原因に気付いて安堵の息を吐く。


 魔道具とは、基本的に魔力の込められた石である、魔石にて動くよう設計されたもの。

 動力の魔石に含まれる魔力が枯渇してしまえば、道具自体が機能しなくなってしまう。


 大多数の魔力の乏しい者。ライトのように魔力が起こせない者。或いは魔力があろうが制御がままらない者。

 それらの人が安定して魔道具を利用するには、魔石を買い換えるか知人の魔力の扱いに長けた者に頼んで中の魔力を補充するしかないのだ。


『我は無理だぞ。大型ならともかく、そんな石ころじゃ耐えきれんからな』

「……それは残念。生活費、少しは浮くと思ったんだがな」


 無理無理と、伸ばしていた触手を振るイデアルにライトは残念がる。

 実際、魔石はそう安くない。

 買わずに補充出来る手段があるのなら大いに節約に繋がるので、そうしたいと願う者は多かった。


「換えの魔石も……ちょうど切らしてるな。仕方ない、息抜き程度に買ってくるよ。ついでに冒険役場ギルドにも寄ってくるけど、一緒に来るか?」

『嫌じゃ、今日の我は完全オフ。そして濡れるのがすこぶる嫌いじゃ』

「そうか。なら気をつけてな。知らない人が来ても出ないように、いいな?」

「ういうーい」


 仕方がないと、適当な上着を羽織ってから傘を手に取り、イデアルの気怠そうな声援を背に受けながらボロ小屋から出て行く。


 雨のせいもあり街はいつもより活気なく、人声の代わりに街の音と化した雨音。

 ライトはいつもと違う街の姿に少し寂しく思いつつも、これはこれで嫌いじゃないと浸りながら買い物を済ませ、続けて冒険役場ギルドへと顔を出した。


 いつもと変わりなく、或いはそれより少しばかりざわついた役場内。

 冒険役場ギルドも例に漏れず、ライトも雨の日は少し人数が減るのを知っているので、何かあったのかと人混みの方、依頼の貼られる掲示板のそばへと近寄った。


「何かあったのか?」

「なんだ……って、スライム狩りかよ。また魔族の行方不明者が出たらしいぜ」

「……魔族の?」

「おいおい知らねえのか? 今回含め、今月に入って三件目だぜ? 今回の被害者は猫人、通りにあるドーナツ屋の看板店員らしい」


 近場にいた冒険者に声を掛けると、多少怪訝な顔をした後に掲示板を指差してくる。

 覗き込んだ先に貼られた一枚には『魔族狩りについて情報求む!!』と、でかでかと存在感を放つ大赤文字が見出しとして書かれている。


 行方不明者クロエ。二日前から姿見られず、部屋にも戻っておらず。

 友人や職場もしばらく留守にするなど聞かされておらず、目撃情報もないことから足跡不明。先日起きた行方不明との関連の可能性あり、手がかりがあれば情報提供求むと。


「事件性あり、推定犯人を『魔族狩り』と名付けて警官連中も動いてるってよ。冒険役場ギルドも捜査協力と情報の提供を要求、ライトニングも捜査に協力する姿勢を見せているらしい。……ここだけの話、情報に応じて結構な謝礼も出るらしいぜ」 

「……そうなのか。随分物騒な話だな」

「まったくだ、早く見つかって欲しいもんだよ。確かイデアルちゃんも魔族だろ? お前が気をつけてやれよ、マジで」

「ああ。忠告ありがとう、少し警戒しておくよ」


 一応確認に来たが、これではスライムの依頼どころではないなと。

 何故か脳裏にイデアルの姿が過ぎってしまったライトは、珍しく掲示板を見通すことなく、駆け足気味で役場から出ようとした。

 そんな彼を呼び止めたのは、特徴的で聞き馴染みのある笑い声だった。


「ぐいっひっひ! スライム狩り、相変わらず元気そうで何よりだなぁ……」

「なんだ、グロームか。最近姿を見なかったが、遠出が必要な依頼でも受けていたか?」

「いやいや。ちょっとした調査を一つ、成果はまあそこそこさぁ。ぐいっひっひ!」


 足を止めたライトに、グロームは変わらずニヤリと笑みを浮かべながら話していく。


「少し急ぎたい。用がないなら、もう行かせてもらうぞ」

「そうするといい、むしろそうすべきだ。嗚呼、今日は一段と濃い。血と絶望の臭い、悲劇惨劇の足音が。ライト、スライム狩り、魔族と共に住む者よ。止まぬ雨音にて聞き逃さぬよう、抜き身の如く気構えておくといい。……ぐいっひっひ、ぐいーっひっひ!」

「おう。……相変わらず、変なやつだな」


 一応の忠告だったのか、それともいつものような意味などない話だったのか。

 ともかくそれだけ言ってから役場の奥へと進んでいくグロームを、ライトは一瞥だけしてからすぐに目を離し、冒険役場ギルドから出ていく。


「……せっかくだし買っていこう。これで少しは機嫌直してくれるかな」


 雨に文句を言う同居人の機嫌直しと、何もなければそれでいいという安堵を込めて。

 或いはどうにも感じてしまう嫌な予感を振り切るために、ライトは目に入ったケーキ屋に入り、三つほど購入してから少し早足で家への帰路に就いた。


 ──そして帰宅後。ライトが目にしたのは、砕けて境の役割を失った木の扉であった。


「……なんだ、これ」


 ふと、ライトの脳裏に過ぎるのは先ほど聞かされた事件について。

 魔族狩り。魔族の行方不明事件。未だ一切の手がかりなし。

 後ろ向きな言葉はぐるぐると、否定を許さない悪魔の声として、ライトの思考の耳元を囁き続けた。


「……イデアル! 何処だイデアル! いるなら返事をしてくれ、イデアル!」


 困惑から一転。

 目の前の惨状に数秒呆然としてしまったライトだが、すぐに思考を取り戻し、イデアルの名を呼びながら飛び込むように小屋へと入る。


 母とはぐれた幼子のように。或いは呼びかけですらなく、俺のが希望へ縋るかのように。

 何もなければそれでいい。扉が壊れたのも、悪ふざけなら今はそれで構わない。

 彼女が、イデアルが出る前と同じくここにいてさえくれれば、こんなボロい扉なんざ吹き飛んだって気にしないと。


 だがそんな願い虚しく、中はもぬけの殻。

 屋根の役割を果たしていた布には穴は開き、室内の床や物は雨にて濡れながら散乱してしまっている。

 唯一荒れていない、それどころか傷一つさえないのは棚。

 収集したスライムが丁寧に保管されている、無数の瓶が置かれ鍵の掛かった棚だけがライトが出掛ける前と変わらない状態であった。


「まさか、襲われた……?」


 戦闘の形跡はなくとも、部屋の惨状から、ライトはすぐに察する。してしまう。

 侵入者。招かれざる客。平穏を脅かす者。

 イデアルが暇を持て余したと雨への鬱憤による癇癪などではなく、悪意を以て襲撃されたのだと。


 襲われた。攫われた。彼女は、イデアルは奪われてしまったのだと。

 そうとしか考えられない。少なくとも、彼女自らが望んで荒らし出ていったとは思えなかった。


「……探さなきゃ。急げ、まだ間に合うはずだ」


 床に転がった自身の剣と、愛用の魔法鞄だけを乱雑に掴み取り、ライトは踵を返して駆け出し始める。

 一層強まり始めた雨の中、今度は傘すら持たず。

 落としてしまったケーキの箱や、今なお雨に濡れる小屋の中などお構いなしと。がむしゃらに。


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