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占い師カンドゥラ

 そうしてライトとイデアルの生活は始まった。

 とはいっても、特別大きな何かが行われるというわけでもなく。

 スライムの依頼があれがそれを受け、なければ家で実験やら調合やら資料をまとめたりやら作業したり、必要に応じて街へ出るのを繰り返すだけの日々だった。


 同居人にあまり構うことなく、黙々と作業を机に向かう時間の多いライト。

 研究の協力はするものの自由時間の多いイデアルは、最初こそ小遣いを貰って街に出たりはしたものの、気付けばボロ小屋にある唯一のベッドを占拠し、ダラダラと読み物に耽ることが多くなった。


「……家にいるのは良いけど、街で遊ぶのはもう飽きたのか?」

「そうではないが、ガイドがいないといまいち盛り上がらん。それに筆の走る音に耳を傾け、買った本に目を通しながら、うつらうつらと微睡みに耽るのも乙なものよ」


 イデアル曰く、そういうことらしい。

 最初こそ気にしていたライトだったが、本当に我慢している様子ではなく、むしろ買ってきた数冊を聞きとして読んでいく少女を見て気にする必要ないと少しばかり安堵した。


 初日は研究資料を読めないと言っていたはずなのに、いつの間に文字を覚えたのか。


 それだけじゃない。

 食事の佇まい。

 普通の少女のような快活さの最中、要所で垣間見せる覇気や品の良さ。

 見かけどおりの歳であれば、あまりに聡明と言える思慮。


 一緒に過ごすことで疑問は生じたが、深くは詮索する必要ないと聞こうとしないライト。

 そして自ら話すことのないイデアルは、互いに互いの深い部分へ踏み込むことはなく、日常を送っていた。


「ようイデアルちゃん! 今日もスライム狩りの付き添いかい、狩られそうになったら言ってくれよ!」

「応とも! お主らも冒険業、しかと励むがいいぞ!」

「あんがとよ! かわいこちゃんにそう言ってもらえたら、俺達もやる気も上がるってもんよ!」


 冒険役場ギルド、ゴルザ支部にて。

 ライトが掲示板からスライム関連の依頼を探している最中、他の冒険者と気さくに挨拶する。


 本大陸でも魔族への偏見少ない国とされる、大国ヴァリオール。

 その中でも熱を愛するという特色上、特に種族が重要視されにくいゴルザの街。

 流石に紫色のスライム魔族は少し驚かれたものの、イデアルは容姿と持ち前のコミュ力もあってすっかりと──なんなら若干距離を置かれている“スライム狩り”よりも街に馴染んでおり、冒険者の友人も多くなっていた。


「すごいな。すっかり人気者じゃないか」

「そうかぁ? 付き合ってみれば中々気のいい奴ら、何かにつけて暴力沙汰な故郷の粗暴者共よりずっと付き合いやすいぞ?」

「……すごい故郷だな。戦士の村にでも拾われたのか?」


 げー、と苦い記憶でも思い出したのか苦々しそうに顔を歪めるイデアル。

 イデアルをしてこう言わしめる故郷とは、どんな場所で育ったのだろうかとライトはつい考えてしまう。


 力こそ誉れの戦士の村。血と策略渦めく裏社会。或いは理性を放棄した魔性蔓延る死の大地。

 思いついたいずれもが、一介の少女が育つには不健全すぎる数多の妄想。

 自分で考えておいてなんだがそんなわけがないなと、愉快な思いつきを霧散させながら再び掲示板に注視していると、二人のそばへモノクルを光らせる壮年の男──ガウ支部長が近づいてきた。


「ようお二人さん。すっかりセットが板に付いてきたな、今日も冒険デートか?」

「どうかなぁ? 結局はスライム狩り様の気分次第じゃよ、よよよっ」

「今日の昼食は携帯食にしようか。……ところでガウ支部長、わざわざ挨拶なんて何か用事でも?」


 携帯食、つまりはイデアルのトラウマとなった泥団子もどき。

 残酷な通告をされ、縋り付きながら許しを乞い出すイデアル。

 そんな彼女を無視しつつ、ライトは今日はスライムの依頼はなさそうだと少々へこみながら、ガウへと向き用件を尋ねた。


「ああ、お前に一つな。カンドゥラの婆さん、フレヌ道で昨日から店出してるらしいぞ?」

「本当ですか? ありがとうございます。思いの外早く会えて嬉しいです」


 ガウからそう聞いたライトは会釈をし、イデアルを連れて冒険役場ギルドを出て街中を進んでいく。


「カンドゥラ? そういえば前も尋ねておったが、それは一体何やつじゃ?」

「エルフの占い師だよ。気まぐれに店を出す、すごく腕の良い人なんだ」


 途中にドーナツ屋で、店長らしい猫人がイデアルに揚げドーナツを数個譲ってくれて。

 はむはむと、上機嫌に頬張りながら尋ねるイデアルに呆れ混じりの感嘆を抱きながら、ライトはおもむろに説明し出す。


 カンドゥラ。それは時間、場所、周期。現れる要素全てが予測不可能なエルフの占い師。

 端麗で若々しいエルフには珍しい老婆の容姿。神出鬼没ながら占いの精度は百発百中。

 その別名を岐路の伝え手。巡り会えた時点で後の幸運、或いは不幸の回避が約束されたとまで囁かれるほどの腕を持つ占い師だ。


「ほーん占い師。なんじゃ、意外とそういうの信じるたちなんだな」

「占いには興味ない。スライムの魔族について、彼女なら何か知っているかなと思ってな」


 くつくつと、意外とばかりに口元に手を添えて微笑むイデアル。

 からかうような笑みを浮かべるイデアルに、ライトは取り乱すわけでもなく違うと否定を返す。


 ライトが彼女に会いたいと願ったのは、一部の人が求めて止まない占いのためではなく。

 イデアルの──スライムの魔族についての知識を得るため、知っていることを聞きたいと思ったからでしかない。


 いくつか通りを抜け、やがて街中央から少し離れたフレヌ道へと到着する二人。

 目立ったものや店ははなく、普段は人が留まる理由がない道にもかかわらず、今日は若干の人の列が発生している。

 その先頭。この列の原因であろう、真っ黒な水晶玉の置かれたテーブルとフードを被った占い師の姿を確認したライトは軽く頷いてから列の最後尾へと回る。


「お、運がいいなあんた。ラスト一人に滑り込みだ」

「それは良かった。日頃の行いだな」


 後ろに並べば、前の人からライトへと手渡された札。

 貼られた最後の一枚の付箋を取ると、描かれていた数字が一から零へと変化する。


「……なんじゃその魔道具。機能の割にえらく複雑且つ精巧に組まれているな」

「そうなのか? 客を制限するために作った板で、カンドゥラさん自作らしいが」

「こっちではまだ知らんが、我の故郷だったらこれ一つで数年は贅沢出来るじゃろうな」


 順番を待つ最中、札を手に取ったイデアルが興味深そうに眺めながらそう説明するも、ライトはそうなのかと頷くばかり。

 並ぶのを無制限にしていると、いつまでも客が途絶えないから嫌になる。

 だから占いは一日二十人までと、客量を制限するためにカンドゥラによって作成された魔道具だ。


 ちなみにイデアルの言うとおり、機能に比べて回路の数と構築が釣り合っていない。

 料理に必要な火の工面するため、一流の魔法使いが最上級魔法を詠唱するレベル。

 イデアルの故郷に限らず、大国ヴァリオールでも売れば相当な金になる物なのだが、ライト含めこれを手に取った客の大体は理解していなかった。


 そんな価値の知られぬ札を持ちながら、意外なほど早いペースで列は進んでいき。

 三十分もすれば、一つ前だった人も満足気に去っていき、占いは二人の番へ回ってきた。


「ひっひっひ! 来ると思っていたよ、スライム集めの小僧め」

「お久しぶりです。こちらどうぞ、手土産です」

「ひっひっひ、殊勝な心がけだね。そんで……ああそうかい、お前ロードレスの末裔かい。まさかこの地に、それもスライムの魔族とは数奇なもんだ」


 テーブルの前へ寄った瞬間、顔を上げることもなくライトと断言するようににやける老婆。

 藍色の頭巾を深く被った、隠せていない皺だらけの端正な顔立ちのエルフ。

 カンドゥラは不敵な笑みを浮かべながらロードレスと、藍の瞳でじっとイデアルを見つめ、細い人差し指で差してそう呼んだ。


「……まさかこの地でえる者が残っているとはな。如何にも、我はイデアル・ロードレスじゃ。まさか一目で見抜くとは、何者じゃお主は?」

「ずっと昔、魔族の王に傅く意義も義理も失っちまった老いぼれさ。今はもうしがない占い屋のババアでしかないよ。とっとと座りな、若い時間の浪費は一秒でも惜しいからね」


 出会った際、ライトに一度だけ名乗った姓。

 少なくとも、あの一度以降ライトが聞いたことのなかったその名を当てられたイデアルは数秒だけ動揺するも、何かを察したかのように納得して椅子へと座る。


 何の話だろうと思いつつも、ひとまずはとイデアルの隣へ座るライト。

 ライトが着席した後、カンドゥラはおもむろに手を翳し始めると、真っ黒な夜を詰めたような、見ているだけで吸い込まれそうだと錯覚してしまう水晶玉が淡い光を帯び始めた。


「何と美しい魔力の流れ。……それにまさか、星詠みか? 再現不可能とされた因果踏み。原初の女神プライヤが得意とした、失われた古代魔法の中でも最難とされた魔法?」

「詳しいねぇ。最近のにしては学がある、さてはあっちで変わり者にでも学んだのかい?」


 イデアルの指摘にひっひっひと、少しばかり上機嫌に笑い声を上げるカンドゥラ。

 通じ合う二人に対し、星詠みなどという単語を知らないライトは何がすごいのか、すごいこと以外はよく分かっていなかった。


「まさか本物を目にする機会があろうとは。札の魔道具に高度な情報遮断の魔法結界、そして星詠みの魔法とは……お主は過去に名を馳せた大魔族だったりするのか?」

「詮索はよしな。さっきも言っただろう? 少し長生きしただけのしがないエルフ、占いババアでしかないよ」


 イデアルの問いを軽く流し、水晶玉の上で手を回し続けるカンドゥラ。

 すると真っ黒であったはずの水晶玉に点々と小さな光が浮かび、カンドゥラは手を止めてそばに置いてあった虹色のレンズな虫眼鏡で覗き込んだ。


「……残念だが小僧、あたしゃが教えられることなんてないよ。スライムの魔族ってのは年寄りのあたしゃでもほとんど目にしたことのない種。この娘を除けば、たった一人しか知らないからね」

「お見通しとは流石です。ちなみだが、その一人とは?」

「……語るだけ無駄さ。最早歴史の隅からも消えちまった、今のガキ共が知る意味のない阿呆だよ」


 カンドゥラはゆっくりと、舐めるように見ながらライトへ何も知らないとそう断言する。

 どう切り出そうと思っていた矢先、それ以前の拒絶にライトはため息を吐きながら、一つだけでもあった収穫──過去にスライムの魔族は存在したという事実でひとまず満足することにした。


「……凶星、青い翼、道二つ。審判は間もなく来たり、選択は己次第。まあありふれた宿命持ちの岐路だね、思い当たりは?」

「青い、翼……ないわけでは、ないな……」

「そうかい。相当に難儀な運命を背負っているね、少しだけ同情するよ」


 イデアルの方へ体を向け、淡々と占いの結果を話し始めたカンドゥラ。

 顔に手を当て目を瞑ってしまったイデアルへ、カンドゥラは少し哀れみの目を向けてから「待ちな」と告げ、テーブルの下から取り出した鞄に手を入れた。


「これをやろう。笛の音は福音。使うべき時は、その時が来れば自ずと理解するはずさ」


 カンドゥラが鞄から取り出し、イデアルへと差し出したのは小さな笛。

 イデアルの瞳と同じ金の色をした、指一本あるかないかくらいの細長い笛であった。


「いいかい? どこまでいこうが、結局のところ大事なのは自分の意思さ。言葉でなくてもいい、自分にしか分からなくてもいい。暗い絶望の中でこそ勇気を持って吠えてみな。そうすりゃ拓ける道は必ずあるからね」

「……忠告感謝する。そうあれるよう、なるべく努力してみよう」


 小さな金の笛をイデアルの手へと優しく握らせ、温かさすらある声色で助言するカンドゥラ。

 イデアルはこくりと頷きながら礼を言い、笛を拒むことなく受け取った。


「……終わりですか。俺は占ってくれないんです?」

「嫌味な小僧だ。前と同じで必要ないって顔に描いてあるよ。あたしゃがもう千年若ければ食ってやったのに、ひーっひっひっ!」

「??」


 意味深に、嗄れた声でけたたましく笑うカンドゥラ。

 どういう意味なのかよく分かっていないのか、ライトは首を傾げながらも挨拶して店から離れる。


「……気に入られて良かったな。カンドゥラさんの助言の量は人によるからな」

「……そう、なのか」


 言葉なく、若干の気まずさと市民の声のみがある二人の間。 

 沈黙の中、先に話しかけたライト。

 イデアルは普段の快活さはなりを潜ませ、何かを考え込むように俯きながらも返事をした。


「……もし話したくなったら、遠慮なく話してくれよ。俺は大した男じゃないが、少しなら手を貸せるかもしれないからな」

「……いや、大丈夫じゃ。これは我の問題、世話になってるお主を巻き込みたくないからな」


 少しだけ、一歩だけでも踏み込もうとしたライトだったが、イデアルは首を横に振る。

 まるで深く関わるのを拒むかのように。或いは何かに怯え、自分とそれ以外で一線を引いているみたいに。


「さ、それより飯じゃ飯! 我、目を付けていた店があったんじゃ! 行くぞ、ライト!」

「……そうか、なら案内してくれ。俺も今日はがっつり食べたい気分だ」


 イデアルはパンと手を叩き、無理矢理にも真面目な話を空気は終わりだとライトの手を掴む。

 力強く引っ張るイデアルに、ライトも今はひとまずと切り替えながら付いていく。


 手を繋ぐほど近く、されど名前と現在以外を知らないほど遠く。

 契約によって繋がれた同居人。どこまでいこうが、どれほど仲良くなったように見えようが、それが今の二人の関係だった。






 ゴルザの裏通り。それは歓楽街の夜光すら届かぬ、街の影とも言える裏道。

 市民は安易に近寄ろうとしない、治安維持の行き届かない同じ高さな地の底。言ってしまえば負け組集う貧民街だ。

 そんな場所のライトの住むボロ小屋と同じ程度に寂れた廃墟の客間にて、向かい合う人がいた。


「まったく、ここはいつ来ても汚らしいな。仕事の合間を縫ってこんな所まで来なければならない苦労を考えて欲しいものだ」

「申し訳ない。この街で商いや仕入れをするなら、これ以上に進めやすい場所はないもので」


 家主であろう、髑髏の眼帯で右目を隠した男はにやけながら汚れた金てで遊ばせる。

 そしてもう片方。薄汚れた外套で全身を覆い、正体を隠した男は疎ましげに悪態をついた。


「毎度ご贔屓に。……しかしいいのかい? 正義の冒険者様が、何度も非人道的な商売に手を貸すなんて」

「非人道的? これは治安維持の一環さ。俺が思うにこの街は、この国は少しばかり緩すぎる。根本から違うもどき共が、平穏に生きる人々に仇なし手遅れになる前に相応な扱いを出来る国へ流すだけ。君達を見逃すのは、謂わば必要な悪みたいなものさ」

「おお怖い。何時の時代も、げに恐ろしきは小悪党より正義の執行ってことかい」


 けらけらと、嘲るように笑う眼帯の男。

 そんな彼に釣られることなく、失笑混じりにため息を吐いた外套の男は立ち上がる。


「それで? いつ決行するんだ?」

「次の夜明けまでには全てを。大目玉を回収し、その足でこの街からはとんずら。俺達は他人に元通りって寸法でさぁ」

「そうか、では後日。互いにしくじることなく、円満に別れられることを願っているよ」


 そうして外套の男は小屋から立ち去る。

 貧民街に秩序の耳は届かず。密約は闇に消え、誰に知られることもない。

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