シーハンターのユノと協力して、海を荒らす怪魚、ロックフィッシュを討伐することになったわたくしたち。“ヒッパレー”を使いこなせていない不安を振り払うため、わたくしはゆっくりと深呼吸をした。
「大丈夫ですか、コルクさん? なんだか顔色が悪いようですが……」
「えっ!? 何言ってるのよ……! わたくしは、力がみなぎってるんだから!」
(落ち着け……。さっきは、集中力が足りなかったから……。落ち着いてやれば、きっと上手く出来る……)
わたくしの鼓動とシンクロするように、魔導モーターボートの振動が身体に伝わってくる。ユノは、魚が放つ微量の魔力を感知するレーダーを確認しながら、ロックフィッシュの元へとボートを進めていた。
「見えてきたよ。準備はいい?」
「う、うん!」
視界の先の水面に、微かに岩の塊が見えた。さっき襲われた恐怖が蘇りそうになるのを必死で堪え、わたくしは右手に意識を集中させる。
「“ヒッパレー”!」
手のひらから魔力の糸を放出する。わたくしは、ロックフィッシュを釣りたいと心の中で強く念じ始めた。
(“ヒッパレー”はクソダサ魔法なんかじゃない……! わたくしには、おっきなことを成し遂げられる力があるんだ……!)
「……」
「…………」
「……なんか、全然釣れないね」
わたくしの意気込みも虚しく、魔力の糸は薄ぼんやりとした奇妙な光を発しながら、波にユラユラと揺れているだけだった。ユノの冷ややかな視線が、わたくしに突き刺さる。
わたくしの頭の中には、追放された時の、里の住民たちの視線や、家族の罵倒がフラッシュバックしていた。身体が震える。冷や汗が止まらない。
「この距離に留まると、あいつに気付かれるかもしれない。一旦、離れるよ?」
「ハァ……ハァ……!」
「コ、コルクさん……。……むんっ!」
正気を失いそうになっていた時だった。何かが海の中に飛び込む、おっきな水の音が響いた。気が付いたら、私の隣にいたミルティの姿が無くなっていた。
「えっ!? ミルティ!?」
「私、あのお魚さんとお話ししてみますっ!」
「お話し!? ま、待ちなさい!」
わたくしの声は届かず、ミルティはロックフィッシュの元へと泳いでいってしまった。なんで? どうして、ミルティはあんなことを……。
「ロックフィッシュさん! 私の話を聞いてください!」
「ゴガ?」
「魚と話すって、あの子はそんなことも出来るのか……?」
ミルティちゃんは、ロックフィッシュの近くまで接近すると、対話を試み始めた。私とユノちゃんは、固唾を呑んでその様子を窺っている。
「え〜っとぉ、良いお天気ですねっ!」
「グゴ?」
「えっとえっと、波も穏やかで、泳ぐのにはちょうどよいですよねっ!」
「ガゴゴ」
「よ、よく分かんないけど、あれって話せてるのか……?」
ミルティは、私の方を気にする素振りを見せながら、身振り手振りを交えながら、ロックフィッシュとの会話を続けている。
(まさか、ミルティは、わたくしのために時間を稼いでるの……?)
ロックフィッシュは、ミルティのことを不思議そうに眺めながら、その視線を外そうとはしない。まるで、狙いを定めているかのように……。
「グゴガアアアアアアッ!!」
「きゃあっ! やっぱりダメでしたぁ〜っ!」
「えぇっ!? 何やってんだよぉ!?」
ロックフィッシュは、ミルティに向かって飛び掛かった! ミルティは、身軽な泳ぎでなんとか直撃を免れていた。でも、暴れ回るロックフィッシュはミルティを狙い続けている。
「ミルティを助けないと!」
「ちょっと待って!? 考えも無しに海に飛び込むつもりか!?」
「ミルティは、わたくしのためにロックフィッシュを食い止めようとしてくれたのよ! だったら、わたくしがなんとかしないと……!」
「はぁ……。そういう性格か、あんたは……」
ユノはため息をつくと、ボートの運転席へ座り、ハンドルをぎゅっと握った。そして、わたくしに振り返るとニカッと笑った。
「一緒の船に乗ってるんだから、あたしも仲間に入れてよ?」
「ユノ……!」
魔導モーターボートは、一気にロックフィッシュとの距離を詰める。水飛沫を浴びながら、わたくしはロックフィッシュに手をかざし狙いを付ける。
「引き寄せて釣れないなら、直接、ロックフィッシュの体に魔力の糸を巻き付ける!」
激しく動き回る巨体に、なかなか狙いが定まらない……! 必死に逃げるミルティちゃんを追って、ロックフィッシュの速度はさらに上がっている。手こずる私に向かって、運転席のユノが声を張り上げた。
「どう!? 釣れそう!?」
「ごめん! 動きが速くて上手く狙えないわ……!」
「そっか。なら少し、動き止めてくる!」
「えっ……!?」
ユノは銛を手にすると、勢いよく海へ飛び込んだ! そして、ロックフィッシュに向けて銛を構え始める。
「おりゃああああッ!!」
「グゴオッ!?」
ユノは、力任せに銛をぶん投げると、ロックフィッシュの眉間に直撃させた! 銛を受けたロックフィッシュは、クラクラと目眩を起こしている……。凄い馬鹿力だわ……。
「これなら狙える! ありがとう、ユノ! “ヒッパレー”!!」
動きが止まったロックフィッシュに、魔力の糸が巻き付いていく。手応えもしっかりある。これなら、引っ張り上げられる!
ロックフィッシュを持ち上げようとした時、ロックフィッシュが纏う岩の隙間から、メキメキと鈍い音が鳴り響き始めた。そして、次の瞬間、“ヒッパレー”の手応えは一気に軽くなっていた。
「ゴガアアアアアッ!!」
「うわっ!? 岩が爆発した!?」
ロックフィッシュの体の岩が、ひとつ残らず弾け飛んでいた。唖然とする私の視線の先には、ロックフィッシュの10分の1ほどの、ありふれた見た目の魚が泳いでいた。
「あ、あのお魚さんですっ! 岩の中から、あのお魚さんが飛び出してきました!!」
「えぇっ!? じゃあ、あれがロックフィッシュの正体なの!?」
今までおっきな岩の化け物だと思っていたロックフィッシュは、岩の塊を纏い、その中に身を隠していた魚だったのか! 岩の怪魚より遥かに小さくなったその魚は、慌てふためきながら、わたくしたちから遠ざかろうとしていた。
「あいつ! また岩の中に隠れるつもりだ!」
「そんなっ! せっかく岩を剥がせましたのに!」
ロックフィッシュの正体を見て、ようやく謎が解けた。どうして、“ヒッパレー”はロックフィッシュを引き寄せられなかったのか。
わたくしが見ていたのは、ロックフィッシュの本体じゃなかったからなんだ……! “ヒッパレー”は、具体的なイメージが無いと釣れないんだ!
(だったら、今なら釣れる!)
「“ヒッパレー”! あの逃げようとしてる魚を、おっきく釣り上げなさい!」
”ヒッパレー“を海へ放った。今まで何も反応がなかった魔力の糸は、ライトグリーンに強く発光し始めた。
「ウオ?」
ロックフィッシュは、抗えない引力に引っ張られるように、魔力の糸の先端の玉を咥えていた。魚が食い付き、わたくしが釣り上げたいと思った瞬間、“ヒッパレー”は、空高くロックフィッシュを持ち上げていた。
「や、やったわ!! 釣れたぁ!!」
ロックフィッシュを釣り上げた瞬間、わたくしの頭から背筋に向かってビリビリと電流が流れるような感覚が襲った。あの白い巨大魚を釣った時のように、胸が熱くなった。
(なんだろう……。この感覚……)
ビチビチと、ロックフィッシュは甲板の上で跳ねていた。ユノは、慣れた手付きで魚の尾ひれを掴んで持ち上げた。
「ふぅ、ご苦労様! ……それにしても、あれだけ好き勝手暴れた挙げ句、こんなにちっちゃくなっちゃうなんて……。最後まで迷惑な奴!」
ユノは、ジト目でロックフィッシュを睨むと、甲板の床を開き、中の水槽にロックフィッシュを放り込んだ。ボートの床下ってそうなってたのね。
「これでよし、っと。……あれ? どうしたの、あんた? そんなボーっとして」
「えっ? な、なんだか、釣りをしたあと身体がおかしいの……。胸が熱くなるというか、興奮した気持ちというか……」
「……それって、釣りが楽しかったってことじゃないのか?」
「釣りが……楽しい……?」
そうか。わたくしは、釣りが楽しかったんだ……。あまりにも感動しすぎて、そんな簡単なことに気付けなくなっていたんだ。
「私も! スリリングな体験が出来て、なんだか楽しかったですっ!」
「あなたはもうちょっと怖がりなさいよ……」
海からひょっこり顔を出して、満足そうに笑うミルティを見て、わたくしとユノも笑みが溢れてしまった。
「あたしはこれから、ロックフィッシュを港町に運ぶけど、君たちはどうする?」
「実は、行くアテもなく海を漂っていたところだったのよ……」
「随分とハードな船旅をしてるんだな……。んじゃ、このまま乗ってくってことで」
ユノは、港町へ向けてボートを運転し始めた。目的地に着くまでの間、わたくしはユノに、これまでの経緯を話して聞かせた。
「無人島に追放って……。あんたの親、鬼畜すぎるだろ……」
「あの時までは、あんな人じゃなかったんだけどね……」
「家族でも、心の中までは見えないってことだよ」
ユノは、自分のことのように、わたくしの話を真剣に聞いてくれた。ユノにも、いろいろあったのかもしれない。ふと、そんな考えが過った。
わたくしの話が終わると、待ってましたと言わんばかりに、ミルティが身を乗り出して、自分の話を始めようとしていた。
「実は、私は、セイレーンのお友達を捜して旅をしていたのですが、ユノさんは、何かご存知ありませんか!? 名前は……」
「ココ、でしょ?」
「えっ……!?」
ユノは、ミルティの友達の名前を、先に口に出していた。わたくしたちは、まだ彼女の前で一度もその名前は出していない。なんで、ユノがココの名前を……?
「ココは、あたしの友達」
「そ、そうだったんですね! 良かったぁ! では、ココちゃんは今どこに……」
「いないよ」
急に、空気が冷たくなった。その冷たい空気は、ユノから漂っていた。不穏な雰囲気を感じ取り、わたくしとミルティは、思わずピクリと身体を震わせていた。
「あたしが、殺した」
「え…………?」
頭の奥がじんじんと痺れる感覚。釣りの時とは違う。怖くて、苦しくて、耳で聞いた言葉を、なんとか書き換えようと、現実を無理やり否定しようとする、拒否反応。
ミルティは、血の気が引いた顔をしていた。……でも、それ以上に、ユノの表情が苦しそうに感じられた。自らが作り出した重苦しい沈黙に耐え兼ねたように、ユノが口を開いた。
「ココと初めて出逢った時。あの子は、凄く怯えていた。海賊や魔法使いに狙われて、ずっと追われ続けたって言っていた」
「そんなあの子をほっとけなくて、世話を焼いちゃったんだ……。人間不信になっていたけど、あたしには心を開いてくれて……。それからは、ずっとミルティの話を聞かせてくれた」
「私の話を……」
ユノが微かに微笑むと、ミルティも釣られて笑みが溢れていた。穏やかな表情を見られて安心したのも束の間、ユノの表情は、再び暗く沈んでいった。
「そんなある日。ボートで沖に出ていた時だった。ココはボートの端に座っていて……。あの子の背後に、見たことのない黒い巨大な魚が突然、海中から飛び出してきた……」
「黒い、魚……」
「助けようとしたけど歯が立たなくて、ココは呑み込まれて……。そのまま、黒い魚ごと海へ消えてしまった……」
「そんな……。ココちゃんが……」
ミルティは、両手で口を覆って震えていた。なんて声を掛けて良いのか分からず、わたくしは、ただ見つめることしか出来なかった……。
(ココが“ヒッパレー”で引き寄せられなかったのは、そういうことだったのね……)
「……だから、あたしはシーハンターのランクを上げて、あの黒い魚をなんとしても仕留めようって決めたんだ」
「……ごめん。だから、あんたの友達は、あたしが殺したのと同じ……」
わたくしたちは、再び沈黙に包まれた。なんとか言葉を探して、必死に口を開こうとしても、声が出ない。友達を失った2人に、どんな言葉もちっぽけに思える。
「ユノさん。ありがとうございます……!」
「ココちゃんは、きっと生きてます……! だって、私たちは、どんな怪我もすぐに治りますから……!」
「ミルティ……」
ミルティの言葉に続こうと、頭をフル回転させる。まだ、声が出ない……! こんな時に何も言えないなんて、自分が嫌になる!
「私も、お手伝いしますっ! 一緒にココちゃんを捜しましょうっ!」
「駄目だ! あんたの身に何かあったら、それこそ、ココに顔向け出来ないだろ!」
「あ、あうぅ……。で、ですが……」
ミルティちゃんが困ってる! ココを捜したい気持ちは、誰よりも強いはずなんだ! だったら、一緒に手伝わせてあげたい! 声を振り絞れ、わたくし!
「いっ……」
「一緒の船に乗ってるんだから、わたくしも仲間に入れてぇ!!」
……シーン。今まで味わったことのないような、沈黙の境地。ミルティとユノの視線が、わたくしに突き刺さる。わたくし、絶対、何か変なこと言った……。この場にいるのが、堪らなくツラい……。
「ぷっ……」
「あはははははっ!!」
ユノは、タガが外れたように大笑いし始めた。笑われてるぅ……。時を戻せるならやり直したい……!
「はぁ……。そうだよね。乗りかかった船。一緒に、やろうか?」
「ユノ……!」
「ユノさん……!」
これから始まる新たな船出。穏やかな波の上のように、私の胸は不安と期待に揺れていた。
◇
コルクたちが進む海域からは遠く離れた、暗雲漂う海上。その上空には、ほうきで空を飛ぶ魔導士の姿があった。
「“ライトニングボール”!!」
魔導士が雷魔法を放った。魔法は海上に着弾。周囲の海洋生物たちは感電し、力無く海面を漂っていた。
「チッ。セイレーンの姿は無いわねぇ。どこにいったのかしらん。あの短い黒髪のセイレーンは」
女口調の大柄の男性魔導師は、ほうきの上で不敵な笑顔を浮かべていた。