“ヒッパレー”で超巨大魚を引っ張り上げ、海賊からなんとか逃げ切ったわたくしとミルティ。わたくしを乗せた小舟は、水中から押して泳いでいるミルティを動力源に、静かな大海原を突き進んでいた。
「えっ、ミルティって不老不死じゃないの!?」
「はい……。人間さん方は勘違いしておられるようですが、私たちセイレーンは、自分の怪我を治す再生能力があるだけです。決して、永遠の命がある訳ではありませんし、食べても不老不死になるなんて、ありえないと思います」
「迷信ってこと……? 身勝手な理由で、それも勘違いでセイレーンに酷いことをするなんて、そんなの許せないわね……!」
「コルクさん……。本当にあなたは優しい方なのですね……。……なので、私は、なんとしても見つけないといけないのです……!」
「見つけるって……?」
「セイレーンの友達、ココちゃんです……!」
「えっ?」
わたくしは、家族から追放されて自分のことで頭がいっぱいになっていたけど……。そうか、ミルティも何か事情を抱えていたのね……。
「先程のお話通り、私たちセイレーンは、人間さんに狙われています……。なので、普段は自分たちの住処でひっそりと暮らしていたのですが……」
「私の幼馴染のココちゃんは、短い黒髪の活発な女の子で、とても好奇心の強い性格でした。そして、いつも住処の外の世界に憧れていました……。私は危ないから外に出ては駄目だと注意していたのですが、彼女の想いとすれ違ってしまい、喧嘩になってしまいました……」
明るく朗らかなミルティが、初めて暗く沈んだ表情を見せた。それだけ、ミルティにとってココは大事な存在ってことね……。
「そして、そのまま外の世界に飛び出してしまったココちゃんを捜して、私も外の世界へとやって来たのです……!」
「そんなことがあったのね……。悪かったわね……。わたくしが釣り上げたばかりに、変なことに巻き込んじゃって……」
「いえっ! コルクさんのお陰で、人間さんにも優しい方がいらっしゃると分かりました! ココちゃんも優しい方に出会えているかもしれないと、希望が持てましたから……!」
「ミルティ……」
そうは言っても、ココのことが心配に決まってる。なんとか、ミルティの力になってあげられないだろうか……。
「そうだ! もしかしたら、“ヒッパレー”を使えば、ココを釣り上げられるかもしれない!」
「えぇっ!? ほ、本当ですかっ!?」
「ミルティは、“ヒッパレー”に引き寄せられたんでしょ? だったら、ココのことも引き寄せられる可能性はある! このわたくしに任せない!」
「凄いですっ! コルクさん、さっそく釣ってみましょうっ!」
「よぅし! “ヒッパレー”!」
わたくしは、小舟の上から海に向かって“ヒッパレー”を放った。ライトグリーンに発光する魔力の糸は、スルスルと海中へ潜っていった。
(ココを釣りたいと強く念じる……! 短い黒髪の、女の子のセイレーン……!)
ミルティと巨大魚を釣った時よりも、強く深く、おっきく念じる……。“ヒッパレー”に釣りたい物を引き寄せる力があるのなら、これでココが引き寄せられるはず……!
「……」
「…………」
「…………あれ?」
ちゃぷちゃぷ。ミャアミャア。……小舟が海を漂う音と、海鳥が鳴いている声がよく聞こえる。それだけ海は静かなまま。何も釣れる気配はない……。
「はぁ!? なんでよぉ! “ヒッパレー”には、釣りたい物を引き寄せる力があるんじゃないの!? ちょっと! やる気出しなさいよ!」
「あ、あのぅ、コルクさん……。無理はなさらなくても大丈夫ですので……!」
ガガーン! あの純粋で穢のない目のミルティが、可哀想な物を見るような目でわたくしを見てるぅ!
「ちょっと待ちなさい! なんとしても釣ってみせるから……!」
“ヒッパレー”を放つ右手に意識を集中させる。もしかしたら、かなり離れた場所にいるのかもしれない。焦らず待てば必ず……。
「ゴゴゴゴゴ……」
「うん……?」
静かな海から、なんだかお腹に響くような音が聞こえてきた。これだけ果てしなく広い海だし、こんな音が聞こえる何かがあってもおかしくはないのかしら? 謎の音を気にしつつ、わたくしは釣りを続行した。
「コルクさん、先程から何か妙な音が聞こえませんか……?」
「わたくしも、さっきから気になってた……」
ミルティが不安そうな表情で、わたくしが気にしていた音について尋ねてきた。海に馴染みのあるミルティも聞いたことのない音。……わたくしも不安な気持ちが押し寄せていた。
「ハッ!? コルクさん、危ないっ!!」
「えっ!?」
ミルティの声と同時に、わたくしの目の前に巨大な岩の塊が飛び込んできた。あまりにも突然で、一瞬の出来事。目に映る光景を把握するので精一杯で、身体が反応してくれない。
「うあッ!!」
わたくしがフリーズしている刹那。ミルティが細い両腕を広げて、岩を身体で受け止めていた。鈍い音を響かせながら、血まみれになったミルティは海へ沈んでしまった……。
「ミルティ!! そんな!? 身を挺して守るなんて!!」
わたくしのせいだ……。わたくしが、しっかり反応出来ていればこんなことには! ミルティを失った悲しさで、どんどん現実感が失われていく……。わたくしは、出会えたばかりの友達1人守れなかっ……。
「ぷはっ! コルクさん! ここは危険です! 早く逃げましょうっ!」
「えぇっ!? ミルティ!? なんでそんなピンピンしてるのよ!?」
何事もなかったように、ミルティが水面から顔を出した。痛々しく血まみれだった上半身は、瑞々しいすべすべの美しい肌を保っていた……。
「これがセイレーンの再生能力です! 痛いですけど、すぐ治りますのでご安心ください!」
「そ、そうなのね……。まぁ、おかげで助かったわ……!」
本気で泣きそうになっていたのが、ちょっと恥ずかしくなってきた……。って、今はそんなこと考えてる場合じゃない。ミルティは、全速力で小舟を押し進めてくれている。とにかくわたくしは、周囲の警戒を強めるんだ!
「さっきの岩、一体なんだったの……!?」
「分かりません……! 不気味な音の方を気にしていたら、いきなり岩の塊が現れて……」
海から岩が飛び出して来るなんて……。そんな現象、聞いたこともない。ミルティにも分からないみたいだし、そんな正体不明の現象に、どう対処すれば……。
「グゴガアアアアアッ!!」
その時、背後から咆哮が鳴り響いた。すぐに声の方を振り返ると、魚の形をした10メートルほどの岩の塊が、わたくしたちの小船を追い掛けて来ている!
「な、何あれ!? おっきな岩が泳いでる!!」
「あんなお魚さん、見たことありませんっ!!」
岩の魚は、その見た目とは裏腹に、ミルティに追い付きそうな勢いで迫っている。怖い。物凄く怖い。そんなただでさえ怖い魚の口が、おっきく開いた。
「グォッ!!」
「うわっ!! 岩を飛ばしてきた!!」
岩魚は、口から巨大な岩を吐き出した! さっきの岩の塊はこれだったんだ! 岩はかろうじて小舟には届かず、ミルティの後方でおっきな水柱が上がっていた。
「せっかく海賊から逃げられたのに、このままだと岩にやられる……!」
落ち着け。わたくしには“ヒッパレー”があるじゃないか。大砲で狙われる大ピンチを切り抜けたんだ。今回もなんとかなるはず!
「相手が魚なら、釣ればいいんだ……! “ヒッパレー”! あの岩の魚を釣り上げなさい!」
わたくしは海へ“ヒッパレー”を放った。猛スピードで迫る岩の魚を引き寄せるように、強く念じる。
「だ、駄目……。引き寄せられない……」
わたくしの思惑とは裏腹に、岩の塊は“ヒッパレー”に見向きもせず、わたくしたちの元へ突っ込んで来る。このままだと、呑み込まれる!
「うおりゃあああッ!!」
「ゴガアアアアアッ!!」
わたくしたちを丸呑みにしようと、岩魚が飛び掛かってきた時だった。威勢の良い女の子の声が響いたと思うと、岩魚が纏う岩の隙間に、鋭い銛が突き刺さった。その勢いで、岩魚は数メートル先の水面へと吹き飛ばされていた。
「そこのあんた、怪我はないか!?」
「えっ!? は、はい!」
屋根の付いた白い大型のボートが、わたくしたちの小舟と並走していた。そのボートの上に、赤い髪をおさげのように結んだ女の子が立っていた。水中ゴーグルとビキニ姿のその少女は、同性の私でも見惚れるようなスタイルをしていた……。
「くぅ〜! やっぱり仕留められないか……! あいつ硬すぎるんだよ!」
「あ、あの。あなたは一体……?」
「あたしはユノ。ここいらでシーハンターをやってるんだ」
「し、しーはんたー?」
「ん〜簡単に言うと、海のハンターって感じ?」
そのまんますぎる……。とりあえず、この子がハンターということは分かったけど……。
「そんな小舟じゃ、あいつから逃げられないでしょ? 良かったら、こっちに乗りなよ。こっちの機動力は折り紙付きだからさ」
「えっ? いいの?」
「乗りかかった船って奴? あれ、違うっけ? まぁ、なんでもいいから早く乗りなよ!」
(な、なんか強引な奴ね……)
ユノに言われるがまま、わたくしは海賊から奪った小舟を乗り捨てて、20メートルはある、おっきくて綺麗なボートに乗せてもらうことにした。
「よいしょっと。では、お邪魔いたしますっ!」
「ちょっと待った……。なんか自然に乗ってるけど、あんた誰!?」
ナチュラルにボートに乗り込もうとするミルティに、ユノは思わずツッコミを入れた。そういえば、ミルティは会話に混ざってなかったわね……。
「あっ! 申し遅れました! 私はミルティと申します! 下半身が魚なだけですので、ご安心くださいっ!」
「ミルティ……!?」
ミルティの名前を聞いた途端、ユノは目を見開いていた。シーハンターと名乗っていたけど、ミルティを狙ったりしてないだろうか……。
「ね、ねぇ。ミルティは……」
「知ってるよ。セイレーンでしょ? 大丈夫。セイレーンには危害を加えたりしないから」
「そうですか! 良かったです〜!」
ユノの言葉に、ミルティはすぐに安堵のため息を漏らしていた。本当に素直というか、騙されやすいというか……。
わたくしとミルティを乗せたボートは、ブルルンとおっきな音を響かせながら、凄まじい速度で海上を進み始めた。船内には小さいながらソファやテーブルなんかも設置されていて、乗り心地は抜群だ。
「こ、こんなに速く進めるなんて……!」
「驚いた? これは魔導モーターボート。魔法を詰めた魔石をエンジンに搭載した最新式の船だよ。そのぶん、値が張るけどね」
「魔法を使ってるの!? わたくしの里だと、魔法は神聖なものとして扱われていたから、こんな使い方見たことないわ……」
魔法使いの里にも、こんな柔軟な発想があれば、わたくしは追放されなくて済んだのかも……。ふと、そんな考えが頭を過ってしまった。今はそれどころじゃない。状況を確認しないと。
「ねぇ、ユノは、さっきの岩の魚を狙っていたの?」
「むぅ……」
「な、何よ?」
「コルク、年上の人には、お姉ちゃんって呼ばないと駄目じゃないか?」
「はぁ〜? 年上って、あんたいくつよ!?」
「15だよ」
「同い年じゃない!!」
「えぇっ!? 小さいから、てっきり年下だとばかり……。あはは! いや〜ごめん! まさかこんなに小さい子が同い年だと思わなくて!」
ひ、人が気にしていることを……。このユノとかいう子、油断ならない奴ね……。
「さっきの魚はロックフィッシュ。最近現れた新種で、まだ情報が少ない魚だよ。辺り構わず、体内に蓄えた岩を吐き散らす迷惑な奴だ」
「あんなに硬そうなお魚さん、やっつけられるんでしょうか?」
「それだよね〜。何度も銛で攻撃してるけど、あの岩肌で跳ね返されちゃうんだよ」
跳ね返されるっていうか、ユノが魚を吹き飛ばしてたけど……。見た目によらず、とんでもない力持ちなのかも……。
「あんな凶暴なお魚さんを退治しないといけないなんて、シーハンターさんって大変なのですね……!」
「まぁ、あたしはあたしの目的でやってる部分もあるんだけど……」
ユノは、ボートを運転しながらも、ロックフィッシュが暴れていた海の方を気にする素振りを見せていた。
「でも、あいつをあのまま放っておくと、どこかの船や島が被害に遭うかもしれないし、なんとか仕留めたいんだけどね……」
ユノは、悔しそうな表情を滲ませている。……わたくしは、また力になれないの? 助けてもらってばっかりで、私は助けてあげられないの? そんなの、情けない……!
「わ、わたくしの魔法なら、ロックフィッシュを釣り上げられるわ……」
「魔法!? あんた、魔法が使えるの!?」
「そうですよ! コルクさんの魔法は、山のように大きなお魚さんを釣ることが出来る、物凄い魔法なのですっ!」
「ふぅん。それならそうと、早く言ってくれれば良いのに!」
「まぁ、まぁね。あははは……」
(い、言ってしまった……。さらにミルティに持ち上げられて、ますます後には引けない……。弱気になるな……。わたくしは、おっきな魔法使いになるんだから!)
“ヒッパレー”はまだまだ未知の魔法だけど、わたくしには何かを成し遂げるおっきな力があるはずなんだ! わたくしの昂る想いを乗せて、魔導モーターボートはロックフィッシュの元へと引き返し始めた。