「あぁ……。海はおっきいわねー……」
わたくしの名前はコルク・ワインセラー。今、わたくしは魔力の糸を釣り糸代わりに海へと垂らしている。エサなんて付いてない。この行為になんの意味があるのかも分からない。でも、釣るしかない。
ここは無人島。食べ物なんか何もないのだから。
どうしてこんなことになったのか。それはわたくしにもよく分からないのだけど……。釣りをしていると他に考えることもなく、思い出したくもない記憶をつい振り返ってしまう。
◇
「コルク、ついに15歳の誕生日を迎えたな。まずはおめでとう。そして、お前の真価が決まる大事な日だ。里の期待に応えられるような魔法を授かるのだぞ」
「あなたの秘めたる魔法を皆、心待ちにしておりました。胸を張って魔法鑑定を受けるのですよ。そして、一流の魔法使いを目指し、里を旅立った三女のシャルのように、さらなる高みを目指しなさい」
「はいっ! お父様! お母様! わたくしも、お姉様たちのような偉大でおっきな魔力を持つ魔法使いを目指します!」
お母様がわたくしのブロンドヘアーをさらりと撫でてくれた。わたくしは、両親の期待に満ちた眼差しに応えるように、力強く頷く。
ここは魔法使いの里。その名の通り、魔法使いが集う魔法使いのための里。この里では、魔法の階級で全てが決まる。
この里に住まう人間は、15歳になると魔法の才を見定める魔法鑑定を受けることになる。わたくし、コルクは、そんな魔法使いの里を取り仕切る里長の娘。里の中央に位置する聖魔堂にて、今まさに魔法鑑定が行われようとしている。
わたくしは、偉大な魔法使いとして里から崇められている2人の姉に視線を向ける。お姉様たちはわたくしのことを温かい眼差しで見守ってくれている。建物内には、大勢の里の住民も詰め掛けていた。
(わたくしの身体は同じ年頃の子と比べても小さい。体内を流れる魔力も少ない。ずっとそれがコンプレックスだった。待ち望んだ魔法を授かる今日この日に、お姉様たちを超えるようなおっきな人間になりたい!)
「ロゼお姉様は炎、サロンお姉様は氷、シャルお姉様は雷の上級魔法を授かった……。わたくしも、3人のお姉様よりもおっきくて凄い魔法を授からないと!」
四姉妹の末っ子のわたくしは、鑑定の前に改めて気合を入れ直す。元々持って生まれた魔法を視るのだから、気合を入れたところで何も影響しないのだけど、今のわたくしに出来ることはこれくらいしかない。
わたくしは意を決して鑑定士の前に歩み出る。大勢の視線に晒されながら、鑑定が終わるのをじっと待つ。さぁ、わたくしの逆転劇が幕を開ける時!
「コルク様の魔法は“ヒッパレー”です」
「へ?」
“ヒッパレー”? え? 炎とか氷、雷なんかじゃなくて? “ヒッパレー”って何?
わたくしの心の声とシンクロするように、里の住民の動揺の声がざわざわと響き渡っている。そんな中、お父様とお母様が血相を変えて鑑定士の元へ駆け寄ってきた。
「おい! なんだその“アッパレー”って!? ふざけとんのか!?」
「ふざけてはおりません! “ヒッパレー”です! 魔力の糸を伸ばし、物を引っ張ることが出来るのです!」
「も、物を引っ張る魔法!? なにそれ、カッコ悪い!」
「そんなダッサい魔法、ワインセラー家の、里長の娘の魔法として認められるか!」
呆然と立ち尽くしているわたくしを余所に、お父様とお母様は私の魔法を思いっきり罵倒し始めた……。いつもは冷静な両親の豹変に冷や汗が止まらない……。わたくしは助けを求めようと2人の姉へ視線を移した。
「コルク……。そんなクソダッサい魔法を授かるなんて……。よくも我が一族の顔に泥を塗ってくれたわね……」
「あんたみたいなクソダサが私の妹だったなんて……。吐き気を催すわ!」
ええええええ? クールなお姉様たちもが手のひらを返すような態度に……。わたくし、何か悪いことした!?
「……えー。コホン。お集まりの皆様にお知らせがございます。 長年、私の娘だと思っていたコルクですが、なんか違かったみたいです」
「ちょ!? えぇっ!? お父様!? 何をおっしゃるのですか!?」
「そうですね! 私たちの娘ならば、こんなクソダサ魔法を覚えるはずがないのです!」
「なんだそうかー。私てっきり実の妹だと思っていたけど、違うのね。安心したわ」
ひ、酷い……。家族全員、わたくしのこと見捨てるなんて……! こうなったら、“ヒッパレー”がクソダサ魔法などではないと証明しなければ!
「お、お父様! 見ててください! わたくしの魔法はクソダサなんかじゃないおっきな魔法なんです! ほら、 “ヒッパレー”!」
わたくしは右手を突き出し、覚えたばかりの呪文を唱えた。手のひらからは、先端に丸い玉がぶら下がった細長い魔力の糸が、ライトグリーンに光り輝きながらニョロニョロと飛び出てきた。
自分の魔法だけども、ビックリするくらい全然カッコ良くなかった……。わたくしへ集まる視線は、氷の魔法のように凍てついていた。
最悪な空気の中、お父様が、哀れな子羊を見るかのような目をしながら歩み寄ってきた。
「……ふぅ。コルク“ちゃん”。残念だけど、もう君とは家族じゃないんだよ。少し眠っていておくれ。“スリープ”」
「あ……」
お父様が催眠魔法を唱えた。次の瞬間、わたくしの意識は遠のいていった……。
◇
「う、うぅ〜ん……。ここは……?」
わたくしが意識を取り戻すと、波の音が聞こえてきた。ざらざらとした不快な感触。強い日差し。徐々に様々な感覚が身体を通して伝わってくる。
「海……? わたくしの里に海なんか無いのに……。え? ここどこ!?」
慌てて辺りを見回すと、前方には広々とした海。海の向こうに陸地なんて何も見えない。そして、わたくしが座り込んでいる砂浜と、後方には鬱蒼とした茂みが広がっている。
「お、お父様!? お母様!! お姉様!!
誰か、いないのですか!?」
大声で家族を呼んでも誰も返事をしない。そもそも、人の気配なんて全くない。ふと、足元を見ると、折り畳まれた紙が石を重しにして置かれていた。その紙を恐る恐る手に取って、そこに書かれていた文章を読んだ。
「娘だと思っていたけど他人だったコルクへ。お前がいると我が家は恥をかいてしまう。なので、無人島に追放することにしました。頑張って生きてください。さようなら。元父より」
「は……?」
頭の中がぐちゃぐちゃになった。読めるけど意味が分からない文章を見つめたまま、わたくしの視界はぼんやりと歪んできた。手紙の上に水滴がぽたぽたと落ちて、文字が滲んでいく。
「そ、そんな……。食べ物も、水も何もないこんな島に追放だなんて……。もう、どうしたら良いのか分からない……」
わたくしは失意の中、自分の手のひらを見つめた。“ヒッパレー”。わたくしにあるのはクソダサと罵られたその魔法だけだ。
「やってやるわ……。生きるために……。わたくしは、まだおっきいこと何もしてない……! こんなところで死んでたまるか!」
◇
嫌な記憶を振り返り終え、わたくしは現実に戻ってきた。“ヒッパレー”で現出した魔法の糸は、ライトグリーンに発光しながら海面でユラユラと揺れている。
「わたくし、よく考えたら釣りなんてしたことないし……。こんなので本当に釣れるのかしら……」
未知の島の中を動き回るのは得策じゃない。遭難するかもしれないし、体力も消耗してしまう。わたくしはそんなに体力に自信のあるタイプでもないのだから。出来るだけエネルギーの消耗を抑えながら、食料を手に入れるしかない。
「ちょっと、何か釣れなさいよ……。わたくし、こんなところで1人で死ぬなんて、そんなの嫌よ……!」
気のせいか、右手にズッシリと重みを感じた。“ヒッパレー”が何かに引っ張られている。でも、この感覚は今まで何度も感じていた。釣れて欲しいという気持ちが、何か釣れていると錯覚を起こしてしまうのだ。
「うん……? 引いてる……? 勘違いじゃなくて、本当に……?」
右手の重みはいつまでも残っている。何度も幻覚と疑っていたが、重い。重すぎる。身体が海へと引っ張られている。これ、絶対引いてるって!
「な、何か掛かったわ! 奇跡よ! 逃してたまるか!!」
わたくしはすぐさま立ち上がり、“ヒッパレー”を両手で掴んだ。“ヒッパレー”はわたくしが釣れたと認識した途端、勝手に対象物を引っ張り続けている。さすが引っ張ることに特化した魔法だ。海面に大きな魚影が姿を現し始め、その影は人間ほどの大きさに見えた。
「す、凄いッ……! あんなおっきな魚をこんなに簡単に引っ張れるなんて! “ヒッパレー”、あなたやるじゃない! 見直したわ!」
馬鹿にされた悔しさを跳ね除けるように、わたくしはわたくしの魔法を褒めちぎる。“ヒッパレー”は今、どんな魔法より最高に輝いて見えた。
おっきな魚影は、みるみる陸地へと引き寄せられていく。
「うおりゃああああっ!! 引っ張れえええええっ!!」
「きゃあああああっ!?」
わたくしは最後の力を込め、思いっきり魚を釣り上げた。そして何故か、魚は女の子の声で甲高い悲鳴を上げていた。
「な、なになに!? わたくし、何釣っちゃったの!?」
わたくしは、自分が釣り上げてしまった謎の生物を恐る恐る見た。可愛らしい人間の女の子の上半身と、魚の尾ひれの下半身がくっついている。これって人間!? 魚!? モンスター!?
「うぅん……。私は一体……。ハッ!? あなたは誰ですか!?」
「えっ!? あっ、わたくしはコルクと言います! 釣り上げちゃってごめんなさい!」
「いえ、釣られてしまった私が悪かったのです……! お気になさらないでください……! あ! 私はミルティと申します!」
わたくしが取り乱しながら自己紹介すると、下半身が魚の女の子も丁寧に自己紹介を返してくれた。得体の知れない存在とはいえ、まともに会話出来る女の子と出会えてなんだか少し安心した……。
「あの、率直に聞くけど、あなたはなんで下半身が魚なの……?」
「えっ、コルクさんはセイレーンをご存知ないのですか?」
「セイレーン……? わたくし、ずっと里に住んでて、そこまで里の外のことに詳しくないの」
「そ、そうですかっ! 良かったぁ!」
「良かった……?」
「あっ! いえ、なんでもありません……! 私は、セイレーンという種族なのですが、見ての通り、ただ下半身が魚なだけですので、ご安心くださいっ!」
(なんだかちょっと引っ掛かるけど……でも、悪い子には見えないし、まぁいいか……)
無人島で不思議なセイレーンの少女、ミルティ。その子の穏やかな雰囲気に呑まれ、その時のわたくしはまだ、島に近付く不穏な影に気付いていなかった。