不思議な人だな…と思う。
運ばれてきたコーヒーに、ミルクと砂糖をてんこ盛りにして、スプーンでクルクルかき混ぜる裕也専務。
クールなサディストで、歯に衣着せぬ物言いは、切れ長二重の整った顔面によくお似合いだと思うものの…
「プリンを2つ追加で」
まさかの甘党らしい。
私には何の断りもなく勝手にプリンを注文して、甘いコーヒーを嬉しそうに飲んでいる。
私がプリンを嫌いだったらどうするつもりだろう?
いやまさか、2つとも1人で食べる気か?…裕也専務ならあり得る。
ふと、窓の外に目をやる裕也専務。
その横顔が、再び儚げな様子に戻ったように見えた。
クルクル変わる雰囲気をまとう彼をそれとなく見つめていると、思う。
高速を飛ばしながら目を閉じる…と言ったあれは、冗談だったのか、それとも本音を漏らしたのか。
上司と言えども、ついこの間までまったく接点がなかった人と、成り行きでここまで来たけれど…
なんとなく複雑な背景を背負っているように見えて、つい心配になってしまった。
「お待たせしましたぁ…フレッシュたまごの農園プリンです」
店員さんが、私と裕也専務の前に1つずつプリンを置いてくれた。
「あ、2つとも私の方に置いてください…!」
さっさと移動する裕也専務。
お皿のプリンがぷるん…と揺れた。
…私の心配など、いらなかったみたいだ。
「ちゃんと分けてあげたんですから、そんな顔しなくてもいいんじゃないですか?」
「いえ…その、別にそういうわけではないので、ご心配なく」
確かに分けてくれた。
でもそれは、いわゆる『アーンして』というやつで。
デレデレバカップルが人の目を気にせずやるアレだったから、ちょっとテレてしまっただけ。
しかも専務の唇が触れたスプーンでアーンされて、つい私もそのままパクっといってしまって…
間接キス…という言葉が頭の中を駆け巡るのです。
私たちはあくまで偽装関係なんだから、そんなことをする必要はないわけで…。
裕也専務は時たま距離感がバグると、心のメモに残した。
車に乗り込み、今度は服を挟まないように慎重にシートベルトを締めた。
「私も、恋人のフリをしてもらっただけです」
「…へ?」
「片瀬さんもこの前、私をお父さんに見立てて抱きついてきましたよね」
高級ブティックでお高い服を買ってもらった時のことだ。
私は今着ているワンピースに視線を落としながらうなずいた。
「そう、でした。あの時は…すみませ…」
「謝らなくていいですよ。そしたら私も、今の振る舞いを謝らないといけなくなるので」
そうか。
お互い、今は自分のそばにいない人を思って、その代わりを果たしただけ…ということか。
「わかりました…」
でもそういうのは今回限りにしてほしい。
私も、もっと気をつけなくちゃ。
両親が亡くなって2年たつけど、いまだに突然その姿が蘇って、不安定になることがある。
ん。ちょっと待てよ…
今は自分のそばにいない人を思って…って。
私は両親だけど、裕也専務は…恋人、なのかな?
…かつての恋人を思っていたのか。
私みたいな者を婚約者にでっち上げてでも、政略結婚をしたくなかった裕也専務。
それはもしかしたら、忘れられない愛しい人がいるからなのかもしれない。
でも…今日を過ぎればまた、ほとんど接点がなくなる人だ。あまり気にしないように、踏み込まないようにと、私は密かに思い直した。
「到着しました」
スッと車が停まったのは…家、というかお屋敷。高い塀は、来る人を選んでるように見える。
「裕也…!来たのか?!」
門番が必要なのでは…と思うほど重そうな木製の門が開き、顔をのぞかせたのは、当然ながらわが社の会長。
「お出迎えですか?すごい歓迎ぶりですね」
裕也専務も驚いたように言う。
そろって車を降りた後は、どこからか黒スーツの男性が現れて一礼し、裕也専務の車を駐車場へと持っていった。
スゴい…さすが会長宅…これはお手伝いさんがわんさかいるレベルかもしれない。
「お父さん…!門の外まで迎えに出たら、舞楽ちゃんが驚いちゃうでしょう?」
ハイトーンカラーで染めた髪を綺麗にまとめ、藤色のワンピースと白いカーディガンを着た女性。
美人だと噂の会長夫人だ。
2人並んだところで、私はしっかりと頭を下げ、挨拶をした。
「…初めまして。片瀬舞楽と申します。本日はお忙しい中、お時間をいただきまして、恐縮です」
昨日何回も練習した挨拶の言葉。
つっかえずに言えてホッとした。
「…どうして泣くんですかねぇ…」
裕也専務があきれたように言うので、驚いて頭を上げてみると、2人の目が涙で膨らんでいるのが私にもわかった。
「…ごめんなさいね。いきなり出迎えたりしんみりして、驚かせて…」
家の中に招かれ、やっぱりたくさんいたお手伝いさんが、お茶やケーキの用意をしてくれた。
通された部屋は、いかにも高級そうな絨毯が敷かれた洋間だった。
広さは私の部屋の10倍くらい…40畳くらいあるかもしれない。
足先がクルンとしたソファに、裕也専務と隣あって座った。
「改めて、恋人の片瀬舞楽さん。…プロポーズしてOKをもらったので、婚約者ということになるかな」
自然な笑顔を向けられ、私も自然な笑顔を返した。
「可愛らしいお嬢さん…!想像してた通りの方で、嬉しいわ…」
会長夫人が椅子を移動して、私の手を握る。
「本当だな…。素直で正直で、賢そうな人だ!裕也、いい人を見つけたな」
目頭を押さえた会長、どうやら相当涙もろいらしい。
…素直でも正直でも賢くもない私は、気づかれないようにそっとため息をつきながら、まさかの激アツな歓迎に感動していた。
すると、裕也専務がそっと私の脇腹をつついて紙袋を見せてくる。
…手土産だ。
ここに来るための手土産を心配した私に、自分が用意するから…と言ってくれたもの。
…中身が何なのかは、知らなかった。
カフェで聞いておけばよかったと思いながら、時すでに遅し。
「会長、奥様…ご挨拶の印に、よろしかったら召し上がってください」
裕也専務が袋から出して手渡してくれた。受け取って差し出そうとすると、けっこう重い…
え?裕也専務、お菓子とか…食べ物を用意してくれたんじゃないの?
そっと裕也専務を見つめるも、何もヒントはくれない…
これ、食べ物だとしたら、樽に入った漬物とかのレベルなんだけど…?
「わざわざありがとう!早速開けさせてもらうわね」
受け取ってくれた会長夫人も、意外な重さに驚いた様子。
それを見て、私はうっすら汗をかく…
「嫌だ…!召し上がってなんて言って…素敵な置物じゃないの!もう…可愛らしい冗談を言うんだから!」
「あらぁ…まぁ、えへへ…」
早速開けられた手土産の中身を見て、笑って膝をポンポンする会長夫人。
…笑顔でごまかしながら、私は隣の裕也専務の脇腹を遠慮なくつねった…。