明日は、いよいよ裕也専務の実家にご挨拶に行くという日。
幼なじみから着信があった。
「ごめん、電話くれたでしょ?」
ハキハキしたしゃべり方が姉御っぽい彼女は、同い年の幼なじみ、
「北川って名字に、ミナミって名前をつけるところに、親の悪意を感じる…」とよく言ってて、逆に『南北』なんてあだ名をつけられていた。
「うん…あのさ、美波と聖には話しておこうと思って…」
内容はもちろん、裕也専務と偽装婚約の契約を結んだ話。
「…はぁ?!副業を咎められて、偽装婚約者になったぁ〜?」
「うん…実は、契約金が破格で…それに釣られました…」
「契約金?なにそれ?怪しすぎるんたけど?」
仕事中の休憩時間に電話をくれたという美波を気遣って、かなりざっくりこれまでの経緯を説明した。
「そうか…確かに残された借金、舞楽1人で返していくのは大変な金額だったもんね」
「うん。それに偽装婚約者って言っても、ご両親に挨拶に行って、それでほとんど任務完了だから」
「…でもさ、聖には怒られると思うよ?そんな変なことに首を突っ込む前に、なんで相談しなかったんだ?…って」
子供の頃、近所に住んでいた幼なじみの
聖は私と美波より2歳年上で、高級老舗旅館の跡取りでもある人だ。
「…聖に言うの、ちょっと怖い」
2年前、事故で突然両親が亡くなったと知らせを受け、私は茫然自失状態になった。
そんな私に寄り添ってくれたのは、聖と美波、そして聖の両親。
レストランを経営していた両親の突然の死で、従業員たちの対応や後始末をどうしたらいいか途方に暮れていた時、旅館を経営している聖の両親の力を借りたという経緯がある。
そんな関係で特に聖には、ご両親含め、ずいぶん心配をかけたのだ。
「…聖はいつも気にしてるよ?舞楽のこと」
「ありがたい…聖ってホント、1人っ子の私には兄貴みたいな存在だわ」
「…兄貴か…」
ちゃんと私から事の次第を聖に話すと約束をして、美波との通話を切った。
…このままサラッと、聖に電話しちゃう?
そう思いつつ、携帯を持つ手は動かない。
裕也専務の実家へ挨拶に行くのは明日だ。…もし今聖に連絡して、激怒されて絶交でもされたら…明日行けなくなるかもしれない。
でもすでに着ていくワンピースを買ってもらってるし…借金の全額返済も終わってる。
契約金をもらうのは、無事に任務完了してから…せめてご挨拶が済んでからでいいと言ったんだけど、裕也専務がいつもの真顔で「早く返すに越したことはありません」と、至極真っ当な事を言うので従った。
だから…明日行かないなんて、言えっこない。
…というわけで、聖には事後報告することにした。
翌日、約束の時間より少し早く裕也専務がやって来た。
「私の実家に挨拶に行く前に、君の両親の仏壇に手を合わせたいのですが…」
そう言われて、頬がカッと熱くなった。
「…仏壇なんて置いたら、床が抜けるようなボロアパートでして…。それに、2年もたっているのに親不孝なんですが、まだお墓にも入れてあげられなくて」
カッコつけても仕方ない。
正直に、ありのまま伝えた。
「そうですか。もし、嫌でなければ…ご両親のお骨に手を合わせても?」
多分自分の親に、偽装でも婚約者として紹介するから、という配慮なんだと思う。
ここは、細やかな気配りに感謝すべきだろう。
片付けるほどものがない部屋を、それでも少し見映えをよくして…専務を通した。
玄関を開けてすぐ、部屋のすべてが見えてしまう私の部屋に、専務は少し驚いたようだ。
黒ずんだ板の間。すみに積み上げられた布団には、カバーする布がかけられている。
骨壺の入った箱は、段ボールを簡易的なテーブルにした台にのっている。
改めて見ると、それ位しかものがない寂れた部屋に、自分でも驚いた。
「お邪魔します」
裕也専務は段ボールのテーブルの前に正座して、しばらくそのまま骨壺の箱を眺めている。
そしてやや頭を下げて、胸の辺りで手を合わせてくれた。
一連の仕草はとても綺麗で…
やっぱり大企業の御曹司は育ちが違う、と内心思う。
「…わざわざ、ありがとうございました」
玄関を出たところで頭を下げると、裕也専務は私を車に案内しながら言う。
「本当にボロアパートですね…」
「…は?」
歯に衣着せぬ言い方、というのはこういうことだろう。
「料亭の帰りにも送りましたが、夜だったので、まさかここまでひどいボロさだとは思いませんでした」
「はぁ…すみません」
両親の遺骨に手を合わせてくれたことを感謝したのも束の間、裕也専務の毒舌に、ついムッとしてしまう。
「…何か、気を悪くしました?」
…この人わざと言ってるんだろうか?それともたちの悪い天然?
「…両親を亡くして、ずっとギリギリの生活をしてきたんです。アパートだって、家賃を一番に考えて選んだのがあのボロアパートでした。…裕也専務みたいなお金持ちには、私の苦労なんてわからないでしょうけど、あんまりひどいこと言うと…」
一旦言葉を切った私に、裕也専務が先を促す。
「…言うと?」
「…泣きますよ?」
いつの間にか目の前に青い車が停まっていて、裕也専務は助手席のドアを開けてくれた。
「…それは楽しみですね」
笑顔の専務に促されて助手席に乗りながら『サディスト…!』と内心思ったことは、口に出さないでおく。