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1章…第7話

翌日…


このところ毎日この車に乗ってる気がする。


今日も定時で上がって駐車場に下りてみると、さすがに3日めになって、私の名前を覚えてくれた運転手さんの笑顔に出会った。



「お疲れ様でございました。片瀬様」


ちなみに私は初めから、運転手さんの名前が『早井さん』だということは知っている。


運転手さんも秘書課に所属しているので、その経歴や勤続年数は耳に入っていたからだ。


早井さんは専門ドライバーとして、裕也専務が役職に就いてから、ずっと専用車を運転している。


無遅刻無欠勤。

ドライバー歴30年以上のベテランだ。



先に後部座席に乗っているよう早井さんに言われ、しばらく待っていると、車のドアがサッと開く。


「…お待たせしました」


裕也専務が外の空気と共に、車内に滑り込んできた。


「お疲れさまです」


小さく頭を下げながら、今日の専務のスーツを眺める。

光沢感のある紺色のスーツは、今まで見た中では一番ビジネス向きではない気がした。



連れていかれたのは、誰もが知る高級ブランドショップ。


そう来るよな…と思いながら、恐る恐る足を踏み入れた。


高級店にありがちな、広い店内にしては、売り物が少ないレイアウト。


飛んできた男性は、責任ある立場の人だろう。

髪を後ろに撫でつけて、高級感のあるスーツを身に着けている。



「今日はこちらの女性に、白いワンピースを贈りたいと思って来ました」


…私の希望を聞かないところはお寿司屋さんと同じ。

まぁ、専務のご両親にご挨拶に行く服を買うんだから、文句はないけれど。



「あぁ…こちらのお嬢様でしたら、白いワンピースはとても似合いそうですねぇ…!」


…そんなことはないと思う。

けど…貼り付けた笑顔を向けてくる男性に、私も笑顔を返した。



選ばれたのはシンプルな丸首の、スカート部分がオーガンジーのような薄い布でできているノースリーブのワンピースだった。


「こちらのカーディガンを合わせると、更にお似合いです…!」


言われるまま袖を通し、裕也専務に見せに行こうと促された。


「あ…パンプスもご入用ですね」


ヒールに傷がついているのを見られ、恥ずかしくなったが仕方がない。


チョイスしてもらった薄いピンク色のパンプスに足を入れた。


「わぁ…」


伸ばしっぱなしの髪を簡単にアップにしてもらって、鏡に映る自分に驚きの声を上げた。



「…女の子はスゴいですね。こんなに簡単に大変身するのですから」


いつの間にか鏡の中に、腕組みをした裕也専務が映っている。


「なんだか、魔法にかけられたみたいで…恥ずかしいですね」


照れ隠しにうつむき、スカートをサッとなでた。


「それはそうと…気に入りました?」


「あ、はい。ワンピースの代金は…」


報酬から抜いてください、と言おうとしたが、専務が責任者の男性を呼ぶ声に遮られた。


「黒とグレーのビジネススーツを持ってきてください」


「…かしこまりました!」


男性はしばらく、店内で揺れるスーツと私を見比べて、4着持って戻ってきた。


試着をするよう言われ、着てみると…すべてサイズがぴったりだ…!


「…黒というより、焦げ茶やグレーの方が似合いますね」


試着した姿を裕也専務に見せると、比較的まじめな顔で感想が返ってきた。


これも…。

自分と会うときに、私に着せるためのスーツなんだろうな。


ご両親への挨拶は1回だけど、その後半年の間に数回、近況報告のために会うって言ってたから…


「それでは、焦げ茶とグレーのスーツを…」

「4着すべて買いましょう」


また人の言葉を遮って、裕也専務が勝手に決めてしまった。


他にも、スーツの下に着るブラウスや、ビジネス用のパンプス、そしてバッグまで買うことになり…


『◯リティウーマン』さながら、ショップの紙袋に埋もれることになった。


心配していたお会計は裕也専務が出したブラックのカードで決済され、黒塗りの車に戻る。


「あの…お代は、報酬から差し引いていただけますか?」


給料から差し引くと言われたら困る…


「は?全部プレゼントですよ?」


「…え」


そうなの…?それにしても、あんな高級ショップで何着も買ってもらっていいのかな…


「嬉しそうじゃありませんね?」


「いえ…とても嬉しいんですけど、どれもあまりに高級品なので…」


「正直、もっとねだられると思ってました」


「そうですか…でも、私は…」


いくら専務がお金持ちでも、たかるようなことはしたくない。

もっと言うなら、ワンピースもスーツも、身の丈にあったもので十分だった。


「…本当に、ありがとうございました」


それでも…今日の買い物は、裕也専務が良かれと思って連れて行ってくれたもの。

確かにご挨拶に着ていく服なんてなかったし、スーツもずっと同じものだったから助かった。


「それじゃ、お礼にキスをしてもらいましょうか」


「は?」


「お礼をしなきゃ、受け取りたくないって顔をしてますよ?」


そんなことない…と思いながら、頬を自分の両手で挟んでみたところで、意地悪な笑顔を浮かべる専務が目に入った。


またからかわれた…

とっさにそう思ってムキになる。


「わ、かりました。では…失礼します…」


腕を組んで、意外にも動かない裕也専務。

その滑らかな頬に唇を近づけた。


大丈夫。

お父さんにもよくこうして、甘えてキスしてた…


頬にわずかに唇を触れさせて、ついその横顔を見つめてしまった。 

自分でも焦る…

こんな時、涙が出てくるなんて…



「…片瀬さん?」


さすがに裕也専務も焦った顔になる。



「すいません…亡くなった父を、思い出してしまって」


慌てて距離を取って座り直した。



「父のスーツ姿が好きで…子供の頃、出かける父に甘えてました。…その時よく、膝に乗って頬にキスを……

ヒャッ!」


「だったらお父さんだと思って、少し甘えたらどうですか?」


突然肩を抱かれて、専務のスーツの胸元に、頬を寄せてしまった。


…頭に顎が当たって、大きな手が、私の髪を撫でる…


それは父に甘えた時と同じ感覚で…私は思わず目を閉じて、専務の腰に手を回して抱きついてしまった。





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