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1章…第6話

「わかりました。その計画…お受けします」


…500万円の札束に目がくらんだ。


借金を返すことができれば、今のボロアパートを引き払って、もう少し治安のいい場所に引っ越せる…!


お隣の夫婦喧嘩の物音で目を覚ますとか…そろそろ限界が来ていたのは事実だ。


それに…伸びっぱなしの髪とも、ヒールが傷ついたパンプスとも…おさらばできる!


私の返事に満足そうに笑った裕也専務は、1枚の書類を渡してきた。



「契約書です」


目を通してみると、期間は今日から約半年。


裕也専務に紹介されるはずだったどこかの令嬢が、これまたどこかのご子息と結婚の話がまとまるまでの間…と書いてある。



「けっこうザックリですね…」


感じたまま言ってみると、裕也専務は気を悪くした様子もなく答えた。



「まぁ。私と政略結婚させようとした令嬢が、どこの誰だかわからないので」


「そうなんですか?」


「別に知る必要もないでしょう。だいたいどの辺の人かは把握してますから、そこら辺が結婚したら、計画は完了ということです」


ザックリ…そしてアッサリ。


よほど結婚したくないのだろうか。

確か…裕也専務は29歳。


いわゆる適齢期だし恋人もいないって話だし、この先背負う会社があるのなら、支えてくれる妻って必要なんじゃないのかな。


…それとも、好きな人でもいるのかな。



「早速、今週末にでも両親に挨拶に行きましょう」


「はい。…ええっと、それがすんだら…」


「ほぼ任務は完了です。あとは契約期間の半年の間に、2~3度近況報告をするくらいだと思います」


…楽勝!…と、内心ガッツポーズ。



「あとは、契約書に書いてあることを守って下さい。…まぁ、心配はないと思いますけど?」


言われて契約書を最後まで目を通す。


「恋愛感情は持たない、契約期間中恋人は作らない、異性と2人きりで会わない…」


またまた楽勝…と思ったところで、1人思い浮かんだ。



「幼なじみの聖、藍沢聖は…異性ではなく家族ということでカウントさせてください」


私の言葉に、ちょっと考えたものの「…わかりました」と、了解してくれた裕也専務。



「会社関係者に君を婚約者だと紹介することはありません。そこは、安心してください」


計画を遂行した後も、私が会社に居づらくなることのないように、という配慮だろう。



「それは助かります…ありがとうございます」


頭を下げようとしたら、勢い余ってテーブルに額をぶつけてしまった。

…ヤバい。

うっかり酔ってしまったかも。


「すいません…ちょっとお手洗いへ…」


個室を出ようと立ち上がると…右へヨロヨロ左へヨロヨロ、自然に足が持っていかれる…


「…千鳥足の典型ですね」


「す、すいません…」


高い食事と高いお酒にがっついて、酔ってしまった私をバカな小娘だと思っているかもしれない…

専務の視線を後ろに感じながら、私はやっと個室を出た。



借金返済の目処が立った安心感に酔いしれながら用を済ませ、少し酔いを落ち着けて、個室の襖を開けると…



「あら…お戻りになられて…」


迎えてくれたこの店の女将さんが、裕也専務のすぐ横に座ってお酌をしていた。


その雰囲気は…いかにも、入ってきた私が邪魔者って感じなんだけど?


おずおずと、正面の席に座ったが、目の前の2人は離れない。

離れるどころか、うふふ…と笑って、女将は裕也専務の肩に頬をくっつけて寄り添った。


私はなにを見せられてるんだろう…と思いながら、ふと疑問に思ったことを言ってみる。



「あの…もう始まってますよね?」


悠然と注がれた日本酒を飲むだけの専務に言った。



「…何がですか?」


「さっき、交わした約束です。裕也専務には適用されないんですか?」


裕也専務が用意した契約書。

そこには『異性と2人きりで会わない』と書いてあったはず。


お手洗いに行ったわずかな時間だけど、異性と2人きりには違いない。



「すべてうまくいくために、お互いに適用されるルールの方が、いいんじゃありませんか?」


「…あなたが従うべきものだと思ってましたが?」


「…はぁ」


まぁ、確かにそうだ。

私は報酬を受け取った側で、裕也専務は支払った側。雇い主と雇用者という関係は同じということ。


酔った勢いで言ったことを反省しつつ、私への話は終わったとして、帰ることにする。



「…そうですね。失礼いたしました。今日は…ごちそうさまでした」


正座して頭を下げ、私はちょっとふらつきつつ、部屋を出た。



広い店内を迷いながら出入り口にたどり着き、店を出た目の前に、黒塗りの車が停まっていることに気がつく。


私の姿を見つけて、運転手の方がサッとドアを開けてくれた。



「いえ、私は帰りは電車で…」


「…乗りなさい。夜道を女性1人で歩かせる趣味はありません」


いつの間にか…裕也専務が真後ろに立っていた。



「しかもふらふらしてます…!」


頭に大きな手を乗せられて、反射的に屈んだ状態になる。裕也専務によって、そのまま車に乗せられてしまった。



「…女将さんは、いいんですか?」


「それ、妬きもちですか?」


質問に質問で返してくるとか…やめてほしい。



「そうじゃありません。親しそうだったので」


「女将より、君に嫌われるほうが怖いですよ」


「…え」


今のは、契約破棄を言い渡されたら困るという意味だ。

…そうだよね。



広い後部座席で、見せつけるように長い足を組む専務。


私はふと視線を落として、マニキュアもしていない、荒れた自分の手を見つめた。


そのまま横に視線を移すと、焦げ茶色のスラックスをはいた専務の足が見えた。


高級そうな生地のスーツ。

ベストも着ていて、スリーピースっていうのかな…こんなに似合う人もめずらしいかも。


きっとオーダーメイドなんだろうな。


視線を戻してみると、入社以来着ている安物の黒いスーツを着た自分の膝が見えた。


…身分違いもいいところだ。

私はお金欲しさに専務の誘いを受けたというのに、裕也専務は朝とは違うスーツを身に着けるという余裕ぶり。


「明日、服を買いに行きましょうか」


私の考えていたことがわかったみたいに、裕也専務が私を見た。



その目は、こんな安物のスーツを着て挨拶に行かれたら困る、と訴えているようには…


見えなかった。



「1回やってみたかったんです。…『◯リティウーマン』みたいなこと」


意外に笑顔が優しくて、初めて私の心臓が、ピョン…と跳ねた気がした。


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