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1章…第3話

「私の婚約者になってもらいます」


綺麗な口元の端が緩やかに上がったと思ったら…そこから聞き捨てならない言葉が飛び出して驚いた。



「は?…」


ひとこと言ったきり、次が出てこない。


…いや、だってそうでしょ?

確か私は、副業していた事実を突き止められて、お叱りを受けていたはず。



「…驚きます?」


「…」



驚くに決まってる。いきなりのプロポーズ?婚約者ってアレだよね?将来結婚するってやつ。それも近い未来に。


そもそも…婚約者の前に恋人じゃないの?それをすっ飛ばすなら、相当盛大な恋物語を繰り広げなくちゃ。


相手役は…裕也専務ってこと…?



「…驚き、ますよね?ふつう…」


やっとのことで発した言葉に、恋物語の相手役は、いきなり地面に叩きつけるような現実を見せる。



「じゃあ…偽装で」



じゃあ、って…なに?

いやいや、偽装も相当なもんだよ?


偽りの関係…漫画で何回か読んだことある程度の知識だけど、認識合ってる?



「迷いますか?」


「…」


「…これならどうです?」



脳内で1人ノリツッコミを繰り広げ、返事を忘れていたら、突然テーブルに札束を積み上げられて息を呑んだ。



「…裕也専務、ぶ、不用心です。こんな現金を裸で出しては…!」


小声で注意しつつ、周りのテーブルから見えないように専務の隣の席に移動して、背中で札束を隠す。



「…君こそ気をつけてください。これは君が持って帰る現金ですから」


札束をまとめて専務に差し出そうとしてそんなことを言われたので、私は思わず目をひん剥いて、至近距離で裕也専務の顔を見上げてしまった。


…何を言っているんだ?この人は?



「ふふ…面白い顔ですね」


盛大にからかわれたと思った。

私はポケットからハンカチを出して、札束を包む。



「…どうしてこんな現金を専務から貰わなきゃならないんですか?意味がわかりません!」


落ち着いて数えてみると…5束あった。

裕也専務はハンカチに包まれた札束を見て、目尻を下げて笑っている。


人の話を聞いて欲しい…!



「妙なデザインのハンカチですね?こんなの、どこに売ってるんですか?」


専務がハンカチをしげしげと見つめ、カボチャ、ナス、キュウリ…と数えはじめる。


確かに、野菜柄のハンカチですけど…!



「が…柄なんてこの際どうでもいいです!とにかくしまってください…」


私は半泣きになりながら、専務のバッグを探した。

自分でしまわないなら私がしまってやる…!




「…黒服」


専務は私の慌てぶりを華麗にスルーして、涼しい顔でスタッフを呼んだ。


「この子と外で話したい」


横にいる私の肩を抱き、飛んできた黒服にそう伝える。


私は突然男の人の大きな手が肩に触れて、ビクっ…としながら、黒服が行ってしまう前に自分で断った。



「あの、申し訳ありませんが…仕事中なので、外には出られません…」


「は?」


…誰にものを言ってるんだ…と、整った顔に書いてある。


一旦下がった黒服が、ママを連れて戻ってきた。


「西園寺さま、本日はありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


恭しく頭を下げ、少々お待ちを…と言って、私をバックルームに連れて行く。



「今日はこのまま上がっていいわ」


あっさりそう言われたけれど、それってこのまま裕也先輩と『外で話す』ってこと?



「あの…私、私服ひどいんですけど、大丈夫でしょうか?」


ロッカーにしまった服をママに見せてみると…


「あらぁ…今日は特にヤバいわね…ワンピースかなんかを通勤着にするようアドバイスしようと思ってたけど…遅かったわ!」


残念そうに私の私服を見て、何のアドバイスもなく行ってしまったママ…




「…なんていう服ですか、それ」


店の外で落ち合った裕也専務。

あちこち破けているジーンズに白いTシャツ、グリーンのダッフルコートを着た私を見て、怪訝な様子で片方の眉を上げて見せた…


「これは、ダメージ加工を施したジーンズです!ちゃんとした服で、お…おしゃれなはずです…」


「…テーマは『ボロ雑巾』かと思いました」


「…ボロ…」


実は貰い物のボロ…じゃなくて、ダメージジーンズ。

サイズは大きいけど、2歳年上の幼なじみにもらった、それなりに思い出のある一着だった。


もう2年もはいてるから、ダメージ加工が更にダメージをくらってるのは認めるけど…


でもそんなこと、裕也専務には関係ない。

私は少しだけ口を尖らせて、ダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ。




「君はふだん、何を食べて生きていますか?」


促されて夜の街を歩きながら、裕也専務に質問される。


「なにって…たいしたもの食べてません。パンとか、納豆とか…?」


「それじゃ、お寿司でも食べましょうか」


「お寿司…」


「嫌いですか?…そうは言わせませんよ?」


…質問された意味があったのだろうか。



入った寿司店にはカウンターに職人さんが3人もいて、当然回らないお寿司屋さんだった。


奥から人の良さそうな女将さんが出てきて、私にも丁寧に頭を下げてくれた。



「おまかせで頼める?」


カウンターに座って、職人さんにそう伝えながら、専務は日本酒も頼んでいた。


私には何も聞かれないので、もしかしたら専務の食事に付き合わされただけかもしれないと思う。


そう思ったら、突然お腹がすいてきて、グー…っと間抜けな音が鳴ってしまった。


「腹減り娘…」


「はぁ…すいません」


ぺったんこのお腹を押さえ、お茶を出されたことに感謝して、一口すする。


「…お寿司食べたいですよね?」


横に座る専務に顔を向けると、首を傾げて私を見下ろしながら、企んだ笑顔を見せている。


「たくさん食べてください」


何か裏がありそうだ…

私は用心しながら聞いてみた。


「おいくら…でしょうか」


「値段は…婚約者です」


…そうだった。

その話の途中で大金を積まれて、連れてこられたんだった…。



「そんな簡単に言われても…ちゃんと話を聞かせてもらわないと、なんとも言えません」


ハッキリ断らなかったのは、この場でお寿司を食べさせてもらえないのはツライ…と思ったから…。


でも裕也専務は満足そうだ。


「よろしい。では明日改めて、私の計画の全貌を説明します」



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