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第10話

「さっき、知らない男の人が家を覗いてたんだけど……」


 ダイニングテーブルの上に荷物を広げ、ミヤビに買い物メモと照らし合わせて貰いながら、莉緒は隣接する居間で墨をすっている父へと報告した。さっきのは場合によっては不審者情報として地域に拡散して貰わないといけない。


「祓いの依頼者かな? ほら、今はうちにも式神がいるから」

「依頼って、そんなすぐに来るもの?」

「……来ないよなぁ」


 ははは、と自虐的に乾いた笑いを漏らしながら、和史は縦長の和紙の上へ筆を滑らせる。白い紙にするすると描かれるのは特徴的な形の梵字。黒墨の字の上へ、祓い屋藤倉の印を赤墨で重ねる。慣れた手付きで仕上げては、乾かす為に畳の上に並べていく。その様子を座布団を敷いて貰った上にちょこんと行儀よく座って、妖狐が興味津々と静かに見守っていた。


 今回頼まれて書いていた護符は除霊用のもの。他にも封印などの効力を持つものも、注文を受ければ十枚一セットから請け負っている。人によってはこういった地味な下準備を手間だと感じたりするから、ニッチな商売と言えば聞こえがいい。実際問題、単価は安いしこれだけで生活はまず無理なんだけれど。それでも定期的に注文を入れてくれる家が何軒かあるらしく、安定した収入にはなっている。


「そういえば、莉緒がムサシを拾って来た時に相談した人が、昼間に電話してきてね。やたらと式神契約について聞いてくるんだよ。念の為、お父さんが契約したってことにしたけど、莉緒も外では自分が契約者だってことは伏せておいた方がいい」

「契約者だと何があるの?」

「信頼関係がまだ浅い内は、式神を奪われる可能性があるからね。その際、真っ先に狙われるのが契約した人間だ。でも、優先的に式から護られるのもまた契約者。だから、表向きはお父さんだと公言しておく方がいい。目隠しになるからね」


 妖狐ムサシは廃業した祓い屋から流れ出て来た式神だ。契約の上書きは終わっているけれど、まだ数日ほどしか経っていない。今なら簡単に手放すかもと狙ってくるものがいるかもしれない。門の前にいたあの男もそういった類いだろうか?

 和史の話に、ムサシがむっとして反論する。


「私の忠義を疑うとは失敬な。自ら望んで契約を結んだというのに。あの時、この娘に救って貰わなければ、とうに野垂れ死んでいたはずだ」

「私はムサシが莉緒に恩を感じてくれていることは十分理解しているよ。でも、妖狐のような高位のあやかしと巡り合える機会なんてそうそうない。うちのような落ちぶれた祓い屋には勿体ないと思われても当然だ」


 和史のおだてに、ムサシは「うむ、そうか」とご機嫌で納得する。再び筆を動かし始めた和史の手元を、妖狐は九本ある尻尾をぶんぶん振って見学していた。


 ミヤビに急かされて自室へ戻った莉緒は、夕飯までの時間に学校の宿題を済まそうと勉強机へ向かう。台所の方からクリームシチューの優しい香りが漂ってくるまでは、それなりに集中することができた。時計とお腹の減り具合としばらく相談し合った後、我慢できずに椅子から立ち上がる。


「あれ、もうご飯にする? ちょっと待ってな、今よそうから」


 割烹着の袖を捲って洗い物をしていたミヤビが、莉緒の無言の催促に呆れ笑いを浮かべて言う。


「今日のお弁当はどうやった? 嫌いなもんは無かった?」

「全部、美味しかった」

「そうかぁ、それは良かったわ」

「二十五年前もタコさんウインナーってあったんだ?」

「あったで。タコさんウインナーとリンゴのウサギは昭和の時代から子供の弁当の定番やん」


 ミヤビの手際のよい家事を眺めながらお喋りしていると、居間の方で家の固定電話が鳴り始めた。書き終えた護符の枚数を確認しながら封筒へ入れていた和史がすぐに出る。


「はい、藤倉です。――ああ、山脇さん、お世話になっております。今ちょうど、書き終えたところで――」


 護符を定期的に注文してくれる同業者から掛かって来たみたいだ。しばらくは向こうからの用件を一方的に聞かされていたようだったが、返事する父の声が段々と落ち込んでいくのが分かった。


「えっと、じゃあ、こないだ注文いただいた分は……ああ、そうですか。分かりました」


 最後は逆ギレするかのように、挨拶も省いて電話を切る。受話器を持ったまま、茫然と立ち尽くしている父親へ、台所から心配して声を掛けた。


「お父さん?」


 娘の声に、和史はハッと振り返る。そして、眉を下げた困惑顔で頭をボリボリと掻いていた。溜め息交じりに通話の内容を話し始める。その落胆した声に、あまり良くない知らせなのは察した。


「山脇さんのところ、護符はもう要らないんだってさ。せっかく半日かけて書いたんだけどなぁ……」

「注文キャンセルってこと?」

「うん、まぁ、そんな感じかな。今度からは自分のところで用意することにしたんだって。でも本当は、他に頼むことにしたのかなぁ?」


 「別に腐るものじゃないし、用意していた分は別の注文に回せばいいよ」と慰める娘に対し、和史はまた自虐的にはははと笑ってみせる。その乾いた笑い方に、莉緒はまさかと思って父のことを問い詰めた。


「昼にも、別の人からもう注文しないって宣言されちゃったんだよね……なんでかなぁ?」


 立て続けての取引終了の連絡はどちらも急で不自然過ぎる。廃業や代替わりの噂は一切聞いたことが無い家々なのに……。首を傾げる和史へ、台所で茶碗にご飯をよそい終わったミヤビがバッサリと言い切ってみせた。


「そんなん、誰かの嫌がらせに決まってるやん」

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