ダイニングに隣接した居間で、座椅子の背に凭れかかりながら、莉緒はハァと深い溜め息を吐く。長机の向かいには座布団の上で丸まっている妖狐、ムサシがスースーと寝息を立てていた。式神として正式に契約した途端、目に見えて図々しくなった気がする。昨日まで纏っていた警戒心はどこに行ってしまったのだろう。
スマホでアプリを操作し、机の上に広げたレシートをカメラで読み取っていく。自動で項目分けされた支出を確認して、かなり長めの溜め息を漏らす。愛用の家計簿アプリがどう考えても赤字、というかそれ以前の問題だと無情に警告してくる。
食い扶持が増える分、どこかを切り詰めなければと思ったけれど、もうどこにも切れる隙が見当たらない。莉緒が唯一手伝えるお札作成の内職は受注数に限りがあるし、頑張りようがない。何なら最近、注文数が減りつつあるくらいなのだ。
父親はお気楽に「お父さんがもっとアルバイトを頑張るよー」と言っていたが、フリーターの給与で二人と一体が生活するのはどう考えても厳しい。学校に事情を話してバイトの特別許可を取るべきかと思ったが、莉緒の成績では反対されるのは目に見えている。完全に詰んだ。
「どうしよう……あ、これだっ!」
家計簿アプリの画面下、たまたま表示された広告バナーの宣伝文句に莉緒は一縷の望みを見出す。高価買取を謳った質屋の広告。莉緒がブランド物なんて持ってる訳ないし、さすがに高校生に質屋は敷居が高い。でも、フリマアプリなら以前に何度か出品したことがある。隣のおばさんだって断捨離だと言っては頻繁にコンビニへ荷物を発送しに行っているし、何とかなりそうな気がしてくる。
部屋の中を見回して、何か売りに出せそうなものは無いかと物色し始める。目につく物はぱっとしないけれど、古い家だから探せばそれなりのものが見つかるかもしれない。今は落ちぶれているけれど、これでもひと昔前はそれなりに名の通った祓い屋だったはずなのだから。
「そうだ、蔵の中!」
築百年近い母屋の裏には、さらに古い蔵が建っている。普段は誰も立ち入ることはなく、たまに空気の入れ替えに和史が扉を開けに行くことがあるだけで、莉緒は幼い頃に一度だけ扉の横から覗いた記憶しかない。裸電球が一つぶら下がっているだけで真っ暗で、とにかく怖かったから以降は近づきもしなかった。
でも莉緒の記憶通りなら、木箱や茶箪笥などがいくつか収納されていたはずだ。あの中にそれなりの骨董品が眠っていることを期待して、莉緒は写真撮影用のスマホを片手に裏口から奥の蔵へ向かい、その鍵を開けてみる。
錆び付いた軋み音を鳴らして、分厚い扉が開かれると、中からむわっとした埃まみれの空気が流れ出てくる。手探りで壁のスイッチを押すと、天井から吊るされた電球がぼーっと薄暗い光をゆっくり灯した。あまりに頼りなさ過ぎて、スマホのライトの方がよっぽど明るく感じる。
ライトの光を隅々に当てて、蔵の中を探索していく。餅つき用の杵と臼といった、今はもう使われていないものが乱雑に収納されているという雰囲気だ。さすがにこれを売り捌くのは難しそうだ、どうやって梱包して発送していいのかが分からない。
埃の被った木箱の蓋に、軍手とマスクを用意しなかったことを本気で悔やむ。ちょっと触れるだけで埃が舞い上がり、あっという間に目の前が霞んでしまう。それでも何とか棚の上に並んでいた木箱の一つに手を伸ばし、スマホの灯りの下でそっと中身を確認してみる。箱はそこまで古くなさそうだけれど、ずっしりとした重みに期待が膨らむ。
「なぁんだ」
がっかりして、思わず声が出てしまう。中に入っていたのは、法事などの親戚が集まる時に見かける客用の汁椀だった。数は多いけれど、骨董でも何でもない市販品。多分、一緒に並んでいる箱の中も茶碗や湯呑なんかだろう。台所の食器棚では見かけないと思っていたら、こんなところに片付けてあったのか……。
箱を元の場所に置き直そうと、再度腕を伸ばした時、莉緒の足下で何か陶器が割れる音が聞こえてきた。床に直置きされていた壺の一つに、足を引っ掛けてしまったらしい。
「……やばっ」
慌てて、スマホのライトで足下を照らす。陶器製の一抱えほどの大きさの壺の欠片が土間の上に散らかっていた。蓋があったところをみると、漬物用の壺だったんだろうか。売り物になりそうな物は見つからないし、壺は割ってしまうし、まさに踏んだり蹴ったりだ。意気消沈と莉緒はしゃがみ込んで欠片を拾い集め始める。
と、屈んだ莉緒の前を、さっと何かが通り抜けた気がした。驚いて顔を上げた梨乃は、「ヒッ……!」と声にならない声を出す。
目の前のそれは、全身の毛が真っ黒で、金色の瞳を持つ大きな猫。二本の尻尾の毛を興奮気味に逆立てて、後ろ足だけで器用に仁王立ちしている。そして、莉緒に向かって金切り声でまくし立ててきた。
「やーっと出れたわ。もう、何なんこの家?! たまには蔵の様子を見に行ったろって誰も思わへんの?! 定期的に掃除くらいしなアカンやろ。ここでどんだけ待ったと思ってるんよ、二十五年やで、二十五年! 四半世紀や! あのバカ息子に閉じ込められたせいで、二十五年も無駄に過ごさなアカンかったわ!」
「え……猫又?」
なぜか怒り狂っている黒猫のあやかしに、莉緒は完全に圧倒されてしまっていた。