大通りから一本奥に入った雑居ビル。その二階に、有凪が所属する芸能事務所『オフィス・ユキムラ』はある。一見しただけでは、芸能事務所とは分からない。
華やかさとは無縁だった。こぢんまりしているので、ごく一般的なオフィスにしか見えない。
事務所に到着した有凪は、さっそく社長のもとへ向かった。坂井が、社長室の扉をノックする。
「どうぞーー!」
社長の声だ。
「失礼します」
幾分、緊張しながら社長室に入ると。
「あ……」
予想外の人物が視界に入ったせいで、思わず声が漏れた。
……なんで、こいつがいるんだよ!
思わず、有凪の眉がきゅっと寄った。
やたら長い足を組んで、ソファに座っている。その堂々とした態度が気に食わない。ここは社長室なのだから、少しは緊張しろと思う。
無駄に長身で、腹立たしいほどにイケメンで、年下(一歳だけど!)のくせに妙な余裕を漂わせているこの男こそ、本物の上流階級。お坊ちゃま野郎なのだ。
華族の血を引く元女優の母と、大御所俳優を父に持つ二世俳優。
なぜ、こんな小さな事務所にいるのか不明だ。噂によると、有凪のときと同じように、社長がスカウトしてきたとか。
……ふん! 大人しく父親と同じ大手事務所に所属すれば良いものを! まぁ、俺は別に、コイツには興味がありませんけど!
有凪はモデルなので、一応長身の部類に入る。それでも、風斗にはまるで敵わない。ゆるっとしたシャツとシンプルな黒のパンツ。ラフな格好なのに、完璧に様になっている。
……モデルの前でモデルより様になるなよな!
ぐぎぎぎ、と歯ぎしりしながら有凪は悔しがった。表情には、死んでも出さないけど。
ソファに腰かけていた風斗が、ゆっくりと立ち上がる。途端に見下ろされる格好になり、またしても眉がぎゅうっと寄る。
「お疲れさまです」
にこ、と笑みを浮かべ、有凪は風斗に挨拶をした。普段から王子様を演じているので、これくらいは容易い。
「……っす」
ちらりと視線を寄越し、風斗は吐息交じり「す」と言った。
はぁーーー!?
なんだそれ! 先輩である俺が先に挨拶してやったのに! なぁーーーにが、「……っす」だよ! ふざけんなぁ~~~!
内心はブチ切れている有凪だったが、王子様なので冷静を装う。芸能人はイメージを崩してはいけないのだ。なぜなら、夢を売る仕事だから。ちなみに、これも社長の受け売りだ。
「それで社長。今日は、なぜ香椎くんを呼んだんですか?」
坂井が、社長の雪村に訊いた。
社長椅子に腰かけていた彼女は、足を組み替えながら咳払いをする。
「私ね、思いついたのよ」
「……なにがです?」
坂井が、首を捻りながら問う。有凪は、嫌な予感がした。既視感だ。社長の目が血走っている。有凪をスカウトしたときのように。
「有凪と風斗の二人には、BL営業をしてもらうわ!!」
デスクをばしっと叩き、勢いよく立ち上がる。雰囲気に圧倒され、有凪は思わずのけぞった。
いや、それよりも。
び、びーえる? えいぎょう?
……なんだ、それは!?
有凪は、思いっきり首をかしげた。
「あの、社長。それって何ですか……?」
勢いに気圧されながら、有凪は社長に質問した。
「BL営業よ!」
「は、はぁ……」
……だから、それが分からないんですけど?
血走ってギンギンになった目が怖い。ビビりなので、有凪はそれ以上、何も言えなくなった。
反対に、社長の勢いはさらに増す。
「有凪の美貌って、加工してなくても加工してるみたいに完璧じゃない? 修正する箇所なんてひとつもないくらいの芸術品でしょ? スカウトしたときは、まだ幼い感じがあったけれど。今はもう魔性って感じよ! 人を惑わす美青年! やっぱり、私って最高! 見る目があるわ~~!」
有凪を褒めているのか、社長自身を称えているのか不明だ。もし褒められていたとしても、「魔性」と言われているので素直に喜べない。
「風斗だってそうよ! スカウトしたときは生意気なクソガキって感じだったけど、すっかり男らしくなって。深みのあるイケメンじゃない? ただ者じゃない雰囲気が漂っていて、主役を張れる器だと思うの! というか、主役しかムリよ! こんなオーラのある脇役いないわよ!」
やはり、風斗もスカウトだったらしい。というか、コイツは今でもクソガキのままだと思う。
「それなのに、有凪は雑誌の表紙を飾れない! 特集も組まれない! モデルが数人集まったら、立ち位置はいつも端っこ!」
「……す、すみません」
社長の言葉が、グサグサと胸を刺す。全て真実なので、有凪は思わず項垂れた。
「風斗だって、ぜんぜん良い役をもらえないのよ? 主人公の親友役しか回ってこないんだから!」
……それは、単にコイツが実力不足だからじゃないか? いや、絶対にそうだ!
自分のことを棚にあげて、有凪はひとり納得した。
「事務所の責任よね。私が悪いの。本当に申し訳ないと思ってるわ。私に、もっと力があったら……。そうすれば、大きな仕事をもらえるはずなのに」
そう言って、社長が力なく椅子に腰を下ろす。
「そ、そんな……」
有凪は、なんだか申し訳なくなった。
常にパワー溢れる社長なので、落ち込んでいる様子を見ると、どうすれば良いか分からない。
「社長が悪いなんてこと、あるはずないじゃないですか! いつも、所属タレントやスタッフのことを気にかけてくれて……! 社長には感謝しています。それに俺は、アットホームな『オフィス・ユキムラ』が大好きですよ!」
有凪は、必死に社長を励ました。
中学卒業と同時に上京して、ホームシックになりかけた有凪を励ましてくれたのは、社長や事務所のスタッフたちだった。本当に、感謝しているのだ。
「……有凪、ありがとう」
社長が、有凪の手をぎゅうっと握る。
「これからはね、さらに気合を入れて売り込みをしようと思ってるわ。二人は必ずスターになれる逸材だもの。落ち込んでばかりはいられないわよ!」
「は、はい……!」
有凪は、安堵しながらうなずいた。どうやら、少しだけ元気を取り戻したようだ。やはり、社長はこうでなくては。
「それでね、BL営業なのよ」
にんまりと社長が笑う。
「私たちもガンガン売り込んで、ビシビシ営業をかけるけど。それだけだと、足りないと思うのよね。なんたって、ウチは零細企業。びっくりするくらいの弱小芸能事務所だもの」
……そ、そんな。そこまで卑下しなくても。まぁ、悲しいことに事実なんだけど。
「だからね、あなたたち自身にも協力して欲しいのよ」
「き、協力……?」
「相性がね、バッチリだと思うのよ! 儚げで可憐な王子様と、野性味溢れる騎士! 最高の組み合わせじゃない? 良いわ~~! 萌えだわーー!」
背中が痒い。無性に痒い。
おそらく……というか完全に『儚げで可憐な王子様』というのは、有凪のことだ。態度も図体もデカい風斗には、可憐な要素は一ミリもない。