「はい、OKでーーす!」
シャッターを切っていたカメラマンの声が、スタジオ内に響いた。
カメラに向かって微笑んでいた
ここは、メンズ雑誌の撮影スタジオだ。早朝から撮影が始まり、今はもう夕刻だった。
片手でスマートフォンを操作しながら、有凪は自分でメイクをオフする。そこそこ人気のメンズ雑誌に、まぁまぁの頻度で登場するモデル。それが有凪だった。
ごくまれに、深夜ドラマに脇役として顔を出すこともある。いわゆる芸能人というやつだ。弱小事務所なので、大きな仕事が舞い込むことはないものの、レッスンやら撮影やらで、それなりに毎日忙しくしている。
中学生の頃にスカウトされ、有凪はこの業界に足を踏み入れた。修学旅行で東京を訪れた際、今の事務所の社長に声をかけられたのだ。
派手な女性だなというのが第一印象だった。「あなたなら、絶対にスターになれるわ!」と言われた。「私の目に狂いはないもの!」という、その目が血走っていて怖かった記憶がある。
有凪は現在、二十三歳だ。
今のところスターには、なれていない。残念ながら、なれる未来も見えない。
「はぁ……」
思わずため息を吐いたら、カメラマンの
「有凪くん、疲れた? 今日もすっごくイケメンだったよ」
「ありがとうございます」
「いや、イケメンというより美人って言ったほうが良いのかな」
そう言って、無遠慮に距離を詰めてくる。
「このあとデートしない?」
「予定がありますから」
本当は、何もないけど。
「またお断りかぁ」
宮部が天を仰ぐ。
「一緒にご飯、食べるだけだよ? それでもダメ? 今、恋人いないんでしょ」
肩を抱かれそうになり、有凪はサラリと躱した。微笑を浮かべながら。
「ごめんなさい」
「その美貌で微笑まれると、強引に手を出せないんだよな……」
やれやれ、といった感じで宮部が肩をすくめる。顔を合わせる度に、彼は有凪をナンパしてくる。
毎度のことなので、もはや挨拶のようになっている。すぐに引き下がってくれるので、そこまで警戒はしていない。
軽く頭を下げて、有凪はマネージャーのもとへ向かった。
マネージャーの
「……いいの? 話、途中だったんじゃない?」
「平気だよ。世間話だから」
そう言って、柔和な笑みを浮かべる。
坂井は、事務所に入ったころから有凪を担当してくれている。社長の甥にあたる人物で、端的に言えば縁故採用なのだが、仕事は真面目だし人当たりも良い。信頼のおける人物だった。
なので、心置きなく文句を言う。
「今日もナンパされたんだけど!」
坂井が運転する車の後部座席に乗り込み、有凪はくちびるを尖らせた。
「カメラマンの宮部さん?」
「そう」
「やっぱり、香椎くんに張り付いてないとダメだな」
「別に平気だけどね。宮部さんは、すぐに引いてくれるから。でも、断るのが面倒くさい。イメージを壊さないまま『NO』を突き付けるのは大変だよ~~!」
両手で頬をムニムニと揉む。酷使した表情筋が悲鳴を上げている。
「いつもの王子様キャラ?」
坂井が、くすくすと笑う。
ルームミラー越しに、有凪は坂井を睨んだ。
「好きでやってるわけじゃないから! 社長命令だから仕方ないじゃん! 好き好んで王子様キャラとかするわけないし。普通に恥ずかしいんだからなーー!」
後部座席で、有凪はキイキイと喚いた。
香椎有凪は、王子様キャラで売っている。外見が儚げで麗しいんだとか。守ってあげたくなるらしい。……黙っていればの話だが。
「だいたいさーー! 王子様なのに守ってあげたくなるって何!? お姫様なら分かるけど。王子様は助けに行く側じゃないの? ナイトとか言うじゃん」
「ナイトは王子様じゃなくて、騎士だよ」
至極真っ当なツッコミをされ、有凪は押し黙る。
「……カメラの前で微笑を浮かべてると、たまに背中が痒くなる」
「まだ慣れないの?」
「永遠にムリだよ。キャラじゃないもん」
しかし、仕事なのでやり遂げる。自分は自分である前に商品なのだ。王子様というパッケージがある以上、しっかりとその振る舞いをしなければならない。
これは、社長である
「でも、外見は確かにそう見えるよなぁ」
うんうん、と坂井がうなずいている。
「そういえば、モデル仲間にも『王宮で暮らしてそう』とか言われたよ。ちょっと信じられない。どんな目してんのって話だよ」
有凪は、自然豊かな……まぁ、簡単に説明するとド田舎で育った。王子様というより平民が似合っている。いたって普通の庶民なのだ。
本物の上流階級の人間を知ってしまったので、余計にそう思うのかもしれない。
同じ事務所の後輩に、そういった類のヤツがいるのだ。金持ちオーラを発していて、妙に余裕があって。年下なのに、アイツを前にすると気圧されてしまう。
とにかく、鼻もちならない男なのだ。貧乏人の僻みと言われようとも、気に入らないものは気に入らない。
「あ、そうだ香椎くん。今日これから、事務所に行くから」
坂井が思い出したように言った。
「何かあるの?」
「さぁ。社長から話があるみたいだよ」
詳しい内容は、坂井も聞いていないようだ。
「社長から直々に……? 俺、何かしたっけ?」
腕を組んで考える。けれど、まるで思い当たるフシはない。
「畏まらなくても良いと思うよ。そういう雰囲気じゃなかったし。どちらかと言えば、嬉しそうというか。ウキウキしてる感じだった」
「ふぅん……」
「そもそも、香椎くんは真面目だし。怒られるようなことはしてないでしょう」
ルームミラー越しに、坂井と目が合った。
「品行方正な子を担当できて、マネージャーとしては助かってるよ」
「……別に」
有凪は、ぷいっと窓の外に視線をやった。
品行方正というか、単に人見知りで交友関係が狭いだけだった。あとは単純に、東京の街が怖い。
ビビりなのは認める。しかし、都会は怖ろしい場所だ。ただ歩いているだけで、見ず知らずの人間から声をかけられる。人気のない場所へ引っ張りこまれそうにもなる。
強引に金を握らされ「頼むから一晩だけ」と乞われたこともあった。それも、一度や二度ではない。さすがは欲望の街だ。おかげで田舎者の有凪は萎縮し、すっかり引きこもりになってしまった。
その結果、マネージャーからは扱いやすいタレントとして見られているのだった。