いつもの私が夏生の話を聞いたなら、間違いなく、彼が作り話をしているのだろうと一蹴したに違いない。しかし、話を聞き進めて行くうちに、封じていたはずの記憶の氷扉が開放されたのだ。
自身の体験が鮮やかにフラッシュウバックし、のたうちまわりたい程の苦痛に苛まれる。記憶を忘れたまま、この寂れた建物の中に引きこもっていられたなら、どんなに幸せだったろう。母が夏生にした事を思うと、心底、その場で腹を切って詫びたかった。
加えて、トラックが自分の体をすり抜けて、走り去るという怪奇現象をも経験した後である。自分の立場を認めざるを得なかった。
私は今、人間ではないのだ。
だったら何者なのかと問われれば、判らないと言う他無い。私は夏生とともに、バンドアパートを介して臨死体験を経験しているのか、はたまた、二人とも既に命を落とした後なのか。
恐る恐る記憶の糸を手繰り寄せる。
思っていたほど抵抗なく、〝その後〟について思い出せた。