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第26話

「この曲、本当に夏生が作曲したのか?」

「話せば長くなる」

 歯切れの悪い返答の俺に、ケイは切れ長の目をさらに細くして、眉根に皺を寄せた。

「まさかとは思うけど、盗作じゃないよな?」

「それも含めてきちんと話すから、ちょっと待ってて欲しい。とりあえず、この音源を預かっていてくれ」

「何だよ、気味が悪いな」

 ぶつぶつ言いながらも、ケイはイヤフォンを外そうとはせず、もう一度、曲のはじめから再生し始めた。貪るように聴き入る友人の横顔は、真剣そのものだ。

 昨晩、廃墟で思い出したメロディーを、忘れてなるものかとすぐに記録した。それだけでは興奮が収まらず、あれだけ帰りたくなかった家に帰ってパソコンを起動し、ひたすら作曲ソフトでメロディーライン以外を創りあげ、一晩で音源を仕上げたのだ。

 両親とのトラブルなど、頭からすっぽりと抜け落ちていた。もっとも、誰からも話しかけられる事無く、自室に籠りきりで作業出来たあたり、父も昨晩は帰宅していないのだろうが。

とにかく、この傑作を形にするために、自分は生まれてきたのだと思える程に、全身全霊を込めて音を紡いだ。

 それでも、「天からこの曲を授かった」と確信を持って言えなかった理由は他でもない、陽が――もしくは彼女の幻影が、同じメロディーを口ずさんでいたからだ。

 音楽を志す者としてそんなことがあってたまるかとは思うけれども、万が一、どこかで聞いた人様の作品を、己が傑作と勘違いしていたとしたら目も当てられない。主旋律だけでも同じ曲が無いかどうかAIを使用してデータベースを漁ってみたが、それらしい作品は見つからなかった。

 何はともあれ、陽と話をしないことには何もわからない。

 もちろん、目を離した隙に物音も立てないで、屋上から姿を眩ます、だなんて芸当が、陽に出来るとは思っていない。そう、生身の人間であるならば、そんな事、出来るはずが無いのだ。

 それでも何故か、陽と話をしなければならない気がしていた。

 あの廃アパートに既視感を覚えたことも、突然降りてきた音楽についても、全て自分の頭のネジが外れてしまったが故の妄想だったなら。それはそれで構わないと思った。厳密に言えば、精神に異常をきたしたかもしれないなんて〝構わない〟はずは無いのだけれど、少なくとも、歌えなくなったあの頃よりはずっと幸せだ。それに、深夜、廃アパートに居場所を求める孤独な少女など、実在しない方が、よっぽど幸せだ。


 陽はスマートフォンを持っていないため、会いに行くには待ち伏せをするか、呼び出しをするしかなかった。

 見た目も中身も優等生とは言い難い自分が、陽のクラスに行って、いらぬ憶測を呼ぶのも何だと思い、中等部の終業を待つことにする。

 時間を潰しても怪しまれないような場所を見つけ、イヤフォンを耳に突っ込んだ。ストーカーまがいの真似をしているんじゃないかとか、自分の狂気を後輩に見せつけるために会いに行くようなものだとか、喚き散らす己の声を掻き消すために、お気に入りの曲を貪るように摂取した。

 プレイリストを一周したあたりで、陽の姿を確認した。友人の姿が周りに無い事を確認してから、

「奇遇だなぁ」

 と近寄ってゆく。流石にわざとらしいかと内心ヒヤヒヤしてたまらなかった。しかし陽は、目こそ見開いて驚いてはいたものの、世間話を持ちかけると、すぐににこやかに応じて、笑顔で話し始めた。その様子に拒絶の色は無く、ほっと胸を撫で下ろす。

「高等部って今日早帰りだっけ? 夏生、もしかして、サボり?」

「うん、ちょっと、陽に確認したいことがあってさ」

 きょとんとした表情の陽から目を逸らして、どう話を続けようかとあれこれ考えたが、そんな高度なコミュニケーション力など無い俺は、気がつけば、

「昨日の夜、廃墟にいなかった?」

 と言う、なんのひねりもない質問を陽に投げかけていた。

「私、夜遅くに出歩ける身分じゃないよ、母さんうるさいし。昨日に限らず、夜はどこにも行かない」

 怪訝な顔をしながら答える少女の声に、嘘は無いように思える。まあそうだよな、と苦笑していると。

「ねえ、その廃墟ってもしかして……『バンドアパート』のこと?」

 意外な所で少女が食いついてきたのだった。

「バンドアパート?」

「美術部の子達に聞いたんだけど、昔、画廊のギャラリーとして再利用されていた古くて小さなアパートがあってね。時々、誰も居ないはずなのに音楽が流れてくることがあるんだって! それも、複数の楽器の音と、歌が聴こえるらしいの。噂によれば、この世に未練を持ったバンドマンの幽霊達が、ライブをしてるんだとか。今、結構、噂になってるらしいよ」

 何だそれは、とずっこけそうになる。歌が聞こえるとか、何かの楽器の音色が聞こえると言うなら話はわかるが、ライブをしているとなると随分大所帯な幽霊どもだ。普段だったら、馬鹿らしいと笑い飛ばせただろう。

「場所は知ってるか?」

 陽は少しだけ目を泳がせたが、俺が無言で返答を待つ様を見て、観念したように続けた。

「実は何回か行ったことがあるんだ。あそこ、雰囲気が良くて人も来ないし、スケッチするのに丁度良くて。

 でも、昨日の晩は、本当にどこへも出かけてないよ! 自分の部屋にこもっていたから証明なんてできないけどさ」

 疑いの目で陽を睨め付けてみたが、返答は変わらなかった。

「その、アパートから聴こえる音楽って、どんな曲なんだ?」

 そう尋ねた途端、ぱっと陽の表情が明るくなった。切長の双眼に珍しく、年相応の輝きが宿っている。少女の活気を呼び起こすものがオカルト話だと言うのに、何だか複雑な想いを抱かないではなかったが、今はバンドアパートの情報が欲しい。

 促すと、陽は嬉々として語った。

「その音楽は、確かに聴こえるらしいんだけど、アパートの外へ出たら不思議と、どんな曲か忘れちゃうんだって。だから誰も全貌を知らないんだ」

「本当か? 建物の位置の関係で、どこかのレッスンルームか何かの音が響いているのかも知れないだろ」

「そうだったら、聴いた人達がどんな曲か忘れるのはおかしいじゃん。都市伝説に正当性を求めるなんて、夏生はロマンが無いなぁ」

 こっちも盗作なんてしたくないから必死なんだよと、胸の中で独言る。いっその事、自分の体験したことを陽に打ち明けるかどうか迷っていると。

「それじゃなあ今から一緒に行って、確かめてみようよ! 二人で行けば何かわかるかも知れないし、耳の良い夏生がいるなら、より心強い!」

 予期せぬ方向へ話が転がってゆく。

 けれども確かに、日の高い時間にあのアパートを訪れてみれば、あの曲が摩訶不思議な心霊現象により生み出されたものなのか、それとも科学的根拠のある理由で誰かの曲を聞いていたにすぎないのか、はたまた、俺があの場からインスピレーションを受けただけなのか、わかるかもしれない。

 浮き足だった心に制止をかけるかの如く、胸ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。ディスプレイを見ると、父からのメッセージがポップアップ表示されていた。[話がある]とだけ、簡潔に。

 俺はそのメッセージに既読表示をつける事なく、スマートフォンの電源を落として、冷たい鉄の塊と化した物をポケットに滑り込ませた。

 陽には笑顔で返事をする。

「行こう」

 とだけ、簡潔に。


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