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第24話


「例の中学生の事だけど、児童相談所に通報して方が良いんじゃないか?」

「児童相談所?」

 秋川の口から出てきたのは、予期せぬ言葉だった。聴き慣れぬ名称に一瞬、話の行方を見失った俺と違い、秋川は冷静に話を続ける。

「日中、娘に酒をかけるなんて普通の精神状態じゃない。学校でも腫れ物扱いされているなら、相応の証言も撮れるかも知れない。中学生を親元から離すチャンスじゃないか?

 あの中学生が自分で、保護してもらえないか相談するのが、一番スムーズかも知れないけれど、それが難しいなら、俺たちが匿名で通報する事も出来る。

 まだあの中学生と知り合って、日が浅い。俺は詳しい事情も知らないし、実際、あの子の親が養育者として、どうしようもないレベルに堕ちてんのかすら、確信が持てなくて、迷っていたんだけど……何かがあってからじゃ遅すぎる。

 それと、ナツにもしっかりこの事実は受け止めて欲しいのだけれど、もし、悪い予想が全て当たったとしたならば、俺達の手に負える問題じゃないと思う」

 秋川の言葉は、俺の心臓をざっくりと突き刺した。

 陽を励ますことばかりに力を注いで、具体的な対応策を何一つ思い浮かばなかった、己が恨めしい。そうだ、いくら落ち込んでいる彼女を励ましたところで、根本的な問題が解決していないのなら無意味なのだ。

「アキはすげーな。俺なんて、ただただあいつに元気を出してもらう事しか、考えてなくて。その先の事なんか、頭に無かったわ」

 自分だって親の事で苦労したというのに、俺は陽を助ける具体的な対応策に無頓着だった。そんなんで先輩ぶっている自分が、心の底から恥ずかしかった。

今にも頭を抱えて蹲りたかったけれども、なんとか耐える。そんな事をしても、何の意味も無い。

 秋川はそんな俺の様子を見て、意外な事に、まるで自分が傷つけられたかのような顔をした。苦しそうに、言葉を続ける。

「ナツの家とあの子の家とじゃ抱えている問題も事情も違うから、対応を知らなくたって仕方ない。一目でわかる虐待もあれば、一見普通の家庭を装ったその裏で、外面の良い親が子供を追い詰めるようなケースもある。当事者すら、虐待なのか、そうでないのか判断できなくて、苦しむ問題だってあるんだ。それに……」

「……それに?」

 ふつっと言葉が途切れた。秋川は少しの間、自分の足元を見つめて押し黙り、話を続けるかどうか迷っているようだった。

 俺は、誰かさんのせいでベタついた空き缶をゴミ箱に捨てて、もう一度水道で手を洗いながら、友の結論を待つことにした。

 律儀な王子様は再度、自分の鞄の中からハンドタオルを取り出して、俺に差し出す。

 ありがたくそれを受け取りつつも、俺は真っ直ぐ秋川を見た。視線ははずさない。

たっぷり二呼吸した後に、秋川は重い口を開いた。

「ナツが具体的な対応策に考えが及ばなかったのは、雪ちゃんのことを思い出してしまうからじゃないか?

 そうでなくとも、〝その事〟でナツが苦しんでいるのは事実だ。癒えない傷や、克服できない何かがあったとしても当然だと思ってる。

 自分が今にも倒れそうな位、傷ついた状態なのに、客観的な判断なんて出来なくて当然じゃないか? だから俺は、ナツは自分のペースであの子を応援すれば良いと思う。

 ここまで言ったら最後まで言うけどさ、そもそもナツは雪ちゃんに対して加害者じゃない。ナツだって被害者なんだ。

 支配的な親から自分の身を守る時、他の家族の事なんて考えてられないのが当然の反応だと思うんだよ。災害だって、自分の安全を確保できてはじめて、人のことを助けられるだろ? 同じだよ。そこまでナツを追い詰めた状況を作ったのは、親御さんだ。

 雪ちゃんがおばさんから離れたいって言った時、ナツが脱出の手伝いをできたら理想だったかも知れない。でも、そうならなかったからって、それがナツのせいだとは思わない。

 俺がナツと知り合う前のことは、シュウやケイに聞いた情報しかないけれど、それでも、ナツは雪ちゃんのこと、気にかけてたって言ってた。何もしてなかった訳じゃない。

 ご両親にも事情があったのかもしれない。愛情の注ぎ方がわからなかったのかもしれない。そうだとしても、ナツが感じた痛みや不安を、無かった事にしなくていい」

 最後の方は顔を真っ赤にして、秋川は真剣な眼差しで俺を射た。

 ――俺は、雪華を生贄にして、自分の安全を確保したことに罪の意識を持っている。この後悔から解放されることは一生ないのだろうという予感もあった。

 それを、これから音楽人生をともに歩もうとしてくれる仲間は、「そうじゃない」と言ってくれるのだ。

 俺にとってそれは、不意に天から垂れた蜘蛛の糸だった。

 この救いを手にして良いのか、今の俺にはまだわからない。


 陽に関して具体的な対応策が見えたおかげで、なんだか視界が開けたようだった。

 的確な助言をしてくれた秋川の存在が、ただただ有難かった。

 そんな彼とは公園で別れ、父との約束の時間にまだ余裕がある事を確認してから、一度家に帰って部屋にギターを置いた。

 父の経営するコンビニへ向かう途中、空をあおいで夜の帳が下りる様を、メロディーで表現できないかと、音を紡ぐ。

 おや、と思った。そのメロディーを、つい最近どこかで聞いたような気がしたからだ。しかし、いくら首を捻って考えても、どこで聞いたのかさっぱり思い出せない。

 ともかく、メロディラインを慌ててスマートフォンに記録して、今度こそコンビニに向かって、アスファルトを蹴り上げた。


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