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第十五章 【火傷にご用心】



「早坂さん、わたしの事、どう思ってますか?」


「ん?突然どうしたの?」


「前から聞いてみたかったんです」


早坂さんはニコッと微笑んだ。「可愛くてしょうがないわ」


「・・・それだけですか?」


「それだけって?」


「いや、その・・・可愛い以外の感情はないのかなって」


「可愛い以外に何かあるの?」


「え?」


「小さな子供を見ると可愛くてかまいたくなるでしょ?それと同じよ」


「・・・とゆーことは、ただ単に可愛いって感情しかないって事ですか・・・」


「それ以外にどんな感情があるっていうの?っていうか、大丈夫?なんだか様子が変よ?」


「・・・いえ、なんでもないです」




目の前の景色が段々暗くなっていく。

早坂さんの顔が見えなくなり──次に見えたのは──・・・・・・空舞さん?


「ギャ───ッ!!」


「・・・だから、突然大きな声を出さないでって言ってるでしょう」


勢いよく起き上がったせいで、目眩がした。


「え・・・どうやって中に?鍵は・・・」


「また空いてたわよ。本当に不用心ね。それより大丈夫?うなされてたから起こそうと思ったんだけど」


「ああ、だから枕元に居たんですね」


「悪い夢でも見てたの?」


「・・・悪い、夢・・・そうですね・・・あれ?夢だよね・・・」


寝起きで頭が働かない。昨日、早坂さんに送ってもらって、そのまますぐ寝て──そうだ、あんな会話はしていない。だから、夢だ。

安堵でへなへなとベッドに倒れた。


「大丈夫?」


「大丈夫です・・・たぶん」夢とは言え、精神的ダメージは大きい。


「どんな夢を見たの?」


人間は愚かね。言ったら、空舞さんから返ってくる言葉はそんなとこだろう。恥ずかしくて口が裂けても言えないが。


「なんていうか、非常に怖い事を言われて・・・」


「怖い事?殺すとか?」


「コロッ!?・・・まあ、そんなようなもんです」まだ、そっちのほうがマシな気がする。「ところで空舞さん、元気でしたか?」


空舞さんは首をクイっと傾げた。「数日前に会ったばかりじゃない。寝ぼけてるの?」


「いや、そうでしたね」 ごめんなさい、話題を変えたかっただけです。


「あなた、昨日の夜いなかったでしょ。何処に行ってたの?」


結局、逃れられないのか。「早坂さんの所にお邪魔してたんです。空舞さん来たんですか?」


「ええ、どうせまた何処かでアルコールでも飲んでるんじゃないかと思ったわ」


「・・・人をアル中みたいに」


顔を洗いに洗面所へ向かうと、空舞さんも肩に飛び乗り、付いてきた。鋭いクチバシがわたしの口元に近づく。


「匂うわね」


「えっ!」 思わず、口を手で塞いだ。「にほふ!?」


「若干、アルコールの匂いがするわ」


「・・・ああ、早坂さんの家でウイスキーを少し・・・」


「結局飲んでたんじゃない」


「少しですよ、少し」と、いうことにしておこう。


「あんな物の何が良いのかしら。本当に人間はわからないわ」


愚かと言われなかっただけ、良しとしよう。


「ところで、あなたと遊里は恋人同士なの?」


「ブッファッ」顔にかけた水を思いきり吸ってしまった。鼻の中にツーンと痛みが広がり、苦しい。「はい・・・?」涙が出てきた。


「違うの?」


「違います・・・なぜに?」


「そんな雰囲気に見えたから。でもそう、違ったのね」


「そんな雰囲気って、どんなですか?」


わたしの肩にいる空舞さんに鏡越しに問いかけた。


「あなた達を取り巻く雰囲気よ。親密そうに見えたから」


「親密、ですか」


「距離感といい、ね」


「・・・まあ、アレはあの人の通常モードなので」 


わたしにしか、しないらしいが?昨日の事を思い出し、またモヤモヤしてきた。それを拭(ぬぐ)うようにタオルで顔を拭く。


「好意はあるの?」


手が止まり、タオルに顔を押し付けたまま、「はい?」


「あなたよ。遊里に好意はあるの?」


さっきから、何なんだこの"人"は。


「それ、聞いて意味があるんですか?」


「興味本位よ」


「・・・さあ、コーヒーでも飲もうかな」


逃げるようにキッチンへ向かう。まあ、ずっと付いているんだが。


「はぐらかすのは肯定ということ?」


何も、返せなかった。かと言って、否定も出来ない。


「ノ・・・ノーコーコメントで・・・」


目が泳いでるのが自分でもわかる。


「そう、わたしには言えないのね」


「え?」


心なしか、空舞さんの声のトーンが下がった気がする。空舞さんはわたしの肩からソファーの背もたれへと飛んで行った。


「空舞さん?」


尾羽をこちらに向け、そっぽを向いている。


「優子とはそういう話をした事がないから。余計な事言ってごめんなさいね」


やっと聞き取れる、か細い声だった。それに、いつもより頭の位置が低い。もしかして、傷つけた?


「いや・・・あの、好意というか・・・そうですね。好意は、あるんだと思います。ごめんなさい、こーゆうのは初めてだから自分でも反応に困ってしまって・・・」


「あらそう、惚れてるのね」


空舞さんの声のトーンがいつも通りに戻った。クルリとこちらを向き、わたしの頭の上へ飛んで来る。わたしは頭上にいる見えない空舞さんを睨んだ。

騙された。意外とやり手だな。


「気持ちは伝えないの?」


「・・・伝え・・・られません」気恥ずかしさを紛らわそうとコーヒーの準備にかかる。


「どうして?」


「どうしてって・・・無理ですよそんなの」


「好きなら言うべきじゃないの?」


「簡単に言いますけど・・・わたしにはハードルが高すぎます」


「今まで誰かに告白したことはないの?」


──今日の空舞さんは、いったいどうしたんだろう。空舞さんとこんな会話をするのは初めてだった。


「ありません」


「こういうのは初めてって言ってたけど、初めて人を好きになったということ?」


これは、尋問だろうか。


「そうですね」出来るだけ無感情に徹する。


「24年も生きていて、そんな事あるのかしら。あなたって、やっぱり変ね」


言うんじゃなかったと後悔しても、時すでに遅し。無視して淹れたてのコーヒーをズズッと啜る。


「キスでもしたら?」


「ブォッファッ」口の中のコーヒーが豪快にシンクに飛び散った。── 最近、こんなんばっかだな。


「何を言ってるんですか・・・」


「人間は愛を表現するのに唾液を交えるんでしょう?」


「言い方・・・。そんな事したら痴女ですよ。相手の気持ちもわからないのに・・・」


「遊里に聞いてみればいいじゃない」


頭が痛くなってきた。


「それが出来れば苦労しません。というか、そういう機会はあったんですけど・・・」 何かと邪魔が入る。それに、早坂さんのあの表情。


──これは、聞くべきではないということか?

中条雪音は自分によってダメージを受けた。


「わたしが聞いてあげましょうか?」


ギョッとして、思わず見えない空舞さんを見上げた。


「やめてください。自分の事は・・・自分で対処しますから」


「そう」


「それより、妖怪の目撃情報があったみたいですよ」今は一刻も早くこの話題から逃げたい。


「いつの話?」


「昨日です。詳しい事はまだわからないんですけど・・・」


そういえばと、携帯をチェックしてみたが、早坂さんからは何も来ていない。


「場所もわからないの?」


「何処かの山中って話でした。追って連絡貰う予定です」


「わたしも行くわ」


「はい、そう思ってました」







それから、早坂さんから連絡があったのはその日の夕方だった。明日の夜、わたしの仕事終わりに瀬野さんと迎えに行くと。そのまま例の現場に向かうと。詳しい事はその時に伝えるとの事だった。

また店に来るのか、と少し気持ちが滅入る。


「ゆ・き・ね・ちゃ〜ん?どおしたの?そんなに暗い顔し・て」


そう、この女が居るからだ。


「別に。至って普通です」 携帯を前掛けのポケットにしまう。


「デートすっぽかされた?」


「・・・違う」


「えっ、雪音さんデートなんすか?・・・早坂さん?」


そう、この男も。


「違うってば。デートではない」


「会う予定はあるってこと?」春香がすかさず食いつく。


「まあ・・・」


「いつよ?」


「明日」


「何処で?」


「何処でって、まあここに迎えには来るけど」


「あの人は?瀬野さん!」


「来るよ」


「マジ?」


「嘘言ってどーする」


「ラッキ〜、挨拶しなきゃ」


なんのだ。


「つーことは、3人で会うんすね。ちょっと安心しました」


「言っとくけど、わたし拾ってもらってすぐ移動するから挨拶とかいらないからね」


「はあー?なんでよ、別に一言挨拶するくらいいいじゃない」


「一言の挨拶で済まないでしょ。アナタの場合は!」


「じゃあ俺も挨拶しよっと」


「・・・だから、なぜに?」


ここで、来店を知らせるドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ〜」


── 開店して間もないのに、ドッと疲れが押し寄せる。これは、待ち合わせの場所を考えるべきだな。

少し考えて、すぐに頭から消去した。

夜中に女の子が1人で歩いちゃダメよ!という脳内早坂さんの言葉によって。








翌日、22時35分─。

こんな日に限って、イタリアン酒場TATSUは大盛況である。

22時半のラストオーダーは終えたが、店内にある3つのボックス席は若い男女で埋まっている。閉店時間の23時まで粘られれば、片付けを含め0時近くになるのは決定だ。

前もって長引くかもしれないという連絡は入れたが、早坂さんの事だ、早めに来るに違いない。


「雪音、11時になったら上がっていいわよ」


「え?」


「早坂さん来るんでしょ。片付けもある程度終わってるし、後はあたしと一真くんで十分よ」


普段、誰に対しても毒舌極まりないこの女が優しさを見せる時。それは、わたしが本気で焦っている時だ。そしてそれは、わたしの知る限り、わたしに対してだけ。


「連絡入れといたから大丈夫。ありがと」


「アンタがいようがいまいが、帰る時間は大して変わんないのよ」


「まあでも、5分でも早まれば」


春香はチッと舌打ちした。「可愛くな。素直じゃない女は振られるわよ」


その言葉、そのまま返してやりたいが。「振られる相手もいないからだ〜いじょ〜ぶだぁ〜」


「その割に、だいぶ病んでらっしゃるよ〜だ〜けど〜」


「・・・病んでる?」


「どう見てもね。顔がってか、全体的に、全てが病んでるわ」


「・・・薬が欲しい」


「は?」


「病に効く薬」


春香は真底うんざりしたように息を吐いた。「早坂さんに処方してもらえ」


「処方?薬すか?」


空いた皿を下げに行っていた一真くんが、いつの間にかそこに居た。


「そっ、愛の薬が必要らしいわ。このめんどくさい天然記念物には」


「愛の薬?」


「一真くん、聞かなくていいから」


「・・・よくわかんないすけど、お客さん、一斉に帰るみたいっす。会計お願いします」


「よっしゃ、あたし行くわ」


春香は瞬間移動とも思える速さでレジへと消えた。


「よーし、あとは片付けるだけだね」この分だと、あまり待たせずに済みそうだ。


「雪音さん」


「ん?」


「あの、お願いがあるんすけど」


一真くんは伏し目がちに頭をポリポリと掻いた。何か言いづらい事だろうか。


「なに?」


「いやー、なんか申し訳なくて言いにくいんですけど・・・」


「言ってみて。あ、ちなみにお金は無いよ」


一真くんはハハッと笑った。


「違いますよ。いや、実は、来週叔父の誕生日でして」


「え、凌さん?」


「はい。それで、何かと世話になってるんで気持ちで何か渡したいなぁと思ったんですけど、考えても全然思いつかなくて・・・」


「うんうん」


まあ、そりゃあそうだろうな。男同士、それもあの年代の人へのプレゼントってチョイスが難しいと思う。


「もし良かったら、雪音さんにプレゼント選び手伝ってもらえないかなって」


「ぇえ!?」


「・・・やっぱ、迷惑すか?」


一真くんの顔があからさまに曇った。


「いや、迷惑とかじゃなくて!わたし、自慢じゃないけど、そーゆうプレゼント選びとかまったくセンスないんだよね」


一真くんは意外そうだった。「そーなんすか?」


「うん。高校の時、友達の誕生日プレゼント1日中迷って、結果、ノートを束で送ったわたしに頼む?」


一真くんは豪快に噴き出した。「マジすか」


「うん。あの時の友達の顔は今でも鮮明に覚えてる。人間が本当に嬉しくない時の顔って、こうなるんだと思ったもん」


「ちょっ、ウケんだけど雪音さん」


相当おかしかったのか、一真くんは腹を抱えて身体を揺らしている。


「とゆーわけで、わたしより春香のほうが適任だと思うけど・・・それか大学の友達にセンスの良い子いないの?」


「・・・いや、俺は雪音さんと行きたいんす」


一真くんの何とも言えない表情を見て、少し身構えた。それだと、ちょっと意味が変わってくるんじゃ──。正直、こう言う雰囲気になるのを避けていた自分がいる。


「お願い出来ますか?」


──わたしは病んでいる頭で精一杯考えた。

一真くんがわたしに好意を持っているなら、2人で出かけるような思わせぶりな事はしないほうがいいのでは?しかし、ただ単にプレゼント選びに困っている一真くんを拒否するのも、人として、友達としてどうよ。


それに加え、そんな子犬みたいな目でお願いされたら──・・・「わたしでヨケレバ」


「よっしゃ!ありがとうございます!」


ガッツポーズする一真くんが可愛くて、笑みが出た。本当、こんな弟がいればよかったのに。








全ての掃除を終えた時、店内の時計は23時を10分回っていた。

みんなより先に着替えを済ませ、帰る準備に取り掛かる。


「お先に失礼します!みんな帰り気をつけて」


「あれ〜?そんなに急いで、デート?」


いつも通り店長は無視して、速やかに店を出た。

片付けの段階で気づいていたが、いつもの場所に早坂さんの車が停まっている。そして、いつものように車体に寄りかかるシルエットが1つ。わたしに気づいた早坂さんが、こちらへ向かってきた。


いやだから、来なくていいですから!あまり近くに来られるとみんなから見えてしまう。いや、別に見られてマズイ事はないけれども。

わたしも速足で駆け寄る。


「雪音ちゃん、お疲れ様」


「お疲れ様です。遅くなってすみません」


「まだ11時過ぎたばかりよ」


今日の早坂さんは黒のパーカーに同じく黒のパンツ。全身黒でこんなに映えて見えるのは、着ている人間のステータスか?それとも贔屓目によるものか?


「・・・睨まれてる?」


「いいえ。というか、わざわざ外で待ってなくていいですから」


「途中で何かあったらどうするのッ」


「10メートルもないですけどね」まったく、どこまで本気で言ってるのか。「瀬野さんは車ですか?」


「ええ、さっきまでグースカ寝てたわ。さ、行きましょ。大丈夫?疲れてない?」


「大丈夫です」


「早坂さぁ〜ん」


突如後ろから聞こえてきた声に、背筋が凍った。毎日店で聞いている、猫撫で声。いつもより3オクターブは高い。


「あら?春香ちゃん。こんばんは」


「こんばんは〜。いつ見ても、グッドルッキングガイですねっ」


「まあ、お世辞が上手ねぇ。ありがとう」


「春香?」 変な緊張感に襲われる。漫画ならダラダラと顔に汗をかいてるところだ。


「ほら、コレ」


そう言ってわたしに差し出したのは、「あれっ、わたしの?」


「カウンターに置いてあったわよ」


「ありゃっ、ゴメン、ありがと!」


「もお〜、携帯忘れるくらい早坂さんに早く会いたかったのねん」


──こ、この女、何を言い出すんだ。リアルに汗が噴き出してきた。


「あらそうなの?もお雪音ちゃんったら、でも気持ちは凄くわかるわよ」


抱き寄せた肩をポンポンされ、もう、どうにでもなってくれ。


「ねぇ早坂さん、この子、超天然記念物なので、お手柔らかにお願いしますね」


今度は何を言い出すかと思えば──早坂さんを見ると、目が丸くなっている。そして、春香の後方で店から出てくる店長と一真くんが見えた。


「早坂さん!行きましょう!春香ありがとう!また明日!」


春香は営業モードの笑顔を崩さぬまま、ひらひらと手を振った。

わたしは早坂さんの腕を掴んで強引に車へと向かう。


「今日はずいぶん積極的ね」


「瀬野さん待たせてるので!」


「あなた、天然記念物なの?」


「そうらしいです」 それ以上は何も聞かないでくれ。


途中でエスコートが早坂さんへと変わり、当然のように助手席へ連行された。勝手に開くドアから乗り込み、ドアが閉められた。


「瀬野さん、こんばんは。遅くなってゴメンなさい」


瀬野さんは運転席の後側に居た。若干、眠そうな顔に見える。


「それはいいが、災難だったな、待ち伏せされて」


「だから、人をストーカーみたいに言わないでちょうだい!」運転席に乗り込んだ早坂さんがすかさず突っ込む。


「大して変わらんだろ」


まあ、あながち間違ってはいないかも。


「さあーて、行きますかね」


ゆっくりと動き始めた車だったが、すぐにブレーキがかかった。

えっ、なにごと?大した衝撃でもないのに、わたしの前にはしっかりと早坂さんの腕が回されている。


「あ、空舞さん」


暗闇に馴染んでいてわかりづらいが、空舞さんはボンネットの真ん中に居た。早坂さんが助手席の窓を開けると、キッキッと音を立ててジャンプしながらドアまでやって来る。


「あのー、空舞ちゃん?すごく嫌な音がするんだけど・・・」


「これから向かうの?」


「はい、空舞さんも一緒に行きますか?行かないと思うけど」


「ええ、わたしは車を追って行くわ。じゃあ後ほど」


それだけ言い、空舞さんはその名の通り、空を舞って闇夜へ消えた。


「ここからどれくらいですか?」


早坂さんはボンネットの確認でそれどころではないようだ。


「空いてれば30分もかからない。おい、早く出せ」


「あ、はいはい」


「大丈夫だと思いますよ。たぶん。空舞さん、わたしの肩とか頭に乗る時、爪立てないようにしてるんで」


「それにしては、ずいぶん嫌な音がしたけどねぇ」


「いいだろ、この際買い替えたらどうだ。この車は乗り心地が悪くてかなわん」


「人の車にいちゃもんつけないでちょうだい!」


「だから俺の車を出すって言ってるだろう」


「アンタはバカみたいに飛ばすからダメよ」


「中条がいなければ何も言わんくせに」


「当たり前でしょ!雪音ちゃんがいるからの話をしてるのよ!」


この2人のコレも、だいぶ慣れてきたな。いがみ合ってるように見えて、ジャレてるだけなんだよね。本当に仲が良い。


「ところであの、事件ってどーゆう事件なんですか?」


「ああ、そうね。あなたにはまだ伝えてなかったわね」


「鬼火の仕業だろう、という話だ」


頭にクエスチョンマークが3つほど浮かんだ。「おにび・・・?」


「順を追って話さないと何の事かわからないでしょうが。数日前の事なんだけどね、山の中で伐採をしていた業者が突然火傷を負ったらしいのよ」


「火傷・・・ですか」


「火は扱ってなく、周りにも燃えるような物は何も無い。それなのに突然背中が熱くなり、服共々背中が焼け焦げたそうよ。そこに居た人間はみんな身体の何処かしらに大なり小なり火傷を負ったらしいわ」


「それが、その、鬼火の仕業なんですか?」


「財前さんの見解ではな」


「後日、別の人間が同じ場所で作業に当たっていたけど、また同じ事が起きたらしいわ。突然燃えるように辺りが熱くなり、気づいたら火傷を負っていた、と」


その現場を想像すると、鳥肌が立った。怖くてたまらなかっただろう。


「それって、どんな姿なんですかね」


「財前さんいわく、火その物らしいわ」


「火、そのもの、ですか・・・」


「ええ、ファイヤーよファイヤー」


いや、それはわかるんだが、その姿がイマイチ想像出来ない。


「俺達も見た事がないからな。確認してみない事にはわからん」


「でも、夜の山って視界も悪いし、ちょっと心配ですね」


「そおねぇ、でも夜のほうが人もいないし、あたし達も何かと動きやすいからね」


「ちゃんと現れますかね?」


「奴らは基本、夜に行動するからな。昼に人間を襲うんだ、夜はもっと活発になってるだろ」


「問題は、その場所にまだ居ればいいけど。ソレ自体が」


「これでも早く動いてるほうだろ。2度同じ場所で襲ってるからな、クセになってそこを離れていない可能性はある」


「クセになって・・・」


人を襲う事を楽しんでるってことか。

世の中には、悪い妖怪だけが存在するわけではない。財前さんやおばあちゃん、空舞さんのような良い妖怪もいる。みんなが、そうだったらいいのに。甘い考えだというのはわかっているが、そう思ってしまう。


──そういう意味では、人間と同じなのかも。

時には、人間のほうが残虐な事だってある。



頭に触れるものを感じ、顔を上げた。


「どうしたの?下向いちゃって」


微かに微笑む早坂さんには、わたしが何を考えているかわかっているように見えた。


「いえ、ちょっと財前さんとおばあちゃんを思い出してました」


「そおねぇ、世の中の妖怪がみんな彼らみたいだったらいいのにね」


わたし、声に出してないよな。おそるべし、エスパー早坂遊里。


「人間と同じで、そんな事あるわけないってわかってはいるんですけど・・・」


「そうね、どの世界にも必ず善と悪が存在するわ。その2つは紙一重とも言えるけど・・・出来れば、前者側でありたいわね」


「・・・わたしはどっちだろ」


ああ──まただ。こんな時、必ず浮かぶ母さんの顔。早く、何かで紛らせなければ。今は早坂さんと瀬野さんがいるんだから。


ほんの一瞬だった。ほんの一瞬で"済んだ"

母さんの顔が、早坂さんの顔に変わったから。


「また下向いてる」わたしの顎に触れる手が、いつもより力強い。「あなたは、自分より人の感情を優先させる。それは、相手を傷つけたくないから。それは、あなたがとても優しいから。あなたを知ってる人はみんなわかってるわ」


思いがけない言葉と、早坂さんの優しい表情に胸が締め付けられ、泣いてしまいそうだった。今何か言葉を発したら、絶対に泣いてしまう。


「まあ、人間は見た目じゃわからないわね」そう言って、早坂さんは自分に向けた手を離した。「極悪面の善人もいるし」


「おい、誰の事言ってる」


「誰って、別に一般論よ」


「嘘つけ、絶対俺の事だろう」


「あら、自覚はあるのね。褒めてるんじゃない」


「どこがだ」


「善人って言ってるのよ」


「だったら普通にそう言え」


2人の漫才を聞きながら、目尻に滲んだ涙をそっと拭った。

──やっぱり、好きなんだなぁ。改めて実感させられる。こうやって、いつもわたしを救ってくれる早坂さんが、わたしはとてつもなく、好きなんだ。







それから30分程車を走らせると、ガラリと景色が変わった。オフィスビルのような高い建物は見当たらなく、一軒家が広い間隔で建っている。そして、それを囲む山々。昼間だったら緑豊かな景色が見れただろう。


早坂さんは車の速度を20キロまで落とし、携帯を見ながら舗装されていない砂利道をゆっくりと進んで行く。


「川に架かる橋って、コレの事よね」


「たぶんな。しかしボロい橋だな。渡ったら崩れ落ちるんじゃないか」


「・・・怖い事言わないでくださいよ」


車1台分の幅の橋を渡り、更にまっすぐ進むと何もない広場が出てきた。ここで行き止まりだ。早坂さんは山のほうに向かってまっすぐ車を停めた。


「ここからは歩きね」


「あ、山って言うからもっと高い所に行くんだと思ってました」


「そうね、山って言うより森林ね」


「けっこう歩くんですか?」


「現場まではここから北へ50メートルくらいって話だけど、目印になる物もないからわからないわ。まあ、歩いてればそのうち出てくるでしょ」


そんな、探し物みたいなノリでいいのか?

車を降りた早坂さんはトランクから懐中電灯を取り出し、わたしと瀬野さんにそれぞれ渡した。前回のヘッドライトじゃなくて、ちょっと安心する。

そしてもう1つ、わたしに差し出した。


「なんですかコレ」受け取り、広げる。「割烹着?」にしては生地が厚く、重い。


「防炎服よ。火に強いから」


「・・・コレを、着ろと?」


「ええ、念には念をよ」


「・・・お2人の分は?」


「あたし達はいらないわ。そんな簡単に燃えないわよ」


その自信の根拠をお聞かせ願いたい。

どうせ、わたしに拒否権はない。黙ってその"割烹着エプロン"に袖を通した。


「手術室にいそうだな」


ええ、色も青ですからね。早坂さんがわたしに後ろを向かせ、背中の紐を結んでくれた。


「ふふ、可愛いわ」


わたしの中の可愛いという認識が合っているなら、早坂さんは絶対間違っている。


「ずるい・・・なんでわたしだけ」


「ん?何か言った?」


「いえ別に」


「誰に見られるもんでもない、気休めでも着ないよりはマシだろう」


「じゃあ瀬野さんにお譲りします」


「そんなもん着るくらいなら火傷のほうがマシだ」


濁りのない正直さに反論の余地なし。


「よし、行くぞ」




林に足を踏み入れてから、しばらく無言で進んだ。道という道は無く、そのうち迷路にでも迷い込んだ気分になった。静まり返った中、枝を踏んだ時のパキパキという音が響く。


「おい中条、なんで電気消してんだ。足元が見えないだろ」


「虫が寄ってくるからよ」


早坂さんが代弁してくれた。


「虫・・・ってそれがどうした」


「怖いのよ」


「・・・正気か?」


「ダメなんです。虫だけは。昔から。ぜったい」


「何がだ?何も悪さしてこないだろ」


「見た目がもう無理です。とくに蛾と蜘蛛は・・・バッタも、セミも、トンボも・・・」


「お前、ムカデに飛び乗ってたよな」


「・・・あの時は、勝手に身体が・・・」


あの大きな触覚の感触を思い出して、鳥肌が立った。今吐けと言われたら吐ける。


「理解できん」


「まあ、それに関してはある意味同感よ」


そう言いながらも、早坂さんはわたしの前を歩き道導となってくれている。


「この服、いいですね。少々の虫なら飛んで来ても平気かも」


前から呻くような溜め息が聞こえてきた。


「用途が変わってきたわね」


「おい、あそこ」 瀬野さんが言い、足を止めた。

瀬野さんが電灯の灯りで示した場所に、木が倒れているのが見えた。近寄ると、長くまっすぐな木が何個も横たわっている。


「このままかよ」


「仕方ないわよ。逃げれただけ良しよ」


早坂さんと瀬野さんが辺りを見回すが、これといって変わった物は見えない。

その時、後ろのほうでガサっと物音がした。驚いて振り返ろうとした拍子に何かにつまずき、そのまま尻もちをついてしまった。


「アタタ・・・」


「ちょっと、大丈夫?」


「はい、何かにつまずい・・・」ふと、地面についた手に感じる何か。瀬野さんのライトによって、それが見えた。「ギャ──!!」思いきり振り払い、目の前の物に飛び付いた。


「・・・ほんと、今日はずいぶんと積極的ね」


我に返り、早坂さんの身体に回した腕と脚を離す。


「スミマセン・・・」


「あたしは大歓迎だけど」口調がニヤついている。「大丈夫?怪我はない?」


「はい、全然」


「何か見えたのか?」


「虫が、見た事ないようなデッカイ虫が手に・・・」


瀬野さんは言葉の代わりに呆れ全開の息を吐いた。




それから15分程、その鬼火が現れるのを待ったが、一向に現れる気配はない。

こちらから何かアクションを起こさなければ現れないのか──ただジッと待つには限界がある。


「音でも出してみようかしらね」


早坂さんも同じ事を考えていたようで、ポツリと呟いた。


「音って、何のだ」


「騒ぐとか?昼間襲われた人達も機材を使ってたでしょうし、大きな音でも出せば現れるかしら」


「騒ぐっても限度があるだろ。チェンソーには敵わんぞ」


「まあそうだけど。あたし達男の声で叫んでもねイマイチだし・・・」そう言って早坂さんはわたしを見た。


「え」


「雪音ちゃん、ちょっと騒いでみて」


そんな、唐突に──「騒げって言われても・・・なんて?」


「なんでもいい。さっきみたいに奇声上げればいいだろう」


「あれは咄嗟に出る物で、さあ出せと言われても・・・」


「遊里、虫捕まえてこい」


「わーっ!わかりました!」


ゴホンと咳払いをして口に手を当て、やっほーのポーズをする。そのまま空に向かって息を吸い、「わあ───────!!」


自分の声が、森の中に響き渡る。返ってくるのは静寂だけ。


「わたし、凄いアホっぽくないですか?」


「見てる分にはな。効果があると思えん」


やらせといて言うか。


早坂さんがパンツの後ろポケットからおもむろに携帯を取り出し、画面を操作する。そして、音が流れた。着信音の設定にある、警告音だ。前に朝のアラームに設定していたから知っている。心臓に悪くてやめたが。

早坂さんは音量を最大にした。辺りが静まり返っているだけに、よく響く。


「こんなんじゃ意味ないかしら」


というか、その音自体が緊張感を高めるんですが。逃げろと言われているようだ。



──「意味・・・あったかも」


「ん?なにが?」


早坂さんと瀬野さんが立っているちょうど中間の後方。わたしはそこを指差した。2人が同時に振り返る。そんなに遠くない所に、小さなランプの灯りのような物を確認した。早坂さんが音を止める。


「人・・・じゃないですよね」


「その可能性は低いだろうな。どうする、こっちから向かうか?」


「少し様子を見ましょう」



──どれくらいだろう。とても長く感じたけど、実際は5分程度だったと思う。わたし達はその場から動かず向こうの動きを注視していたが、変化はない。


「行くか」


「そうね。ゆっくりよ。雪音ちゃん、あたしの後ろから離れないで」


「・・・はい」


早坂さんと瀬野さんが並んで1歩踏み出し、ゆっくりと進んでいく。


──「おかしいわね」


数メートル歩いて早坂さんが言った。


「ああ、距離が縮まらん」


「向こうも同じく後退してるのよ」


「どうする?走るか?」


「いや、逃げられないとも限らないし出来れば誘き寄せたいところだけど・・・どうしたもんかしらね」


「だるまさんが転んだ」わたしの発言に2人が同時にこちらを振り向いた。「いえ、向かってダメなら、背を向けて知らんぷりしてたら寄ってくるかな・・・とか」


「・・・そんな簡単にいくとは思えんが」


「でもまあ、他に手はないし、やってみましょうか」


先程居た場所に戻り、2人は灯りに背を向けて大きな丸太に腰掛けた。わたしも座ろうとしたところ手首を引かれ、早坂さんの脚の間に導かれた。そのまま強制的に膝に座らされる。


「・・・あの」


「いいから」


全然、よくないんですけど。たぶん後ろから襲われた時を考えての事だと思うけど、瀬野さんも居るし、非常に気まずい。

でも、良い事が1つ。早坂さんの膝に座っているおかげで振り返らずとも、視界の隅で鬼火の動きを確認できる。


「ただ座って待つ事に意味があるのか」


「それがわかるのは、これからよ。化け猫の時みたいに向こうから寄ってきてくれればいいけど」


瀬野さんがこの状況に納得していないのは、口調と貧乏ゆすりでわかった。かといって、他に何か手が・・・?少し考えて、ふと閃(ひらめ)いた。


「あの、3人で回り込むってのはどうですかね」


わたしのほうが目線が高い分、早坂さんに見上げられる形となり、何よりその距離に血圧が上昇する。


「どーゆうこと?」


「3人バラバラになって、鬼火を囲むように動くんです」


「却下」


今、わたしが言い終わる前に言ったよなこの人。


「なんでですか」


「単独行動はダメよ」


「単独って言っても、そんなに離れるわけじゃないし、そのほうが」


「ダメよ」 


早坂さんは、わたしを見ない。


「わたしを1人にするのが嫌だからでしょう」


「そうよ」早坂さんは悪びれもなく言った。


「わたしを対等に見てくれるって言ったじゃないですか」


「もちろんそれはそうよ」また至近距離で見つめられ、更に血圧上昇。「でも、それとこれは別よ。単独行動はリスクがあるわ」


「リスクって・・・それを言ったら今の状況だってそうじゃないですか。向こうの出方がわからないなら、試せる事は試したほうがいいと思います」


「ダメよ」


「早坂さん」


早坂さんは、そっぽを向いて黙(だんま)りを決め込んだ。

段々、腹が立ってきた。自分がいる事でわたしを制御させたくないとか言っておいて、結局こうなるんじゃないか。

頭にきて早坂さんの膝から立ち上がったが、すぐに腰に手が回り力づくで戻される。


「離してください」


答える代わりに早坂さんはわたしの両脚を持ち上げ、片膝から両膝に乗せた。わたしの足は完全に宙に浮き、立ち上がる力を失う。


「ちょっと、早坂さん」


どこまでも無視を決め込む気だ。こうなったら全力で抵抗してやろうと早坂さんの身体を押しやり、もがいたが腰のホールドがビクともしない。上昇していた血圧が別の意味でまた上昇する。

力で勝てないなら、別の方法で行く。


「ギャッ!こら!ちょっと、やめなさい!」


やめてやるものか。全ての指の力を早坂さんの脇に注いだ。

早坂さんはわたしの両手首を掴み、自分の片手にまとめた。もう片方の手がまたすぐ腰に回る。そしてわたしは完全に、囚われの身となった。

早坂さんのドヤ顔には、観念なさいと書いてある。



「おい」

瀬野さんの声を聞いて、瀬野さんの事を思い出した。

「お前ら、俺がいる事完全に忘れてるだろう」


「忘れて、ません」 ごめんなさい。忘れてました。


瀬野さんから控えめな舌打ちが聞こえた。「所構わずイチャつきやがって、馬鹿ップルが」


「イチャついてま・・・」


ちゃんと否定出来なかったのは、視界の隅に、何かを捉えたから。目だけを動かし確認する。


──やっぱり。さっきより、近づいている。


「近くにいる?」 察した早坂さんが言った。


「はい、だいぶ近づいてます」



遠目で見るとのは違い、それは早坂さんが言っていた通り、火その物だった。紅く燃える火の玉が空中を浮遊している。


「気持ち、暑くなってない?」


「ああ、辺りの温度が上昇してるな」


姿こそ小さいが、アレから発してる熱は強力という事か。


「近づけなきゃナイフで刺せませんよね。そもそも、アレに刺せるのかな・・・」


「財前さんの情報によると、鬼火の中には本体があるらしい。そいつが上手く出てきてくれればいいんだが」


「本体?って、どんなだろ」


「球体のような物って言ってたわね。問題はそれをどう見つける、か」


「水をかけるとか?」


「・・・焚き火じゃないんだぞ、ただの水をかけて効くと思うか?消防のポンプ車でも引っ張ってくれば話は別かもしれんがな」


「まあ、そうですよね・・・」



──ほんの、一瞬だった。

視界がオレンジ色に染まり、目を開けていられないほどの熱さに襲われる。

早坂さんはわたしを抱えたままそこから飛び退いた。瀬野さんも同様、地面に手をつきバランスを取りながら振り返る。


さっきまでランプの灯りのように控えめに燃えていた火の玉が、何十倍にも大きくなっている。ゴオオオオという音と共に激しく炎が燃え盛る。


「あっつ・・・サウナにいるみたいね」


「そんな悠長な事をっ!」


早坂さんはわたしを下ろし、自分の後ろに移動させた。


「いいか、油断するなよ。目を離すな」


そうしたくても、熱さで思うように目が開けられない。


「ゴーグルも必要だったわね」


激しく燃える炎が、一瞬、穏やかになった。そして、うねるようにゆらっと動き、止まった。


──来る。


直感と同時に、わたし達を目掛けて突撃してくる炎。自分で動くより先に、わたしは地面に倒れていた。その上には、わたしを覆うように早坂さん。


「瀬野!生きてる!?」


「・・・チッ!俺は大丈夫だ」


瀬野さんは反対方向に回避したようだ。

早坂さんのパーカーのフードが少し燃えているのに気づいた。


「早坂さん!大丈夫ですか!?」


「大丈夫よ」


次の攻撃に備えて立ち上がり、身構える。早坂さんはまた、わたしの前に立った。

わたしは早坂さんの腕を掴んだ。


「早坂さん、わたしは大丈夫ですから守ろうとしないでください。反射神経はいいんです、自分で逃げれます。そのほうがお互い安全です」


真剣に訴えるわたしの目を、早坂さんは見つめた。そして、頭に手が乗る。


「わかったわ。あなたの身体能力、信じるわよ」


「はい」


鬼火はまた、ゆらゆらと揺れ始めた。まるで、この状況を楽しんでいるかのように。どうすれば、その本体とやらを引き出せるのか。

早坂さんは地面から太めの枝を拾うと、鬼火に向かって投げつけた。枝は鬼火に吸収されたかのようにパチパチと音を立てて燃える。


「うーん」


「意味、あるんですか?逆効果では・・・」


すると今度は、背中からナイフを取り出した。逆手に持ち、それを鬼火目掛けて投げ飛ばす。

ナイフは鬼火の体を貫通し、木に突き刺さった。


「今の見たか?」


「ええ、貫通した時、そこだけ炎が消えたわね」


「・・・効いてるって事ですか。あのナイフなら、炎を切れる?」


早坂さんは答える代わりに、何か考え込んだ。


「雪音ちゃん、お願いがあるんだけど」


早坂さんはこちらを見ずに言った。


「え?」


「車に行ってくれるかしら」


「・・・わたしはここに居ますよ」


「え?あ、いや、そうじゃないの。刀を取ってきてほしいのよ」


「・・・刀?」


「トランクの下を開けるとあるから。お願いできる?」


「あ、それって、ナイフと同じ・・・?」


早坂さんは頷いた。「そうよ」


「わかりました。行ってきます」


早坂さんはズボンのポケットから車の鍵を取り出し、わたしに渡した。


「いい、ゆっくり動くのよ」


「はい」


鬼火から目を離さず、その場から1歩2歩、後退する。距離を取った所で背を向け、走った──。そうかと思ったら、突然、背中が燃えるような熱さに襲われる。

半分振り返ったところでこっちに向かう炎が見え、わたしは地面にダイブした。


「ギャ──ッ!!」


「雪音ちゃん!!」と「中条!」の声が同時に聞こえた。


回避は成功。すぐに立ち上がる。


「大丈夫です!」


髪が燃えたんじゃないかと確認したが、無事のようだ。

しかし、前を塞がれてしまった。鬼火は逃さんとばかりにそこから動かない。それに、さっきより炎が激しさを増しているように見える。

熱さなのか緊張なのか、汗が額から顎へと滴り落ちる。



「中条!伏せろ!」


「えっ」わけもわからぬまま反射的に伏せた。


ナイフが頭上を超えて鬼火に飛んで行き、穴をあけて貫通する。その時、早坂さんが走るのが見えた。さっき投げたナイフを木から抜き、それをまた素早く投げる。くるくると回ったナイフが鬼火に当たると、そこから炎に亀裂が入った。


「雪音ちゃん!行きなさい!」


わたしは、走った。後ろに意識を集中させながら、脚は緩めることなく、全力で。

2度目の攻撃がない事を確信したら、次は足を動かす事だけに集中する。


体感としては、一瞬だった。一瞬で車へと辿り着いた。手探りで車のキーのボタンを押し、鍵を開ける。トランクにある物を全て地面に降ろし、そこで止まった。

どうやって、開けるんだ?手探りで手掛かりを探すと、1番手前に窪みを発見した。指を入れ、持ち上げる。


「あった・・・」


その収納スペースには、それだけが置かれていた。布に包まれた細長い物。

手に持ち、驚いた。──重い。これを振り回すには、並の筋力じゃ無理だろう。

昔のお侍さんはこんな物を持って戦っていたのか──いや、そんな事考えてる場合じゃないだろう。


布を外し刀を手に取ると、不思議と重みが増した気がした。

凄い。なんて神々しい物体なんだろう。なんというか、これを持っていると自分がもの凄く強い人間になった気がする。


──いやだから、そんな事を思っている場合じゃない。鞘をしっかりと握り、わたしはまた走った。

2度、枝に躓いて転びそうになったが持ち前の身体能力でカバーした。若干、右の足首に違和感を感じたが、アドレナリンがそれを忘れさせてくれる。今はただ走れ。


── 灯が、見えた。

そこへ向かって一直線に突き進む。


その時だった、── 視界が一瞬にして紅色に染まった。まるで、何かが爆発したかのように。そして次の瞬間、凄まじい熱風が前から押し寄せた。


「ぅおっ!」身体が押し戻され、刀と共に地面に倒れ込んだ。


身体が、熱い。ヒリヒリと火傷をしたみたいだ。


──今のは、なんだ。何が起きた。

この距離でこれだけの爆風。あの2人は?

刀を支えにして立ち上がり、走った。


鬼火"は"、そこに居た。

でも、2人の姿がない。辺りを360度見回すが、どこにもいない。それに、さっきまでそこにあった木々が折られたように根元から無くなっている。今の爆風で?


──まさか・・・。

心臓が早鐘を打つように動き出す。落ち着け。そんなはずはない。


「早坂さん!瀬野さん!どこですか!」


返事は、ない。


「2人はどこ」


この鬼火に言葉なんて通じない。わかっていても言わずにはいられなかった。

鬼火は炎を左右に揺らし、踊るような動きを見せた。そう、まるで嘲笑っているかのように。


今この場を離れて2人を探そうとしても、攻撃してくるだろう。だったら、コイツをどうにかして、探すまでだ。

わたしは持っていた刀を鞘から抜いた。長く反った刀身に鋭い切っ先。切れ味がどれ程の物かわからないが、全身に緊張が走った。


当たり前だが、扱った事などない。柄を両手で握り、剣道のように構えた。不思議な事に、さっきまで感じていた重さが無くなり、手に馴染むような気がした。


──さあ、ここからどうする。

このまま切りかかるか。でも、コレを持ったままそれが上手く出来るかわからない。自分の動きは最小限にして、攻撃をする。だったら先程同様、向こうから来させるしかない。


わたしは足元にあった小石を何個も手に取り、先程の早坂さんの真似をして鬼火に投げつけた。鬼火が石を取り込む度に、その炎がゆらっと揺れる。まあ、これが効いているとは思えないが、これ以外の挑発の仕方がわからない。



「ついて来いバーカ!」


自分に出来る最大の悪態を吐き、鬼火に背を向け、来た道を戻った。

襲ってこい。アイツが向かってきたら、不意をついて攻撃する。脳内シュミレーションは出来ていたが、それを実行に移せなかった。


攻撃してこない。足を止め振り返ると、さっきいた場所から動いていない。

──なんで?さっきは襲ってきたのに。鬼火はまた、踊るようにゆらゆらと揺れている。


無性に、腹が立ってきた。お前の考えなんかお見通しだと、馬鹿にされているような気がした。2人の安否に対する不安と焦りが、わたし

の怒りを上昇させる。

わたしはまた戻り、地面に放り投げた鞘を鬼火に投げた。


予想外だったのは、鞘が吸収されず、鬼火の身体を分裂させた事だ。そして、わたしは見逃さなかった。一瞬だが、分裂したその隙間に見えな小さな黒い物体を。おそらく、あれが瀬野さんの言っていた本体。


分裂した炎はすぐにまた戻ったが、ヤツを挑発するという意味では成功したようだ。

鬼火は火柱を上げ、さっきとは非にならないほど激しく燃え盛っている。


── わたしは呑気に、昔の事を思い出していた。地元にあったお祭りも、こんなふうに大きな火が燃えていた。激しく燃える御神火が怖くて、でもカッコよくて綺麗で、父さんに抱っこされながら、ずっと見ていたいと思った。



わたしは、さっきと同じ事をした。鬼火に背を向け、走った。

すぐに感じた。向かってくる熱を。

ギリギリまでヤツを誘き寄せるつもりが、予想以上に動きが早い。不意を突くどころか、避けるのがやっとだ。


すぐに姿勢を立て直し、また走る。鬼火もすぐ追ってきた。わたしは持ってる刀に力を込めた。


今だ──前にジャンプしながら振り向き、その勢いで目の前にいる鬼火を横一文字に斬りつけた。鬼火の体が見事に半分に断裂する。

バランスを取って着地し、また元に戻る前に今度は立てに斬りかかる。

十字切れ目が入った。そして中から先程見た黒い塊が顔を出す。


あれを壊せば──でも、小さすぎて刀を当てれるか──鬼火はまた元に戻ろうとしている。わたしは咄嗟に鬼火の身体に飛び込み、その塊を掴んだ。

そこまでは良かったが、あまりの熱さに身体が動かずそのまま地面にダイブするように倒れ落ちた。手から塊が離れ、数メートル先に飛んだ。


──まずい。あれをまた取り込まれる前に壊さなければ。でも、身体が言う事をきかない。力が入らない。

地面に這いつくばったまま振り向くと、鬼火は元に戻っていた。わかったのは、本体ではなくわたしに向かおうとしている事。


──あ、終わったかも。

まさか自分が焼死するとは思わなかった。まあどうせ最後には焼かれるんだ、同じ事か。

覚悟を決めて目を瞑った。


「ごめんなさい」



その時、身体にのしかかる重み。

攻撃を喰らったと思ったが、熱くない。


「瀬野ッ!!」


耳元で早坂さんの声がした。



その後は、何が起きたかわからなかった。


気づけば、わたしは早坂さんの身体に組み敷かれていた。


「え・・・なんで・・・」


「ギリギリだったな」


声がするほうを見ると、瀬野さんが地面に膝をついていた。さっきあの塊が落ちた場所だ。手にはナイフを持っている。


「鬼火はっ・・・」


「大丈夫、もういないわ」


目の前に早坂さんの顔があった。早坂さんはわたしの額に唇を押し付け──わたしを抱くようにして上体を起こした。


「怪我は?」


全身が痛いが、今はそんな事どうでもいい。


「大丈夫です」


早坂さんはふうと息を吐き、わたしを抱き寄せた。痛いくらい強く抱きしめられ、息がしづらい。でも、それ以上に押し寄せる安堵。わたしは早坂さんの身体に腕をまわした。


「よかった・・・てっきり・・・」声が震える。


「てっきり?」わたしを抱きしめたまま早坂さんが言った。


「てっきり・・・」その後は口にしたくない。「ていうか、何があったんですか!?戻ったら2人ともいなくて・・・」


「吹き飛ばされたわ」


「吹き飛ッ・・・」


「咄嗟に木に隠れたんだけど、木もろとも吹き飛ばされちゃった」


「ちゃったって・・・怪我は!?」


「打撲程度よ、瀬野も大丈夫」


──打撲程度で済むか?普通。

ふと、早坂さんの背中に触れて気づいた。


「早坂さん、服が・・・」


早坂さんは身体を離し、自分を確認した。所々、パーカーが燃えている。


「ま、上だけで良かったわ」


「火傷は!?」


「少しね。大丈夫よ」


──少しで済むか?普通。

そんなに簡単に燃えないと言うのは、嘘じゃなかったらしい。


「それより、あなたねぇ」早坂さんはわたしの肩をグッと掴んだ。


あ、ヤベ。


「いったい何考えてるのよ!刀を持ってこいとは頼んだけど、斬りかかれなんて言ってないわよ!」


「・・・だって、2人がいなかったし・・・」


「だからってどうしてそんな発想になるわけ?自分から向かおうとするなんて無茶すぎるわ!」


「いや、自分からは向かってないです」


「揚げ足を取・ら・な・い・の」早坂さんが悪魔に見えた。


「スミマセン」


早坂さんは重い溜め息を吐いた。


「あなたを見つけた時、心臓が止まるかと思ったわ」


「あの、鬼火は・・・やっつけたんですか?」


「ええ、瀬野が本体を潰したわ。それも、あんなふうに飛び込むなんて・・・下手したら死んでかもしれないのよ?」


「・・・この服、役に立ちましたね」


早坂さんはわたしを睨み、呆れたようにまた息を吐いた。早坂さんが心配してくれてるのはわかるけど、わたしは説教より褒めてほしいんだけどな。


「中条、よくやった」


そう、こんなふうに。瀬野さんはすでに刀を鞘に納めている。


「ありがとうございます。瀬野さん大丈夫ですか?」


「軽い火傷程度だ」


料理でもしてたんだろうか、この人達は。


「先に言ってくれちゃってこのアホ」ボソりと呟いたのは、早坂さんだ。わたしの脇を掴み、立たせる。


「今、何か言いました?」


早坂さんはいつものようにわたしの頭に手を置いた。怖い顔が優しい顔に戻っている。


「よくやったわ。大したもんよ、あなたは」


思いがけない言葉に、嬉しさが込み上げる。身体の痛みなど忘れて舞い上がりそうになった。


「俺がさっき言っただろう」


「ええ!先を越されたわ!ったく、普段無口なくせに余計な事は言うんだから」


「どう考えても褒めるところだろ。お前が言わないから俺が言ってやったんだ」


「言うつもりだったのよ!」


「だったら早く言え。なあ、中条」


「はい、わたし褒められて伸びるタイプなので」


早坂さんは、黙った。そして、「フン」とそっぽを向いた。イジケている。


「・・・ほんとに、2人が無事で良かったです」


今になって、実感した。この2人に何かあったら、わたしはどうなるんだろう。考えるだけで身体が震える。いつの間にか、わたしにとってそれだけ大きな存在になっているんだ。


「よし、こんな場所、さっさとおさらばしましょうか。虫もたくさんいるしね」


「ギャッ・・・賛成です」





車に戻りながら、気づいた事がある。

右足首、こんなに痛かったっけ?違和感は感じていたが、着地する度に鋭い痛みが走る。たぶん、最初に鬼火の攻撃を避けた時だな。

2人に気づかれないように軽くケンケン歩きをする。


しかし、前を歩いていた男はすぐに気づいた。振り返り、わたしの足元を見た。


「痛いの?」


「あー・・・若干?」


早坂さんは膝をつき、わたしのくるぶしに触れた。


「少し腫れてるわね」


「大丈夫です、ただの捻挫だと思うんで」


「まったく、痛いなら痛いって言いなさい?」


言わなくても気づかれましたけど。

早坂さんの手が伸びてきて何をしようか察したわたしは、その腕を掴んだ。


「あのっ、おんぶでお願いします」


「えー、わかった」


早坂さんが背中を向けてしゃがみ、その大きな背中に身を預けた。情けなし。


「・・・スミマセン」


「大歓迎よ」


「遊里、俺が変わるぞ」


瀬野さんがそんな事を言うのは珍しく、驚いた。


「なんでよ」


「いやお前、腕・・・」


「あーうるさい。あたしの役割り奪わないでちょうだいッ」


瀬野さんは呆れ顔で前へ進んだ。


「・・・早坂さん、もしかして、怪我してるんですか」


「してないわよ」


このしれっと感が、怪しい。


「わたし歩けるんで、降ろしてください」


早坂さんは顔半分をわたしに向けた。


「このまま抱っこに切り替えるわよ」


──これ以上、わたしに何が言えようか。


「ねえ雪音ちゃん」


「はい?」


「さっき謝ってたのは、何に対して?」


ああ──さっき、もう駄目だと思った時の──聞かれていたのか。


「2人に対してです」


「なんで?」


「・・・役に立てずに、ゴメンナサイって」


早坂さんは上を向き、はあーと息を吐いた。


「今、あたしが考えてる事わかる?」


「え?」


「あなたを檻に閉じ込めて、目を離さずずっと見ていたい」


「・・・前も言ってましたねそんなこと」


「そうね。半分冗談だったけど、今は本気でそうしたいと思ってるわ」


半分は本気だったんだ。


「檻は、勘弁してください」


「檻じゃなければいいの?」


「・・・いや、ていうか!早坂さんだってわたしの為に無茶しすぎです。さっきだってわたしに覆い被さって・・・」


「まあ、あれじゃ守れないわよね」


「そーゆう事じゃなくてっ」


「いいじゃない。あなたと一緒に燃えて死ねるなら、それはそれでアリよ」


「よく・・・ありません」そう言いながらも、内心嬉しいと思う自分がいた。


なんで、そう思うんですか?

喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。みんなが無事だった。今は、それだけでいい。



































































































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