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第十三章 【救世主】



「雪音ちゃん、それ食べたら上がっていいからねー」


「あ、はい。わかりました」


店の時計を確認する。今帰ったら、ちょうど叔母さんがお風呂に入ってる時間だ。ちょうどいい。店の隅のテーブルで賄いのピラフを頬張っていると、目の前にグラスに注がれた水が置かれた。


「働くねぇ、雪音ちゃん」


「木下さん、ありがとうございます」水で口を潤し、食事を再開する。「・・・あの、何でしょうか」


木下さんはテーブルに腰掛け、動かない。


「家に帰りたくないの?」


突如かけられた言葉に、咽かけた。喉の奥にいるピラフを水で流し込む。


「なんでですか?」


「いや、普通仕事終わったら喜ぶと思うんだけど、雪音ちゃんは残念そうな顔するから」


そんなに顔に出てるのか、わたし。「いえ、そーゆうわけじゃ・・・」いや、そうだろう。心の中で自分に突っ込む。


「雪音ちゃん、今3年生だよね。進学するの?」


「え?あ、いえ、就職する予定です」


「ふう〜ん。道筋決まってる?」


「・・・いや、特には。1人暮らしで普通に生活出来ればそれでいいかなと」


「ふう〜ん」


木下さんはそれ以上何も言わないが、いなくなりもしない。なんなんだ、いったい。


「木下さん何してんすか!オーダー入りましたよ!」


厨房からお呼びがかった。


「はいは〜い。じゃあ雪音ちゃん、気をつけてね帰ってね」


「あ、はい。お先に失礼します」


木下さんはのそのそと厨房へ戻って行った。

ここに来た時から思っていたが、変な人だ。いつもボーッとしているし、言葉足らずで何を考えているかわからない。わかっているのは、シェフとしての腕が良いという事だけ。






家までは自転車で15分。ガレージの隅に自転車を置き、風呂場の窓を確認すると、明かりがついている。この時間、入っているのは叔母だ。入浴ルーティンは決まっていて、夕方の早い時間におばあちゃん、仕事から帰ってきた叔父、夕飯後の伯母という順番だ。


静かに玄関のドアを開けて中に入り、居間に顔を出す。パジャマ姿の叔父がお茶を飲みながらテレビを観ていた。


「ただいま」


「おお、おかえり。ご飯は食べたか?」


「うん、店で食べたよ」


「そうか。今叔母さん風呂に入ってるから、雪音も次に入りなさい」


「うん」




次に、1階の奥にあるおばあちゃんの和室に向かう。

コンコンとノックをして襖を開けると、おばあちゃんは座椅子に座り、テーブルに本を置いていた。


「おば〜ちゃん、ただいまっ」


おばあちゃんは眼鏡を下げ、上目でわたしを見た。


「おかえり。本日もご苦労様、だな」


「ふふ」おばあちゃんの隣に座る。「何読んでるの?週刊誌?」


「ああ、これで世の中の事を勉強してるんだ。ご飯は食べたか?」


「うん、食べたよ。てか、おばあちゃん、テレビっ子だから大体の事わかってるじゃん」先日、有名な俳優が亡くなったのも、わたしはおばあちゃんの口から最初に聞いた。


「テレビは耳を鍛える。活字は脳を鍛えるんだ」


「ふふ、そっか。あっ、そうだ、おばあちゃんにお土産」


先程コンビニで買った物をバッグから取り出し、テーブルに置いた。


「おお、この前のパンか?」


「そう、メロンパンね。この前のとは違うやつだけど、こっちのほうが美味しいんだ」


先週末、お昼に食べていたメロンパンをおばあちゃんにおすそ分けしたら、大変気にいったのである。おばあちゃんはメロンパンを手に取り、指で感触を確かめた。


「・・・おばあちゃん、潰れてる」


「この皮が美味いんだよな。サクサクっとして」


「そうそう、この前のよりサクサクだよ。でも中はしっとり」


「ありがとうや。明日のおやつだな」


「うん、そうして」


おばあちゃんは、しわしわの手でわたしの手を握った。


「雪音、おばあちゃんに金なんか使う事ないんだぞ。自分に使いなさい」


「って言っても、100円ちょっとだから」


「それでもだ。お前は人に気を遣ってばかりで、自分の事には無頓着だからな」


「そお?」


「ご飯だってまともに食べてないだろう。いつもパンじゃないか」


「そんなことないよ?店では美味しい賄いが出るし。パンはね、好きで食べてるの。子供の頃からパンさえ与えておけば機嫌良かったらしいよ、わたし」


「家でご飯を食べないのも、叔母に気を遣ってるんだろう」


「・・・時間が合わないだけだよ。わたしも自由にさせてもらってるから」


おばあちゃんは、目にかかるわたしの前髪を横に撫でつけた。


「せっかく美人なんだ、あんまり痩せてはみっともないぞ」


「えー、わたしこう見えて、標準体重だけど?」本当は、しばらく体重なんて計っていない。ただ、ズボンが少し緩くなったのは事実だ。


「ちょっと待て、小遣いやるから・・・」


「あー!そろそろお風呂に入んなきゃ!」立ち上がろうとするおばあちゃんの肩に手を置き、自分が立ち上がる。


「いいから、貰っておけ」


「この前貰ったばっかりでしょ」


「だいぶ前だろう。お前が受け取らないから」


「受け取らないとは言ってないよ?たまに貰うから、ありがたみがあ・る・の」


おばあちゃんはやれやれといったように息をついた。「お前も頑固だからな」


「ふふ、いつもありがとう。おばあちゃん」






──それから1ヶ月後。

季節が春からから初夏へと変わる頃、おばあちゃんは亡くなった。

朝は誰よりも早いおばあちゃんが、起きてこなかった。最初に発見したのは叔父だった。

おばあちゃんは、布団で眠るように亡くなっていた。


わたしは、涙が出なかった。状況が理解出来なかった。だって、昨日まであんなに元気だったのに。いつものように、バイトから帰ったわたしに、ご苦労さんと声をかけてくれたのに。


なんで、突然いなくなるの。


おばあちゃんがいなくなってからも、わたしは毎日、おばあちゃんの部屋に行っていた。

何をするわけでもない。ただ、おばあちゃんの座椅子の隣に座ると、そこにおばあちゃんがいるような気がしたんだ。



おばあちゃんが亡くなってから2週間後、バイトから帰宅したわたしがおばあちゃんの部屋に居ると、襖が開き、叔父が顔を出した。


「雪音、ちょっといいか」


「うん?」


伯父は手に持っていた物をわたしに差し出した。茶封筒だ。


「おばあちゃんのタンスから見つかってな。お前宛てだ」


「え・・・」


封筒には、達筆な字で"雪音へ"と一言。裏には何も書いておらず、しっかりと封がしてある。

叔父はそれ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。



この厚みは、なんだろう。

破れないよう慎重に封を開け、中を見て、手が止まった。


1万円札だ。それも、1枚ではない。数えると、計10枚だった。そして、2つに折られた便箋が1枚。



【卒業したら、これで良い財布を買いなさい。

財布は人に見られる。せっかくの美人が台無しだぞ。良い物には良い物が寄ってくる。雪音の人生もそうでありますように】



──前に、この部屋で話した事を思い出した。

わたしの財布を見たおばあちゃんは、わたしの手から取り上げ、まじまじと見ていた。そして、"何だこの財布は、ぼろ雑巾のようじゃないか"と。その言いように、思わず笑ってしまった。


ぽつぽつと、便箋に水滴が落ち、インクが滲む。目から込み上げる物に、抗うことが出来ない。


おばあちゃん。卒業したらって、その時、自分で渡そうとは思わなかったの?

そうしてほしかったよ。


もしかしたら、おばあちゃんは何かわかっていたのかな。何か感じていたのかな。自分の事は語らないおばあちゃんだから──。


死ぬ時は、誰にも迷惑をかけず、家で死にたい。生前、おばあちゃんがよく言っていた。

本当に、その通りになったね。おばあちゃんらしいよ。


堰を切ったように溢れ出す涙が、テーブルに溜まる。叔父たちに聞こえようが構わない、嗚咽を漏らして泣いた。


寂しい。寂しいよ、おばあちゃん。


ありがとう。





それからというもの、わたしはしばらく無気力状態だった。

おばあちゃんが亡くなってから、家に帰るのが余計苦痛になった。それだけおばあちゃんの存在に助けられていたんだと、後になって実感した。


そんなある日、バイト先でいつものように賄いを頂いていると、目の前にグラスに入った水がやってきた。そこには、木下さんの姿。デジャヴだったが、この前と違うのは、木下さんがわたしの隣に座った事だ。



「・・・ありがとうございます」


「雪音ちゃん、疲れてるね。大丈夫?」


「あ、はい。あの、ここに居ていいんですか」


「うん、一通りオーダー終わったから」


「そうですか」


木下さんはボーッと前を見ながら、両指でピアノを弾くようにテーブルを鳴らしている。

この前から、いったいなんなんだ。


「あの、わたしに何か、話があるんですか?」


木下さんは虚を衝かれたようにわたしを見た。「え、わかるの?」


「・・・なんとなく」そりゃあ、無言で隣に居座られたら、そう思うだろう。


「うーん、そうなんだよね?」


なぜに、反疑問形?「なんでしょう?」


「うん・・・」それから間があった。何か、言いづらい事なのだろうか。「雪音ちゃんに、相談があるんだよね」


「相談?」


「うん」


その先を待ったが、木下さんは何も言わない。そんなに躊躇するような事なのか?


「お金ならありませんよ」


木下さんはブッと噴き出した。こういう姿を見るのは、何気に初めてだったりする。


「高校生にお金せびったら、俺もう人として終わってるよね」


「よかった。じゃあ、なんですか?」


「うん、単刀直入に言うけどさ、雪音ちゃん、俺と一緒に働かない?」


今度は、わたしの間が空いた。とりあえず、言葉通りの意味を理解する。


「一緒に働いてますけど」


「あー、そうじゃなくてね。新しい店でってこと」


「新しい店?」


「うん。俺さ、独立して自分の店持つんだ」


「・・・えっ、そうなんですか?」


「うん、これは一部の人間しか知らないんだけど。着々と準備は進めててね、来年の春にはオープンする予定なんだ」


「ほえー・・・凄いですね」感心して、先程の言葉の意味を理解する。「えっ、そこで一緒にってことですか?」


「うん。ダメ?」


「・・・ダメって・・・」本当に単刀直入だった。イマイチ頭が追いつかない。


「雪音ちゃん、来年卒業でしょ?就職したいって言ってたし、時期的にちょうどいいかなって。何より、俺としては雪音ちゃんが欲しいんだよね。・・・なんか今、愛の告白ぽくなかった?」


最後のほうはスルーする。「なんで・・・ですか?」


「うーん・・・一言で言うと、仕事が出来るから?そして誠実だから?」


だから、なんで疑問形なんだ。

驚いたのは、自分の中に芽生えた感情だった。


「まあ、無理にとは言わないけどさ。ちゃんとした会社に就職したほうが保証は・・・」


「やります」


木下さんは固まり、目を見開いた。


「え?今、何て言った?」


「やります。一緒に働かせてください」


「・・・え、いいの?」


「木下さんが言ったんじゃないですか」


「いや、そうだけど・・・そんなに簡単に決めていいの?」


「聞いてすぐ、やりたいと思いました。だからお願いします」話を聞いて、嬉しいという感情が先に来たのが自分でも驚きだった。


「いや、お願いしてるのは俺だけど・・・本当にいいの?二言はない?」


「はい、お願いします」


木下さんの顔がみるみる明るくなっていく。こんなに嬉しそうな顔も出来るんだ。


「やった、雪音ちゃんゲットだぜ」木下さんは、やる気の感じられないガッツポーズをした。


「ポ◯モンみたいに言わないでください・・・」


「よぉーし、じゃあそーゆう事で、ヨロシクね雪音ちゃん」


木下さんがわたしに手を述べた。わたしはその手を取り、しっかりと握手を交わす。


「よろしくお願いします」


木下さんは鼻歌と共に、いつもより軽やかな足取りで厨房へ戻って行った。



──突然舞い上がった話だったが、不思議とわたしの心の中は、嬉々としていた。

ただでさえ生きづらい毎日に、ポッと光が灯ったような、そんな感覚を覚えた。

道筋が立った事。なにより、必要とされている事。それがこんなにも生きる活力になるんだと、初めて知った。


だから、後に店長となるあの人は、わたしにとって救世主その物だった。











「前から思ってたけど、アンタそれ、自分で買ったの?」


出勤後の更衣室、バッグの中の財布を見た春香が言った。


「ん、おばあちゃんに買ってもらった」


「アンタがブランド物持つなんて珍しいと思ったわ。リッチなおばあちゃんね、それ10万は下らないでしょ」


おばあちゃんに言われた通り、わたしは高校を卒業してから良い財布を買った。本当はもっと安い物でよかったのだが、残ったお金を使う事は、わたしには出来ない。だから、貰ったお金に少し上乗せをして買える物を選んだ。


「財布は人に見られるからね」


「ふぅーん。まっ、そうね。良い物を身につけてると気分も上がるってもんよ」


「うん。良い物には良い物が寄ってくるんだって」


「・・・じゃあ、何であたしには良い男が寄ってこないのかしら」


「酒癖じゃない?」


「年内中に絶対良い男見つけるわよーっ!」


「無視かい」


「目指せ社長夫人ーっ!」


「そこかい」





おばあちゃん、わたしね、今楽しいよ。

仕事も頑張ってるし、良い人たちに恵まれて、毎日が楽しい。

だから、心配しないでね。わたしがいずれそっちに行くまで、空の上から見守っていて。

そして向こうで会ったら、また一緒にメロンパン食べようね。






































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