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第十章 【対峙】



失恋を経験した人間が挙って言うのは、時間が解決する。らしい。

恋愛を経験した事のないわたしも、ある意味、それがわかった気がする。


"どう見たって雪音さんの事好きでしょ"


昨日その言葉を聞いてから、わたしの思考回路は完全に停止していた。

何をしていても早坂さんの顔が頭に浮かび、幻覚まで見た。その度に、春香にヤク中と詰られ、一真くんには何度も額に触れられ、家に帰ってからも、ついていないテレビの前で1時間ボーッとしていた。


しかし、一晩寝て頭がリセットされると、嫌でも気づかされる。そんな事は、ありえないと。

あの早坂さんが、わたしの事を好き?あるわけがない。そんな理由がどこにも見当たらない。


のそのそとベッドから起き上がり、洗面所へ向かう。冷たい水で顔を洗うと、更に頭がスッキリした。馬鹿馬鹿しい。


コーヒーを淹れてソファーに陣取り、テレビをつけると、今日の占いをやっていた。

11月生まれの本日の運勢、下から2番目。

自惚れは厳禁。謙虚な気持ちで人と接しましょう。

決定打を喰らった。


── 一真くんめ。変な事言うから、混乱しちゃったじゃないか。とりあえず、人のせいにしておく。


早坂さんが迎えに来るのは夜の8時。それまで、何をしよう。今日は天気も良いし、邪念を取っ払うために、ひとっ走り行くか。ついでにパンでも買って、いつもの河原で食べよう。なんか、定番化してるな。



外に出て、あまりの気温の高さに一瞬引き返そうと思ったが、汗をかけば邪念も流れる。そう自分を奮い立たせて、スタートを切った。


いつものコースをいつもよりピッチを上げて走ると、汗というより、風呂上がり直後の状態になった。そのままスーパーでパンを買い、河原へ向かう。


ラッキー。いつも座るベンチは、どちらとも空いていた。

スーパーの袋からソレを取り出す前に、周りを確認した。よし、近くに人は居ない。

妙な緊張感を抱きながら、プシュッと蓋を開けた。限界まで乾いた喉に、勢いをつけて流し込む。


「ぷは──っ!」控えめに発したつもりだ。


とうとう、デビューしてしまった。平日の昼下がりに外で飲むビールは、最高以外の何者でもない。走って大汗をかいた後だから尚更だ。

前にここで会ったおじさんにビールをご馳走になった事はあるが、自分で買ったのは初めてだ。



穏やかに流れる川を見ながら、カレーパンをかじる。今飛び込んだら最高に気持ち良いだろうな。


──そういえば、あの時も飛び込もうとしてたな、わたし。ウエストを掴む腕に、凄まじい力で引き戻された。走り高跳び並に飛んだ気がする。瀬野さんが受け止めてくれなきゃ、どうなっていただろう。2人とも、かなり鍛えてるよな。


自分の腕に力を入れて上腕二頭筋を確認する。ポコッと可愛らしい山が出来た。週に数回ダンベルで鍛えているから、普通の女性よりは筋肉もあると思うんだが。もっと鍛えるか。


出来るだけ、2人に迷惑をかけないようになりたい。わたしなら大丈夫だと、思われるようになりたい。

まあ、早坂さんに関しては、はなから過保護モードを発動しているから望みは薄いが。


そもそも、なんであんなに過保護になるんだろう。心配性というレベルではない。ただ優しいからという話でもない気がする。他人に興味がないと言っていたのに。わたしが女だから?わたし以外の女でも、そうなるのか。


前に瀬野さんが言っていた、前はあんなじゃなかったというのは、喋り以外の事もなんだろうか。──だとしたら、早坂さんが過保護になったのには、みはるという名の女性が関係してるとか?



───・・・邪念を払うために走ったんだろう、お前は。


カレーパンをビールで流し込んだ。

そう、考えてもわからない事をうだうだ悩むな。目先の事を考えろ。

とりあえず今は、ビールとカレーパンを平らげて、家に戻ってシャワーを浴びる。そして、財前さんに会いに行くんだ。








鏡に映る自分を見て、思った事がある。

わたし、いつも同じ服装じゃないか?

Tシャツにパンツ。そりゃあ、デザインとか素材は違うけれど、形としては変わっていない。

スカートとか、ワンピース、持ってたっけ。

クローゼットを漁る程の衣類が無いのはわかっているが、駄目元で探してみる。

数秒で決着がついた。そんな物は、存在しない。見るからに、動きやすさ重視の物ばかりだ。


いや、別に、オシャレをする必要はないんだけど?自分の女子力の低さに少し、悲しくなっただけだ。

無駄な足掻きはやめて、白いTシャツと黒いジョガーパンツに着替える。これに白いスニーカーだ。そう、わたしはこれからも動きやすさ重視で生きていく。



7時50分に部屋を出て階段を下りると、ちょうど早坂さんの車が向かってくるのが見えた。

わたしの目の前で停まり、助手席のドアを開けて、思わず目を見張った。


「雪音ちゃん?どうしたの?」


「なんで、スーツなんですか?」


早坂さんが自分を見る。「ああ、知り合いのお通屋に行ってきたところなのよ。着替える時間なかったからこのまま来ちゃったわ。さ、乗って」


「・・・あい」


黒いスーツに黒いネクタイ。普段、ラフな格好の早坂さんしか見たことがないから、新鮮すぎて緊張する。


早坂さんが笑いながらわたしの頬を小突いた。「なに?なんかよそよそしいわね」


「スーツ、似合いますね」


「そお?ありがと」余裕な笑み(に見える)。


「なんか、ムカつく・・・」


「ええ!?なんでよ!」


「似合いすぎて」それに比べて、わたしはこんな見窄らしい、女子力皆無な身なり。「自分の貧相さが際立ちますね・・・」


「あら、あたしは、あなたのその気取らないカジュアルさ好きよ」


──好きよ。服装がね。


「どうも」


「それに、あなたは何を着たって隠しきれない可愛さが滲み出るから」


「どうも」納得してるのは、言った本人だけだ。


「ご飯は食べた?」


「はい、パン食べました」


「・・・パンって、もう少しちゃんとした物食べなさいよ」


「昼間の残りだったんです。明日まで残しとくのもなあって思って」河原でカレーパンとビールを頂いた事は黙っておこう。


「今度また、うちに食べに来なさい」


「・・・えっ、いいんですか?」


「もちろん、あなたの持ち帰り用もたくさん用意しとくわ」


「ヤッタ、死ぬほど美味しかったから、また食べたいと思ってたんです」


「ふふ、そう言ってくれると嬉しいわ」


「おばあちゃんにも会いたいし」


「美麗ちゃんも、雪音は今度いつ来るんだって聞いてくるのよ。近いうちに予定を立てましょう」


「楽しみにしてます」







財前さんの家へ行くのはこれで2回目だが、なんとなく道は覚えていた。閑静な住宅街を走り抜けた先にある、緩やかな上り坂。そこに、侵入禁止の標識。

前回車を止めた所に、白いワゴン車が止まっていた。


「あれ、瀬野さんの車ですよね?」


「そうね」


早坂さんは瀬野さんの車の後方に自分の車をつけた。

車内はエアコンが効いていた為、車を降りた瞬間、ムワッと熱気を感じた。

── 前に来てからそんなに時間は経過していないのに、不思議と懐かしく感じる。

早坂さんはジャケットを脱ぎ、ネクタイを外すと後席のドアを開けて乱暴に放り込んだ。



「シワになりますよ」


「いいのよ、どうせクリーニングに出すから。暑くて着てらんないわ」


ボタンを外して袖を捲る一連の動作に、くぎ付けになる。シャツ1枚でもこんなに"優雅"に見えるのは、元々の土台の完成度ゆえの話か?

なぜか、無性に腹が立つ。


「・・・睨まれてる?」


「いいえ」


「行きましょうか。歩ける?」


「抱っこは結構です」


「遠慮しなくていいのよ」


「してません」




財前さんの家は、相変わらず独特な雰囲気を醸し出していた。家の周りに生い茂る木は、以前より深くなっている気がする。まるで、この家を守っているかのように。

早坂さんは前回同様、インターホンを鳴らさずに玄関のドアを開けた。


「こんばんはー。入るわよー」


そして前回同様、玄関を上がってすぐ右手の襖を開ける。


「遅いぞ」


「アンタが早いのよ」


挨拶をしようと財前さんを探したが、中に居たのは、瀬野さんと、───・・・ん?子供?


「やあ雪音ちゃん。また会えて嬉しいよ」



昼間飲んだのって1本だけだよね。目をこすって、再度確認する。


「・・・財前さんのお子さんでいらっしゃいますか?」


早坂さんは噴き出し、目の前にいる着物姿の男の子は、おかしそうに笑っている。


「今、お茶を淹れてくるから待ってなさい」


「あっ、僕!おかまいなく!」


男の子は軽い足取りで部屋を出て行った。テーブルに突っ伏して肩を震わせている早坂さんの隣に座る。


「ちょっと!誰ですかあれ!」小声で言った。


「誰って、財前さん以外の誰がいるんだ」瀬野さんは早坂さんの向かいに座り、バームクーヘンを食べている。


「だって、子供!どう見ても小学生!」


「前に会って知ってるだろう。あの人が見た目を自由自在に操れるのは」


「操れるったって・・・」確かに、髪型や着ている物は財前さんそのものだが。頭がついていかない。


「あの姿も久しぶりに見たわね。あなたの反応を見て楽しんでるんでしょ。裏切らないから」


そういえば、前もお茶を淹れに行って、戻ってきた時は歳をとっていた。今回もまた姿を変えて来るんだろうか。ドキドキしながら待っていると、襖が開いた。


変わってないー!財前さんはわたしの前にちょこんと座り、小さな手で湯呑みを差し出した。


「ありがとうございます」一口啜るが、味が入ってこない。


「雪音ちゃん、元気だったかい?」


「あ、はい!財前さん・・・も、お元気ですか?」


「僕は変わらずだよ」


──駄目だ。集中出来ない。

見た目的には、10歳にも満たないと思う。声も高いし、顔にも面影を感じられない。喋り方以外、財前さんと認識出来るものがない。


「よかった・・・」目のやりどころに困り、お茶を飲む事に必死になる。

早坂さんがニヤニヤしてるのは視界の隅でわかった。


財前さんはテーブルに肘をつき、顎の下で手を組んだ。この仕草は財前さんだ。


「この姿だと、落ち着かないかい?」


「はい」即答してしまい、すみませんと謝る。


「今戻ってもいいんだが・・・」


「是非お願いします!」


「しかし困ったな。それだと裸になってしまうんだが、いいかい?」


「え・・・裸?ですか?」


「ほら、着物がね。大きくなるのは身体だけだろう?」


「・・・・・・そのままでお願いします!」


「僕もその意見に賛成だ」そう言って笑う財前さんの目元に、少し"財前さん"の面影を感じた。


「そこで挙手は必要か?」と、冷静な瀬野さん。

早坂さんはニヤけながらずっと口元を押さえている。


「雪音ちゃん、変わったね」


「えっ、そうですか?・・・見た目が?」


財前さんは、フッと笑った。「いや。まあ、見た目という意味でも、変わったかな。前に会った時より、表情がハッキリしてるよ」


「・・・ハッキリ、ですか」


「ああ、迷いが消えた、という感じかな」


最初にここに来た時は、戸惑いの連続で、みんなの話についていくのがやっとだった。なんで自分がここにいるのかわからなかった。

自分がどう変わったのかはわからないけど、わたしは今、ここにいられる事が嬉しい。


「2人からこれまでの話は聞いてるよ。積極的に行動してくれているみたいだね」


「ああ、大した根性だ」


「無鉄砲とも言うけどね」


瀬野さんが、またかというように早坂さんを見た。


「2人の意見は、なかなか一致しないんだよ」と、財前さんが笑う。「きみの活躍に、遊里はあまりいい顔をしないからね」


「そんなことないわよ。度胸があるという点では認めてるわ」


なんとなく、言い方にトゲがあるのだが。


「身体能力もだろ」


心の中で、瀬野さんに親指を立てた。


「稀に見る身体能力だと聞いているが、雪音ちゃんは何かスポーツでもやっていたのかい?」


「いや、そこまでじゃないですけど・・・何もやってないです。運動神経が良いのは自覚してるんですけど、目指す物がなくて」


財前さんは、そうかと笑った。「雪音ちゃん、きみには感謝しているが、あまり無茶をしてはいけないよ。自分の身を守る、それを第一優先に考えてほしい」


隣からの突き刺さる視線が、痛い。「はい、わかってます」


「ホントに?」いや、痛い痛い。


「まあ、2人がいるからあまり心配はしていないが。それでも、自分の事は大事にしなさい。わかったね」


「・・・はい」


「ねえ、ホントにわかってる?」


「早坂さん、近い」


「では、それを踏まえて本題に入ろう。単刀直入に言うが、妖怪の仕業だと思われる事件が立て続けに起きている。そこにきみ達で行って確認してきてほしいんだ」


「そうだとは思ったが。事件とは?」


「とある公園で、利用した子供達が相次いで怪我をしているんだ。被害にあった子供の話によると、こうだ。滑り台で遊んでいたら、突然誰かに背中を押された。ブランコを漕いでいたら、何かに背中を引っ張られた。砂場で遊んでいると、突然足に痛みを感じ、確認するとそこには引っ掻き傷があった。そして子供達が口を揃えて言うのは、"誰もいなかったのに"」


「話だけ聞いてれば、間違いなさそうね」


「ああ、幸い死者は出ていないが、確認を急いだほうがいい。その近くには頼める人間が誰もいなくてね、少し遠くなるが宜しく頼むよ」


「場所は?」瀬野さんがメモを取る為、携帯を出した。


財前さんが襟元から紙を取り出し、テーブルに広げる。

「ここから100キロほど南下した所にある、湯石町(ゆせきちょう)という小さな町だ。そこにある、これは・・・なんて読むべきか」


「蓮子向(はすむかい)。蓮子向公園です」


3人が一斉にこちらを向く。


「雪音ちゃん、知ってるのかい?」


「子供の頃、住んでいた場所です」


「・・・そうか。それはまた、不思議な巡り合わせだね」


驚くより先に、拒絶が来た。──あそこに、行くのか、わたし。


「中条、前に、ガキの頃住んでいた近所の公園で妖怪が友達に怪我をさせたって言ってたよな?」


「はい、わたしもそれを言おうと思ってました」


「その公園かい?」


「そうです。耳が生えた、小さな女の子でした」


「引っ掻き傷だろ。お前が見たその化け猫かもしれんな」


「・・・あの、妖怪って、同じ場所にずっと居続けたりするんですか」


「そうだね・・・そうである奴もいれば、そうじゃない奴もいる、かな。化け猫は縄張り意識があるからね、あまり移動はしないはずだが。こいつのように転々と移動する奴もいる」そう言いながら、財前さんは自分の右腕に触れた。あの、アザがある場所を。


「・・・そうなんですか」


「でも、被害の報告は最近になっての話よね?どうしてかしら」


「そこに居るのが、雪音ちゃんが見たという化け猫と同じだとすれば、年月を経て凶暴化している可能性もある。もしくは、別の何かか・・・」


「なんにせよ、確かめる必要があるという事だな」


「もう1つ、聞きたいんですが、妖怪はその・・・成長するんですか?歳をとるという意味で」


財前さんは袖に腕を通し、何か考え込んだ。

「そうだね、それに関しても、両方だ。そのままの姿で生き続ける者もいれば、人や別の妖怪を喰らい大きくなる者もいる。妖怪によって、成長するスピードや具合が違うんだ。申し訳ない。僕も長年生きているが、明確な事は言えないんだ」

笑ったあとに伏目がちになるのも、やっぱり、財前さんだ。



「それで、いつ行く?」


「・・・アンタはもう少し会話の流れを読みなさいよ」


「何がだ。今、一旦区切りがついただろう」


「その区切りを読めって言ってるの」


「ここでとやかく言ったって、行って確かめない事には何もわからないだろう」


「その通り、その通りだけど、よ」


「そうですね。行って確かめないと」みんなにというより、自分に言い聞かせた。


早坂さんの手が一瞬、頭に触れる。これは、なんのポンだろう。


「明日にでも行ってみるか?急いだほうがいいだろう」


「あたしは構わないけど、問題は時間よね。子供達が遊ぶ時間に現れるなら、明るいうちに行っほうがいいかしら」


「そこを縄張りにしてるなら、夜でも現れるんじゃないか。昔俺んちで買ってた猫は夜になると活発に動いてたぞ」


「そりゃあ普通の猫の話でしょうが。まあ、確かに、子供達が居ない時のほうが動きやすくはあるわね」


「しかし、移動時間を考えると中条の仕事が終わってからでは、ちと微妙だな。今回は2人で行くか?」


「休みます」


「そうか。遊里、何時にする」


「えっ!いや、違くて!仕事を休むってことです!わたしも行きます」


「無理しなくていいのよ?」


横目で早坂さんを睨んだ。この人は、ただ連れて行きたくないだけだ。


「大丈夫です。人も増えたので」一真くん、明日はバイトに入るんだろうか。早急に確認せねば。


「決まったようだね。ちょっと待ってなさい」そう言って立ち上がると、財前さんは部屋から出て行った。


「それで、時間はどうする。念の為、日が暮れる前にと考えれば、3時には出たいな」


「オーケー」


「どっちが車を出す?」


「あたしのでいいわよ」


「別に俺のでもいいぞ」


「嫌よ。アンタ、ラジオしか聞かないし」


「何が不満なんだ。最新の情報が入ってくるだろ」


「世の中には、携帯という物がありますから。長距離なら尚更、歌が不可欠よ」


「あの何言ってるかわからん音楽の何がいいんだ。ニュースのほうがマシだろ」


「洋楽です。あたしは意味わかるもの」


2人が漫才をしている間に、わたしは一真くんへ連絡する。明日は出ますか?と聞くと、すぐに返信があった。

出ますよ。何かありました?

急用で休みを貰いたいと伝え、次に店長にメールをする。同じ旨を伝えると、了解。一真くん出るから大丈夫だよ。と返事が来た。

春香には、明日にでも連絡すればいい。

とりあえず、休みは確保出来た。


「・・・ギャッ!」驚いたのは、わたしの肩に早坂さんの顎が乗ったから。いや、近い近い。

「なんですか」


「誰に連絡してるの?」


「業務連絡です。明日の休みの」


「大丈夫そう?」


「はい、一真くんのおかげで休めます」


「何かっていうと、一真くんねえ」


「はい?」


財前さんが戻って来て、早坂さんが離れた。財前さんは座りながら小さな紙袋をテーブルの上に置いた。それを、私の前に差し出す。


「なんですか?」


「プレゼントだ」


「えっ!わたしに?」


財前さんが微笑みながら頷く。「開けてみなさい」


なんだろう・・・中を覗くと、そこには蓋付きの立派な木箱が1つ。袋から慎重に取り出し、ドキドキしながらその蓋を開ける。


「うわっ・・・綺麗・・・」


取り出した水色のグラスは、キラキラと光を放ち、そのガラス全体に繊細な模様が切り込まれている。まるで、万華鏡みたいだ。


「どうだい?気に入ったかな?」


「あ・・・はい!メッチャ綺麗です!・・・でも、わたしが頂いていいんですか?すごく高そう・・・」


「昔作った物なんだがね。やはり、その色はきみにぴったりだ」


「色、ですか・・・・・えっ、作った?」


「雪音ちゃん。財前さんはね、有名な工芸家なのよ」


2人の顔を交互に見た。──これを、財前さんが?


「昔の話だよ。今はもう引退した身だ」


「・・・凄い」それしか言葉が出てこない。一つ一つの模様を見ても、人の手で作った物とは思えない。

「嬉しい。ありがとうございます。これでビール飲みます!」


財前さんがハハッと高い声を上げた。「ビールか。いいね」


「・・・すみません。もっと特別な時に使います」


「なんでだい?きみの好きにするといい。作り手としては、使ってくれるほうが嬉しいものだよ」


「じゃあ、最初はビール飲んじゃいます」


子供の顔だから尚更なのか、財前さんはとても嬉しそうに笑っていて、わたしまで嬉しくなった。

明日の事を考えて、少し気が滅入っていたけど、このグラスに元気を貰った。我ながら、単純だけど。




その日はそれで、解散となった。

初めてわかったのだが、わたしの家には瀬野さんの方が近いらしく、瀬野さんが送ると買って出てくれたが、早坂さんに楽しみを取るなと、却下されていた。瀬野さんはいつものように呆れながら、最初に帰路についた。



「雪音ちゃん、ちょっとそれ貸して」


車に向かう途中、早坂さんが言った。


「え?あ、これ?」


言われたまま、財前さんから貰った紙袋を渡す。ただ持ってくれるものだと思って油断していたら、突然、足が地面を離れた。


「わっ!ちょっ・・・早坂さん!」


「ホッホッホッ、よし、行くわよ!」


早坂さんはわたしを肩に担いだまま、下り坂を走り出した。


「ギャ───!!」


早すぎて、逆ジェットコースターのようだ。一瞬で駆け抜け、あっという間に車へ辿り着いた。早坂さんがそっとわたしを降ろす。

地面に着地した足に力が入らず、よろついた。


「わっ、ちょっと、大丈夫!?」


── 大丈夫って、誰のせいだ。


「おーい、雪音ちゃん?・・・やりすぎたかしら」


「ぷっ・・・ククッ・・・アハハハハ」


なに今の、面白すぎたんですけど。

子供の頃を、思い出した。休日になると、寝坊するわたしを父さんが起こしにきて、肩に担いで階段を駆け下りる。それが楽しくて、寝たふりをした時もあったっけ。


早坂さんは最初キョトンとしていたが、ホッとしたように笑った。「良かった。怒られるかと思ったわ」


「怒ってます」


「ええ!?」


「楽しかったけど、ビックリするんで、もうやらないでください」


早坂さんは眉を上げて笑った。「わかった。忘れた頃にやるわ」


「いえ、2度とやらないでください」


「あなたが怒らない限りやるわ」


「・・・怒ってるって言いましたけど」


「そお?」


「・・・乗るんで、鍵を開けてください」


早坂さんは笑いながら助手席のドアを開けた。

「はい、どーぞ」


「1人で開けれますけど」


わたしが乗るまで動かないのはわかっている。グリップに手を掛けようとしたその時、「どわっ!」またもや身体が宙に浮いた。そのまま、ポスンとシートに下ろされる。


「さっ、行きましょうか」


わたしが講義する前に早坂さんはドアを閉め、運転席へ回った。

今度はお姫様抱っこか。また、父さんを思い出した。子供の頃、父さんが乗っていた車も車高が高く、いつもこんな風に抱っこして乗せてもらっていた。


運転席に着いた早坂さんは、しれっとエンジンをかけ、車を走らせた。



「・・・無言が怖いわね」


「怒ってるアピールです」


「ふふ、口でアピールしちゃうのね。でも、元気出たみたいで良かったわ」


「え?」


「明日、無理に行くことないのよ?」


「・・・わかりましたか」


「あなたはわかりやすいもの」


自覚があるだけに、何も言えない。「あそこには、何年も行ってなくて。ずっと避けていた場所だから・・・正直ちょっと怖いと思いました。あ、公園の話ではないですよ」


「ええ」


「・・・でも、行かないのも嫌なので」そうしたら、後から後悔するのはわかっている。


「あたしはあなたの意思を尊重するわ。後悔のないようにしなさい。もし後悔しても、あたしがついてるわ」


── 不覚にも、少し泣きそうになった。

この人は、いつもわたしを見抜き、それでいて何も聞かず、いつの間にか安心させる。


「ありがとうです・・・早坂さんって、お父さんみたい」


ゴツンと鈍い音がした。早坂さんの頭が窓に当たっている。


「大丈夫ですか・・・?」


「大丈夫じゃないと思う。お父さんね・・・」


「わたしが言いたいのは、安心できるって意味です。早坂さんがそばにいると」


早坂さんがこっちを向いたのはわかったが、わたしは窓の外に目を向けた。


「気が合うわね」


「え?」


「あたしも、半径1メートル以内にあなたがいると安心するわ」


── それって、小さな子供に対する親の言い分では?そして近すぎでは?

おかしくなって、笑みが出た。


「せめて、3メートルにしてください」


「間を取って2メートルはどお?」


いや、そんな真剣に考えなくても。まったく、どこまで本気で言ってるのか・・・。今度は呆れ笑いが出る。


「じゃあ2メートルで」


「言ったわね」


「・・・え"」


「これからは、半径2メートル以内にいること。約束よ」


この笑顔が、怖い。「努力します・・・」


「2メートル以上離れる度にお尻ペンペンの刑よ」


「あはは。それって、傍から見たらセクハラになると思うんですけど」


「そおねえ・・・何か考えとくわ。おしおき」


笑顔でおしおきを考える人って、怖い。






家に着いたのは、10時半を過ぎていた。

寝るにも早いしと、冷蔵庫を開ける。缶ビールと酎ハイが1本ずつ。これを飲んで寝たら、時間的にちょうどいいな。

なんて言いながら、本当は、このコップを使いたいだけなんだが。

テーブルに置き、部屋の照明を最大に明るくする。いろんな角度から写真を撮り、見栄えが良い物を壁紙に設定した。


冷凍庫で10分冷やしたビールをグラスに注ぎ、また写真を撮る。


グラスに手を合わせ、財前さんに感謝しながら1口いただく。はずが、引き際がわからなくなって、一気に飲み干した。


「きゅい〜〜〜」これぞ、至高の1杯。もう明日死んでもいい。──・・・明日か。死んでられないじゃん。

あそこに行くのは、何年振りだろう。イマイチ、実感が湧かない。イマイチ、自分の感情がわからない。

わかっているのは、自分の感情より優先すべき事があるということ。それに専念するんだ。


"あたしがついてるわ"


その言葉が、魔法のようにわたしを包み込む。


そう。やるべき事を、やるだけだ。













「良い天気ねー、風が気持ちいいわ」


「晴れて良かったですね」


只今15時40分─。

清々しい青空の下、わたしの地元に向けて移動中である。午前中は曇り空だったが、午後になって太陽が顔を出した。


「おい、なんで窓開けてるんだ。暑いだろう」


「空気の入れ替えよ。自然の風が気持ちいいじゃない」


「生ぬるい風がこっちに来る」


「アンタ、暑いのほんとダメよね」


「基本的に夏は無くていいと思ってるからな」


「えー、わたしは夏好きだけどな」


「あたしもよ。寒いよりいいわよねえ」


「何がだ?汗はかくし、良い事ないだろう」


「メッチャ寒いよりは、メッチャ暑いほうがいいです」


「寒ければ着込めばいいだろう。暑いのはどうにも出来ん。熱中症で死ぬ人間もいるくらいだからな」


「まあ、確かに」


「だから性格も冬なのよ、アンタは」


「どーゆう意味だ」


「暗いってこと」


噴き出しそうになるのを堪えた。


「ほっとけ」


今日の早坂さんは、ゆったりとした黒のTシャツに同じく黒のパンツ、白いスニーカーだ。

瀬野さんは白い半袖シャツに濃色のジーパン。

わたしはいつも通り、黒いTシャツに黒いパンツ、白いスニーカー。そう、まさかの早坂さんとかぶった。着ている物は早坂さんのほうが何倍も高そうだけど。


迎えに来た車に乗った瞬間、お前らバカップルみたいだぞと瀬野さんに言われ気まずかったが、早坂さんはお礼を言っていた。



心地良い車の揺れと流れる外の風景を見ていると、無性に睡魔が襲ってくる。

そう、これはこの状況がそうさせているだけで、決して昨日の寝不足が原因ではない。


「遊里、もう少しスピード出せないのか?」


「無理よ、下道なんだから。順調に来てるか急ぐ必要ないわよ」


「しかし、走るにつれて田舎になっていくな」


2人が何か言ってる・・・でも、わからない。

ああ、きっといつもの漫才だ・・・。








「雪音、お母さんに、何かおかしい所はなかったか?一緒にいて、様子が変だと思った事は?」


「わかりません」


「ちょっとした事でもいいんだ。何か、いつもと違うと思った事は?」


「貴史、やめろ」


「・・・でも母さん、何かなければ、幸江はこんな・・・」


「お前の嫁は真っ青な顔でトイレに駆け込んでからしばらく経つぞ。見てきてやれ」


「あ、ああ・・・」





───「雪音」


「わかんない」


「いい。何も言わなくていい。言わなくていい」


「わかんないんだよ」


わたしは何してるのか、何処なのか、現実なのか、夢なのか、生きてるのか、全部、わからない。


唯一感じるのは、手の感覚。

おばあちゃん、そんなに強く握ったら、痛いよ。







「おはよう」


「・・・あ」


「寒くない?」


「・・・ごめんなさい、寝ちゃってた」知らぬ間に、首までブランケットがかけてある。


「どして謝るの?」


「わたし、どれくらい寝てました?」


「んー、30分くらいかしら」


「・・・絶対寝ないつもりだったのに」


「その意地はどこからくるの?」


早坂さんの笑った顔を見て、ホッとした。

まさかここでこんな夢を見るなんて、本当、どこまで単純なんだわたしは。


「少し窓開けてもいいですか?」


「どうぞ?」


瀬野さんの返事がないため後ろを見ると、「あ、寝てる」


「最初は座って寝てたけど、堂々と横になり始めたわ」


「アハ。寝てるところ初めて見ました」


「寝てても仏頂面は変わんないでしょ」


「・・・確かに。うなされてるようですね」


窓開けたら起きちゃうかな。と、思っていたら、ウイーンと勝手に開き始めた。


「瀬野さん、暑くて起きないかな」


「起きてもいいわよ。風に当たれば頭もスッキリするわ」


──どういう意味だろう。

もしかして、うなされてた?寝顔見られていたとしたら、凄い嫌なんですけど。



車は順調に進み、景色は徐々に、記憶にあるものへと変わっていく。


「あ・・・」昔、母さんとよく行ったスーパーが見えてきた。

あの頃より、外壁が少し色褪せている。そこに向かって歩く、お母さんと小さな子供も見えた。


わたしもよく、あんな風に手を繋いで行ってたな。おやつは1個だけと言われ、お菓子コーナーでしばらく迷ってたっけ。

懐かしさが込み上げる──でも、そのあと決まって、胸が締めつけられる。


「わっ」突然、頭をわしゃわしゃされる。


「懐かしい?」


サイドミラーで乱れた髪を直す。「はい・・・ここまで来ると覚えてます」


「静かで良い所ね」


「田舎、とも言いますけどね」


「着いたか?」


瀬野さんが席の間から顔を出した。まさに寝起きの顔だ。


「おはようございます。間も無くです」


「1時間も寝てたか。腰が痛い・・・シートに難ありだな」


「あらやだ!この人、グースカ寝てて人の車にケチつけてるわ!」


「中条が起きるから喋るなって、お前が言ったんだろう。寝る以外ない」


「・・・すみません。あ、早坂さん、あの信号を右折してください。そうすると団地に入るんで」


「りょーかい」



車線の無い道路をゆっくり進むと、また懐かしい景色が見えてきた。小学生の時、友達が住んでいたマンションだ。何回か遊びに行ったな。その隣にあった小さな食堂は、建物が無くなっている。遊びに行った帰りにあそこを通ると良い匂いがして、グーグーとお腹が鳴っていたのを思い出す。


「あの奥に見えるのがそうです。駐車場も無いんですけど、手前に停めれるんで」


「あいあい」


早坂さんはわたしの言う通り、公園入口にあるアーチ型の柵の前に停車した。ここなら車もすれ違えるから大丈夫だろう。

車を降り、3人で敷地内へ入る。



「誰もいないな」


「5時過ぎてますからね。子供達は帰ってると思います」


「・・・5時でか?」


「え?はい、わたしも小学生の時はそうでしたよ。昔は5時を知らせる放送が鳴ってたけど、今はどうだろ」


「ずいぶん早いな」


「そんなもんでしょ。今は明るいけど、冬場になると5時なんてもう暗いわよ。お子ちゃまはお家へ帰るじ・か・ん」



──懐かしさを感じない理由が、わかった。

遊具が変わっている。4連だったブランコは2連になり、滑り台もあの頃より小さくなっている。配置場所も、あの頃とは全く違う。

まあ、20年近くも経てば、そうなるか。


「何も居ないし、感じないな。子供達が遊んでないと現れないんじゃないか」


「遊べばいいのよ」


「・・・誰が」


「あたし達よ」


「どうやって」


「なんでもあるじゃない。ブランコに滑り台に鉄棒に、──こうやって見ると、ないわね」


「いい大人が滑り台ってか。それこそ不審者だろ。俺はやらんぞ」


「まあ、あたし達ではそうなるかもしれないけど・・・」


早坂さんがニコリとわたしを見た。


「えっ」


「可愛い子がやったら問題ないわよ」


「わたしもいい大人ですが」


「言葉通り大の男が遊んでる姿、見たい?」


2人が滑り台を滑る姿を想像しかけて、すぐに消し去った。

「わたしがやりますかね・・・」


「ふふ、じゃあ何からやる?」


なんか、楽しそうなんですけど。「あの鉄棒、昔はもっと低かったんですよね」


「雪音ちゃん、逆上がり出来る?」


思わず、溜め息が出た。「愚問ですよ?」


早坂さんがニヤリと笑った。「お手並み拝見ね」


「俺は座ってる」そう言い、瀬野さんは辺りを見回しながら隅にあるベンチへ移動した。



鉄棒は2段階の高さになっている。高いほうは2メートルくらいあるので、低いほうの鉄棒で華麗に一回転を決める。


「おおー、凄い」


早坂さんから拍手を頂いた。「大袈裟な。これくらい誰だって出来ますけど」


「あら、そんな事ないのよ?無駄な動きもないし、この高さで軽々とやってのけるんだから大したもんだわ」


そこまで言われると、悪い気はしない。

逆上がりなんて、中学生以来だろうか。身体は覚えているものだ。

ふと、思い出した。あれって、どうやるんだっけ。


「雪音ちゃん?」


高いほうの鉄棒にぶら下がり、片足をかけ、スイングの勢いで上に上がる。そのまま怖気付かず、勢いをつけて後ろに回転だ。思ったより勢いがつきすぎて3回転くらいしてしまったが、成功した。


「ふぅ・・・ヤッタ」


わたしを見上げる早坂さんは、ポカーンとしている。

「なんとまあ・・・お猿さんみたいね」


「昔、友達と何回転出来るか競争してたんですよ」


「負けた事ないでしょ?」


「1回も」


早坂さんはクスクスと笑いながら、わたしの真下へやって来た。


「・・・あの、下りるんで退いてください」


「受け止めてあげるわ」笑顔で手を広げる。


「いりません。自分で下りれます」


「いいから、ほら。腕が疲れるわよ」



すでに疲れてきている。ていうか、瀬野さんも見てるんですけど。

この人に抵抗するだけ無駄なのはわかっているから、大人しく観念する。鉄棒から足を外し、身を預けた。


「・・・下ろしてください」


「あいあい」早坂さんは、満足そうだ。ゆっくりとわたしを下ろす。


気恥ずかしさを誤魔化すべく、早足で滑り台へ向かった。

階段を上り、滑り落ちる。それを無言で5回繰り返した。横には、親のように見守る早坂さん。なんなんだ、この絵は。

滑りながら周りを注意して見るが、ソレらしきものは見当たらない。

いい加減いたたまれなくなって、ブランコへ移動した。


2人並んで、ゆる〜くブランコを漕ぐ。


「・・・出ませんね」


「そうねえ」


「楽しみ方が足りないのかな」昔わたしが見たあの子は、はしゃぐ子供達の近くで楽しそうにジャンプしていた。


「もっと楽しそうにしてみたら?」


「んな無茶な・・・」


早坂さんはブランコから降りると、わたしの後ろへやってきた。


「しっかり握ってて」


そしてわたしの座板を掴み、後ろに引き上げ、離した。


「おおっ!」何度か背中を押され、あっという間に高く舞い上がった。そのまま助走をつけて思い切りジャンプした。着地、パーフェクト。


「おおー、凄い!かなり飛んだわよ」


「これも負けた事ないです」


段々、楽しくなってきた。今度は立ち漕ぎをしてみる。限界まで勢いをつけ、大ジャンプを決めた。つもりが──あらっ?思いのほか飛びすぎて、空中でバランスを崩した。着地の際、咄嗟に身体を捻りながら前転し、衝撃を和らげた。

ある意味、パーフェクト?



「ちょっと大丈夫!?」早坂さんが駆け寄り、わたしを立たせた。わたしの代わりに服についた土をパンパンと叩く。


「あービックリした」


「こっちのセリフよ!ヒヤヒヤさせないでちょうだい・・・飛びすぎよ!」


「でも、楽しいな。もっかいやっていいですか」


「ダメよ!」


「・・・着地決めたいんだけどな」


「体操選手じゃないんだからやめなさい!むしろ、着地に関しては10点満点よ」


「空中でバランス崩しちゃって、危なかった」


「よく受け身取れたわね。もしかして初めて?」


「はい、身体が勝手に動いてました」


「まさに野性本能だな」

いつの間にか、瀬野さんがそこにいた。

「俺から9時の方向。一斉に見るなよ」


「え?」


「雪音ちゃん、さりげなく確認してみて」


「えっ・・・ああ・・・」意味を理解した。しかし、さりげなくってどうすれば?背伸びをしながら、瀬野さんから9時の方向、つまり、左に身体を向けた。


すぐに、わかった。敷地内にある植栽を囲む円形のベンチ。そこに、座っている。


──驚いた。あの子だ。

あの日、未来ちゃんと遊んでいたこの場所で会った、耳の生えた女の子。

あの時と、まったく同じ姿形をしている。


「中条、凝視するな」


「あ・・・すみません」


「ずいぶん小さいわね。あなたが子供の頃見た化け猫って・・・」


「同じ子です。間違いなく」


「そうか。追いかけても、逃げられるだろうな。おびき寄せるか」


「どうやって・・・ですか?」


「お前らがイチャついてたら姿を現したんだ。引き続きやれ」


「・・・イチャついてはいないですけど、遊んでればいいんですよね」再び、ブランコへ向かう。


「あなた、それにかこつけてさっきのリベンジするつもりでしょう」


「そんな事を言ってる場合ですか?今は、楽しんでる素振りを見せないと」


ブランコに、しっかりと足を掛ける。


「やっぱりそうじゃない」


助走をつけながら女の子に目をやると、こちらを見ながら足をブラブラしている。表情までは、見えない。

さっきと同じように、ここぞというタイミングで座板を蹴り上げ、鳥になった(気持ちは)。


早坂さんが受け止め体制に入ったのはわかったが、同じヘマはしない。

先程より遠くに、かつ着地も完璧に決めた。


早坂さんから「ひゅ〜」と、本日2度目の拍手をいただく。

「もう言う事ないわ」


「アレに似てるな・・・モモンガ」


モモンガ?受け止め方が、わからない。


──と、その時、動きがあった。

ベンチに座っていたあの子が、踊るようにスキップしながらこちらへ向かってきた。そして、サイドにあるブランコの支柱に、ぴょんとしがみつく。


わたし達の様子を伺っている。

瀬野さんが目で合図した。わたしがブランコに戻ると、女の子はサッとその場から離れた。でも、遠くには行かない。警戒してる?


今一度、ブランコを漕ぐ。もう披露できる技がないんだが、どうしよう。とにかく、漕ぎ続けるか。

早坂さんも隣に座り、足をつけたままゆっくりと動く。


すると、少しして女の子が戻ってきた。


「キャーキャッキャッ」


小さな身体から発しているのは思えない、耳をつんざくような金切り声。あの頃と同じだ。


見ないようにしたが、わたしのすぐ横で飛び跳ねているのがわかった。

襲ってくるだろうか。そうじゃないと困る。その時を狙って掴まえる。来い。

瀬野さんもゆっくりと距離を縮める。



そして、その時がやってきた。

わたしが前に高く上がったタイミングで、女の子がジャンプし、わたしの背中にしがみついた。

そのまま後ろに引っ張られ、落ちる──と見せかけて、くるりと宙返りをした。

着地する前に、女の子の腕を掴んだ。


大きく見開いた目は、赤く染まっている。これもあの頃と同じだ。女の子は暴れる様子も見せず、ジッとわたしを見つめた。


「また会ったね。覚えてる?」


言葉が通じたかのように、女の子はニタァと笑い、鋭い牙をのぞかせる。そして、みるみる伸びる爪をわたしに見せた。


あの頃と同じだけど、今のわたしは怖くない。

早坂さんが後ろから、わたしが掴んでないほうの腕を掴んだ。ここで、驚いたように金切り声を上げる。女の子は腕を掴むわたしの手に噛みつこうとしたが、早坂さんが頭を押さえた。


「悪い子ね」


この小さな女の子を制御するなんて、いとも容易い事だ。それでも、普通の子供よりは力が強い。気を抜けば、痛い目にあうだろう。


「どうして人を襲うの?そうじゃなければ・・・」


「言ったところで無駄だ。伝わらんぞ。それに、最初から目が赤かった。凶暴化してるんだ」


瀬野さんが女の子の前にしゃがむと、女の子は威嚇するように金切り声を上げた。


「悪いな。子供でも、危害を加えている以上、始末するしかない。中条、お前がやるか?」


──もしかしたら、この子はただ、みんなと遊びたかっただけなのかもしれない。誰も気づいてくれず、1人ぼっちで、普通の子供が感じるように寂しかったのかも。それが、この子をこんな風にさせてしまったのかも。

どうしても、そんな風に考えてしまう自分がいる。


「いえ。わたしはちょっと、出来そうにないです」


「中条、お前のナイフをよこせ。小さいので十分だ」


「あ・・・はい」空いているほうの手でボディバッグからナイフを取り出し、瀬野さんに渡す。


「いくぞ」


瀬野さんが心臓にナイフを刺す瞬間を、わたしは見れなかった。次に目を開けた時、女の子は固まり、白くなっていた。

そして、あの大ムカデの時と同じように、塵になって消えていく。

わたしは手の中のその子が消えるまで、離さなかった。


ごめんね。生まれ変わったら、友達になろう。




「ほれ」瀬野さんがナイフをわたしに返した。「一件落着だな。とりあえず、財前さんに報告するか」


瀬野さんが電話をしている間、わたしはブランコに座った。

どうも、胸がざわつく。これで、子供達が安心して過ごせるようになったんだから、良かった。わたし達は当たり前の事をした。頭ではわかっているんだけど。


「大丈夫?」


「・・・はい。ただ、妖怪とはいえ子供だったんで・・・少し複雑です」


早坂さんが頭にポンと触れた。「そうね。あたしも同じよ」


──しっかり、しなきゃな。「ふう・・・楽しかったです、鉄棒もブランコも。なんか、童心に帰りました」


「ふふ、そうね。あたしも見てて面白かったわ」


「今度、勝負しましょう」


「勝負?」


「どっちが遠くまで飛べるか」


「あら、言っとくけど、あたし運動神経はいいのよ?」


「でも、負けない自信があります。負けたら・・・ご飯奢りますね」


早坂さんは、アハハと笑った。「それは、意地でも負けられないわね」


瀬野さんが財前さんとの電話を終わらせた。「よし、帰るか。財前さんがお前達にも宜しく伝えてくれだと」


「いい感じに暗くなってきたわね。さっ、帰りましょうか」


「だから、今俺が言っただろう、帰るかって」


「・・・始まった。同調しただけでしょうが」


「言い方の問題だ」


「はいはい、あたしがわるーございました」


「・・・あの、1つ、お願いがあるんですが」


2人がわたしを見る。「なあに?」


「ちょっと、寄り道してもらってもいいですか?時間は取らせないので」


「オーケー。じゃあ、道案内ヨロシク」









公園からは、徒歩で10分弱。あの頃、子供の足でだ。車では1曲も終わらないうちに着いた。目の前ではなく、少し手前に停めてもらった。


あの家が、もう無い事はわかっていた。目に映るのは、全く知らない建物。

でも、わたしには、あの頃住んでいた家に見えた。

車から降りると、早坂さんと瀬野さんも一緒に降りた。


「何かあるのか?」2人がわたしを囲むように並ぶ。


「前に住んでた所なんです。もう新しい家が建ってるけど」


「取り壊したのか」


「もともと貸家だったんですけどね。母さんが死んで、わたしはすぐ祖母の家に行ったので、それ以来初めて来ました」


「親父さんは?」


「母より先に亡くなってます」


「そうか」


別に、何がしたかったわけではない。本当は、来るのもやめようと思っていた。あの頃住んでいた家があるわけでもないのに、行ってどうするんだと。でも、実際来てみると、素通りする事が出来なかった。



「ただ、見てみたかっただけなんです。今はどうなってるかなぁって。気が済みました、行きましょうか」


「まだいいのよ?」


「いえ、不審者になりたくないし」


車に戻ろうとしたその時、隣の家の玄関のドアがガチャっと開いた。



───あ、"マズイ"。



「雪音ちゃん?」


中から出てきたその女性は、エプロンにサンダル姿でわたしの元に駆け寄って来た。


「雪音ちゃんでしょ?」


「・・・おばさん、お久しぶりです」


おばさんはわたしの目を見つめ、両手をぎゅっと握った。「やっぱり!窓から見て、そうじゃないかと思ったの!びっくりしたわ・・・こんなに美人さんになって・・・」


「あは。おばさんも変わってないですね」


「何言ってるの、もうすっかりおばあちゃんよ。あなたの事はね、たまにお父さんとも話してたのよ。今頃どうしてるのかなって。おばあちゃんの家に居たのよね?どうしてここにいるの?」


相変わらず、マシンガントークだ。


「ちょっと、こっちのほうに用事があって。ついでに寄ってみたんです」


「そう。うん、うん。あなたの事ね、心配してたのよ。お母さんがあんな事になってから・・・」


「おばさん。わたしは見ての通り元気だよ」ニコッと笑って見せた。


「うん・・・そうね、そうよね。本当、立派になったわ。よかったら、少し寄っていかない?そちらの2人も・・・」


「ううん、夕飯時だし、わたし達も急いでるから。また遊びに来るよ」


「そう・・・うん、わかったわ。雪音ちゃん、"ちゃんと"元気にしてる?」


「さっきも言ったでしょ?元気だよ」


「うん、うん。いろいろ大変だと思うけど、頑張りなさいね」


おばさんは、わたしをぎゅっと抱きしめた。慰めるように。わたしもおばさんの背中をポンポンする。


「うん、ありがとう」


おばさんは最後にわたしの手をギュッと握りしめ、頷き、家へと戻って行った。



「・・・すみません。隣のおばさんです」


「だろうな。よし、行くか」


「はい」



まさか、ここで会うとは。

おばさんとも、母さんが死んで以来だ。

あの時は、わたしより泣いてたな──と、思い出しておかしくなった。

まるで、わたしが"不幸な子"のように、わたしに気を遣い、わたしの顔を見て泣いていた。

大丈夫、頑張れと何百回言われただろう。その言葉を聞く度に逃げ出したくなった。


車に乗ろうとすると、突然、大きな身体がわたしを包み込んだ。


「えっ・・・早坂さん?」

身動きが取れないほど、強くホールドされる。

「・・・あの・・・」


10秒程して、解放された。見上げるわたしと、見下ろす早坂さん。


「・・・なんですか?」


「あのおばさんがやってたから、あたしも」


なんだそりゃ。意味不明すぎて笑いが出た。


「さ、帰りましょうか」


わけがわからない。──でも、"上書き"されたようで、不思議と気が楽になった。







帰りは絶対寝ないと思っていたが、暗闇とBGMに負けてしまった。


でも、久しぶりに良い夢を見た。

学校から帰ると、母さんが夕飯の支度をしていて、匂いで今日はカレーだとわかった。父さんも今日は早く帰れるからと、お腹を空かせて待っていると、ケーキをお土産に帰って来た。中身は、わたしが好きなチョコクリームのケーキ。

食後、みんなでケーキを食べながら体育の授業で褒められた事を言うと、父さんは誇らしげに喜んでいた。雪音の運動神経は父さんに似たんだと。

そんな他愛もない会話が嬉しくて、嬉しくて、ずっと続けばいいと思った。


一瞬目を開けた時、早坂さんの手を頬に感じたのは、涙を拭ってくれていたのかもしれない。

でも大丈夫。泣いていたとしても、これは嬉し涙だから。


お願いだから、このまま良い夢を見させて。

3人でいる夢を。そう願いながら、また眠りについた。













































































































































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