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第九章 【好意と疑問】



只今20時30分─。

イタリアン酒場TATSUは、本日も大盛況である。


「雪音!2番テーブルに生4つお願い!」


「あいさー!」


「パスタ上がったよ〜」


「俺行きまーす!」


「あっ、雪音!それ終わったら山本さんのチェックよろしく!」


「あいー!」


山本さんとは、店の常連客である。週に1度、仕事終わりに来店し、カウンターでピザとビールを注文するがお決まりだ。メニューには無い山本スペシャルというピザも存在するほど、ピザをこよなく愛するおじさまなのだ。寡黙な人であまり会話はないが、忙しい時は店の状況を見て注文してくれるから、わたし達従業員は非常に助かっている。


「雪音さん、俺ビールやるんでチェック行ってください」


「あ、ありがとう一真くん」



伝票を持って行くと、山本さんが微かに笑っていた。「いつもありがとうございます。どうしたんですか?」笑いがわたしにも移る。


「いや、男手あると違うね。今まで2人で大変そうだったもんね」


「そうなんですよ。もうだいぶ助かってます」


「見送らなくていいから。頑張ってね」


「ありがとうございまっす!」


「雪音!3番テーブルにハイボール2と赤2!あとお冷4!」


「俺やります!雪音さん、カウンターの片付け願いします」


「・・・うっす!」


一真くんは、力仕事を率先してやってくれる。ありがたいけど、気が利きすぎて逆に申し訳ない気持ちになる。俺の事はバンバン使ってくださいと言うが、その前に自分から動くから何も言う事がない。


営業終了後も、疲れた顔ひとつせず手際良く片付けをこなし、気づけば綺麗になっている。

とにかく、一真くんが居る日は全てが時短で終わるということだ。



「毎日入ってくれればいいのに」洗い物をしたがら、春香が囁いた。視線の先には、テーブルを拭きながら店長と談笑する一真くん。


「激しく同感だけど、本業は学生だしね」わたしは隣で拭き係に専念する。


「惜しい・・・惜しすぎる・・・学生じゃなかったらっ・・・」


「なんの話だ」


「顔良し、性格良し、身長良し、全てが揃ってるのに・・・」


「なんで学生かって?」


「そうよ。まあでも、この前の早坂さんの連れのほうが良い男ね。大人だし」


「瀬野さん?」


「あの人、何してるの?女いる?」


「・・・知らない」早坂さん以上に、瀬野さんの事はよくわからない。


「聞いてみて」


「今度は瀬野さんかっ!・・・無理。そーゆう感じでもないから」


「なにが?」


「なんか瀬野さんって、何考えてるかわかんないっていうか、そーゆう事聞ける感じじゃない」


「そこがいいのよねえ・・・あの仏頂面を笑わせてみたいわ。あたしの力で」


目がマジだ。「一真くんも、いずれは社会人になるでしょ」


「ダメよ。今の時点で年下は無理。それ以前に、あの子はあたしじゃないし」


「どゆこと?」


「まっ、言わないでおいてあげるわ。やり辛くなるのも嫌だし」


「なにが?」


「しかし、男は単純の方が好きなのかねえ・・・わかりやすいのが良いのかしら」


「・・・おい、なんのことだ」


「ほら、噂の一真くんよ」


なんの噂?「お疲れ様です。店長と飲みに行く話になったんすけど、2人ともどすか?」


「行きまーす!」春香の挙手のせいで、洗剤の泡がわたしの顔に飛び散る。


「ハハッ、雪音さん、顔凄いことになってる」一真くんは、自分のシャツの袖でわたしの顔を拭いてくれた。


「・・・ありがとう」


「雪音さんも行くすよね?」


「あー・・・わたし今日はちょっと、やめとく」私事ではございますが、生理2日目で、倦怠感MAX。


「えー、また断られた。ショック」一真くんは、あからさまに顔を曇らせた。


「いや!行きたいんだけどね、体調が思わしくなくて」


「風邪すか?」


「いや・・・」


「女の子の日だからね。一真くん、許してあげて」


──コノヤロウ!確かに、生理痛の薬を朝貰ったが!だからと言って、そんなにハッキリ・・・言ってくれて、ありがとう。

誤解されるより、まだ生理痛のほうがいい。


「ああ、そうなんすか。じゃあ、無理しちゃ駄目すね。俺、送って行きますよ」


「え?いや、大丈夫だよ。地下鉄で帰れるから」


「今日、金曜すよ?雪音さん、人混み駄目なんすよね?」


情報源はわかっているから、そいつを睨んだが、本人はしれっとしている。


「タクシーもあるから、大丈夫だよ。ありがとね」


「・・・なんか俺、警戒されてます?」


「違ーう!わざわざ送ってもらう距離でもないってこと!大丈夫だから、一真くんはみんなと飲みに行ってきて」


「近いなら尚更、送りますよ。タクシー代も、もったいないでしょ。雪音さんちって確か、地下鉄からすぐの所なんすよね。俺、帰りは電車で戻ってみんなと合流するんで」


人がいない間に、どこまで情報を流してるんだこの女は。今観ている海外ドラマの女スパイを思い出した。表の顔は、カフェで働くごく普通の女性。裏の顔は、諜報機関に所属する腕利きの女スパイ。2つの顔を持つ女。二重人格の女、正に春香そのもの!


──って、ドラマの世界に入り込んでる場合じゃない。

ここまで言われて、断るのもちょっと違うよね。


「じゃあ、お願いしようかな・・・スミマセン」


「全然問題ないっす」笑顔を見る限り、本当にそのようだ。




店を出て、わたし達は二手に分かれた。


「じゃあ雪音ちゃん宜しくね、一真くん。送り狼になっちゃダメだよ〜」


何を言ってるんだこの人は。


「わかんないすけど、頑張ります」


何を?



2人並んで街中を歩きながら、思ったことがある。一真くんは、歩くのが早い。いや、わたしも早いほうだから困りはしないが、早坂さんはもっとゆっくりだ。早坂さんの方がリーチがあるのに、それだけゆっくり歩いてくれていたという事か。──・・・なんで、ここで思い出すかな。


「雪音さんって、身長何センチすか?」


「えっと、167」


「やっぱり、けっこー高いすよね」


「平均よりはね。一真くんも高いよね」


「俺は180です」

やっぱり、あの2人は180ではないな。もっと目線が上だ。「この前、雪音さん迎えに来てた人達も、かなり大きかったすよね」


口に出ていたのかと思い、ぎょっとした。「そうだね、あの人達はいろいろと規格外・・・」


「モデル並だったけど、彼氏じゃないんすか?」


「違うって」


「本当に?」


「嘘ついてどーすんの」


「良かった。なんか、距離感的にそうかなって思ってたんで」


良かったって、なんか、意味深なんですけど。「あの人の距離感は、あれが普通だから」おそらく、誰に対してもああなんだろう。そう考えると、何故かモヤっとする。


「じゃあ、好きな人は?います?」


「・・・いないよ」


「あっ!今、間があった!あやしい・・・」


その間の理由を、わたしが教えてほしい。「わたしの事はいいから!一真くんは?彼女いないの?」


「俺はもう半年くらいいないっすね」


半年って、もうなの?「そっか。一真くんならすぐ出来るよ」


「うわー、俺、全然興味持たれてないし」一真くんが、ガクリと項垂れた。


「え、興味?」


「雪音さん、俺の事、異性として見てます?」


これは、完璧に想定外の質問だった。こういう場合、なんて答えれば?わたしは正直に言う以外、知らない。「異性っていうか、一真くんみたいな弟がいたら、良かったなあ・・・って」


納得してないのは、表情を見てわかった。「弟かあ・・・やっぱり。年下ダメすか?」


「・・・いや、ダメとかじゃないけど」


「社会人にならないと釣り合わないすよね。早く時間経たねーかなあ」


なんか、話が変な方向に行ってるんですけど。話題を変えなくては。「わたし、ひとりっ子だから、兄弟いたらいいなーって思ってたんだ」


「そーなんすか?でも、納得かも。雪音さんしっかりしてるから。上がいると、どうしても甘やかされますからね。わがままになりますよ、俺もそうだけど」


「そーなの?」


「はい、7つ上の姉ちゃんがいます」


ということは、早坂さんと同じくらいか?

──だから、いちいち思い出すなって。


「いいなあ。7つも上だったら、可愛がられたらでしょ」


「はい。ブラコンです」


「アハハ。ブラコンか、一真くん可愛いから、わかる気がする」


「・・・そこはあんまりわかってほしくないんだけどな」


「えっ」余計なこと言った?地雷がよくわからん。


「雪音さんは、弟か妹がいたら、絶対良い姉ちゃんになってたと思いますよ」


「そうかねえ〜」


「はい。最初に会った時、この人、自分の事より人の事に一生懸命な人なんだなって思いましたもん」


「最初に会った時って、店で?」


一真くんが首を振った。「前に、叔父の店で会ってるんですよ。話はしてないから、雪音さんは覚えてないと思うけど」


「えっ!そーなの?」まったく、記憶にございません。


「1年くらい前かな。俺が20歳になったばっかの時、叔父の店で友達と飲んでたら、店長と春香さんと3人で来たんすよ」


「仕事終わりだね。凌さんの所には何回もお邪魔してるから、いつの時かわかんないなあ」


「メッチャ綺麗な人が来たって、今でも鮮明に覚えてます」


ここまでニコニコ言われると、恥ずかしさも感じないものだ。「はいはい、ありがとう」


「これマジッすよ!」


「はいはい。でも、なんで凌さん何も言わなかったんだろ?甥っ子さんいたなら紹介してくれてもいいよね」


「あー」一真くんが、何か思い出したように笑った。「あの時、春香さんがメッチャ荒れてて、それどころじゃなかったんだと思います。たぶん、当時の彼氏の話かな。優柔不断で何も決めれないクソヤローって騒いでたの覚えてます」


「あー・・・そんな事もあったな」後日、春香が酔っ払った勢いで相手にキレて、メールでフラれたんだっけ。


「で、その時、雪音さん見て思ったんです。しっかりした人だなって」


「何を見て思ったのかわかんないけど、わたしはしっかりしてないよ」


「同じ事を何回も言う春香さんの話を、嫌な顔せず聞いてあげるし、店長とか叔父に対するフォローも忘れないし。春香さんがトイレに行く時はちゃんと見守ってたり。すみません、あそこカウンターだけだから、いろいろ見えちゃうんすよね」


「・・・よく見てるね。でも、それは2人が泥酔してるからそう見えるだけで、わたしも結構酔っ払ってるからね。わたしまで春香みたいになったら凌さんから出禁喰らうから、気をつけてるだけ」


一真くんは、ハハハッと笑った。「雪音さんも苦労してますね」


「まあ、お互い様かな。普段わたしも、春香にだいぶフォローしてもらってるから。仕事でもね」


「俺、TATSUのバイトの話受けた時、ソッコーで決めたのは、雪音さんがいたからですよ」


「・・・え」

わたしに向ける一真くんの目が、さっきとは違って見えた。こういう空気は、苦手だ。

「口が上手いねえ」


一真くんの腕が、微かにわたしの腕に触れる。「バイトもあるし、今はこれでいいすけど、俺の言った事は忘れないでくださいね」


何も言えず、それから、一真くんと目を合わせせられなかった。気まずい。逃げたい。一刻も早く、家に帰りたい。感情が先走り、一真くんより先に進んでは歩調を緩めるを繰り返し、やっと、家の近くのコンビニまで辿り着いた。


「ありがとう、一真くん。ここからすぐだから、もう戻って大丈夫だよ。そこ真っ直ぐ行くと地下鉄の駅見えるから」


「大丈夫すか?家まで行きますよ?」


「大丈夫。買い物もあるし。それより、早く行かないと春香から連絡来るよ。時間的に、もう4杯目に突入してるからね」


一真くんは笑いかけて、すぐ真顔になった。「まさかって言おうとしたけど、春香さんならありえますね。この前もそうでした」


「言っとくけど、日々進化してるからね。舐めてかかると、やられるよ?」


一真くんはクッと笑った。「どうやられるんすか。じゃあ、俺は行きますね。雪音さん、気をつけて帰ってくださいね」


「うん、ありがとう」



一真くんを見送り、ドッと疲労感に襲われた。

これだったら、飲みに行ったほうが良かった気がする。なんというか、店での一真くんとは違った顔を見た気がする。

数々の意味深な発言を考えると、──わたしに、好意があるという事?まあ、軽い口調だったし?深く考える必要はないか。

とにかく、今は一刻も早く横になりたい。水買ってさっさと帰ろ。


と、ポケットの中の携帯がブルブルと着信を告げる。この時間にかけてくるのは──当たりだ。


「もしもし」


「もしもし雪音ちゃん?お疲れ様。お仕事終わった?」


「お疲れ様です。はい、終わってますよ」


「ちょっと話があるんだけど、今大丈夫かしら?」


「はい、どうしたんですか?」


「うん、実はね・・・」それから、言葉が途切れた。アレ?電波か?


「もしもし?早坂さん?」


「今、店の入店音鳴らなかった?」


「・・・ああ、今コンビニに寄ったところなんで」


「寄ったところって、歩いて帰ったの?」


あ、マズイ。墓穴を掘った。「違います。いや、歩いては帰ったんですけど、1人じゃなかったので!」セーフだよね。


「1人じゃなかったって、誰と帰ったの?」


「一真くんです。店のバイトの」


「2人で?」


「はい、送ってくれたんです」


「まだ地下鉄ある時間じゃない?」


「金曜日はこの時間、激混みなんで。わたし人混みに酔うんですよ」


「一緒の方向なの?」


──なんだ、この質問の嵐は。尋問タイム突入か?「・・・いえ、一真くんはみんなと合流しに戻りました。飲みに行ってるので」


再び、会話が途切れる。「そう。わざわざ送ってくれたのね」


「そうなんですよ。だから申し訳なくて」


「・・・気に食わないわね」


たぶん、独り言だと思う。それくらい、やっと聞き取れる呟き声だった。

「今、なんて言いました」


「ていうか、そんな時はあたしに連絡しなさいよ。迎えに行くって言ったでしょ?」


無視か。「早坂さんはそう言いますけど、わざわざ迎えに来てもらうなんて無理です。だったらタクシーで帰りますよ」


「あたしがいいって言ってるじゃない」


「それでも無理です。それより、さっきなんて言いました?」


「毎日、店が終わる時間に外で待ってようかしら」


「マジでやめてください」冗談に聞こえないから、こわい。そしてやっぱり無視だ。


「その子には送らせて、あたしはダメの?」


「・・・一真くんは一緒に働いてるからで、わざわざ来るのとは訳が違います」


いつもこんなに食いつかないのに、一体どうしたんだ、早坂 遊里。


「悲しいわ。遊里、とっても悲しい」


「それでも無理です。ところで、さっき言ってた話ってなんですか?」


早坂さんは、何も言わない。若干、ご機嫌ななめ?

「電話で伝えようと思ったけど、直接会って言うわ」


「えっ」


「明日、仕事終わり迎えに行くわね。何か予定ある?」


「いや、何もないですけど・・・わざわざ?」


「ええ、久しぶりに顔も見たいし」


月曜日に会った気がするんだが。「・・・わかりました。では、明日」




電話を切った後も、早坂さんの言葉がずっと頭を駆け巡っていた。

"気に食わないわね" それって、一真くんに送ってもらった事が、だよね。それってそれって、ヤキモチでは?

──・・・それはないか。溺愛父親モードか、オカンモードってオチもある。


本当、わからない人だ、早坂 遊里。









只今、22時10分─。

イタリアン酒場TATSUは、恐ろしいほど、暇だ。そう、春香のあくびを数えられる程に。


「はい、16回目」


「これでも抑えてんのよ。また雨強くなったんじゃない?」


窓の外は、激しい雨が地面に打ちつけている。土曜日だというのに人通りも疎らだ。


「今日はもう、お客さん来なさそうすね」


「そうねえ、あたしでもこんな雨の日、行かないわ」


今日は朝から雨だったが、夕方から本降りになり時間と共に激しくなっている。早い時間にカウンターに3人入って以降、店のドアが開く事はなかった。予約も立て続けにキャンセル状態だ。


「天気には勝てないねえ〜」店長が店のモニターをテレビに切り替えると、ちょうどニュース

速報の字幕が表示された。

「大雨警報〜?こりゃ閉めるしかないね」


「時間的にも望み薄そうすね。ちなみに叔父んとこも今日は早く閉めるみたいっす。メール入ってました」


「ええー、凌ちゃんとこ飲みに行こうと思ったのに」


「あたしもって言いたいところだけど、さすがに今日はタクシーもいないと思いますよ」


「大丈夫。その時はここに泊まるから」


「何処でも寝れる人はいいですね。羨ましい」


「俺、寝つきいいのが取り柄だから」


「ストレス無い人って、そうらしいですよ」


「・・・今ちょっと、ストレス感じてるかも」



視界を手の平が行き来し、ハッとした。


「雪音さん?大丈夫すか?体調悪い?」


「あ、ううん。違う違う」


「どしたんすか?窓の外ボーッと見て」


「や、すごい雨だなあって」


──早坂さん、こんな雨の日にわざわざ来てくれるんだろうか。断ったほうがよかったかな。まあ、車だったら少々の事は大丈夫だと思うけど。


「雪音さん、今日はどうやって帰るんすか?」


「今日はねえ、この後ちょっと予定がありまして」


「え、デートすか?」


「だから、違うって。なんでみんなして予定=デートになるかね」


「この前のイケメンさん?」


「・・・早坂さんね」


「ジェラシ〜。この時間に会うって、デートとしか思えないな」


「わたしの終わりに合わせてくれてるから」


「えっ、なに、今日早坂さん来るの?」


地獄耳、健在。「うん」


「瀬野さんは?」


「来ないと思う。たぶん」


「なーんだ、ただのデートか」


「ちがーう!・・・もういい、いちいち反応するのはヤメル。好きに言ってくれ」


「ですよね春香さん、この時間に2人きりで会うって、デート以外なくないすか?」


そこで乗ってくる?


「デートなのよ、なぜか認めないだけで」


「ガーン」


「あのね!用事が会って来るの!よ・う・じ!」


「反応してるじゃない」


「前言撤回!」


「その用事も言わないくせに。この前2人が来た時だって、何処に行ったのか絶対口割らないじゃない」


妖怪の目撃情報があって、確認しに行ってきたんだ。そしたら大ムカデがいてさ。初めてわたしが退治したんだよ。なんて、言えるか!


──そうか。と閃いた。言ったところで信じるわけもないのだから、逆に冗談話として誤魔化せるのでは?


「・・・森林公園に、行ってたの」


春香と一真くんが目を合わせた。「森林公園?あの時間に?3人で」


「うん」


「マジすか?え、何しに?」


「ムカデの退治に」


「・・・え、3人で虫の駆除に行ってたの?」


「ちがーう!大ムカデ!こんな、何メートルもあるやつ!」手で、大きさを表した。つもりだ。


2人がまた、顔を合わせる。「アンタさ・・・正直に言ってよ?突き出さないから。ヤクやってるでしょ」


「や、春香さん、さすがにそれはないっすよ。昨日も体調悪そうだったし、かなり生理痛が酷いんじゃないすか?」


───・・・・・・「ただの冗談っす」


「え、冗談って、今の冗談のつもりだったの?・・・まあ良かった、本気でおかしくなったのかと思った」


「俺も、一瞬焦りました。生理で熱出る人もいるって聞いたことあるから」


中条 雪音 24歳。この先何年生きるかわからないが、2度と冗談は口にしないと心に誓った。


「大ムカデェ・・・?寒っ、ビビるくらい寒いわ。今すぐ湯船に浸かりたい」

──この女より、あの大ムカデのほうが何千倍も可愛く見える。


「ヤクもやってないし生理痛でもないけど、ビビるくらい寒いから早く帰ろうか」


「あれ、雪音さんイジけてる?可愛い〜」


「イジケてません」


「ハハッ、スベる雪音さんも貴重すね。マジで可愛い」


マジで心が折れそうだ。




掃除を済ませ、店を出たのは22時30分を過ぎた頃だった。傘をしっかり掴んでいないと負けそうな程、強い雨だ。

早坂さんの車は見えない。予定より30分も早いから、無理もない。


「じゃあ、わたしはここで待ってるので。お疲れ様でした」


店長がみんなを送っていくという事で話はついている。「大丈夫?鍵持ってるんだから、中で待ってればいいのに」


「いえ、もうすぐ来ると思うんで大丈夫です」それに、店に1人で居て、万が一誰か来たら嫌だ。


「俺も一緒に待ちますよ」


「・・・えっ!いやっ、大丈夫だよ」


「来るの11時くらいじゃないんすか?女性1人でいるのも危ないし」


「ここらは人通りも多いから大丈夫だって」


「だからこそ、酔っ払いに絡まれるかもしれないし」


「ないない、だとしても交番近いし。本当に大丈夫だから」


「いいじゃない。一真くんがそう言ってるんだから。嫌なの?」


「嫌とかじゃなくて!・・・天気も天気だし、わざわざ付き合ってくれる事ないから」春香め、余計な事言いやがって。正直、2人の時の一真くんはちょっと苦手だ。


「大丈夫すよ。暇だし。俺はタクシーで帰るんで」


だから、そんなに笑顔で言われると──「・・・アリガトウ」



店長と春香が先に帰り、雨の中、一真くんと2人で早坂さんを待つという不思議な時間に突入した。傘に当たる雨の音で、思うように会話が出来ないのが救いだ。


ふと一真くんを見て、気づいた。「一真くん、傘ちっちゃくない?肩濡れてるよ」


「ああ、これ折り畳みなんすよね。こんなに降るなら、ちゃんとしたの持ってくればよかった」


「交換しよ。わたしの大きいから」


「いや、大丈夫です。雪音さんが濡れたら困るし」


「サイズ的にわたしのほうが合ってるでしょ。いいからほら」自分の傘を一真くんに持たせ、無理矢理交換する。


「じゃあ、2つ差ししますか」そう言うと、一真くんが1本、わたしに近づいた。「雪音さん、そっち側、濡れないようにしてくださいね」



──これは、かなりの密着度だ。

一真くんの腕に、私の肩がピッタリとくっついている。こんな予定ではなかったんだが・・・変に離れても、意識してると思われるよね。


と、その時、眩しいライトと共に1台の車がこちらへ向かって来た。店の前の路肩に、水しぶきを上げながら急停止する。早坂さんだ。


「一真くん、ありがとう」


このまま別れようと思ったが、案の定、運転席のドアが開いた。だから、来なくていいんですけどおおおおお。


「雪音ちゃんっ」傘を差した早坂さんが、走ってこっちへ向かって来る。「遅くなってごめんなさい、店でちょっとトラブルがあって」


「いえ、まだ時間前ですよ?今日はウチが早く終わったんで」


早坂さんはわたしの腕を引っ張ると、自分の傘の範囲に入れた。そして一真くんを見て、ニコリと笑う。「一真くん、よね?一緒に待っててくれたの?」


「はい。早坂さんですよね?今日で会うの2回目ですね」一真くんも、爽やか笑顔だ。


「そうそう、昨日は雪音ちゃん送ってくれたんですって?ありがとう」


オカン目線?


「いえ、俺が送りたくて送っただけですから、礼はいりませんよ」


──・・・なんだろう、この、"うさんくさい"空気は。一言、気まずい。


「・・・じゃあ、一真くん、ありがとね。気をつけて帰ってね」


「あ、雪音さん傘」


「いいよ、持ってって。これは次に一真くんが店に来た時返すね」


早坂さんはわたしの手から傘を奪い取ると、肩を掴み、更に自分に寄せた。


「大丈夫よ、あたしのがあるから」笑顔で一真くんに傘を返す。「じゃあ行きましょうか。一真くんも気をつけて帰ってね」


肩を掴む腕に、強引に車へ連行される。ガッチリとホールドされ、顔だけ振り向くのがやっとだった。「じゃあね一真くん!また店で!」


「雪音さん!また明日!」一真くんは手を振っ

ているが、振り返せない。そっか、明日も出るのね。



早坂さんは助手席のドアを開けて、わたしが乗り込むまで傘を差していてくれた。というか、1本しかないのだから、そうするしかない。

自分も運転席へ戻り、濡れた傘を後部席の足元へ投げる。


「すごい雨ね。長靴が必要だわ」


「・・・大丈夫ですか?」


「ええ、あなたは?濡れてない?」


「そうじゃなくて、早坂さんが」


「どーゆうこと?」


いつもと変わらぬ表情に見えるが──「若干、イライラしてません?」


「そお?」


「・・・違うんだったらいいんですけど」


早坂さんは、ダッシュボードに置いてあったタオルをわたしの頭に被せた。


「まあ、多少ね」


「えっ」


「シートベルトして」


早坂さんは、ゆっくりと車を走らせた。ワイパーが忙しなく動いているが、この雨ではあまり意味を成していない。


「こんな雨の日に、わざわざすみません」


「いいのよ、あたしが来たくて来たんだから」


「店のトラブルって、大丈夫なんですか?」


早坂さんはうんざりしたように息を吐いた。「ええ、お客さんと従業員の女の子がちょっとトラブっちゃってね。お得意さんなんだけど、酒癖に問題ありで、女の子に絡むのよ」


「あー・・・どこでもあるんですね」あのセクハラジジイを思い出した。


「いつもは慣れてる人間が相手するんだけど、今日はたまたま新人の子でね。反抗したのが気に食わないって騒いで、あたしが呼ばれたわけ」


「それで、どうなったんですか?」


「その人、元々あたしとは古い中だから、しばらく話に付き合って宥めたわ。そのあと家まで送って行って、この時間よ」


「ご苦労様です」


早坂さんはまた、深く息を吐いた。「飲み過ぎなければそうでもないんだけどねえ。一定量超えると、人格が変わるのよ」


「・・・わかる気がします。春香もそうなので」


「あら、そうなの。まあ、なんとなく強そうよね、あの子」


「強いなんてもんじゃないですよ。わたしが1杯飲み終わる前に3杯目に突入してるし、ビールからハイボールに切り替えて3杯目から酔い出すんですよ。その後はひたすら怒り上戸です」


早坂さんはハハッと笑った。「怒り上戸か。泣き上戸よりは良い気がするけど」


「確かに・・・ていうか、早坂さんって、どういう立場なんですか?そのお店で」


早坂さんは一瞬、驚いたようにわたしを見た。「経営者よ」


「・・・えっ!!」


「あれ、言ってなかったかしら?」


「聞いてません。ていうか、早坂さん自分の事全然言わないから、ほとんど知りません」若干、キツイ言い方になってしまった。


「あらあ・・・でも、あなたも特に聞いてこないじゃない」口を尖らせ、イジケアピールだ。


「・・・慣れてないんです。人に質問するのとか」


「あら、なんでも質問していいわよ?あなたには何でも答えるわ」


──ここで、"みはる"という名前を出したら、この笑顔はどうなるんだろう。


「突然言われても、思い浮かびません」


「あらーん、あたしに興味ないのかしら。悲しいわぁ〜」


「・・・一真くんみたいな事言いますね」


反応がなく、早坂さんを見ると、さっきまでの笑顔が真顔になっている。


「一真くん?何て言われたの?」


あれ、わたし今、何て言った?無意識に口から出ていたが、何かマズったか。


「・・・いや、言葉のあやです」


「言わないと車から出さないわよ」


「って、監禁ですか・・・」笑いかけて、ハッとする。あながち、冗談でもないんじゃ・・・前に、鍵付きの檻がどうこうって言ってたし。


「・・・なんだっけな、全然興味持たれてないとか、なんとか」


「あなたが彼に対して?」


「あい」


「なんて答えたの?」


「ナニモ」


「興味あるの?」


──なんなんだ、この時間は。わたしはなんでこんな話をしているんだろう。


「興味って言われても・・・」


「異性として見てるかってことよ」


「あ、それ言われました」言った後に自分の頬を殴りかけた。今すぐこの口を縫ってやりたい。


「それで?」


「何て言ったっけ・・・ああ、一真くんみたいな弟がいたらいいなって」


「本心?」


「あい」


「そう。まあ、とりあえずいいわ」──なにが?「この先も、あの子の事は可愛い弟として"だけ"、見てあげて」


笑顔だけど、いつもと少し違うこの笑顔が、イマイチ掴めないんだよなあ。


「なんでですか?」


「え?」


「なんでそんなに、一真くんを気にするんですか?」


早坂さんの横顔から感情を読み取ろうとするが、無表情すぎてわからない。そもそも、わたしにそんなスキルはない。


「そおねえ・・・」




───・・・そして、家に着いた。


えええええ!そおねえ?それで終わり?

その後に続く言葉を待ってたのに、終わりですか!そんな事あります!?

相変わらず、早坂さんの表情からは何も掴めない。というか静かになってしまった。ずっと、前を向いている。

これは、追求しないほうがいいのか・・・。


「早坂さん、いろいろ逸れちゃったけど、本来の話ってなんですか?」


「あ、うん、そうね。そうそう、財前さんがね、あたし達に話があるみたいなのよ」


「・・・わたしもですか?」


「ええ、だからいつがいいか聞こうと思ったの」


「なんだろう・・・」


「わからないわ。あなたを連れて3人で来てほしいって言われただけだから」


「・・・そうですか」理由がわからない分、少し緊張するけど、財前さんにはもう1度会いたいと思っていた。早坂さんはそれ以上何も言わない。「えっ、話ってそれですか?」


「そうよ」


呆れ顔とは、正に今の自分だと思う。わざわざ会って、言う事だろうか。それも、こんな悪天候の日に。電話なら数分で済むのに。


「・・・わたしは基本、いつでも大丈夫なので2人に合わせますよ。休みの日以外は、仕事前か後じゃないと無理ですけど」


「月曜日がお休みよね。となると、明後日か。時間空けたくないし、ちょうどいいわね、明後日にしましょう。少し遅くても大丈夫かしら?」


「遅い分には問題ないです」


「了解。時間は追って連絡するわ」


「わかりました」



──そして、会話が途切れる。話が終わったなら、帰る。べきだよね。


「じゃあ、わたしは行きますね」


「雪音ちゃん」


「はい」


その先に続く言葉を待ったが、早坂さんは何も言わない。わたしの顔を見つめるだけだ。


「・・・ん?あれ、今呼びましたよね」


「うん」


そして、また無言。──え、なにこれ。どういう時間?

何か言いたそうな顔に見えるが、何も言わない。


「早坂さん?なんですか?」


早坂さんは目を閉じ、こめかみを押さえた。「ごめん、なんでもないわ」


「・・・すっごい、気になるんですけど」


「ごめんごめん」と笑う。「あ、そうそう傘ね」先程投げた傘を拾い、わたしに渡す。


どうも、納得いかない。「なんですか?言いたい事があるなら言ってください」


早坂さんは苦笑いしながらわたしの頭をポンポンした。「ごめんなさい、気にしないで。本当になんでもないのよ」


メチャクチャ気になりますけど!目を細めて早坂さんを凝視した。


「あらん、見つめられてるわ」


「言うまで降りませんよ」


戸惑うかと思った早坂さんの顔が、満面の笑みになる。「いいわよ?好きなだけいてちょうだい」


「・・・帰ります」


早坂さんはクスクス笑っているが、わたしはモヤモヤしてしょうがない。自分はわたしが言うまで止めないくせに。ここで粘れる自分になりたい。


「わざわざ送ってくれてありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」


「ええ、あなたもゆっくり休んで。また連絡するわ」



部屋に入り、首にかけているタオルに気づく。

また、持って来ちゃった。というか、そんなに濡れてないんだけど。あの人も、大概過保護だよな。今更だけど。


カーテンから外を覗くと、早坂さんの車はもう無かった。激しい雨で景色がボヤけて見える。あの視界でよく運転出来るなと、感心する。無事に帰ってくれればいいけど。


シャワーを浴びた後、そろそろかなとメールする。【無事、着きましたか?】


早坂さんからの返信は基本、1分以内だ。

【着いたわよ。ありがとう♡おやすみなさい♡】


ハートね。これも基本だな。そんな事を思いながら文字を打っていると、無意識に語尾にハートが付いていた。あぶなっ!慌てて消す。

ハートの代わりに星をつけて、おやすみなさいと返信した。


ソファーに仰向けに横になる。背もたれにかけていた早坂さんのタオルが目に入り、顔に被せた。

早坂さんの匂い──というより、早坂さんの車の匂いがする。


落ち着く。



"雪音ちゃん"


早坂さんはあの後、何を言おうとしたんだろう。少し虚ろな感じで、わたしを見つめていた。なんとなくだけど、本人も何を言っていいのかわからないような、そんな様に感じた。


人の考えてる事がわかるマシーンとか、発明されればいいのに。そしたら全財産を叩いても買う。

──・・・買えないか。







「あれは独占欲すね」


翌日の、一真くんとの会話だ。


「それって、お父さん的目線でしょ」


「はい?雪音さん、マジで言ってます?」


「いつもそうだもん。過保護モードに入るから」


「んなわけないでしょ、あの歳で。俺に嫉妬してるのバリバリ伝わってきましたよ」


「・・・しっとぉ・・・?」


「・・・マジで鈍感すね。どう見たって雪音さんの事好きでしょ」



その日のわたしは、ミスの連発で春香に何度も怒られ、一真くんにはいつも以上にフォローしてもらい、最終的に知恵熱が出た。






































































































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