感情に呼応して迸る漆黒の魔力。
渦巻く黒の嵐を目の前にして、白山純貴もまた黒々とした魔力を放散しては嗜虐的に歯を剥いた。
「あははははは! やれるもんならやってみなよ黒澤くん! 断言しよう! 君には到底不可能さ! そして今一度思い知るといい! たとえ世界を変えようが、君はいつまで経っても惨めで哀れないじめられっ子でしかないという厳然たる事実をねぇ!」
どこまでも嘲り蔑み侮り尽くす不快な哄笑が王宮に轟く。
しかし所詮は癒悦のための挑発にすぎない。そんなものを気にしている余裕など、いまの俺には微塵もない。
やるべきことはただひとつ。
目の前の男から黒歴史ノートを取り返すこと、それだけだ――。
白山の足が床を蹴り砕く。常人の限界を超越した加速によって、次の瞬間には大仰にはためく純白の衣装が俺の視界を塞ぐように覆い尽くした。
布地の向こうから覗く加虐心に満ちた笑みと、それを照らす黒き雷光。
「雷遊の魔導、第四章、第六節――【
振り抜かれた拳に伴って、天地を貫く雷鳴と幾千にも絡み合った稲妻が荒々しく爆散する――!
爆風に巻き込まれた天井や壁が為す術なく崩落し、宙を舞う砂塵に月光が降り注ぐ。
夜風に吹かれて塵芥が霧散すると、白山純貴は愉しげに口端を吊り上げた。
「……流石は七魔導の創出者だ、これくらい防ぐのはわけないか。まあ、逆に最初の一撃であっけなくやられてもらってもつまらないからねえ」
俺の左腕に真正面から受け止められた自身の拳を、白山は予想どおりとでも言いたげな眼差しで面白そうに眺める。
つまらない戯れ言にいちいち返す言葉はない。代わりに返してやるのは。
瞬間、噴出する爆炎。
灼熱の奔流が、たちまち純白の男を呑み込む――!
やがて劫火の放出が終わる。……視界に白山の姿はない。
「まったくこっちはちゃんと技の名前を言ってあげたってのにさあ。無詠唱発動で隙を突こうなんて考え方が卑怯すぎないかな」
気づけばその姿は辛うじて原形を留める尖塔の上にあった。まったく、とことん相手を見下ろすのが好きなやつだ。ていうかこっちは正直に言って魔導の名前とかあんまりべらべら披露したくないんだよ。
「……ふん。誰に向かって上からものを言っている」
台詞と同時に今度は氷嘲の魔導を行使する。
黒氷でできた巨大な槍の群れが白山純貴の足下を穿ち崩すと、白い男はさして名残惜しくもなさそうにその場から飛び退く。
「もちろん君に決まってるさ!」
嘲弄に満ちた叫びとともに、爛々と昂揚した眼光が俺を捉えた。
「それじゃここからはお互い遠慮なしの本気といこうじゃないか! 準備はいいかな黒澤くん! せいぜい一秒でも長く僕を楽しませてくれることを祈っているよ!」
まとう魔力を激化させながら、今度こそ躊躇ない殺意を向けてくる純白の魔導師。
迫る宿敵を、俺は冷徹な眼差しで睨み据えて迎え撃つ。
「――【
「――『
焔激の魔導と焔激の魔導が衝突、爆散して宵空に黒き大輪の華を咲かせる。
ついに真の戦いが始まった。
「――【
「――『
もしそこに傍観する者の瞳があったとすれば、おそらくこの世の終焉にも似た光景に映ったことだろう。
「――【
「――『
ありとあらゆる天災を集約したかのような、あるいは天変地異に天変地異を重ね塗ったかのような景色。周囲に存在する有形物のことごとくが、理から逸脱した理解不能の現象によって名もなき無意味へと還元されていく。
しかしそのなかにあって俺は敵の攻撃を寄せつけない。俺の魔導に阻まれて、白山純貴の魔導は決して俺には届かない。
台風の目のような一点にさも超然として佇む俺を見て、余裕の表情を保ちつつも白山は舌打ちをした。
「思った以上にやるね黒澤くん! まったく、いちいち相殺されてたんじゃあ埒が明かないよ! だったら近距離で肉弾戦といこうか!」
一転、瞬く間に距離を詰めてくる白山。黒焔を帯びた右腕が、黒氷を帯びた左腕が、黒雷を帯びた両脚が、暴牢の魔導による超越的な強化をも得て直接俺の命に死を撃ち込もうと襲い来る。
だが俺は動じない。同様に俺も全身に魔導を灯し、すべての打撃を冷静に弾き返していく。
巻き起こる烈風。拡散する衝撃波。迸る魔導が大地を抉り、吹き荒れる嵐の中心で怒濤の攻防が繰り広げられる。
いつの間にか真剣な顔で攻撃を繰り出す白山純貴。そんな奴に俺はひとつ、あえて退屈げな眼差しをくれてやりつつ言った。
「――それで、遠慮なしの本気というやつはいつから始まるんだ?」
ぴくり、と形よい眉を微動させ、白山は幾分ぎこちない微笑をこちらに向けた。
「そんなに焦らないでくれよ、ちゃんとこれから見せてあげるからさあ!」
魔力の波動が白山の全身から噴き上がる。より苛烈さを増した攻撃の連続が、より高い密度をもって俺に襲いかかる。
しかしそれでも俺には届かず。
避ける。弾く。相殺する。あくまで平然とした表情を保ったまま、俺は淡々とそれを繰り返す。
一体どれほど続いただろうか。
「……くそっ」
ついに白山純貴の表情に歪みが生まれた。
一度崩れたら最後、端正なつくりの顔からあっという間に余裕が剥がれ落ちていく。
「くそくそくそくそくそくそくそおっ! どうして! どうしてこの僕の思いどおりにならない! どうして君はいつまでもそんな涼しげな顔で僕の前に立っているんだ!」
剥がれた余裕の奥から剥き出しになったのは、自尊にまみれた怒り。
「そんなの許されるわけがないだろう! 君は僕のために惨めでみっともないやられ役を演じなきゃいけないはずだ! 自分に与えられた役割を、責任を持って全うしろよこの三下野郎おおおおっ!」
咆哮とともに伸びてきた白山の右腕に、しかし俺は躊躇なく自身の左腕を交差させた。
その結果、白山の右拳が虚しく空を切り、俺の左拳が白山の顔面にめり込む。いわゆるクロスカウンターというやつだ。
衝撃によって吹き飛ぶ白山の体。荒れ果てた地面を転がるうちに、汚れひとつなかった純白の衣装は泥にまみれていく。
やがてうつ伏せの状態で静止する躯体。おもむろに持ち上げられた顔から覗いた双眸が、実に忌々しげにこちらを睨みつけた。
「黒澤舛太……!」
きっといま、目の前の男は人生で最大の屈辱を味わっているに違いなかった。
この世に生を受けて以来の恥辱に歯を食い縛る白き魔導師に、俺は追い打ちをかけるかのごとく冷徹な眼差しを向ける。
「さて、せいぜい楽しませてやろうと貴様のお遊びに付き合ってやったわけだが、満足できたか白山純貴」
「この……っ!」
「そして十分に理解できただろう。自分が天才などではなく、所詮ただの秀才止まりにすぎないという事実をな。借り物の力で我に勝てるなどと思うこと自体が、貴様の知慮浅薄ぶりを物語っていると言うほかない」
正直最初はわからなかったけど、ここまで戦えば決定的だ。
俺の魔導は白山のそれに優る。より正しく言うのなら、白山の魔導はやはりオリジナルである俺の魔導に劣っている。
いかに白山純貴といえど、俺が書いた魔導七典を完璧にものにすることはできなかったということだ。
いや、本当は理解し尽くしているのかもしれない。それでも俺の魔導の方が強いのは、やはり俺の脳味噌そのものがオリジナルだからなのかもしれない。
まあいずれにせよ思ったよりも苦戦せずに済んで安心だ。これで目的を果たすことができる。
「今宵の余興は幕引きだ白山。我に雷遊の魔導書と小説を返上しろ」
白山は自分に勝ち目がないことを悟ったはずだ。ここで無駄な抵抗をするほど、馬鹿な人間じゃないだろう――。
だが、しかし。
「くく……くくくく」
厭らしく歪んだ唇の隙間から耳障りな嘲笑が止め処なく溢れ出し、やがてそれは濁流のごとき哄笑へと成り果てた。
「あはははははははは! 知慮浅薄は君の方だよ黒澤くん! 僕は紛うことなき天才だ、それを疑うだなんて脳のつくりを疑ってしまうなあ」
ゆらりと立ち上がった白山の顔には、剥がれ落ちたはずの余裕と自尊が再びべっとりと貼りついている。
「あの日、僕は確かに君の魔導書のすべてを理解することができたんだよ。興味がなくなってわかってしまうんだ、自分よりも馬鹿な人間が考えていることなんてね。だから僕は知っている。魔導という理外の法則が、いかにして世界に現象を発生させるのか。その思想と理論を隅々までね」
俺は無言で目の前の男を見据える。
直感した。白山純貴はまだなにかを隠しているらしい。だが問うまでもない。この男からは、既に隠そうという意志を感じない。
そして予想どおり、白山は嬉々として言葉を続けていく。
「ねえ黒澤くん。ここまで聞いて君は不思議に思わないのかい? たった一読しただけであの面白おかしな落書きノートを完全理解できるほどに天才なこの僕が、この世界に来てからずっと君のお下がりの力に頼りっきりでいると、本当にそう思うのかい? そんなわけがないんだよねえ!」
その台詞で俺は察した。
努めて表情には出さないようにしつつ、しかし内心では驚かずにはいられなかった。
けれどそんな俺の困惑など知る由もなく、白山純貴は懐から一冊の汚れなき純白の書物を取り出す。
そして大仰な身振りでそれを掲げ、『白歴史の魔導師』は高らかに宣言した。
「これこそ僕が記した、僕だけに許された真の力! 君が書いた魔導七典をも超える最強の魔導書――『白紙の魔導書』だ‼」