――じりじりと肌を焼く熱気に痛みと息苦しさを覚えながら、フィルフィリアは襲いかかってくるアンデッドたちを倒し続けていた。
「――『
疾駆する無数の氷刃が亡者の群れを肉片に変え、掻い潜ってきた相手は凍気をまとわせた剣で直接斬り伏せる。床の上には数えきれないほどのバラバラ死体が転がっている。
しかしどれだけ屠ろうと次から次に湧いてくるアンデッド。
「ほらほらどうしたのさ王女様! 氷嘲の魔導で一気にやっつければ簡単じゃないのかなあ? ああそっか、詠唱する余裕がなくて使えないんだねえ! あははは!」
愉快げに眺めるホワイト・ペイジ。その言葉どおり、絶え間なく襲い来る死体人形を前にフィルフィリアには詠唱する暇などなかった。そもそも先ほど終章を放ったことで彼女の肉体は悲鳴を上げており、既に魔導を行使する余力はなかったが。
気力を振り絞って懸命に氷結魔法による応戦を続けるものの、次第にフィルフィリアは追い詰められていく。
やがて壁に背中が当たった。
「ぐ……っ」
もう後退はできない。奥歯を噛むフィルフィリア。折れそうになる心を持ち堪えるのに精一杯だった。
「さてもう終わりかな? 案外あっけないものだね。必死な顔してゾンビたちとじゃれ合う王女様の姿、結構面白くてもっと見ていたかったんだけどねえ」
まるで喜劇でも鑑賞しているかのように、ホワイト・ペイジは愉しげに笑った。
「まあいいや。それじゃ次はなにして遊ぼうかな……あ、そうだ! 死んだあとは君もアンデッドにしてあげよう。そいつらみたいな雑魚仕様じゃなくってさ、バルフみたいに特別待遇でもてなしてあげるよ。そして君を王都の街中に送り込んでさ、そこらじゅうの人間を皆殺しにしてもらうんだ! 混沌と化した王都で大量殺戮を繰り広げる狂乱の第一王女! いやあきっと傑作になるだろうねえ」
少年の唇が邪悪に歪んだ瞬間、フィルフィリアは心の底から怖気と、そして言いようのない怒りを抱いた。
「あなた、よくもそんなおぞましいことを……っ!」
フィルフィリアは迫る大群を睨み据えた。
既に斬り伏せたアンデッドも、そしていま襲い来るアンデッドも、かつては騎士として王都を守る存在だった者たち。
自分が死ねば、彼らは自らの手で守るべき人たちを、あるいは愛する人たちを殺めることになるかもしれない。
そして、そうなったときには当然、自分自身も同様に――。
そのような悲劇を、地獄を、惨劇を、この王都に生み出してはならない。
煮え滾る激情と決死の覚悟が、彼女の剣に再び白群の凍気を灯した。
「決してあなたの思いどおりにはさせません……! わたくしは魔法国家ヴァルプールの第一王女フィルフィリア・デンバルです! この命に代えても、あなたを倒し、この王都を守り抜いてみせます!」
満身創痍の体に力を込めて、フィルフィリアは自らアンデッドの群れに斬り込んでいく。
「――『
氷牙が床や天井から無数に伸びて生ける屍たちを串刺しにする。それらを氷結の剣が両断し、両断し、両断し、そしてまた両断する。
もはやほとんど意識はなく、気力だけでひたすらに魔法を紡ぎ剣を振るうフィルフィリア。
「おーすごいすごい! 流石は王女様、民のためを想えば何度だって死力を振り絞れるってことか、いやあ素晴らしいねえ」
そんなホワイト・ペイジの揶揄にすらも、フィルフィリアはまったく耳を貸さない。
魔法すら上手く使えなくなってきた。けれどそれでもひたすらに、目の前の災厄から王都を守るために、フィルフィリアは無心で剣を振るい続ける。
「でもさあ王女様、なんだか少し容赦がなさすぎやしないかな。だって君が斬ってるそれ、確かにアンデッドだけど元は君の仲間でしょ?」
見え透いた揺さぶりには応じない。
剣を握る手に緩みはなく。剣を振るう気持ちに淀みはない。
ただ目の前の敵を倒し尽くすことだけを考えて、フィルフィリアは迫る屍肉の塊に向かって剣を奔らせる。
一体。二体。三体。四体。
「あはは、ほんとに迷いがないねえ」ホワイト・ペイジは依然として愉しげに笑う。
五体。六体。七体。八体。
「じゃあさ。そんな君なら――」
九体。十体。十一体。
「――もちろんそれも斬れるよね?」
「――……っ⁉」
十二体目を斬ろうとして、思わずフィルフィリアの手が止まる。
だって目の前に立っていたそのアンデッドは。
「お父様……っ!」
愛する父、ハイエンベルグ・デンバルだったのだ。
いくら魂なき死体の化物といえど、年端もいかない少女であるフィルフィリアに肉親を斬る覚悟を決めさせるには、一瞬という時間はあまりにも短すぎた。
そして少女の華奢な体躯を吹き飛ばすには、その一瞬であまりにも十分すぎた。
ハイエンベルグの死体が躊躇なくフィルフィリアを殴り飛ばす。
人並みを超えた膂力によって吹き飛ばされて壁に激突し、そのままずるりと落ちて壁にもたれかかった状態で静止するフィルフィリア。
ホワイト・ペイジは心底嬉しそうに白い歯を剥いた。
「あはははは! 流石に大好きなお父様は斬れなかったかあ。ねえどう? 君のためにこっそり首をくっつけてあげておいたんだよ? なかなか上手にくっつけられてるだろう? 僕は天才で器用だからねえ。ああ感謝の言葉は要らないよ、これは無償の善意ってやつさ」
フィルフィリアはなんの反応もできない。激痛と疲弊による意識の混濁。もう指一本すら満足に動かせる力も残っていなかった。
しかしそんなことなど気にも留めずホワイト・ペイジは続ける。
「それと心優しい僕からもうひとつの親切だ。喜ぶといい。最期は最愛のパパに殺してもらえるんだから」
霞むフィルフィリアの視界に映る父親の亡骸が、一歩、一歩と自分に近づいてくる。
さっきまで自分が振るっていた剣を父親の手が拾い上げる。実の娘を斬り殺すための道具として。
意思なき淀んだ眼球がフィルフィリアを捉えた。かつての凜々しかった面立ちはそこになく、開きっぱなしの口から声にならない声が漏れ続けている。
「死した父親の手によって娘もまた死へと誘われる。くくく、いやあ実に愉快な光景だ」
フィルフィリアの瞳から涙がこぼれた。
父、バルフ、騎士たち……多くの人たちが惨たらしく殺され、あまつさえその命を弄ばれた。そしていま、自分も心臓に剣を突き立てられて殺される。愛する父親の骸を使った操り人形の手によって。
悲しい。そしてそれ以上に悔しいとフィルフィリアは思った。
自分は無力だった。無力だったからこそ、ホワイト・ペイジに抗うことができなかった。そのために目の前で幾多の命が散り、そして自身が殺されたあと、さらに数えきれないほどの民たちの命が奪われることになる。
申し訳ない。悲しい。悔しい。
もし自分にもっと力があれば、目の前に立ちはだかる困難をものともしない絶対的な実力があれば、こんな思いはしなくて済んだのに。
……ついに父の姿をしたアンデッドがフィルフィリアの眼前にたどり着き、剣を振り上げる。
滲む視界のなかに映るその鈍い輝きを見つめながら、フィルフィリアは儚くも願った。
もしも。もしもそんな絶対的な力を持つ誰かがこの世のどこかに存在するのなら。
そして、その誰かに自分の声が届くのなら。
「……助けて」
――瞬間。轟音とともに燃える天井が突き破られた。
流星のごとき勢いで直下した漆黒の影が、目の前のアンデッドを叩き潰す。
巻き上がる砂塵。静寂に支配された世界のなか、穿たれた天井から降り注ぐ細かな瓦礫の音だけが、さながら賛美の拍手のようにぱちぱちとその場に木霊した。
やがて塵埃が晴れていき、悠然とした所作で人影が立ち上がる。
はたして、フィルフィリアの瞳に映ったのは、闇よりも深い純黒の衣装を身にまとって堂々と佇む見知らぬ男の姿だった。
聞く者すべてに畏怖を抱かせるほどの威容と自尊に満ちた声音で、男は告げた。
「――我が名は『