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第24話 盛大なメインショーの始まりだ

 刹那、世界が漆黒に覆われて動きを止めた。あらゆる存在が、そして時間すらもが、黒き氷嘲による永遠の幽閉を即時執行されたのだ。


 それはすなわち、行使者を中心に起きる超広範囲の強制凍結。逃れる術などない。呑まれた者はすべてが等しく黒氷に抱かれて無意味へと還るのである。


 瞬きひとつにも満たない時間を経て、いまやデンバル王宮は外界から見てその姿を消している。代わってそこに在るのは、さながら爆発的な火山噴火の瞬間がそのまま黒々と凍てついたかのごとき大氷塊だった。


 そして大氷塊の中心部に立つのは行使者たるフィルフィリア。

 苦しげに肩で息をする彼女の眼前には――黒曜石にも似た氷結に閉じ込められたバルフ・ヘルケリウスの姿があった。

 もう目の前の死体人形が動くことはない。


「わたくしの……勝ちです」


 疲労のあまりうまく力が入らない体を引きずって、フィルフィリアはバルフのもとへと歩み寄っていく。

 途中で拾い上げた兄の剣を手に、やがてフィルフィリアはバルフの正面にたどり着いた。

 彼女の瞳に、わずかに切なげな色が宿った。


「どうか安らかに、バルフ」


 振り抜かれる剣。氷塊は砕け、バルフ・ヘルケリウスの肉体が無数の氷片と化して王宮の床に散る。


 非業の死に彩られた命の残骸にしばし悲痛の眼差しを向けたのち、フィルフィリアは忘れていた安堵を取り戻すように息を吐いた。

 けれど死の緊張から醒めるや間を置かずして再び湧き上がる困惑と不安。そしてバルフが口にした名前が思い返される。


「ホワイト・ペイジ……魔導七典を手に入れて、一体なにをしようと企んでいるのでしょうか……」


 やはり力を手に入れるため? あるいはほかに理由がある? 考えてみても、確かなところはわからない。ただ、なにが目的だろうとホワイト・ペイジが魔導七典を手に入れるために悪逆無道の所業をなしたことだけは確かだった。


 そのためだけにバルフは殺された。セイベルトもそうだったのかもしれない。会合に出席した貴族たちも……そしてなにより愛すべき父、ハイエンベルグ・デンバル国王陛下までもが。

 フィルフィリアの目尻ににわかに涙が滲む。


「お父様……」


 我知らず言葉がこぼれるのと同時、フィルフィリアはハッとして顔を上げた。


「ルースお兄様……!」


 バルフの攻撃に吹き飛ばされ、窓の外に投げ出されたルースフィリア。覚えている限り、致命傷は負っていなかったように思われる。せめて兄だけでも無事でいてくれれば。


「ルースお兄様を探さなくては……!」


 先ほど行使した『氷片と化せ、愚鈍なる者共よトゥーゴユルナ』だが、確かに王宮全体を黒氷が覆ってはいるものの、フィルフィリアの意思によって攻撃対象はあくまでバルフのみに限定された。王宮内のほかの人々については、急な寒さに凍えたり、滑って転んだりするくらいの影響はあるだろうが、命を失う事態には至っていないはずだ。


 ともかく無事を祈りつつ、フィルフィリアが駆け出そうとしたときだった。



「――へえ、やるねえ君」



 どことなく高慢で底なしの自信に満ちた少年の声。

 反射的に身構えつつフィルフィリアは声の方を見やる。


 直に夜空を切り取る崩壊した大窓。凍てついた窓枠の上に佇む声の主は、独特な意匠の純白装束をまとった黒髪の少年だった。魔法師か。年齢はおそらく自分と同じくらい。一見紳士的な微笑みには、しかし隠しきれない軽薄さが滲み出ている。


 険しい表情で少年を見据えるフィルフィリア。

 しかし彼女の警戒心など意にも介さず、少年は変わらぬ微笑をたたえたままに語りかけ続ける。


「雷遊の魔導書を失った状態とはいえ、年端もいかないお嬢様があの雷魔バルフ・ヘルケリウスを倒すとは驚いたね。流石は今は亡き国王陛下から氷嘲の魔導書を授かった天才王女フィルフィリア・デンバル様といったところかな」


 今は亡き、という言葉を強調した言い方に思わず剣の柄を強く握り締めるフィルフィリア。


「あなたは一体何者ですか」


 すると少年の微笑みに嘲弄が交じった。


「おやおや。聡明なる第一王女様であれば、僕が誰なのかはすぐにわかるんじゃないのかな?」


 挑発的な眼差しを毅然と見据え返すフィルフィリア。


「やはりあなたが……ホワイト・ペイジなのですね」


 その問いに少年が返したのは、実に満足げな笑顔だった。


「大正解。ほかならぬ僕こそが始祖純白にして最強の魔導師――『白歴史の魔導師ホワイト・ペイジ』だ」


 どこまでも誇らしげに、そしてどこまでも愉しげに、少年――ホワイト・ペイジは大仰な身振りで自らの名を語った。


 尊大な笑みで見下してくるホワイト・ペイジに、フィルフィリアは体が震えるほどの嫌悪感と怒りを感じずにはいられなかった。


「あなたが、あなたがバルフを殺したのですね……。そしてあんな姿に貶めた……!」


「ああそうだよ。僕がバルフを殺した。そして死体をアンデット化させたんだ。死退の魔導を使ってね」


「死退の魔導ですって……? ということは死退の魔導書を……やはりあなたも魔導七典の所有者なのですね」


 バルフを屠ったことからも予想し得たことではあった。やはりホワイト・ペイジは魔導七典を所有していたのだ。

 ところが、彼女の言葉を受けた少年の反応は想定外のものだった。


「あーいや、原典は雷遊の魔導書しか持ってないんだけどねえ」


「死退の魔導書を持っていない……? なのに死退の魔導を使った……? どういう意味ですか?」


 フィルフィリアはホワイト・ペイジの言っていることが理解できなかった。原典を持っていないのにどうやって魔導を行使するというのだ。


「まあそこら辺は君は気にしなくていいよ」少年は誤魔化すように、あるいは面倒臭がるように笑った。「君はただ、その氷嘲の魔導書を僕に渡してくれればいいんだから」


 一気に張り詰める緊張感。

 フィルフィリアは剣と魔導書を手に目の前の敵を睨み据えた。


「魔導七典を集めて、一体なにをするつもりなのですか……!」


「それも君が気にする必要なんてないよ」


 飄々とした微笑をたたえつつ、しかしホワイト・ペイジの双眸に明確な嗜虐心が宿る。


「――さあ、前座は終わった。盛大なメインショーの始まりだ」


 ホワイト・ペイジが指を鳴らすのと同時に轟く爆発音。たちまち王宮全体が黒焔に包まれ、フィルフィリアの生み出した氷塊が溶融、蒸発していく。


 さらに燃え盛る王宮内、どこからともなく溢れ出してくる死体の群れ。死退の魔導によって生ける屍と成れ果てた宮廷魔法騎士団員たちが、慟哭にも似た唸りを響かせながら猛火のなかを彷徨いだす。


「なに、これ……」


 フィルフィリアは茫然とするほかなかった。


 たった一瞬のことだったのだ。


 それだけの間に、デンバル王宮は真の地獄へと変貌を遂げたのである――。

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