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第23話 氷片と化せ、愚鈍なる者共よ(トゥーゴユルナ)

 宣言と同時、咆哮のごとき炸裂音を伴ったバルフの雷撃がフィルフィリアへと殺到する。


「――『凍結防壁フロズウォル』!」


 咄嗟に氷結魔法を発動させ、氷の盾で防御する。


 バルフが放ったのは雷遊の魔導ではなく通常の魔法だ。彼の手に雷遊の魔導書はない。既に失ったのか。しかし、たとえ通常魔法であろうと、それは紛れもなく国境守衛魔法隊指揮隊長であった雷魔バルフ・ヘルケリウスの行使する強力な魔法にほかならない。


「きゃあああっ!」


 さながら薄氷を蹴破られたかのように防壁が砕け散り、衝撃の余波がフィルフィリアの華奢な体を吹き飛ばす。

 壁に背中を打ちつけ、激痛に息が詰まる。けれど意識を手放している暇はない。歯を食い縛り、フィルフィリアはすぐさま正面に視線を飛ばす。


 もう眼前に次なる雷撃が迫っていた。


 反射的に体を転がして金色の槍群をなんとか躱しながら、フィルフィリアは反撃の魔法を紡ぐ。


「――『凍砲連弾フロズカーノルゾル』! ――『氷刃連撃フロズレイドゾル』! ――『氷牙群襲フロズファガルゾル』!」


 詠唱の省略と複数魔法の連続発動。並の魔法師にできる芸当ではない。デンバル王家の血統に相応しく、そして《氷嘲の魔導書》を授けられるに相応しく、実際にフィルフィリアの魔法技量は、弱冠十七歳とは思えないほどに卓越している。


 しかし相手が悪い。何故ならいま彼女の眼前に立ちはだかるのは、死した肉体とはいえ並の魔法師などではないのだから。


 巨大な氷弾の集中砲火を、鋭利な氷刃の殺到を、尖鋭とした氷牙の驟雨を、まるで最初から結末が決定づけられていたかのように、ことごとく雷撃が叩き落とす。そしてその間、バルフの唇は微動もしない。


「詠唱の完全破棄……! 魔法の発動速度に差がありすぎる……っ!」


 悔しげに唇を噛むフィルフィリア。けれど悔いている暇などない。次の瞬間には、無詠唱が生んだ幾筋もの雷光が、さながら絡み合う大蛇の大群のごとく暴れ狂いながら襲来するのである。


「そして攻撃力でもまるで敵わない……!」


 氷壁を駆使しながら、フィルフィリアは紙一重で命を繋いでいく。そんな彼女を弄ぶかのように、嘲るかのように、バルフの雷は破壊を繰り返しながら瓦礫の山を築いていく。


 フィルフィリアは既に理解していた。このまま魔法戦を続けたところで万にひとつも勝ち目はない。

 目の前の雷魔を打ち破るには、魔法以上の力を使うしかない。

 それはすなわち、氷嘲の魔導。


「でも……っ」フィルフィリアの眉間にしわが寄る。「氷嘲の魔導は詠唱を省略できない……!」


 いかに魔法の才に秀でたフィルフィリアであろうと、七魔導を自在に操ることはできない。

 それは叡智を超えた叡智。いつ、誰が生み出したかもいまだわからぬ尋常外の力。およそ人の理解の及ばぬ奇蹟の極致を扱うには、原典の所有と、寸分違わぬ呪文の完全詠唱が必須なのだ。


 氷嘲の魔導を発動させるには、詠唱を完了するまでの時間をつくらねばならない。

 それも無詠唱で強力な雷撃魔法を放つ雷魔バルフ・ヘルケリウスを前にだ。

 しかし、フィルフィリアの灰色の双眸に諦観はない。


「それでもやるしかありません……!」


 ここで自分がバルフを倒さなければ、やがて王都全域が死の雷に呑まれることになる。そうはさせないと、自分は既に誓ったのだ。


「詠唱の時間が必要だというのなら、なんとしてでもつくってみせます!」


 そしてフィルフィリアは駆け出す。

 円を描くようにしてバルフの周囲を走り、襲いかかる雷撃を回避しつつ、フィルフィリアは次々に魔法を紡いでいく。


「――『凍砲連弾フロズカーノルゾル』! ――『氷刃連撃フロズレイドゾル』! ――『氷牙群襲フロズファガルゾル』!」


 氷弾、氷刃、氷牙、そのどれもがバルフの頭上から降り注ぐ。

 白濁した眼球が上を向き、両手が掲げられる。瞬間、強烈な雷光が広範囲に向けて放出され、フィルフィリアの魔法は瞬く間に蒸発させられていく。


 それでもフィルフィリアは止まらない。ひたすらバルフの周囲を駆け、彼の頭上から氷結魔法を降らせ続ける。


 無意味に思える攻防の果て、額に汗を滲ませながら、ついにフィルフィリアが足を止める。


 死体人形の双眼がぬるりと彼女を捉え、一歩を踏み出そうとして――。


「――『氷影捕縛フロズハルド』」


 しかし、その足は誰かに掴まれたようにびくりとも動かなかった。

 バルフの視線が自らの足下に落ちる。

 その下半身は、白群色の侵食によって床に氷漬けになっている。さながら自身の影が氷結して己を捕らえているかのごとく。


 フィルフィリアは美しい口許に微笑をたたえた。


「やはりいまのあなたは誰かに操られているだけの意思なき傀儡。きっと痛みすら感じないのでしょう。だからこそ、わかりやすく自身に降りかかる攻撃には対処できますが、そうでないものに対しては著しく察知能力が低いようですね」


 フィルフィリアはあえて頭上からの攻撃を続けていたのだ。すべては下準備を悟らせないためのいわばデコイだった。


 バルフの眼球が爬虫類のようにぎょろぎょろと動いて周囲を見回す。

 彼の周囲には幾重もの氷の円が描かれていた。重なり合うようにして描かれたそれは、何十回にもわたって上塗りされたことにより、いまやひとつの巨大な氷円と化している。


「これだけ準備をかければ、たとえあなたの雷撃であろうとそう簡単には通さない防壁をつくりあげることができます」


 バルフの右腕がフィルフィリアに向けられる。が。


「――『氷影捕縛フロズハルド』」


 一瞬のうちに氷結が上半身に及び、バルフの動きを完全に止める。いかに無詠唱といえど、発動済みの魔法であればフィルフィリアの方が速度において勝る。

 続けざまにフィルフィリアは魔法を紡ぐ。


「――『連立凍結防壁フロズウォルゾル』!」


 氷に覆われたバルフを、さらに氷壁が覆い尽くす。何十もの氷壁が塗り重ねられたことで極厚に至ったそれは、もはや防壁というよりも牢獄と呼ぶに相応しい様相さえ呈した。


 これでバルフを封じることに成功した。しかし、それは決して永久に続くものではない。それどころか、ここまで徹底的にやったところで稼げる時間はせいぜい十数秒だろうというのがフィルフィリアの目算だった。


 つまり、いまだ戦況は五分五分の状況――。


「必ず倒してみせます、この氷嘲の魔導をもって!」


 フィルフィリアは氷嘲の魔導書を掲げ、最後のページを開く。

 迷っている暇はない。ぶつけるのは最強にして最高位の魔導だ。


何故なにゆえにこの者共は劣悪なのか。何故にこの者共は浅薄なのか。何故にこの者共は滑稽なのか。我が悲愴は溢れ出でて止むこと無く、やがて冥き冷情が此を覆うに至るのみ」


 フィルフィリアから漆黒の冷気が漏れ出す。それはあらゆるものを凍てつかせる絶対根源的な凝結の力。


 詠唱する彼女の眼前、分厚い氷壁が内側から明滅を繰り返す。バルフの雷撃。徐々に氷壁に亀裂が入っていく。思った以上に猶予がないことをフィルフィリアは悟った。


 フィルフィリアは祈るような気持ちで詠唱を続ける。どうにか間に合って――!


「やがて悲愴は軽蔑へと移り、そして嘲笑へと成り果てる。寵愛を喪失せし者共よ。其の業総て、我が悲劇の氷嘲によって等しく微塵へと凍壊せよ」


 ついに氷壁が砕け散る。飛び出した雷撃の残滓がフィルフィリアの頬を掠めて焼いた。

 しかし彼女は詠唱をやめない。


「理外の理を識れ――」


 煌めく破片の雨。その向こうから、迸る雷光をまとったバルフ・ヘルケリウスが姿を現わす。濁りきった双眸が、ぐるぐると奇怪な動きの果てにフィルフィリアを捉える。


「わたセ、まどウショを、わたセ……」


 フィルフィリアに向かってゆっくりと雷魔の両腕が突き出される。発光する掌底。もはや数瞬を待たずして、命を刈り取る雷撃が放たれる。


 ……だが、間に合った。


 バルフよりもたったの一瞬早くではあった。しかし、そのたった一瞬こそがフィルフィリアの運命を決定づけたのだ。


 魔導七典が一冊、氷嘲の魔導書における最強の一撃をもたらすための詠唱が、ここでついに完成へと至る。


「氷嘲の魔導、終章――『氷片と化せ、愚鈍なる者共よトゥーゴユルナ』」

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