──聞こえてきたのは、苦しげに乱れた声だった。
「申し訳ありませんメイジュ様……! 雷遊の魔導書を奪われました……!」
予想し得なかった報告に目を見張る俺。常に冷戦沈着な愛依寿ですらも、流石に動揺の色を顔に滲ませた。
しかしそれも一瞬のこと。すぐに落ち着きを取り戻した愛依寿は、冷徹な声音でアソンに問う。
「どういうこと。一体なにがあったんです、アソン」
「王都行きの鉄道列車が襲撃されたのです……! 外部からの唐突な攻撃によって列車は脱線し、一般乗客たちに多数の死傷者が出ました。どうやら襲撃者の最初から狙いはバルフ・ヘルケリウスだった模様です」
襲撃者、ということはひとりによる仕業か。さっきのフィルフィリア・デンバル王女の言葉を聞く限り、バルフ・ヘルケリウスは相当な実力者のはずだ。そんな相手を単身で狙うとは一体何者なのだろうか。
「脱線……でもその程度、バルフほどの魔法師にとっては些事にも満たないでしょう。きっとそのまま襲撃者とバルフによる戦闘が始まったはずよね。最終的に魔導書を奪われたということは、バルフは襲撃者に敗北したというの?」
すると返ってきたのは、ほんのわずかに躊躇いを含んだ「はい」という肯定の言葉。
愛依寿の眉間に小さくしわが寄る。
「仮にも《雷遊の魔導書》の現所有者であり、崇高なる七魔導のひとつを扱うことのできるバルフ・ヘルケリウスが単身乗り込んできた襲撃者に負けるとは考えにくいのだけど」
確かに愛依寿の言うとおりだ。七魔導の力は通常の魔法を遙かに凌ぐものらしいし、ただでさえ強いバルフが雷遊の魔導まで使えるとなれば、そんじょそこらの魔法師じゃ敵わないような気もするが……。
しばし黙していた愛依寿だったけれど、やがて納得したように口を開いた。
「ひょっとして、襲撃者も七魔導の使い手だったのね?」
なるほどそうか。もし襲撃者がただの魔法師ではなく、バルフ同様に魔導七典の所有者だったとしたら。そうであるならば、バルフ・ヘルケリウスの敗北もあり得るのではないだろうか。
「はい」
アソンは肯定した。やはりそうだったのだ。バルフに攻撃をしかけた襲撃者もまた、俺の黒歴史ノートを持つ何者かだったのである。
「なるほど、それなら理解できます。それで、襲撃者が所有する魔導七典はなんだったのですか」
所在が掴めていなかった残りの四冊は、喰餓の魔導書、死退の魔導書、癒悦の魔導書、暴牢の魔導書だ。はたして襲撃者の持つ魔導書はどれなのか。
しかしアソンの答えはまるで予想外のものだった。
「いえ、メイジュ様……襲撃者は魔導七典を所有しておりませんでした」
「……どういうこと?」
俺もわけがわからなかった。
理解に苦しむ愛依寿に追い打ちをかけるように、アソンは続けて言った。
「我々と同じだったんですメイジュ様……。襲撃者は、焔激の魔導も、氷嘲の魔導も、雷遊の魔導も、喰餓の魔導も、死退の魔導も、癒悦の魔導も、暴牢の魔導さえも……七魔導すべてを原典を持たずに行使してみせたのです」
想定し得なかった事実。謎の襲撃者が、原典なしで七つの魔導を行使しただって? この世界の魔法師は、俺と愛依寿、それにアソンたち《七魔導代理》以外の人間は原典を持っていないと魔導を使えないんじゃなかったのか?
「あり得ません……!」
ついに愛依寿の顔に明確な狼狽が浮かんだ。
「私たち以外に原典なしで七魔導を扱う者が……お兄様の高遠なる魔導思想を独力で理解することができる者が、この世界に存在するなんて……」
「ですがメイジュ様、私たちは確かにこの目で見たのです……! 襲撃者は七魔導を行使し、いとも容易くバルフ・ヘルケリウスを屠りました。そして死したバルフの手から雷遊の魔導書を回収したのです。我々四人は雷遊の魔導書を奪還すべく襲撃者と交戦しました……ですが、あらゆる魔導を自在に操る相手を前に、力及ばず……まことに申し訳ありません……!」
悔しげなアソンの声にはっと我に返る愛依寿。
「あなたたち三人は全員無事なの?」
俺の胸中にも途端に不安が満ち満ちた。まさか最悪の状況になっているなんてことは……。
「はい、三人全員、どうにか無事戦線を離脱できています」
よかった……。俺はとりあえずほっと胸を撫で下ろした。
しかしながら任務を全うできずに敗走したことに対して罪悪感を抱いているらしいアソンに「あなたたちの無事がなによりも一番ですよ」と優しく言葉をかけたのち、真剣な顔つきになって思索する愛依寿。
「でも本当に理解ができません……襲撃者の正体は一体何者なの……」
するとアソンはやや躊躇いがちに、疑念と困惑とを含んだ声音で言った。
「正体はわかりませんが……メイジュ様、奴は自身の名を名乗りました」
「名前を?」
「はい」
謎の襲撃者はわざわざ名乗りを上げてからバルフと戦ったのか。なんだか異様に自己顕示欲というか自己愛的なものを感じる奴だ。
しかしどことなくアソンの物言いに違和感を覚える。彼女はなにに対してそんなに困惑しているのだろうか。
「それで、襲撃者は自らをなんと名乗ったのですか」
愛依寿の問いに対して、幾許かの沈黙。
悩むような、迷うような、なんとも居心地の悪い間を経て。
やがてアソンが口にしたその名前は……まるで俺という存在に対して揶揄あるいは嘲弄の意を孕んでいるかのようなものだった。
「奴は自らをこう名乗りました――『