「……はっ?」
今俺は何をしていたんだ?
目の前には竹刀のような刀が落ちている。いや、木でできていそうだから木刀か……と考えて、竹刀ってなんだ? と疑問が湧く。ふと顔を上げると、目の前には不安げな表情でこちらを見ている兄さんがいた……いや、俺には兄などいなかったはずだが……。
身体がふらついている。そして頭が痛い。なんでこうなったのだろうか……。俺が喋れないでいると、兄さんは現れた執事へと狼狽えながら説明していた。
「ヘンリクと稽古をしていたら、俺の木刀がヘンリクの頭に当たってしまったんだ! さっきから俺が何度か声をかけているのに、反応もなくて……!」
執事が慌てて屋敷へと向かう。きっと医者を呼びに行ってくれるのだろう……ちょっと待て、執事なんて日本にはいないぞ。何を言っているんだ俺は。身体だけでなく、頭も揺れているような気がする――。
気づけば見知らぬ天井が……いや、この天井は俺の部屋だ。
結局あの後、俺は倒れたらしい。そして誰かがここに連れてきてくれたのだろう。
幸い、今は頭の痛みはない。それだけでなく、記憶もハッキリとしているようだ。自分の名前も覚えているし、家族についてもちゃんと覚えている。直前の記憶も覚えているようだ。本当に俺は幸運だったのだろう。
だが、ひとつだけ以前と違う点があった。
ヘンリクの記憶以外にもうひとつ……日本の言葉で言うならば「前世」、俺は日本で暮らしていた
ユウは交通事故で亡くなった。享年六十一歳……だったか。娘二人と妻一人の四人家族でもう何年も前に娘たちは嫁に行っており、妻と二人で暮らしていた。俺は元々インドア派で、特にロールプレイングゲームが好きだった。あの有名なワイクエは11シリーズ全て攻略したし、それ以外でも面白そうなゲームは何個も遊んでいた。妻もインドア派で、俺がゲームで遊んでいた時は本を読んでいたな。
そんな両親だったからか、娘たちも漫画やアニメが大好きで、特に変身モノ……美少女戦士サンシャインに二人してハマっていたな。毎日会社の帰りにスーパーへと寄って、サンシャインのおもちゃ付きのお菓子をふたつ買ってきて喜ばれたのはいい思い出だ。
61歳のおじさん……いや、当時は孫もいたから、おじいちゃんと言われる年齢か。そんな年齢の俺が、十六歳の男の子に転生するなんてな。
よく小説では前世の記憶を思い出すと、性格が変わるような描写もあったけれど、意外と変わらないもんだな。そうか、そもそも俺が十六歳だった時もヘンリクのような子どもだったから、違和感なく溶け込めているだけか。
そんな事を考えていると、扉をノックする音が聞こえた。「はい」と返事をすれば、部屋に入ってきたのは両親と兄さんだった。
「ヘンリク〜! 目が覚めて良かったなぁ〜!」
「ディック兄さん、心配かけてごめん。木刀をすぐ拾えなかった俺の落ち度だ」
「いや! 俺が止めれば良かったんだ! すまなかった!」
ディック兄さんは次男で二歳上。今年成人を迎えている。
兄さんは剣術の腕を見込まれて、現在王城の騎士団に見習いとして毎日訓練をしていると聞いた。稽古をした日は久し振りに連続休暇をもらえたらしく、家に戻ってきて顔を見せてくれたのだ。その時に俺が稽古を頼んだのだが、まさかあんな事になるとは誰も思わないだろう。
すまない、と抱きしめてくる兄さんの手が震えている。顔を上げるとそこにはこちらを気遣う両親の姿があった。
「ヘンリク、目を覚まして良かったわ。あなた、三日間も目を覚さなかったのよ?」
「え、俺……三日間も寝ていたのですか?!」
それは兄さんが心配するわけだ。兄さんは怪我をさせた張本人として、責任を感じていたんだろうな。
「医者に診てもらっても、寝ているだけで命に別状はないと言われていてな……目を覚さなかったら、王宮の医師に診察を依頼するところだったが、何はともあれ。無事に目が覚めて良かったな」
「ヴェルクにも連絡したけれど心配していたわよ? 落ち着いてからでいいから、手紙を書いておきなさいな」
「ヴェルク兄さんも? 分かった」
ヴェルク兄さんはこの家の長男であり嫡子で、今は両親の代わりに領地で働いている。皆に心配をかけて申し訳なかったな、と思った。その時に肩を落としていたらしい。それを見た母がディック兄さんの肩を叩いて話した。
「ほら、ディック。ヘンリクが目覚めたのだから、貴方は城へと戻りなさい。ここにいても、ヘンリクを疲れさせるだけだわ。まだヘンリクも本調子ではないでしょうから、休ませるわよ」
「そうだな。ヘンリク、何か欲しいものはあるか?」
「なら、水と軽食が欲しい」
三日も寝ていたからか、先程からお腹の音が何回か鳴っていた。喉もカラカラで、少し喋るのが辛いくらいだ。
「分かった。用意させよう」
「ゆっくり寝てるのよ、ヘンリク」
「兄ちゃんまた来るからな……!」
「ありがとう、ディック兄さん」
俺は手を軽く振って三人を見送ってから、音を立てて上半身をベッドへ横たえた。
「なんで記憶を取り戻したんだろうな」
虐げられていた主人公に転生したり、悪役に転生したりする話が流行っていたのを俺は知っている。だから今回もその類かと思ったが、ヘンリクがそれに当てはまるような人生を送っているわけではなさそうだ。
いや、伝承で「厄災の箱の封印が解けるとき、神から神託が降りる」なんて話もあるが……まさかな。
その日から二年ほど。何事もなく過ごしていた俺だったが、忘れていた頃にやってくる、とはよく言ったものだ。まさか俺が勇者に選ばれるなんて思っても見なかったな。
「それでユウくんと出会えたのね〜。姿は違うけど、ユウくんと出会えて良かったわぁ」
ここは馬車。目の前にいるのはクリスティナ……正確に言えば、見た目はクリスティナ、中身は前世友人だったミヤ、だ。俺たちは現在魔の森に接する辺境の街へと向かっていた。
「そうだ。本当にアルバードの時は驚いたんだからな?
「あー、そうなの。賢者だって聞いていたから、自信満々でアルバードを倒そうと前に立ったのだけれど……ハルちゃんに魔法の使い方を聞き忘れてて――」
「普通聞き忘れるか……?」
いつもどこか抜けているのは、おばあちゃんになっても変わらないらしい。しかも前世のミヤは俺よりも二十年以上生きていると聞いたのだが……流石にのんびりすぎないか?
そしてまさかのハルが神様だとは。神様だなんて分かるか! とミヤに告げたら、まさかの答えが返ってくる。
「神田遥(かんだはるか)の読み方を変えると『かみだよう』って読めるでしょ? 名前で自分が神様だって事をアピールしてたんだけど……ってハルちゃんが言ってた」
「いや、待て。そもそも神が小学校に通っているとは思わないし、神田遥って名前が自然すぎて、『神だよぅ』なんて思いつかないわ!」
「本当にそれよね!」
懐かしいな、と思う。小学校の頃は俺が一人でハルとミヤの言動にツッコミを入れていたな。今でもそれは変わらない……。
「そう言えばヘンちゃん」
今までヘンリクと呼ばれていた俺は眉間に皺を寄せた。いきなりヘンちゃんと呼ばれて、驚かない人がいるだろうか……いや、いない。
「ちょっと待て、ヘンちゃんとは俺のことか?」
「うん。前はユウくんだったでしょ? それに引っ張られているのか、なんかヘンリクって呼ぶのしっくりこないの」
「……せめてリクくんにしてくれ」
「分かったわ!」
いや、小学校の時よりもツッコミどころ多い気がする。隣ではコニーが気遣う表情でこちらを見ていた。
「ヘンリクさん……」
「大丈夫だ……慣れているから大丈夫だ」
「ヘンリクさん。そ、それ自分に言い聞かせていませんか……?」
遠い目をしている俺たちを他所に、