「ぶへっ!」
叩いているクリスちゃんの父親……面倒なので、父とこれから呼びましょうか。なるほど、先程扉とぶつかったのは父だったらしい。
彼はいきなり開いた扉に対応できなかったのか、思いっきり開く扉にぶつかったようだ。開けた瞬間、頬を両手で押さえてうずくまっていた。母と兄も大きな音に驚いたのか、口を半開きにして父の方を見ている。
私はその間に聖職者であろう彼へと声をかけた。
「お初にお目にかかります。クリスティナ――でございます」
「ご丁寧にありがとうございます。教会より参りました、司教のマルクスと申します」
貴族の挨拶が分からないので、丁寧な言葉遣いを心掛けたけれど……相手が不快にならなかったようで良かったわ。マルクス様、ごめんなさいね。これでも一応名前を名乗ろうとしたのだけれど……どうしても家名が思い出せなかったの。確かレーヴィスト侯爵家だったかしら。
『違うよぉ〜! レーフクヴィスト侯爵家だよ!』
遠くでハルちゃんの声が聞こえるけれど、マルクス様も私がクリスティナだと分かっているようだし、きっと何とかなるわよね。そんな意味を込めて微笑んでいたら、マルクス様は私を見てにっこりと笑ってくれた。
「クリスティナ様。先程女神様より神託が降りまして、貴女様が賢者として勇者に同行するように指名されております。一度教会へとご同行を願いたいのですが……」
「はい。必要なものは持ちましたから、今から参りますわ」
「ありがとうございます。必要な物とは……もしかしてその本だけでしょうか?」
「ええ。そうですわ」
そう言って小脇に抱えていた本を持ち上げれば、彼は目を見開いた後、じろりと三人を睨みつける。クリスちゃんの置かれていた境遇に気付いたのだろう。
まあ、気づかない方が可笑しいわ。だって貴族令嬢が屋敷の外にある小屋へと閉じ込められていて、当人はお古のワンピースを着ている上に、持ち物は本一冊だけだとか。何か事情があるのだろう、と思うのが普通よね。
案の定、彼らはマルクス様へとしどろもどろな言い訳を告げている。父がこちらを見て、「お前も何か言え!」と口パクで私にアピールしているようだけれど、ごめんなさい。私はクリスちゃんじゃないから、何と言ったら良いか分からないのよね。
マルクス様は父達の言い訳を最後まで聞く事なく、私に手を差し出してくれた。これはエスコート、というものかしら?
多分手を取るのが正解でしょう、と考えて、私はマルクス様の手の上に自分の手を置いた――その時。
「少々お待ちください! クリスティナは私の娘です! 娘を勝手に連れて行かないでいただきたい!」
そう立ち塞がる父にマルクス様はため息をついた後、懐から一枚の紙を取り出した。
「私はこの件に関しまして
「なん……だと……」
マルクス様が広げて見せた紙には、確かにそれらしき文言が書かれていた。それを見て侯爵達も自分がした事の意味を理解したのか、顔から血の気が引いていくように見える。彼らが静かになったからか、マルクス様は三人に背を向けて歩き出した。
「司教様! ま、待ってくれ! せめて本当にこいつ……いやクリスティナの魔力量が多いのかをこの目で見たいのだが!」
私の事を「こいつ」と呼んだ父に対し、振り返って絶対零度の視線を送るマルクス様。雰囲気は優しそうだけど、若くして司教になっているからか、威厳があるのねぇ。素晴らしいわ!
「クリスティナ様、この方たちはこのように仰っておりますが、どういたしますか?」
そうマルクス様に尋ねられてふと後ろを見ると、母と兄も固まっている。
「好きになさって下さい」
「畏まりました。それではあなた方は、
マルクス様は「後から」を強調したように聞こえたけれども気のせいかしら? まあ、きっと気のせいね。
そんなやり取りを終えて二人で正門前にある馬車まで歩いていると、門前に並んでいる使用人たちが目に入る。大抵の使用人は顔を伏せて震えていた。その間を通り、私たちが馬車に乗ろうとした時、一人の侍女が馬車の前に現れる。
その不安げな表情を見て、勘ではあるがこの本を渡してくれた侍女が彼女なのだろうと思ったの。それは正しかったらしい。
「し……司教様! 私を連れて行ってくださいませんか!」
「貴方は?」
「この家の侍女をしております……以前は、お嬢様に付いておりました!」
『あ、クリスちゃんに本を渡したのはこの侍女ちゃんだね〜』
あ、やっぱりそうかぁ。お礼を後で言わないとなぁ……と考えてはた、と思う。
今の私は以前のクリスちゃんじゃないから、彼女にお礼を言ったら訳が分からなくなるわね。いえ、「この本のお陰で賢者になれた」とお礼を言えば良いかもしれないわ。そう言えば、あの人たちはクリスちゃんと関わっていなかったから、中身が違う人だと気づかなかったけれど……彼女のようにクリスちゃんの事を知っている人からすれば、今の私がクリスちゃんじゃないってバレる気がする。……まあ、考えるのは後でいいわね。
「マルクス様、彼女も一緒に連れて行っていただけませんか?」
「ええ、勿論ですよ。そこのあなた、後ろの馬車に乗りなさい」
「あ、ありがとうございます!」
彼女が後ろの馬車に乗ると、ゆっくりと動き出す。私は遠くなっていく屋敷をぼーっと見つめていた。
いくばくかして教会にたどり着き、教会へと入る。私とマルクス様は礼拝堂を通り抜け、人気のない通路を歩いている時、彼が話し始めた。
「現在、厄災の箱……我々はパンドゥーラーと呼んでおりますが、パンドゥーラーの封印が解けかけており、完全に解けると厄災が世界へと降りかかる……と女神様より神託がございました。そのため、神託で伝えられた勇者様、賢者様、聖職者の三人が森の奥にある魔族領へ向かい、彼らと協力してパンドゥーラーへと封印を施す事になります。勇者様と聖職者も見つかっており、二人ともこちらへ向かっているようです。全員が揃ってから、顔合わせをしようと思うのですがよろしいでしょうか?」
私が一番乗りだったようだ。一緒に向かう勇者様、聖職者様は良い人だといいわね。
「それでお願いいたします。ありがとうございます、司教様」
「いえ、これも私の仕事ですので。ちなみに私の事はマルクスとお呼び下さい」
「分かりましたわ。マルクス様」
そんな話をしながら、私はマルクス様からこれからについて話を聞く。まず私たちは魔の森を抜けて魔族領へと向かう事になるらしい。元々パンドゥーラーは魔族領にあり、魔族が封印を維持しているのだそう。ただ魔族の人々は封印を維持する事はできるが、解け始めた封印を再度施す事ができないのだとか。そのために、パンドゥーラーの封印に適性を持つ人に「勇者、賢者、聖職者」の役割を与え、魔族領の人々と協力して再度封印をかける事になるらしい。
まず私たちは魔物の森を越えなくてはならないのだけれども、ちょっと気になるのはクリスティナの体力だ。細すぎるから体力が持つのだろうか……と私は心配になる。普通の貴族令嬢ってあまり歩くイメージがなかったので、もしかしたらすぐに疲れちゃうのでは……と思っていたけれど、クリスちゃんは意外と体力があるらしい。先程馬車の中でマルクス様がパンをくれたのも良かったようだ。
『そう言えば、お腹が空いた時には屋敷の奥に広がっている山に入って食べられそうな草花を採っていたみたいだよ〜! ミヤちゃんが思っている以上に体力はあるかもね!』
「そうなの。教えてくれてありがとう、ハルちゃん」
「どうかいたしましたか?」
前を歩いていたマルクス様が不思議そうにこちらに顔を向けてくる。何でだろう……と思って首をかしげてからそうか、と納得する。ハルちゃんの言葉は私の頭の中で響いているだけなのだから、彼に聞こえるはずがないのだ。
「何でもありませんよ〜」と彼に告げる。ハルちゃんとの会話でぶつぶつ呟いている私は、周囲から見たら独り言の多い人かと思われるかしら。まあ、気にしなくて良いわよね。何か言われたら直せば良いわ。
考え事をしている中、前にいたマルクス様が立ち止まる。大きな扉の前に着いたらしい。彼は何かを喋ろうとして口を開いたその瞬間――。
ゴーン、ゴーン、ゴーーーン、ゴーン、ゴーン、ゴーーーン……
けたたましい鐘の音が鳴り響いた。