最初は遠くで聞こえていた喧騒だったが、段々その声が近くなってきたような気がした。もう一度窓の外を覗いてみると、遠くで押し問答している人たちの姿が見える。耳をそばだてていると、二人が何を言っているのかが聞き取れた。
「ですから! 女神ジェフティ様から神託が降りまして! クリスティナ様が賢者として選ばれたと何度も言っているではありませんか!」
「そんなの嘘に決まっている!」
「嘘ではありません! 侯爵は教会に楯突くおつもりですか?!」
そういえば、この家は侯爵家だったわねぇ、と私は思い出す。
侯爵家は確か公爵家の次に高い爵位だったはずよね。二人のうち一人は真っ白い服を着ていて、「教会」とも言っていたので多分聖職者様なのでしょうけれど……そんな家が、教会に楯突いて良いのかしら、と思う。
ハルちゃんが神託を降ろせた世界だ。宗教団体の権威が強いのでしょう。それに反抗したら、破門くらいになりそうだけど……。
破門になったら、この家没落しそうだけどそうでもないのかしら……なんて私が考えている間にも、話は進む。
「クリスティナは魔力量が少ないと以前測った時に判明していたではないか! そんな奴が我らよりも魔力量が多いはずなどない!」
「魔力量は増やせると、侯爵様も存じ上げているではありませんか!」
「知っているが、それでもたかが知れているだろう! 魔力量三位である私よりも多くなる事などありえん!」
なるほど、元々の魔力量が多いというプライドがあるようだ。
プライドの高い事が悪い事ではないわ。それが自分の信念や向上心に繋がり、周囲から尊敬される人だっているのだから。ただ、あの人たちの様子やクリスちゃんの扱いを見る限り、プライドの高さは悪い方向へと影響をしているのでしょう。
クリスちゃんのように魔力量が少なかった娘に、まさか魔力量が抜かされているなんて……彼らにとっては屈辱なのでしょうね。愛情持ってきちんと育てていれば、「賢者を育んだ生家」として名を残す事になったでしょうに。「クリスちゃんが虐げられていた」なんて話が広まったら、この家はどうなるのでしょうね。
そんな私の考えを知ってか知らでか、ハルちゃんが話しかけてきた。
『ミヤちゃん、クリスティナちゃんの家族の事、あんまり好きじゃない?』
「あら、そんな事はないわよぉ〜」
まあ、もしかしたらあの態度は父親だけかもしれないわね……と思ったけれど、残念ながらそうではなかったみたい。
「そうだ! 妹と言うのも悍ましいくらい魔力の無かった女が、次期侯爵である俺様を抜かすはずがない! 俺だって国での魔力量は四位だったのだからな!」
「そうよ! 国での魔力量六位の私がいるのよ! 十位以内にも入れないあの子は私の娘ではないわ!」
やいのやいの言っているクリスちゃんの家族の話を聞いて、何となく彼らの性格が分かってきた気がする。彼らは自分の持つ魔力量を誇りに生きてきたのだろう。
聖職者様もそれを感じたのかもしれない。
「皆様は魔力量について仰っておりますが……その記録は最近のものではありませんよね?」
ため息をついて告げた彼の言葉に、三人の肩が跳ねた。図星を突かれたみたい。
「ご子息様はまあ……甘く見て許容範囲内ではありますが……お二人の魔力量の記録は、ご子息様が誕生された時のより前の記録だと記憶しております。数年に一度は測るようにと魔法省からお達しがありますよね? 何故お二人は魔力量を測らないのでしょうか? もしかして、訓練をされておらず魔力量が下がっている、なんて事はございませんよね?」
三人とも目が泳いでいる。
そう言えばさっき、ハルちゃんが『魔力は訓練すれば上げられる』と言っていたわ。魔力量を増やす事ができるのなら、訓練しなければ魔力量が減る事だってあるはずよ。そこは運動や芸事と一緒なのでしょう。訓練すれば上達するし、訓練を怠ればできなくなっていく。
――もしかしたら、あの三人、訓練を怠っているのではなくて?
あらまあ、元の魔力量の多さに胡座をかいて、何もしなかったツケが今ここで現れているのかもしれないわね。先程よりも小さな声で、ハルちゃんが『あ、ミヤちゃんの予想通り魔力量が落ちてるねぇ』と言っているから、大方間違っていないでしょう。
そうね、過去の栄光に縋っているみたいな感じかしら。
最初から魔力量が多かった彼らは「自分は魔力が多いのだから、優遇されてあたり前」だったのでしょう。魔力量の多さからチヤホヤされ続けた彼らは挫折した事などないのかもしれないわ。失敗や過ちも直視せず、過去の栄光を振り翳しながら今の地位を守ろうとしているのかもしれないわね。
でも、正直に言えばそれは訓練していなかったあなた達が悪いのではなくって? クリスちゃんや聖職者様にやつ当たりするのはお門違いだわ。
そんな事よりも大変なのは、聖職者様ね。
「それは領地運営が忙しいから……」
「学業が……」
「夫の手伝いで……」
なんて言い訳を続ける三人を相手にするのも辛いわよねぇ。
聖職者様が少しずつこちらに近づいてきているから、彼の様子も見る事ができるのだけれど……三人に言われて、疲れているのか肩を落としているように見えるわ。後で労いの言葉をかけましょう……。
そんな事を思いながら、ベッドから立ち上がると少しふらついた。食事をあまり与えられていないからだろうか……身体が痩せ細っている。これはちゃんと食事を摂らせないとダメね、と思いながら軽く伸びをした。
さっきまでベッドの上でハルちゃんと話してたから、身体が硬くなっている気がする。さて、そろそろ私はあの方達の前に顔を出した方が良いかしら……なんて思っていた私の頭に、ハルちゃんの声が響いた。
『そう言えば、ミヤちゃん。着替えなくて良いの〜? それ、多分日本で言うパジャマだよ?』
鏡で見てみると、確かに肌の露出が多い服だった。確か貴族は肌を見せない方が良いのよね。クリスちゃんは乙女なのだから、そこは気を遣わないといけないわ。
「あら、それは流石にクリスちゃんに悪いわねぇ。ねえ、ハルちゃん。クローゼットに入っていた服でも大丈夫かしら?」
『うん。あれは確かクリスティナちゃんの面倒を見ていた侍女ちゃんが持ってきてくれた普段着だから、大丈夫だと思うよ〜!』
「そうなの。その侍女さんに後でお礼を言わないとね」
確かさっきクローゼットを見た時に、ワンピースが一着入っていたのを思い出す。手に取ると、上にボタンがふたつ付いているワンピースだ。これなら私でも着替えられる。
そうしてさっさと着替えを終えたのと同時に、扉がドンドンと乱暴に叩かれる音がした。会話から察するに、聖職者様が開けようとするのを、クリスちゃんの父親が遮ったのだろう。そっとカーテンの隙間から伺うと、扉を乱暴に叩いているクリスちゃんの父親と「出てこい」と叫んでいる兄や母親の姿が。そんな三人を見ている聖職者様は大きなため息を付いている。
この中身が元々のクリスちゃんだったら、怖がるでしょうね。あの人たち、誰かを殴りそうな勢いだもの。
おばあちゃんは図太いのよ! あの三人なんか怖くないわ!
『安心して! 私が見守ってるからね!』
「あら、ハルちゃん、ありがとう。ハルちゃんがいてくれたら、百人力ね。それじゃあ行ってくるわね〜」
ドアノブに手をかけようとして、ドレッサーに入っていた本を思い出す。確かこの本はクリスちゃんが懇意にしていた侍女から貰った本。そんな大切な本なら手元に置いておきたい、と思ったのだ。
私は本を小脇に抱え、ドアノブに手をかけた。クリスちゃんはあまり筋力がないのだろう。扉を開けるために思いっきりドアを押したところ、バン! と何かと扉のぶつかる音が聞こえてきたのだった。