「あ…あの…」
店の扉を開け僕は声を上げる。
優雅さを演出している店内には一人の少女だけが存在した。
(耳が生えてる…)
カウンターにいる少女の頭についているのは猫耳だろうか?
その繊細な動きは作り物ではない、本物の猫耳だといことがわかる。
「お客様…初のご来店ですよね?いらっしゃいませ。バー【リーベ】へ」
バー【リーベ】
様々な異世界の住人が癒しを求めて集うバー。
そんな些細な情報だけで僕はこのバーに来ていた。
「本日はどのカクテルにしましょう」
カウンター席の椅子に案内されメニューを見せられる。
そこに書いてあるのはお酒の名前…ではなかった。
「【女狐】【スキュラ】【吸血鬼】【奴隷】…」
ほかにも様々な種族や地位が書いてあった。
「当店ではお会いしたい方のカクテルを注文していただくことになります」
”お会いしたい”という言葉に多少の疑問を抱きつつ、
「…じゃ…じゃぁ…この【女狐】を…」
「かしこまりました」
慌てて注文した僕の目の前で素早くカクテルが作られる。
「【女狐】。独特の大人びた甘さと、それを際立たせる柔らかい酸味と苦みが特徴の一品です。他にも特徴はありますが、
いつの間にか手が止まっている猫耳の生えた店員。
だが注文したカクテルはまだ僕のもとに届いていなかった。
「では…ごゆっくり」
そう言うと店主は手をたたいた。
その瞬間、今までの優雅なバーという雰囲気は様変わりし、妖艶な雰囲気を醸し出す内装に変わった。
目の前にいたはずの店員はおらず、代わりに黄色いカクテルが目の前に置かれていた。
「なんじゃ?お主が我の今夜の話し相手か?」
現実離れした現状に困惑していると、背後から声をかけられた。
「おや…めずらしい種族がこの店におるの」
だんだんと近づいてくる足音は僕が座っているカウンター席の隣で止まった。
「のぉ?人間」
隣の席に座っていたのは大きな狐の耳と尻尾を持った妖艶な女性だった。
「きれい…」
つい口から出てしまったその言葉。
けれど撤回する気にはなれなかった。
店の内装とマッチする着物に身を包む女性。狐らしい大きな耳と触り心地のよさそうな尻尾は小刻みに揺れていて、それが偽物ではないことを悟らされる。
「そうかそうか!…我を一目見て【きれい】と
僕の言葉を盛大に笑い飛ばす女性はさらに続ける。
「まぁ、我ら
(さりげなく普通の顔と評価された…けど、不細工だといわれなかっただけありがたいと思おう…)
「おや?不満か?」
どうやら顔に出ていたらしい。
「安心しろ、我らの里のオスはみな顔を妖術で変えている故、貴様の顔立ちをそう評価したただけのこと。まぁ、我は素でこの顔立ちだがな」
大きなしっぽを揺らしながら笑う女性。
「あなたは顔を変えてないんですね…」
「なんじゃ?その疑うような眼は。我は事実を言ったまでよ」
声色から少しすねられてしまったことを察知し僕は慌てて話題を変える。
「やっぱり…里とかあるんですか?」
「ん?ああ。我が管理しておる」
大きな胸を張る狐。そこには色気と同時に幼げな雰囲気がにじみ出る。
「長さんなんですね…どおりで…」
「なんじゃ?どおりできれいじゃと?なかなか口がうまいではないか!人間!」
言いたいことを読まれ驚いてしまう。
「お主はよく顔に出るな…この店は初めてと見たぞ?」
ふかふかのしっぽが僕の体を絡めると妖は僕のほうに体を寄せてくる。
「この店はな、様々な世界から多様の種族が酒を飲みに来る。そして…」
女性は僕の頬を愛撫し言った。
「気に入った相手とは、多少触れ合うことも許されておる」
そう言って僕の頭を毛深くあたたかいしっぽがゆっくりとなでてくる。
その心地よさと耳に届くごわごわとした音はこわばるからだから力を吐き出させた。
「お主は狐を見る目があるようじゃからな…どうじゃ?貴様がきれいと評した狐の自慢のしっぽは?…と聞くまでもないな。恍惚とした表情をしおって。どれ…わしもアレを試してみようかの」
そんな言葉が耳に届く頃には僕の体は完全にしっぽにゆだねられていた。
そのしっぽは頭をなでるのをやめ、僕のおなかをぐるりと一周する。
「人間はもろいと聞く…我も少々酒が回ってきておるが、まぁ加減を間違えるようなヘマはすまい?」
どこから取り出したのか、妖が手に持っていたのは梵天だった。
つまり、今からされるのは…
考えるよりも早くしっぽが強く僕を拘束するのだった。
・
・
・
それからのことはあまり覚えていない。
あまりの心地よさに眠ってしまったのは失敗だった。
体を起こしあたりを見渡すと妖の姿はなく、代わりに一人の少女だけが存在した。
店内の内装は元に戻っており、カウンターにはカクテルが置かれていた。
僕はそのカクテルをゆっくりと口に含む。
優しく広がる甘みとそれを際立たせるほんのりとした酸味と苦み。
解説されたとおりの味のカクテルが舌を喜ばせる。
「お客様。女狐様からお客様へと、これを」
ケモミミの生えた少女が渡してきたのは一つの梵天だった。
「我の毛から作った梵天じゃ。選別にくれてやる…と言伝をいただいております」
そのセリフを聞き、こみあげてくるもどかしい感情を飲み込むと僕はカクテルを楽しむ。
「また…合えるのかな」
「まったく同じカクテルが並ぶことはありません」
その言葉に改めて実感させられる、異世界という存在の遠さ。
さっきまでの体験は本来味わえない体験だということ。
「また来ます」
いつの間にか空になったグラスを残しカウンターを立つ。
「また、お越しください」
その一言を背中にうけ、僕は店を出るのだった。