目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

15杯目『パスティス・ウォーター』

「ねぇ、見てよこのポーション……。もう全然だめっ!」


 そう言うと錬金術師見習いのヘイズマリィはカウンターへと突っ伏した。長く黒い髪がボサボサできっとここ何日も作業に没頭していたことが伺える。女性なのでお風呂に入っていないとは思わないが、あまりにも髪の傷み具合に少し疑いを持つ。


 カウンターの上へと置かれた薄い赤色の液体の入った小瓶を、エルフの弓使いレティリカがそっと持ち上げて、揺らしたり、光にかざしたり、下から覗いて見たりしている。


「効果は……薄そうですね。……何か底の方に沈殿物がありません? これ?」


 レティリカの持っているポーションをマネアが横からひょいっと持ち上げ、まじまじと観察し始めた。


「いやー、これ……飲むの? あたしちょっと嫌なんだけど……」


 そう言うとマネアはカウンター越しに見ていたサクラへとその小瓶を手渡していた。


「うーん。こんな色のカクテルもありますし、お酒だと思えば飲めなくは……?」


 さらにその横でグラスを磨いていたバーテンダーへとサクラは「はいっ」とポーションを手渡してきた。


「あの……これ、なんなのでしょうか?」


 受け取ったバーテンダーはそもそもこれが何のかわからなかった。


「え? マスター知らないんですか? これは治癒のポーションですよ?」


 サクラがさも当然と言ったようにバーテンダーへと教える。しかし、治癒のポーションと言われてもバーテンダーにはピンと来ない。ゲームなんかでケガの回復とかに使われるアレだろうか? アレって塗り薬ではなかったんだ……などと考えていた。


「申し訳ありません、存じ上げません。これは何か問題があるのでしょうか?」


 バーテンダーは受け取った小瓶を少し揺らしながら、机に突っ伏したままのヘイズマリィの傍に小瓶を置いた。


「あーもう、ぜっんぜんだめなのよっ! 師匠の作り方通り真似て作ったのに……。何がいけないのかなぁ……」


 ボサボサの頭をヘイズマリィは掻きむしる。さらにボサボサの髪に進化し、隣に座っていたレティリカはやや退き気味だった。


「ねぇ、マスターくん。何とかならないかな? 同じ錬金術師のよしみでさ!」

「えぇ! マスター錬金術師だったんですか!」


 ヘイズマリィの懇願にサクラが驚愕した。そんなことがあるわけがないのは近くにいるサクラが一番知っているはずなのだが、バーテンダーは溜息をつくしかなかった。


「申し訳ありません、私は錬金術師ではありません。ただのバーテンダーでございます」

「んもう同じようなもんじゃない! 薬を混ぜるのも酒を混ぜるのも変わらないでしょ!」


 いや、さすがにそれは違う……と喉まで声が出かかったが、そういえば以前にカクテルは薬にも毒にもなり得ると説いてくれた人がいたことを思い出した。決して人を裏切ってはいけない職業は、医師・薬剤師とバーテンダーであると。そう考えると、あながち錬金術師と言われても間違いではないのでは? と、一瞬考えてしまっていた。


「んもう黙らないでよ! 真似るだけじゃだめなのかな……何が悪いんだろ……あーもうわかんない!」


 またもカウンターに突っ伏すヘイズマリィにバーテンダーは優しく微笑み返した。


「私は錬金術師ではないのでポーションは作れませんが、不思議な薬のようなカクテルはお作りすることができますよ。お試しになられますか?」


 ヘイズマリィは顔だけ上げて、小さくこくりと頷いた。


 バーテンダーは後ろの酒棚バックバーから一本の酒瓶を取り出しカウンターへと乗せた。その後に大きめのグラスタンブラー・グラスが用意され、氷が入れられる。そこに先程の酒瓶から琥珀色の酒が注がれる。


「さて、みなさまお立合い。目を凝らしてよくご覧ください」


 そう言うとバーテンダーは琥珀色の酒が注がれたグラスに、今度は冷蔵庫から取り出した鉱泉水ミネラル・ウォーターをグラスへと静かに注いだ。

 すると一体どういうことだろうか。グラスの中の琥珀色の酒は白く濁りだし、みるみるうちに白濁した液体へと変わっていった。まるで牛乳を注いだようにグラスは真っ白な液体で満たされていた。

 これを見たその場にいた人々は目を丸くした。


「マ、マスター! 魔法使いだったんですか? エルフでもこんな魔法使えませんよ!」


と、言ったのはレティリカ。


「え、なに? なに? なにこれ? え? なんで色変わってんの?」


 と、混乱しているのはマネア。


「何かの成分に反応して色が変わる……? でも水で変わるなんて……いや、でも……」


 と、ぶつくさ言っているのはヘイズマリィ。


 サクラは驚きこそしたものの、ニコニコと笑顔でその様子を見守っていた。


 長細いスプーンバー・スプーンが入れられ、軽くかき混ぜられるステア


「お待たせ致しました。『パスティス・ウォーター』でございます」


 差し出された白濁のグラスに一同は顔を見合わせる。意を決してヘイズマリィがグラスに口をつける。


「うへぁ! なにこれ! めっちゃ薬くさい!」


 口を付けた瞬間に広がるのはハーブの独特の香りと味。スターアニスという植物の風味が強く感じる。中華料理でよく使われる八角と同じものである。あまりにも独特な風味なので好みが別れる不思議な飲み物だった。


 バーテンダーはその様子を確認すると、先程の酒瓶を手に取り説明を始めた。


「これは『パスティス』と呼ばれる混成酒リキュールの一種です。水を入れると乳白色に濁るのはウーゾ効果と呼ばれる現象です。『パスティス』の名前の由来はある国の言葉で『似せる、紛い物、模倣する』。元々は『アブサン』という混成酒リキュールの代替品として作られたんです」

「紛い物……模倣……」


 ヘイズマリィはグラスを持つと思う所があるように見つめ続けた。


「『アブサン』は材料に幻覚作用などの中毒症状を引き起こすことが確認されてから、製造が禁止、販売が中止されました。その代替品として作られたのが『パスティス』。『アブサン』に似せて作られたから『紛い物』なんです」


 ヘイズマリィはグラスに口をつけると眉間に皺を寄せながらゆっくりと飲んでいく。


「まるで、私のポーションみたいだね、模倣品でできそこない。それでこんなに薬臭くて美味しくないときたものだ! 皮肉だね」

「いいえ、それは違います」


 バーテンダーはヘイズマリィの目をしっかりと見つめて言った。


「『アブサン』が禁止された時に、やはりどうしても『アブサン』のようなお酒が望まれたのです。どうにかして中毒症状を出さないものを作りたくて当時の人々は必死だったと思います。出来上がったお酒は『模倣』と名前は付けられていますが、『アブサン』よりもアルコール度は低く、甘口でより洗練されたお酒になったのです。ただの『模倣』なんかではなく、職人の弛まぬ努力と技術の結晶がこの『パスティス』というお酒を作り上げたのです」

「それは……私にも努力をしていいポーションを作れって言ってるのかい?」


 バーテンダーは静かに頭を下げた。


「言葉が過ぎました事、深くお詫び申し上げます」

「あ、いや、気にしないでよ。確かに私の努力も足りなかったわけだし。この『パスティス』のように『アブサン』を越えれるよう頑張ってみるよ!」


 にこやかにヘイズマリィは笑うとグラスの中身をまた眉間に皺を寄せながら飲み干した。


「それでは、お口直しに『パスティス』を使った美味しいカクテルをお作り致しましょう」



 例え『模倣』と言われても、それを作り出そうとした信念や努力はまさしく『本物』。長い長い歴史の上に築かれた努力の結晶がお酒には存在するのです。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『パスティス・ウォーター』

パスティス 30ml

ミネラル・ウォーター 適量


氷を入れたタンブラーにパスティスを注ぎ、

冷やしたミネラル・ウォーターで満たしステアする


マイナビ出版 「銀座のバーが教える 厳選カクテル図鑑」より抜粋


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?