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14杯目『アイス・ブレーカー』

 今日のバー『Etoileエトワール』では、普段使用されていない席が使われていた。基本的に常連や一見はカウンター席を利用しているが、今日に限っては珍しく奥の四名掛けのボックス席に人が座っていた。

 席に座っているのは三人。新品の皮鎧に新品の長剣、いかにも新人ですといった戦士の男。深めのとんがり帽子を被ったこれまたいかにもファンタジーの魔法使いのような少女。そして、これまたどうしてファンタジーにありがちな神官服のような服を着た少女。いかにもパーティを組んでいますと言った感じに見える。

 そんな彼らだが、入店した後ずっと押し黙っていた。正確には二、三何事か呟いたりして話はしているみたいだが、会話というにはあまりにも成立していない様子だった。


 そんな様子を横目に見ていたサクラは、とてとてとバーテンダーに近付くと小声で囁くようにつぶやいた。


「あそこのお客様……さっきから黙ってばっかりですけど何かあったんでしょうか?」


 ちらりとバーテンダーが彼らを見る。俯いて押し黙っているのは魔法使いと神官の少女二人のようで、戦士のほうは明後日の方を向いて視線を泳がせていた。どうやら何か悲しいことや、つらいことがあったとかそういった類の状況ではなさそうだ。


「お客様が事情を話してくださらない限り、バーテンダーが介入してはいけません。ですが、バーに来た以上、笑顔でお酒を楽しんでもらいたいものです。口直しチェイサーを出しますのでそれとなく聞いてみてはいかがでしょう?」


 そう言うとバーテンダーは、氷の入ったグラスを三つ用意し、その中に水を注いでお盆へと置いた。


「はーい、いってきまーす」


 サクラはお盆を受け取るとそのまま三人の方へと歩いて行った。



    ◇



 しばらくしてサクラが空のお盆を持って戻ってきた。


「いかがでしたか?」


 バーテンダーの問いにサクラは聞いてきたあらましを話し始めた。曰く、彼らは今さっきパーティを組んだばかりの新人冒険者だとのことだ。


「たぶん、まだお互いを名前ぐらいしか知らないので、何を話したらいいのかわからないんだと思います……」


 サクラは心配そうに三人の方を見ながら呟いた。


「そうですか。まあ知り合って間もないなら致し方ありませんね。いずれ時間が解決してくれることでしょう」

「それじゃあダメなんですよ? マスター」


 サクラは不思議そうにバーテンダーの顔を覗き込んだ。


「冒険者さんってのは常に命を懸けた依頼をこなしているんです。ですからパーティは単なる仲間ではなく命を預ける家族なんですよ。だからお互いの事をよく知って、自然と連携を取ったり協力できたりする信頼関係が必要なんです」


 なるほど、とバーテンダーは思った。今まで自分の生きていた世界とはまた違った概念だ。


「冒険者と言うものはそういうものなのですね。ですが、いきなり打ち解けるというのもなかなか難しいものでしょう。やはり時間が必要なのではないですか?」

「んもーですから! ここはマスターの腕の見せどころじゃないですか!」


 そういうとサクラはシェーカーを振るような動作をしてみせた。つまりは、何かカクテルを作ってお互いの間を知るきっかけを用意しろと言っているのだ。


「そう言われましても……」


 難しい注文だった。本来であれば故郷の地酒や、好きな映画、好きな絵、好きな音楽など共通項を見つけ出し、それに因んだカクテルを用意することで、話のタネにすることは可能である。だが、ここは異世界である。酒棚にある酒はどれも馴染みのないものであるだろうし、映画や音楽と言われても疑問符を浮かべるだろう。あとは、美味しいものを共有することで自然と口数を多くさせるぐらいしか思い至らなかった。


 その時、バーテンダーの脳裏にひとつのいい案が閃いた。


「打ち解けられるかまではわかりませんが、ひとつの話題にはなるカクテルがあります。サクラさん。今から言うことをしっかりと覚えて彼らに伝えてあげてください。このカクテルはその名前が一番重要なのです」


 バーテンダーはカクテルの準備をしながらサクラへとそのカクテルについて話をはじめた。



    ◇



「お待たせ致しました! こちら『アイス・ブレーカー』になります!」


 元気よくサクラがお盆に載せたカクテルを一つずつテーブルへと置いていく。その姿にボックス席の三人はサクラの顔を見て驚いていた。


「え……あの? 頼んでませんけど?」


 魔法使い風の少女がサクラに対して注文していない旨を伝える。それにも元気よくサクラはにこりと笑い応える。


「はい! こちら当店のマスターからのサービスとなっています! お代は頂きません!」

「そ、そういうことなら……もらおうかな?」


 戦士の方は他の二人の顔色を窺っているのか少し遠慮がちであった。

 三人の目の前に置かれたのは、背の低い大きめのグラスオールド・ファッションド・グラスに入れられた薄い赤色のカクテルだった。


 彼らはグラスを取るとひと口飲む。

 柑橘系のフルーティーな風味が口の中いっぱいに広がる。色合いにマッチした適度な甘みと酸味が何とも爽やかさを演出している。


「ちょっと強めですけど、美味しいお酒ですね」


 神官服の少女が口にする。


「はい! マスターの作るカクテルはみんな美味しいです! えと、それでですね。このカクテルをお出ししたのは意味がありまして……。『アイス・ブレーカー』って言うのは『砕氷船』って意味だそうです」

「『砕氷船』?」


 聞いたことのことない言葉に三人は顔を見合わせる。


「はい。ええと、北の方の海は氷が張っていることがあるそうで、それを壊しながらじゃないと船が座礁してしまって進めなくなっちゃうそうです。その氷を割りながら進む船の事をそう呼ぶそうですよ」

「へーそうなんだ。でもなんで? 私たちには関係なくない?」


 魔法使い風の少女が訊ねる。


「ええと……。初対面の人同士が顔を合わせた時とかに、しーんと静まり返ったりすることを氷が張った事に例えて、場や雰囲気を和ませたり打ち解けるって意味も含めて、氷を破壊するアイス・ブレーカーと言うそうです。みなさんがそんな感じに見えたのでマスターが用意してくれたんです」


 三人はお互い見合った後、ぎこちなくではあるが微かに微笑みあった。


「そうだったのか……気を使わせたみたいですまない。ありがとう。マスターにもお礼を言っておいてくれ」

「はい! みなさんもそのカクテルの感想とかを言いあったりして、早く仲良くなってくださいね!」



    ◇



「マスター! みなさん気に入ってもらえたみたいですよ!」


 サクラが戻ってきてバーテンダーへと報告をする。バーテンダーはちらりと横目で奥の席を見るが、そこには先程よりかは幾分楽しそうな会話が聞こえてきた。


「それはよかったです。こちらの人に伝わるか少々不安でしたが安心しました」

「さすがはマスターですね!」


 サクラは我が事のように喜んでいた。

 だが、サクラは気付いていなかった。この『アイス・ブレーカー』は、バーテンダーと客の間の氷を取り除く意味合いも含めていたことを。相手の事情に干渉するための口実としてサクラに学んでもらうために作られていたことに。



 知らない人と打ち解けるのは中々難しいもの。そういう時にもお酒の力は非常に役に立ちます。そうまるでそれは魔法のように。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『アイス・ブレーカー』

テキーラ 40ml

ホワイト・キュラソー 20ml

グレープフルーツ・ジュース 40ml

グレナデン・シロップ 2tsp.


シェーカーにすべての材料と氷を入れてシェークし、

氷を入れたタンブラーに注ぎ入れる


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋



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