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12杯目『ボイラー・メーカー』

 今日のお客は少し騒がしかった。

 街の近くにある鉱山。そこで働く鉱山夫が三人、仕事終わりに酒を飲んでいた。彼らが飲むのは主に安酒エール。所謂、麦酒ビールのことであるが、鉱山夫の安日給で程よく酔える酒はこれしかなかった。


「ぐははははは! オルテオ、マシュー! もっと飲め飲め! 全然量が足りてねーぞ!」

「おっと。すまねえなガイヤ! 鉱山で鍛えた俺をなめるなよ!」

「それにしてもここの安酒エールはうめえな! わはははは!」


 正確には上面発酵エールではなく、下面発酵ラガーなのだが、本人たちにはそんなことは関係がなかった。


 少々騒がしいのでサクラは注意を促そうかとも思ったが、筋骨隆隆のヒゲもじゃな屈強な男に声を掛けるのはさすがに躊躇いがあった。それを見てか、バーテンダーが代わりに諫めていた。


「お客様、申し訳ございません。少し声を落として頂けますでしょうか」

「おうん? がはは。すまねーな、にーちゃん! 育ちが良くなくてよ。上品に酒を飲むことができねーんだわ!」

「悪気があるわけじゃねえんだわ。堪忍してくれな!」


 そう言うと彼らはまた「がはははは」と笑いながら楽しく酒を酌み交わした。サクラとバーテンダーはお互いの顔を見合わせて苦笑いを浮かべるしかなかった。



    ◇



 狂乱の宴もいずれ終わりを迎える。しこたま酒をかっ食らった三人のうち、ガイヤと呼ばれたリーダー格以外の二人は相当に酔いが回っていた。


「おめえら酔い過ぎだ。もう今日は帰れ」


 ガイヤがそう言うと、二人は重い腰を上げ千鳥足になりながらも、バーの重い扉から外へと出て行った。残されたのはガイヤだけであった。


「にーちゃん、騒がしくて悪かったな。追加でおかわり頼むわ」

「既に相当な量をお飲みになられましたが、大丈夫ですか?」


 バーテンダーが心配するが、ガイヤは気にも留めずにグラスを前へと差し出した。それを受け取ると同じものの用意をはじめた。


「すまねえな、にーちゃん。なあ、俺たちがなんでこんなに酒を飲むのか、わかるか?」

「お酒が好きだから……じゃないんですか?」


 サクラはさも当たり前ではないかとガイヤへと問い掛ける。ガイヤはサクラの方へと顔を向けると先程と同じように豪快に笑った。


「がはははは。その通りだよ、ねーちゃん。俺らは酒が好きでなあ!」


 馬鹿笑いしているガイヤの前に追加の酒が差し出される。しかし、バーテンダーは先程の疑問に答えるように一言を添えていた。


「恐怖を……。恐怖を紛らわせるため、でございますね」


 ガイヤの笑いが一瞬にして止まる。核心を突かれたかのように目が泳いでいるのが傍から見ても分かった。冷や汗も出ているように見える。心なしかグラスを持とうとした手が小刻みに震えているようにも見えた。

 そんな中で、サクラだけはきょとんと何もわかっていない様子だった。


「恐怖……ですか? 何が怖いのですか?」

「……ねーちゃん、鉱山の中入った事あるか?」


 笑いを止めドスの効いた声で聞かれたことに、サクラは静かに首を横へと振る。


「だろうな……いいとこの嬢ちゃんにはわかんねーだろうよ。鉱山ちゅーのは、ようは山んなかに穴掘るつーこった。坑道ってのは何が起こるかわからねえ。いきなり溜まってた地下水が溢れ出して濁流みたいに押し流すかもしれねえ。変なよくわかんねー有毒な霧が発生するかもしれねえ。いつ岩盤が崩れて落盤で押しつぶされるかもわからねえ。閉じ込められて灯りもない闇の中に取り残されるかもしれねえ。ほんとに何が起きるかわかんねえんとこなんだよ。まるですぐ後ろに死神を背負ってるみたいなもんだ。一歩間違えれば死は免れない」


 ガイヤはそう言うとグラスの酒を一気に呷った。


「だから、だから怖いんだよ。酒に溺れるしかねえ。仕事が終われば、今日も一日生き延びれたことを、仲間とささやかな祝杯をあげることしかできねえ。明日には隣で飲んでるやつが死んでるかもしれねえんだ。そんな恐怖あんたには考えられるか?」


 サクラは言葉が出なかった。何気ない疑問の一言だったのだが、彼らはその中に思いがけない程の恐れと悲しみを内包していたのだ。屈強な男ですら死という恐怖に打ち勝つのは難しいのだ。


「あの……ごめんなさい……」


 今にも泣きそうなサクラを見てガイヤはにこりとまた豪快に笑った。


「がはははは。気にするな! あんたらとは生きてる世界が違う。だから少し下品でも堪忍してくれよな!」


 サクラから見てもガイヤは平気なように取り繕っているように見えた。それがまた、サクラにはとても痛々しく悲しかった。


「よろしければ是非サービスしたいお酒があるのですが、お試しになられますか?」


 それまで黙っていたバーテンダーが静かにガイヤに告げた。


「お、なんだなんだ? うまい酒なら大歓迎だぜ」


 了承を得るとバーテンダーは後ろの酒棚バックバーから一本の酒瓶を取り出した。そして、大きめの取っ手の付いたグラスビア・マグが用意され、中に麦酒ビールが満たされる。それとは別に、極々小さいグラスショット・グラスが用意され、そこに後ろの酒棚バックバーから取り出した酒が注がれた。


 ガイヤの前に二つのグラスが差し出される。一つは麦酒ビールが注がれたグラス。もう一つは茶色の液体の入った小さいグラス。


「お待たせ致しました。『ボイラー・メーカー』でございます。こちらの小さなグラスを、そちらの大きなグラスの中に、そのままグラスごと落として飲むカクテルでございます。正統派のオーセンティック・バーではあまりお出しすることはありませんが、本日は特別にご用意させて頂きました。どうぞお試しください」


 ガイヤは少し不思議そうな顔をして、小さなグラスを掴み取り、大きなグラスの中へと落とした。その瞬間、大きなグラスの中では泡が盛大に湧き上がりグラスから泡が零れ落ちだした。


「おっと、いけねえ!」


 思わずガイヤは泡の溢れるグラスに口を付けた。麦酒ビール特有の苦みが口の中に広がるが、その中にコクのある深みが垣間見られる。そして何より飲んだ時、身体の底から燃える様な熱さが感じられた。


「うおおおおお。こいつはうまい! とても強い酒というわけではないが、なんだこの身体の底から湧き上がるような熱は! なんかカッカッしてくるな!」


 その味に目を見開いているガイヤにバーテンダーはにこやかに話し始めた。


「ボイラーのように燃えるよう身体が熱くなることから、そう名付けられたと聞いております。そして、熱くなるのは身体だけではなく、心も沸き立ちます。だから、少しだけ。ほんの少しだけ、勇気も沸き立ちます。自分を奮い立たせる勇気。明日を迎えるためのほんの少しだけの勇気。その着火剤になれば幸いでございます」


 身体の熱は心まで奮い立たせる。少しでも明日への勇気を奮い立たせる。死への恐怖に打ち勝つためのほんの少しの勇気を。


「へっ……にーちゃん。あんたいい奴だな。ありがとよ! これでまた俺は戦えるぜ!」


 そう言うガイヤは妙にすっきりとした顔を二人に見せていた。



    ◇



 ガイヤが去った後、バーテンダーとサクラは後片付けをしていた。その時に。ぼそりとバーテンダーはサクラへとつぶやいた。


「私は……バーテンダー失格です」


 その言葉にサクラは驚きを隠せなかった。何か失敗でもしたのであろうか。


「あんなもので……死への恐怖など晴らせるわけがないのです。あんなものは死へと向かう人の背中を押しているようなもの……。私はあの人を救ってあげることができません。死への恐怖を取り除いてあげることができません。……私はあまりにも平和に慣れ過ぎている。あの人の心の悲しみや恐怖を分かち合うことが、想像することができなかったのです。だから、あんなものしか作ることができなかった。私は……バーテンダーというのは、なんとも無力なものですね」


 サクラは、はじめてバーテンダーのそんな悲痛な顔を見たかもしれない。サクラはその顔を決して忘れてはいけないと心の中へとしまい込んだ。




 バーに来る理由。お酒を飲む理由。お客様によってそれは様々です。中には救われたいと思ってくる方もいらっしゃいます。願わくばバーでその願いが果たされることを切に祈っております。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『ボイラー・メーカー』

バーボン・ウイスキー 30ml

ビール 適量


ウイスキーをショット・グラスに入れ、ビア・マグに沈める

ビールで満たす


カクテルレシピサイト 「カクテルタイプ」より抜粋



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