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11杯目『シンデレラ』

「マママママママスター! アッ、ア、『アプリコット・フィズ』を二つ! お願いします!」


 あからさまに緊張し過ぎた様子で、若き衛兵のウィルストンはバーテンダーへと注文をした。

 今日の彼はひとりではない。隣の席に座っているのは赤毛のおさげで、あどけなさを残すそばかすが可愛らしい女性。そう、ウィルストンの意中の相手、花屋のエルータと一緒だった。

 店に来てからというものウィルストンの緊張はピークを越えていた。まともにエルータの方を見ることもできず、ただ真っすぐ背筋を伸ばして身体中から汗をかいていた。しかし、エルータの方もそんなウィルストンに負けず劣らずで、恥ずかしいのか顔を赤らめてはずっと下を向いて俯いていた。


 そんな二人の初々しい姿を見て、バーテンダーを含め常連も温かな眼差しで二人を見守っていた。


「『アプリコット・フィズ』でございますね。少々お待ちください」


 注文を受け取ると、バーテンダーはすぐさま『アプリコット・フィズ』を手際よく作り上げていった。あっという間に黄色みのかかった色合いのカクテルが二つ用意される。


「お待たせ致しました。『アプリコット・フィズ』でございます。ウィルストン様とご相談したうえでお客様のために作らせて頂きましたお酒でございます。どうぞお試しください」


 にこやかにバーテンダーが微笑みながらエルータの席へとカクテルを差し出す。しかしエルータは、はっと、何かに気付いたように顔を上げてみるみるうちに青ざめていった。


「か、か、乾杯しようか! さ、エルータ!」


 そんな彼女の様子にも気付かずにウィルストンはグラスを持ち上げ、エルータの方へとようやく身体を向ける。

 エルータはその青ざめた顔でウィルストンの顔を見つめるが、すぐに視線を逸らし悲しそうな表情をした。


「……? エルータ? どうしたん……」

「ごめんなさい!」


 ウィルストンが言い終わる前に、エルータは勢いよく席を立ち、バーの重い扉の向こうへと走り去ってしまった。


 あとに残ったのは状況を飲み込めずただグラスを持ったまま唖然としているウィルストン。そして、唖然としている周囲の常連だった。



    ◇



「いやー、やっぱりいきなり二人で飲むってのがいけなかったんじゃない?」

「そうでしょうか? そもそも二人で飲むのが嫌なら誘ってもついてこないでしょう? 何か失礼な態度があったんじゃないですか?」


 先日のウィルストン失恋事件に居合わせた女戦士のマネアとエルフの弓使いレティリカは、本人が居ないことをいいことにああでもない、こうでもないと憶測を語りあっていた。


「でも、確かにウィルストンさんはずっと前ばっかり見ていて、エルータさんのほうを気にかけていませんでしたよね」


 その談義にサクラが参戦する。女、三人寄れば姦しいと言うがまさに人さまの恋バナに騒がしい華を咲かせていた。


「いやー、女ごころがわかってないねー。これはウィルストンには説教かな!」

「そういえば貴女も女でしたね、忘れていました」

「なにおー!」


 そんなくだらないやり取りをしている最中、バーの扉が突然開かれた。そこに立っていたのは件のエルータであった。


「いらっしゃいませ」


 すかさずバーテンダーが声を掛ける。エルータは以前よりも伏し目がちで、おどおどした様子だった。


「いやー、エルータじゃないか! こっちにおいでよ」


 マネアが自分の隣の席をぽんぽんと叩いてエルータを招き寄せた。エルータは恐る恐ると言った感じでそろそろとマネアの隣に座った。


「あ、あの! 先日は本当に申し訳ありませんでした」


 席に着くなり、エルータはバーテンダーの方を向いて頭を下げる。


「出された飲み物に一口も口をつけないで……その、いきなり出ていってしまって……」

「いやーエルータ、いったいどうしたんだい? そんなに、ウィルストンの事が嫌いだったかい?」


 俯く彼女にマネアが直球をぶつける。レティリカが思いっきりマネアの足元を蹴っていたが気にも留めていないようだった。


「あ、いえ……ウィルストンの事は……嫌いじゃありません。優しいし、あれでもとても頼りがいがあって……」

「じゃあどうして出ていったりしたんですか?」


 レティリカの疑問にエルータは顔を上げ、そしてバーテンダーの顔を見た。


「実は……私、お酒が飲めないんです」


 突然の告白だった。確かに酒の飲めない人間が、目の前に酒を出されては手に余るであろうことは誰の目にも明らかだった。


「で、でも、なら飲まなければよかったんじゃないですか? 何も出ていかなくても……」

「いいえ、サクラさん。それは違います」


 黙ってグラスを磨いていたバーテンダーが口を開いた。


「世の中には本当にお酒がダメな人が少なくない人数存在するのです。無論、飲まなければいい人も居ますが、中には匂いだけで気持ちが悪くなる人もいらっしゃいますし、何か嫌な思い出があった人は見るのも嫌だとおっしゃる人もいます」

「えと、マスターさん? の言う通りで、私は人が飲んでいるのは構わないのですが、自分の前に出されると……その匂いで……」


 エルータが申し訳なさそうに顔を俯く。それを見た常連の二人とサクラはお互いに顔を見合わせた。


「いやー、それじゃあどうしようもないね。特にここは酒場だしねえ」

「そうですね……水やミルクでは、相手にも失礼でしょうしね……」

「うーん……マスターどうにかなりませんか?」


 三人娘+エルータがバーテンダーの顔を窺う。しかし、当のバーテンダーはあっけらかんと言い放った。


「ありますよ。どうにかなるカクテル」


 あまりの呆気なさに女性たちはまたもやお互いに顔を見合わせるしかなかった。その様子をにこりと微笑みながら見つめたのち、バーテンダーは作業に取り掛かった。


 いつものように後ろの酒棚バックバーから酒瓶を……取らずに、冷蔵庫から三本の瓶を取り出していた。銀色の筒シェーカーにその三本の飲み物を均等に注ぎ、氷が入れられる。そして静かに振り混ぜるシェーク


シャカシャカシャカシャカ……


 サクラはこの音が好きだった。真剣に、一心不乱に、銀色の筒シェーカーを振るバーテンダーの姿がとてもかっこよく見えたのだ。


 底が丸みを帯びたグラスシャンパン・グラスが用意され、銀色の筒シェーカーの中身が注がれる。黄色味のかかった液体がそこにはあった。


「お待たせ致しました。『シンデレラ』でございます。こちらはアルコールが一切入っておりません。つまり、お酒ではありません。ただの果実ジュースでございます」

「え? お酒じゃないんですか?」


 グラスを手に取ったエルータは驚きを隠せないようだった。


「はい、お酒ではありません。バーにお越しのお客様の中にはアルコール……お酒があまり好きではない方も来られます。そういった方々が、バーを楽しめないというのは些か悲しいものでございます。特にお連れ様がいる場合、雰囲気を壊してしまう可能性もございます。そのため、バーにはこういったノンアルコールカクテルなどが数種類用意されております。どれもお酒のカクテルに負けず劣らず素晴らしい味と風味の『カクテル』となっております。是非お試しください」


 一口エルータが飲む。口にした瞬間果実の香りが口いっぱいに広がった。まったくお酒らしいアルコールを感じない。当たり前なのだ。本当にアルコールは入っていない。甘酸っぱくとても果実のジューシーさが感じられる一杯だった。


「あ……美味しい」


 思わず声に出てしまった。ちらりとバーテンダーの顔をエルータは覗き込むが、そこにはにこやかに微笑むバーテンダーがいるだけだった。


「お気に召して頂いて幸いです。もし、宜しければ今度ウィルストンさんとお越しになられる時はこちらをオーダーください。きっと、ウィルストンさんも喜ぶかと思います」

「そうですね……それには、まずウィルストンさんに謝らないと……」

「いやー、大丈夫大丈夫。ちゃんと話せばウィルストンも許してくれるって!」


 後日、バー『Etoileエトワール』では楽しそうに、『アプリコット・フィズ』と『シンデレラ』を飲む二人の仲睦ましい姿が目撃されたそうだった。




 お酒が飲めないからとバーを倦厭されるのは、素晴らしい機会を無碍になされていると思います。お酒が飲めなくてもよいのです。雰囲気を楽しむだけでもバーは大歓迎でございます。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『シンデレラ』

オレンジ・ジュース 30ml

パイナップル・ジュース 30ml

レモン・ジュース 30ml


シェーカーにすべての材料と氷をいれてシェーク

ソーサー型のシャンパン・グラスへと注ぐ


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋


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