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7杯目『アレキサンダー』

「そう言えば皆様はバレンタインデーのチョコなどは渡されないのですか?」


 いつものように酒を飲みに来た女戦士のマネアと、エルフの弓使いレティリカにバーテンダーは素朴な疑問を聞いてみた。

 こちらの世界へと強制転移させられてから、一日過ごす度にカレンダーにバツ印を付けていたが、奇しくも今日は暦の上では2月14日。バレンタインデーなのである。


「ばれんたいんでい? いやーなんだいそれは? 新しい食い物かい?」


 頭の上にどでかい疑問符でも揺れていそうな感じでマネアは首を傾げた。


「ああ、こちらにはないのですね。私の居た所では一年に一度、女性から男性に向けてチョコレートを贈る習慣があるのです。恋人や夫婦、片思いの人は愛の告白を交えて贈り、同僚や友人、上司などには日頃の感謝の意味を込めて贈るそうです」

「マスターの故郷くにではそんな習慣があるのですね。素敵ですね」

「えー。あたしはどちらかというとあげるより貰いたい側なんだけど」


 どうやらマネアは色気より食気のほうが強いようである。


「近年では同性同士でも贈りあうようなこともあるようです。また翌月の同じ日、今度は男性から女性にお菓子を贈るホワイトデーなんていうのもありますよ。ただこれは、バレンタインデーのお返しという意味合いなので、バレンタインデーにチョコを貰っていない人には関係ないイベントですけどね」


 さも自分がそうであったかのようにしみじみとバーテンダーは語った。


「いやー、でも恋人かー。レティリカはそういう人いないの?」

「ずっと貴女と一緒でそんな暇ありませんよ。そもそも長命種であるエルフは、元々子孫繁栄に連なる恋愛感情とか性欲が希薄な種族なのですよ。だから子供もあまり生まれませんし、人数だって少ないです。というかそういうマネアはどうなのですか? 貴女適齢期でしょ?」

「あたし? いやー、あんまり興味ないかなぁ。ところでその『ばれんたいんでい』ってのは日頃の感謝の意味でもいいんだよね?」

「はい、そのように聞いております」

「だったら、来年はあたしとレティリカがマスターにチョコを贈るよ。日頃愚痴とか相談とか色々お世話になってるしさ」


 ふと、チョコという言葉は通じるのかとバーテンダーは思ったがあまり深くは追及しないこととした。


「ありがとうございます。では来年楽しみにしておりますね。それでは、本日は私から皆様へのバレンタインデーと致しまして、相応しいカクテルをご用意致したいと思います」


 そう言うと後ろの酒棚バックバーより、二本の酒を取り出しカウンターへと置いた。


「こちらはブランデーと呼ばれるお酒になります。主に白ブドウのワインを蒸留して熟成させたものになります。そしてこちらは、クレーム・ド・カカオ。焙煎したカカオ豆を使用した混成酒リキュールとなっており、こちらがチョコレートの風味をかもし出します」


 説明を終えるとバーテンダーは、銀色の筒シェーカーの中に氷を積め、小さな鉛色の不思議なグラスメジャー・カップに先程のブランデーを注ぎ計量して銀色の筒シェーカーの中へと注ぐ。クレーム・ド・カカオも同じように計量し注がれた。そして、白い四角い入れ物から第三の飲み物生クリームが計量され注がれていく。

 銀色の筒シェーカーの蓋を閉め、上部の出張った部分トップを少し外してまたはめる。それを手に取り肩口より少し上で振り始めた。


シャカシャカシャカシャカ……


 静かな音が周囲に響いていく。


「そういえば何故そうやって振る時と、グラスで混ぜる時があるのですか? 何か違いがあるのですか?」


 レティリカがバーテンダーの手元を見ながら疑問を口にした。


かき混ぜるステアは基本的にお酒を混ぜると共に、お酒を冷やす目的があります。静かに素早く行うことで、氷を砕かず、氷がなるべく溶けないように。お酒の中には混ぜるだけで味の変わるものもありますのでその塩梅あんばいが中々に難しいですね。逆に振り混ぜるシェークは、氷を荒々しくぶつけて溶かし、加水してアルコール度を下げる意味合いもございます。振ることでよく混ざり合いもしますし、何より酒の中に大量に空気が含むことになります。これが舌触りや口当たりを滑らかにして美味しく感じられるようになるのです」


 そう言うと、二つの逆三角形のグラスカクテル・グラスに、銀色の筒シェーカーの中身を注いだ。最後に、淡い茶色のような粉ナツメグがぱらりと振りかけられる。


「お待たせ致しました。『アレキサンダー』でございます。その昔とある王と王妃の結婚式を記念して作られたカクテルと言われております。飲みやすいカクテルですが、アルコールは強いのでくれぐれもご注意ください」


 バーテンダーは二人の前に静かにグラスを置いた。見た目は淡い茶褐色。少し表面が泡立っている。あまりこういうカクテルに慣れていない二人には、見た目は泥水のようにも見えたが、このバーテンダーがおかしな酒を作ることはないことを知っているので、彼を信じ恐る恐る口を付けた。


「甘い! それでとっても芳ばしい! なにこれすごい!」

「ええ、とってもまろやかで口当たりがよくて……。甘くて甘くてあまくて……とっても美味しいです!」


 口当たりがクリーミーでなめらかでとてもよく、またブランデー特有の香りの豊かさや、味の深さ、クレーム・ド・カカオのチョコレートのような甘さや風味。まさにチョコレートケーキを食べているような気分になる。

 二人は恍惚な顔してとても気に入ったようであった。


「お気に召して頂けたようで幸いです。でも、ご注意ください。先程言いました通り、こちらアルコール度の高いカクテルになっております。男性が女性にこれを勧めた場合注意が必要です。女殺しレディキラーと呼ばれるカクテルの一種で、飲みやすく甘くて強いので気付いたら深酔いしていた……なんてことになりかねません」


 二人は顔を見合わせて納得したかのように頷き、悪戯を思い付いたかのように、にやりとバーテンダーへと笑いかけた。


「と、言うことは。マスターは私たちを酔わせて何か企んでいるのですか?」

「いやー、いやらしいわーマスター」

「あ、いえ、その……そのようなことは。バレンタインデーの話からチョコレートのようなカクテルを楽しんで頂けたらと思っただけで……」


 しどろもどろになりながら必死で弁明するバーテンダーをからかいながら、二人はまだ見ぬ来年の贈り物に思いを巡らせていた。




 世の中には甘くて美味しくお菓子のようなカクテルも御座います。それはまるで魔法のようなもの。けれども、魔法には代償がつきもの。悪酔いにはくれぐれもご注意を。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『アレキサンダー』

ブランデー 30ml

クレーム・ド・カカオ 15ml

生クリーム 15ml

ナツメグ 適量


シェーカーにブランデー、クレーム・ド・カカオ、生クリームと氷を入れる

十分にシェイクし、グラスに注ぎナツメグを振りかける


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋


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