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4杯目『アプリコット・フィズ』

 街の若き衛兵であるウィルストンは、カウンター席に着くなり大きな溜息をついた。

 ちょうど隣の席で次の依頼の相談をしていた女戦士のマネアと、エルフの弓使いレティリカはその様子を見てお互いに顔を見合わせた。


「いやーどうしたんだいウィルストン? 今日はやけに溜息をつくじゃない? そんなんじゃ幸せも逃げていくよ?」

「幸せ…」


 マネアが快活に声を掛けてもぼそっと呟くだけで、ウィルストンは顔をカウンターに沈めていた。


「そうですよ。何か悩みでもあるなら私たちでよければ聞きますよ?」

「悩み…」


 耐えかねてエルフのレティリカも声を掛けるが、依然とウィルストンは聞いているのだか聞いていないのだかよくわからない状態だった。


「ウィルストンさん、本当に一体どうされたのですか?」


 心配そうにバーテンダーも声を掛ける。

 すると俯いていたウィルストンは顔を上げバーデンダーの目を見つめ話始めた。


「実は……マスターさんにご相談があって……」

「そうですか。私で良ければお話をお聞き致しますよ。何でも仰ってください」


 そう言うとウィルストンは少しバツの悪そうな表情をした。


「実は……僕……好きな人ができたんです!」


 当然のことにそこに居た人々は唖然としていた。が、急にケタケタとマネアが笑い始めた。


「マネア、人さまの恋路を笑うものじゃないですよ」

「ぷぷぷ……。いやー心配して損したよ。人生に悲観したのかと思っちゃった。そうか恋か! 青春だねぇ! お相手は誰なんだい?」


 当然のレティリカの忠告に口を尖らせながらもマネアは興味津々と言った感じで追及していく。


「えと、僕がいつも街の巡回業務をしている時に出会う女性なんです。南通りの三番目の横道に行く角のところの……」

「ああ、花屋のエルータかい! あの娘可愛いよね!」


 そうマネアが告げると、まだ恥ずかしいのかウィルストンは蛸のように真っ赤になってまた俯いてしまった。

 その様子をバーテンダーもレティリカも微笑ましく見つめていた。


「好きな方ができたのは喜ばしい事ですね。おめでとうございます。それで、私に相談とは……?」


 バーテンダーがそう言うと、先程まで顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたウィルストンは、また急に大きな溜息をついて俯きはじめた。


「いやーどうしたんだい。もう告白でもして失恋でもしたかい?」


 失恋という言葉に何か感じたのか、マネアはレティリカに小突かれた。


「いて。いやー。まだ若いんだし、ほら次があるよ! あはははは……」

「あ、違います。まだ、その……告白はしていないんです」

「なら、何がそんなに心配なんですか?」

「その……勇気が……でなくて……。断られたらどうしようかと怖くて……」


 そうウィルストンが言うとまた一回り小さくなったかのように委縮して俯いてしまった。


「いやー恋の悩みだねぇ! そんなのガツンと行って、バリンと玉砕すればいいんだっ……て、痛い痛い。レティリカやめて! ほんと、ごめんって」


 もはや小突かれるというより、グーパンチでがしがし無言で殴るレティリカに何とも言えない恐怖感をバーテンダーは感じざるを得なかった。


「なるほど。恋の悩みですか。さしずめ告白する勇気を出す為のカクテルをご所望……と言ったところでしょうか?」


 バーテンダーのその一言にウィルストンは顔上げてぱーっとにこやかな顔になった。なんとも調子のいいものである。


「そうですね……一度お相手と一緒にご来店頂ければ気の利いた趣向のカクテルをお出しできますが……。まずは、そのための一杯ということで承りました。少々お待ちください」


 そう言うと、後ろの棚から一本の酒瓶を取り出した。


「こちらはアプリコットブランデーというお酒です。このお酒には逸話がございまして、昔、とある画家が自分の絵のモデルになってくれた女性と恋に落ち絵を贈ったところ、その方がお礼にと贈ったお酒といわれています。ロマンティックな恋の代名詞のようなお酒になります。本日はこちらを使用致します」


 器用に銀色の筒シェーカーを取り出し、そこにアプリコットブランデーを注いでいく。さらに白い粉さとう黄色い液体レモンジュースが注がれる。銀色の筒シェーカーに蓋がされ、上部が閉められる。それをバーテンダーは肩より少し上に持ち上げると静かに八の字を描くように振り始めた。


シャカシャカシャカシャカシャカ……


 小気味よく軽快なリズムが続く。嫌な音ではない。心が安らぐような静かな音。力任せに振っているのではなく、丹精を込めて、丁寧に、けれども大胆に。

 しばらくして、氷の入った大きめのタンブラー・グラスに銀色の筒シェーカーの中身が移され、その上から別の瓶に入っていた液体が並々と注がれる。シュワシュワと泡が弾ける音が小気味いい。

 最後に黄色の柑橘系果物の輪切りレモンスライスが添えられた。


「お待たせ致しました。『アプリコット・フィズ』でございます。フィズとはこの炭酸の泡が弾ける音がフィズ、フィズと聞こえるところからそう名付けられました。私にはそうは聞こえないのですけれどもね」


 差し出されたカクテルは黄色みのかかった色をしていた。炭酸の泡がシュワシュワと沸き上がるのが楽しさを感じさせる。

 ウィルストンはグラスを口に当て傾けた。


 まず、感じるのはそのフルーティーさ。アプリコットの甘さが控え目な酸味と、入っている黄色い液体レモンジュースの甘みと酸味、そして添えられた黄色の柑橘系果物の輪切りレモンスライスの三つが合わさった果物の風味。アプリコット独特の香味は残るが、それを炭酸が面白いようにシュワシュワと洗い流してくれる。そのためか、後味はとてもすっきりしていて非常に飲みやすいカクテルであった。


「とても飲みやすくて美味しいです!」


 ウィルストンもとても気に入った様子だった。


「ありがとうございます。実はカクテルにはそれぞれに『カクテル言葉』なんてものが存在しまして、各逸話などから名付けられていたりします」


 バーテンダーは先程のアプリコットブランデーを手に取り話始めた。


「この『アプリコット・フィズ』の『カクテル言葉』は『振り向いてください』。先程の画家の逸話からきています。恋の相手に贈るもよし、振り向いてもらうための勇気をもらうために飲むにも最適な言葉かと存じます」


 それを聞いたウィルストンはまじまじとグラスを見つめた。思う所がなにかあるような、そんな感じをしていた。


「美味しいお酒ですね。なんか勇気が出てきたかもしれないです。できれば今度は……その、二人で飲みたいです。彼女と二人で」


 先程までの俯いていた表情が明るくなったウィルストンに周囲の人間は(主にマネアが)またからかいはじめたのであった。




 酒の席での愛の告白というのもとてもロマンティックなものでございます。特に意味深な意味のカクテルが添えられていたら……。まあ、相手に伝わるかはわかりかねますが。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。




    ◇



『アプリコット・フィズ』

アプリコットブランデー 45ml

砂糖 小匙2杯

レモンジュース 15ml

ソーダ 適量

レモンスライス 1枚


アプリコットブランデー、砂糖、レモンジュースをシェーク

氷の入ったタンブラーに注ぐ

ソーダでフルアップし、レモンスライスを飾る


アサヒビール公式サイト 「カクテルガイド」より抜粋



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