目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

2杯目『ジン・トニック』

 その日、『Etoileエトワール』には二人の女性客が連れ立って来店した。

 一人は屈強な女戦士であるマネア。もう一人はエルフの弓使いレティリカである。二人はコンビを組んでいてなかなかに名の通った冒険者であった。

 そんな二人だが、席に座ってからというもの口をきかない。どうやら喧嘩をしているわけではなさそうだ。マネアは終始困ったような顔をしており、レティリカは今にも泣きそうな悲しげな表情をしていたのだ。


「いらっしゃいませ……どうかなさったのですか?」


 店主であるバーテンダーが見るに見かねて声を掛ける。


「いやーマスターごめんね、こんな辛気臭くて。実はちょっと困ったことになって……」


 困り顔ながら快活にマネアは語り始めた。


「どうもレティリカがさ……。故郷の森が恋しくなっちゃったみたいなんだよね」


 なるほど、ホームシックに罹っているのだ。しかし、エルフの寿命は数千年と長命種である。人間たちに紛れて住むのも何十年という単位ではないはずだ。故郷にも同じくらい帰っていないはずである。さすがに慣れたりはしないのであろうか、と。


「いやー何年かに一度こうなっちゃうんだよね。レティリカは寂しがりやでさ」

「そうなのですか。でしたら一度故郷の森に帰省されてはいかがでしょうか? リフレッシュしてまた戻られたほうが仕事にも身が入るのではないでしょうか」


 バーテンダーの当然の話にマネアは首を横に振った。


「いやーそれがさ、彼女の故郷の森めっちゃ遠いんだよね。海を渡るみたいで下手したら一年がかり? レティリカはいいかもしれないけどあたしら普通の人間にはちょっとねぇ」

「それはお困りですね……」

「まあ、うじうじ悩んでてもしかたないよね。お酒を飲んでぱーっと気分転換しよう! レティリカは何飲む?」


 それまで、俯いて話を聞いていたレティリカが涙をいっぱいにため込んでいた顔を上げてか細く声をあげた。


「森……」

「えっ? なんだって?」

「森が感じられるお酒!」


 急に叫びだしたレティリカにマネアは驚いた。


「も、森? そんなお酒あるわけないでしょ! わがままもいい加減に……」

「ありますよ。森を感じられるカクテル」


 バーテンダーの言葉に今度はマネアはおろかレティリカも目を開き驚いた。


「あるんですか? 森を……故郷の森を感じられるお酒」

「ええ、ございます。少し変わったお酒を使用しますがお試しになりますか?」

「ぜひ! お願いします!」


 今までの意気消沈していた表情が嘘のように期待の眼差しをレティリカは向けた。


「マネアさんはいかがなさいますか?」

「あたしも同じのでいいよ。本当に森が感じられるお酒作れるのマスター?」


 訝しむマネアにバーテンダーはにこりと微笑むと、棚から一本の酒瓶と冷蔵庫から瓶を一つ取り出した。

 大きめのタンブラー・グラスが二つ用意されると、中に透明でキレイな氷が詰められる。そこに適量に量られた酒が注がれ、バー・スプーンが差し込まれる。シャカシャカと軽くかき混ぜステアされ、その上から二本目の瓶の中身が注がれる。そして、最後に緑色の皮の柑橘系の果物ライムが縁に添えられ完成。


「お待たせいたしました。『ジン・トニック』でございます。本日はジンに、フォレスト・ジンを使用しております。是非、その風味をお楽しみください」


 目の前に出されたのは無色透明の酒。緑の皮の果物ライムがアクセントにはなっているが至って作り方も見た目もシンプルなものだ。

 レティリカは差し出されたそれを期待と不安を胸に口をつけた。


「!!!!!!!!」


 一口含んだだけで感じる。確かにそれは森だった。まるで深い新緑の中にいるような青々しい香りと風味。その香りが鼻先へと抜け、フレッシュ感をさらにかき立てる。味もまさに森。トニック・ウォーターの甘みも感じるが、それでも主張するのが酸味。すっきりとした後味をかもし出すこの酸味は華やかで、添えられた果実の苦味も相まってとてもスパイシーに感じる。まさしく色々な果実や草木の生えている森そのものの味だった。

 見るとレティリカはその目からボロボロと大きめの涙を流していた。


「……森。ああ、故郷の森が見える! あの、朝露と霧に覆われた緑溢れる香り、果実と草木の青々しい風味。あの森が……故郷が感じ……られ……る」


 もう最後の方は涙でぐしゃぐしゃの顔をしていた。それに気付いたマネアは慌てて拭くモノを探すが、それよりバーテンダーが先に温かなおしぼりを差し出した。


「こちらどうぞお使いください」

「あり……ありがどう……ぐず……」


 鼻水まで垂れてきたレティリカは、エルフらしい端正な美しい顔をぐしゃぐしゃにしながらおしぼりで顔を拭く。それを見ていたマネアの顔にも少し涙が浮かんでいた。

 それ以降、レティリカは故郷が恋しくなるとフォレスト・ジンを使った『ジン・トニック』を注文するようになったそうだ。




 酒は時に郷愁を思い出させる。故郷を振り返り飲む酒もまた格別なものなのかもしれませんね。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『ジン・トニック』

ドライ・ジン 45ml

トニック・ウォーター 適量

カット・ライム 1/6個


タンブラー・グラスに氷を入れ、ドライ・ジンを入れ軽くステア

冷えたトニック・ウォーターでフルアップ

最後にカット・ライムを飾る

ライムの代わりにレモンを飾ることもある


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?