この名とともに歩んだ半世紀以上。
流石に慣れはしましたが、今もこの名が嫌いですし、可能なら改名したいと言う想いもずっと持っていました。
何故改名しなかったのか。
子ども〜学生時代はそんな発想そのものを持てませんでした。「私の名前はこれ!」という事実に雁字搦めになって藻掻いていただけです。
大学時代がベストだったと今なら思います。しかし、それは
人生経験も積んだ現在から過去を俯瞰したら、「あの時だった」と気づいただけと言いますか。
私の場合「読みを変えるだけ」なら簡単だったんですよね。当時は(今現在も。近く変わるようですが)戸籍にふりがなを振らなかったからです。
ここで大きな問題は、私は「聖子」を「せいこ」にしたかったわけではないということでしょうか。もちろん「きよこ」に比べれば「せいこ」のほうが遥かに嬉しいのは間違いないです。しかし「名前」というのは、生まれたときに真っ先に贈られる祝福であり呪いです。
「きよこ」という読みが好きなわけではありませんが、いきなり違うものに、というのはハードルが高いんですよ。
この感覚は「改姓経験者のそれなりの数」には理解してもらえる気はします。
突然「慣れ親しんだ『My name」』とは別の名」で呼ばれ、それがお前だ、と突きつけられるわけですから。
私は「改名(読み、あるいは漢字を今の名に合わせる。あるいは「全く別物に」という可能性もありますが)」の代わりに、「元から持つ姓」に拘る人生を選んだんです。
大学を卒業してからは、仕事の関係で簡単には改名などできません。実際、「仕事で不便だから別姓を選択する」という同業者は多かったです。「私のように事実婚で」よりは「旧姓使用のダブルネーム」がやはり大半でしたが。
「我が子に自分と同じ苦労だけはさせたくない。少なくとも私より幸せになって欲しい」
折に触れ、成長したわが子に向かい口にした決意。
三人が「自分の名前が好き」と言ってくれることだけでも、私が「名前の呪縛」で苦しみ続けた年月の一部でも報われる気がします。
もし「ごく普通の、人生において何の波風も立ちようがない名前」だったなら、私自身がその苦労を想像すらできずに子どもたちにとんでもない名前を付けていた可能性がもあります。
「名前が好き」と言ってくれる、そう感じられる我が子が羨ましく、また私の苦悩のすべてが無駄だったわけではないと思えます
私のここ数年来の最大の懸案事項は、久留美の大学進学でした。
幸い本命の大学に現役で合格して、とりあえずは一安心です。
現時点では、彼女がとにかく無事に進級・卒業して国家試験に合格することだけですね。
それが叶えば、もう私は人生に思い残すことは名前以外には何もないんじゃないかとすら感じています。
私の年齢的にも、終わりまでの時間を数えた方がいい時期です。どちらにしても、娘が無事に卒業・就職したら今の家は出ると決めています。
自分の、あるいはたった一人特別な存在である久留美のために貴重な残りの時間を使いたいんです。
今まで言いたいことを言い、やりたいことをやって生きてきたのは否定しないし、決してできません。
それでも、確実に妥協もして来たんです。来ざるを得なかった。親としての責任だけは放棄できませんでしたからね。自分の親のような
これは親の顔を見るたびに飽きるほど繰り返して来て、結果飽きてはいません。次に会うことがあっても言います。「私はお前たちのような親にだけはなりたくない」と。
だからもう、あとは文字通り自分のためだけに生きたい。その「自分のため」に加えてもいいのは久留美だけです。
十数年後、七十代になった時に私は果たして一人でいるのか。それともまだ娘と暮らしているのか。
私が暮らす家の表札は「西野」か。それとも今までと同じ、でも中身の違う「淺尾」と「西野」か。
どちらでも構いませんが、そのどちらかしかあり得ません。
私はもう自由に自分の思うままに生きたいです。
西野 聖子として生まれ、そして西野 聖子として死ぬことができる。それが私の人生です。
最後の最期に残るのは、形式としての『聖子』ではなく、私自身が歩んできた日々です。
この名前が私を散々苦しめた結果として、「今の私」を形作りました。
だからこそ諦めの気持ちとともに、私はこの名前のまま残り少ない人生を歩んで行きます。
~END~
*次ページに少し補足説明を。別に読まなくても問題ありません。