私は結婚してほぼ三十年。
数年前に所謂銀婚式は迎えたようです。
一年以上経ってから、子どもに訊かれて数えてみて気づきました。意識もしていないし、当然記念のなにかもしていません。
その間、私から実家の親に連絡を取ったことは本当に数えるほどしかありません。家族の伝言や、携帯の不在着信から仕方なく掛けたことはありますが。
子どもが生まれた知らせでさえ、自分ではなく直幸任せです。
「あんたの実家に電話するついでに私の実家にも掛けといて。別に嫌なら放っておいていい」
「掛ける。掛けるから!」
産後すぐに、そういうやり取りを三回。
出産時も、所謂「里帰り」どころか手伝いも一切なしです。
両親は開業でずっと働いていたし、職場は自宅併設ではないため日中実家には誰も居ません。
そもそも実家なんか行きたくないというのを別にしても、車がなければ生活できないような田舎の家に一人で居るより、都市郊外の自分の家のほうが同じ「一人」でも遥かに安心だからです。
私が実家に行くのは親が孫、つまり私の子に会いたくて呼ばれるから。
我が子が行きたい、あるいは行ってもいいのなら連れて行くし、行きたくないのなら何と言われても行きません。
ただそれだけです。
実際、最後に私と子どもが実家に行ったのはもう八年くらい前です。同じ県内で、片道一時間半程度なんですが。
「お母さんが『くーちゃんに会いたい』と泣いている。申し訳ないけど、連れて来てもらうことはできないか?」
最後の八年前は、そう父から連絡があったんです。
母は私がどういう人間かを父よりさらによく知っているので、自分からは言い出せなかったんでしょうね。
両親は長く(三十代後半から七十まで)二人で開業してきた戦友ともいえる間柄なので、父はとにかく母の希望を叶えたかったんじゃないでしょうか。
弟には子どもがいないので、両親にとって孫は私の三人の子だけです。
私を怒らせると孫に会えないとわかっているので、気持ち悪いくらい下手に出て頼んできます。
流石に私に嫌われているのは理解している筈です。
行くたびに、私がとりあえず疲れて飽きるまで罵るので。
内容は様々で体力と気力さえ続けば一晩中でもそれ以上でもネタ切れはしませんが、必ず入れるのは名前です。
これまで五十年以上苦労して来て、この先も苦労し続けるのが決定していますからね。
どれだけ責めても気が済む日なんて絶対に来ないんです。
死ぬまでどころか、死んでも消えない恨みつらみがいくらでも湧いてきます。
私が苦しんだ時間は決して無くせないし戻らないからです。
娘(私)に頭を下げても、どんなに罵声を浴びせられても、そうしなければ孫に会えないから彼らは耐えるしかない。
「お母さんだけは許してやって欲しい」
これも最後の訪問で、父がそう頼んで来ました。
「お前がかわりに聞くんなら構わないよ」
父が承知したため、要望に応えて母は放置で父のみを攻撃の標的にしました。
それきり会っていないので、一度だけでしたが。
母は夫(私の父)の親や姉妹に散々苦労させられたので、父が母を庇いたい気持ちだけは私にもわかります。
祖父が予想外に早く亡くなったため、最初から後継者の父はともかく母は外で勤めていたのを辞めて二人であとを継ぎました。
開業というのは、勤務とはまったく違う苦労があります。
もちろんメリットもありますが、田舎での開業は少なくとも私は何があっても絶対にしたくありません。
親の姿を見ていて、それだけは昔から心に決めていました。
母は結婚当初から夫の両親と祖母と姉と同居していました。
祖母や伯母は、幼かった私でさえ覚えているくらい母を苦しめていて、母が限界点を超えて結局私が中学入るときに別居しました。
母は祖母や伯母とは違って専門職なので、一人で家を出ても生きていけるんです。むしろよく我慢したな、と。
いま八十代なので、年代もあるとは思います。「働く女性」、ましてや「結婚しても出産しても」なんて本当に珍しかったですよ。
都会はまた事情が違うのでしょうが、公立学校の教員でさえ結婚で数割、出産でほとんどが辞めるような土地柄でしたから。
いざ出て行かれて初めて、自分たちが一番頼れるのが我が子ではなく
能がないと恥もないのか、と失笑するしかありませんでした。
祖母も伯母も心底嫌いですし憎かったです。もうこの世にいないとわかってはいても、思い出すと腸が煮えくり返るほどです。憎悪と侮蔑で。
他人なんだから無視してもいいのに相手をしてやっていた母は、本当に性格がいいんだなと感心しました。私と似ていないだけのことはあります。
私なら無視じゃ済まない、というか実際に済ませていませんからね。両親に対して。
止めたこともないですが、子どもたち自身が基本的に実家には行きたがらないんです。
祖父母が嫌いなわけでは決してなく、田舎に行くのが面倒だからです。時間的には別に遠くもないですから。
直幸の実家には、結婚以来一度も入ったことがありません。
家の前までだけなら彼が運転する車で行ったことはありますが、上がったことがないんです。
別に仲が悪いわけではなく(特に良くもないですが)、実家との付き合いは個人的にする気がないだけです。
我が子は従弟妹にも、十数年前の直幸の弟の結婚式で同じく彼の妹の二人の子に会ったのが最初で最後だった気がします。弟の方にも今は娘がいるらしいですが、我が子は三人とも存在さえ知らないでしょう。
直幸の実家は隣の市で、私の実家より近いんですが。