和巳は父親である直幸によく似ていますが、本人はそれが嫌で堪らなかったようです。
久留美が保育園のときに(見た目ではなく中身が)「くーちゃんはママによく似てるね」と言われたのを聞いて、「僕もママに似たかった」と泣いたほどに。
まあ、和巳は私にはまったく似ていませんからね。
直幸に似ていなければ、我が子かどうかも疑うほどに何もかもが違います。
「お母さんくらい他人を気にせず自分を押し通して生きていけたら楽なのかもしれない」
和巳が中学生のころに零したことがあります。彼は非常に神経質で気弱で面倒な子でした。
「楽だと思うんならお前もやれば? 私は止めないよ」
「僕にはできない。お母さんとは全然違うから。それに、好きに生きるためにお母さんが子どものときから努力してきたのも知ってるし」
だったら何なんだよ! と苛立ちましたが、ただ弱音を吐きたかっただけなんだと今は感じています。もう十年以上前になりますね。
私は自分に似ているからこそ久留美を愛していますし、何よりも誰よりも大事です。
しかし和巳は、自分と似た父親を蛇蝎の如く嫌っていました。
「なんであいつと別れないの? 僕らのために我慢してるんならそんな必要ないから! 別れたら僕らはお母さんと行くし、名前(姓)変わってもいい」
これも中学のころ、和巳にすごく深刻な顔で言われました。
今思い返せば、おそらく彼が一番苦しんでいた時期なんでしょうね。
「なんでって(特に金銭面が。持ち家は共有名義ですし子どもたちの養育費等の取り決め等も)面倒だから。家事分担さえちゃんとしてくれたら別に不満ないし。第一、私が子どものために我慢するような人間に見えるの?」
それはお前も知ってるだろう、という意味を込めて訊きましたが、承知の上だったようです。
「見えないからよっぽどなのかと思って」
「それはないね」
「だったらいい。お母さんが我慢してないんならそれで」
和巳が真剣なので、当然ながら私も真面目に本音で答えました。
「名前はもし別れてもそのままでいいよ。そもそも今だって別なのに、なんでわざわざ私の方に変えるんだよ」
私の想いは彼にも伝わって納得したようです。本心ですし。
和巳と雅巳は、ごく幼いころからの友人以外には姓からのニックネームで呼ばれています。
「あさ・あさっち・あさちゃん」etc.
だからこそ、和巳にとって「改姓する」というのは大変な勇気を持った申し出だったのでしょう。
それだけ私の味方になりたい、という意思表示だったのだと受け止めています。
「私は自分の名前を変えたくないから、ずっと『西野 聖子』なの。その私が、何があっても子どもに『変えろ』なんて言うわけないでしょ」
「うん、わかった」
私は常に「自分の姓」を守るため常に全力なので、真意は息子にもすぐに通じたようでした。
よく「夫婦別姓は子どもが可哀想」という意見があります。
どこかでその話を聞いたらしい和巳が「何言ってんだ? 可哀想って勝手に決めんなよ。他人を可哀想なんて言える奴って、そっちのほうがよっぽど哀れだよね〜」と鼻で笑っていました。
一般論は別としても我が子は生まれた時から両親の姓が違うので、彼らにとってはそれが『自然』で『当然』なんです。
子どもたちは保育園時代から、親の名を問われれば「パパは『あさお なおゆき』。ママは『にしの きよこ』」と普通に答えていましたよ。
紛れもなく事実ですからね。
家に荷物や受け取りのいる郵便物が来て子どもが応対すると、「(淺尾か西野か)どっちですか?」と訊くのがもうお決まりでした。
玄関先に印鑑も二つ用意してあります。
表札も両方の姓で出しているため、配達員さんもわかっていて「受け取る方のお名前でいいですよ~」と答えてくれます。
それが我が家の「普通」で「日常」なので、何も変わったことではないんですよ。変わって見えたとしても。
「別姓はママの考えだから、嫌なら自分たちは思うようにすればいい。どうしようと反対も邪魔もしない。改姓するのも自由」
和巳と雅巳には早くからそう告げていました。
私は自分のやりたいように生きていますが、もし彼らが迷惑だと感じるならそれは申し訳ないですから。
ただ二人とも「え、全然嫌じゃない。何が嫌なのかわからない。これが僕らにとっては普通」と平然と答えていました。
とにかく『親(私)のように』という意識が、特に和巳は強かったです。
我が子の中でたった一人、「将来は結婚して子どもも欲しい」と話していましたね。雅己は「僕は結婚しないでずっとこの家でママといる」とふざけたことを言っていたので(本気だから困る)、「いや、大学卒業したら出てって」と拒否しました。
和巳はもともと手先が器用で料理が好きだったんですが、「(当然結婚相手と家事分担するから)家事を教えて欲しい」と中高生の頃に頼まれました。
「いや、料理できるんだし十分じゃないの? 掃除や洗濯は住む家や道具で変わるから、今どうしようもないし」
面倒なこと言うなよ、忙しいんだから、とはさすがに口には出さずに断りました。
「じゃあ料理を教えて欲しい」
「レシピ見て何でも作れるんだから(事実)、教える必要ないでしょ」
「そうじゃなくてお母さんの味を覚えたい!」
私は料理嫌いだし、大したもの作ってないよ。そんな子どもに受け継いでもらうようなものじゃないから!
それでも食い下がられて、カレンダーの裏にいくつもレシピ書かされましたよ……。
実際、大学時代から一人暮らしですが基本自炊していたようです。