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【13:娘①】

 私が今まで半世紀以上生きて来て出会った数多あまたの人間の中でただ一人、自分に似ているのが久留美です。

 だから久留美は私にとっては極めて特別な存在で、他人に一切興味がない私がこの世で唯一愛している人間です。

 一番ではなくです。


 個人主義で合理主義、非常にドライで理屈っぽいあたりが、わかりやすい共通点でしょうか。

 外見や表面的な性格は違いますし、具体的な好み(例えば趣味的なもの。小説やコミック、ドラマ等)は同じものがほとんどないくらいです。

 ただ、感覚や思考回路がすごく近いんです。


「恋愛漫画やドラマの当て馬って大嫌い。必要ない。カップル二人だけでいいよ」

「ママも要らない。邪魔。まあ連続ドラマはそれじゃ持たないから仕方ないんじゃないの? だからママはドラマ観ない」

「ああ、わかる」

 例としてはちょっと違う気もしますが、こういう感じです。これも実際の会話そのままです。

 そもそも私はプライベートでは特に情報は少ない方がいいので、ドラマやアニメはほとんど、それ以前にテレビ自体を年数回しか観ません。

 私は小説、せいぜいコミックを読む程度で、ドラマやアニメなど『音や映像等要素の多い』媒体は苦手です。

 ゲームもしたことがありません(PCに入っていたソリティアは昔やったことがあります。それ以外は据え置き型もスマートフォンのソーシャルも一切やったことないんです)。


 娘はテレビアニメもたまに観ていますが、「面白いから」と薦められた作品はほぼ全滅。

 それでも久留美は気にしないので私も気楽です。向こうも同じなんじゃないですかね。

 好意なのに「もっと面白い・ママの好みに合うのないの!?」なんて文句言われたら向こうもやっていられないでしょう。

 しかし最近、初めて『すごく好みに合う作品』を教えてもらい、二十年(!)振りかそれ以上に繰り返し読んだコミックになりました。

 (四コマやギャグではなく)ストーリーもので好みが合ったのは初めてじゃないかと思うくらいです。


 久留美は私ほど徹底してはいませんが、人目はあまり気にしません。

 とにかく『自分』なんです。それこそ私と同じです。

 一例を挙げれば、私の昔の服を着て平気で電車に乗って大学にも行きます。最も古いもので三十年前ですよ……。

 確実に結婚前に買いました。なぜなら、私が自分の結婚式に向かうのに着た服だから。


 もっと言うなら、実習のみの日は小学生の時に買ったジャージ上下で行くことさえあります。

 そういえば、小学校にも兄のお下がりのジャージで平然と登校していました。

 小学校は徒歩で近いから、本人が気にしないなら別に構わないとはいえ酷い。


「同じジャージでも、せめてくーちゃん専用の可愛いのを買ってあげるから!」

 あんまりだからと買ったものを高校まで着ていました。

 身長は五センチくらいしか伸びていないので(小学校卒業時に百六十はあった)。

 別にいまジャージを私服として着ても一向に構わないけれど、電車に乗るときくらいは『服』を着て欲しい……。


 久留美は私服をあまり持っていませんでした。

 そのため大学に入るにあたって、とりあえず必要だから最低限着回しできる分を買いはしました。

 中高は制服で、ほとんど(本当に驚くほど!)出掛けない子なので服が要らなかったんですよ。

 中高一貫の女子校に六年間通い、学校帰りにお友達と寄り道をしたことは一度もありません。

 自宅と学校と塾の三か所しか基本行きませんでした。ものすごい出不精なんです。


 普段着は長兄の和巳のお下がりを着ていました。

 こちらが着せたわけではなく、本人が自分から和巳が(大学から家を出たので)置いて行った服をもらって着るんです。

 「買ってあげるから」と言っても、結局和巳が着ているようなのを選ぶんですよ……。

 見た目がダサかろうが、着心地が良く何より基本オーバーサイズの楽な服が好きなんだそうです。


「ママ、服欲しい」

「買えば? 好きなの買って来たらお金あげるよ。一年生のうちはそういう約束でしょ?」

「そうじゃなくて、ママの要らない服があったら欲しい」

「ママの服、はそりゃたくさんあるけど古いよ? いいの?」

 大学に入ってしばらくした頃でした。

 それで私のもう絶対着ないのに整理する暇もなく箪笥に入ったままだった服を確認して、サイズやデザインが合って着られそうなものを大量に持って行きました。たぶん買いに行くのが面倒だからでしょう。

 半分は私が三十代前半のころに来ていた服です。つまり二十年以上前……。


「これすごくいいのに! 素敵なのに! こういうの欲しいけど売ってないかな……」

「今はちょっとなさそうね~。流行りじゃないし」

 一番気に入ったワンピースはサイズが合わなくて(私より久留美の方が少し大柄)、非常に残念がっていましたね。

 中学・高校時代から、制服を着なくなった以外は何も変わっていないんじゃないかな。

 それくらい自分基準です。清潔に関してはむしろ非常に神経質で、洗濯や洗髪は毎日かなり気遣っていますけどね。

 私も仕事で化粧はしませんが、久留美も大学に行くのに大した化粧はしていません。


「したいなら、最初に必要なものは揃えてあげるよ」と一応告げたんですが、結局その気にならなかったようですが、二年生になる頃には基本的なものだけ自分で買って使っていました。


 髪も黒いストレートロングのまま。

 たいていは一つに結んでいます。しかも基本は後ろもセルフカットですからね……。

 中学時代は、私が年に一回は声を掛けて美容院に連れて行っていました。

 超のつくロングヘアなので長さだけ、毛先を揃えるか数十センチ切るか等を本人が決めます。

 高校入学後は、もう小さい子でもないし「自由にすればいい。行くなら代金はママが出すから」と告げて放っておいたら本当に三年間一度も行きませんでした。


「卒業式だからせめて毛先だけでも揃えて!」

「え~、どうせ結ぶし、揃ってるかどうかわからなくない?」

 億劫がるのを説得して、式前日に何とか美容院行きましたから。


 逆に、私と久留美で最も違うのは攻撃性と自信ですね。

 私は極めて攻撃的で好戦的な人間なので周りに敵しかいませんが、久留美は外部に向けた攻撃性は相当に低いです。

 もう一つ、私は現実の自分(あくまでもリアルの自分自身であって、決して創作物その他ではない)に絶対の自信がありますが、彼女は自分に自信が持てない子です。

 私より遥かに優秀なのになぜそんなに自信がないのか、これだけは理解できません。


 久留美の自信のなさは完全主義から来ています。「完全・完璧でない自分はダメ」と思っているわけです。

 ただ、親の私から見てもすごいと思うのは、「自信がない」のにプレッシャーで決して自滅しないところですね。

 「完全じゃないから自分はダメ」と考えても、そこで終わらず「完全に近づく」努力を惜しみません。

 久留美は完全を目指す結果として、試験ならとにかく「満点を取りたい・一番になりたい」んです。

 大学一年時の成績は、八割が九十点以上、三分の一は満点でした。


「すごい! 百点こんなにあるじゃない!」

「えー、でも八十点台もあるし……」

「平均が九十五点だったら、ママだって『ああ百点だね』って流すのよ! 平均がせいぜい六、七十点なんだから褒め言葉は受け取れ!」

 きっとこの子は、全科目満点でもないと真の意味で満足しないんでしょう。


「くーちゃん、これ本気で主席狙えるんじゃないの?」

 前年度の首席は、特待生で給付奨学金が出るんですよ。額はそれほどではないですが、名誉にはなります。


「それは無理。物理できないから」

 そもそも高校で物理を選択していないんだから当たり前です。


「でも生物は一番でしょ? 物理の子は生物そこまでできないんじゃないの? ママのときはそうだったよ」

「確かにそうだけど、主席なんて絶対に無理……」

 別に成績なんて単位取れて進級できればいいんですが、なんでそんなに後ろ向きなんだ。

 物理は確かに合格点ギリギリですが、過半数の学生が物理選択だった中で平均点を取れるだけで立派だし、そもそも不合格は一度も(他の科目も含め)ありません。

 生物の試験は毎回ほぼ最高点です(そもそも生物は非常に厳しく、学年の三割以上は不合格で再試験だったらしいです。それこそ彼らは大丈夫なのか? と他人事ながら落ち着かなかったです)。


 私も壁や困難から逃げることはないですが、もともと周りを気にしないので「勝ち負け」という発想自体がほぼありません。

 最後に相対評価を気にしたのは大学受験でしょうか。そこから先は、あくまでも自分との戦いでしかなかったですから。

 だから、私とは別次元で「勝つために」自分とも(結果的には)他人とも戦っている久留美に圧倒されるし、我が子ながら尊敬しています。


 とはいえ久留美は、同級生を敵と見做しているわけではありません。ライバルでさえない。(もうすでに二年生に上がる時点で、留年者が複数出て叶わなくなりましたが)一人の脱落者も出さず揃って進級・卒業したいと口にしていました。せめてもうこれ以上減らないように、みんなで一緒に、と。

 もともと限られた人数でほぼクラス分けもせず日々共に学ぶので、今後長く(基本、卒後も一生)付き合っていく仲間なんです。

 これは私でさえそうなのでわかります。

 一年生の成績発表の結果は首席でした。翌年度の入学式に「在学生代表」として、恒例だという挨拶もしました。


 久留美は生まれつき足が弱いです。

 もともと運動発達が極めて遅れており、一時は「自力歩行はできないだろう」と宣告されていました。仕事柄伝手を辿って、もちろん紹介状を持ってあちこち受診しました。

 結局原因不明のまま、機能訓練に通った甲斐もあったのか、遅れつつも少しずつ他の子に追いついて行きました。


 「おそらくは車椅子生活、良くてクラッチ(杖の種類です)」とまで言われていた子が、自分で歩いて走っている。それだけでもだと感謝しています。

 運動能力は今も決して高くはありません。どれだけ頑張ってもせいぜい「運動の苦手な普通の子」レベルに届くか、というところです。


 ただ、その分といって良いのか幼い頃から知力は頭抜けていました。

 私が久留美を特別に感じるのは、「健康体に産んでやれなかった」申し訳なさもあるのは自分でもわかっています。

 他人なら「お母さんのせいじゃないですよ」と真剣に励ますところですが、当事者になるとなかなか思いきれません。

 それが彼女の自信のなさにも繋がっているとわかっているからです。








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