当時直幸は、自分の親の反応に大変なショックを受けたそうです。
「『破談になる』って、俺は結婚なんかできない、そんな価値なんかない人間だってことか? 自分の息子でさえ病気になったらその程度なんだ。見下してるんだ。きーちゃんのお母さんは、忙しい中わざわざ遠いところ(車で駅まで行き、電車乗り継いで一時間半くらいでしょうか)お見舞いに来てまで『気にしなくていい』って言ってくれたのに、うちの親は……」
直幸の親はそもそも病気に関する知識がないので、仕方ない部分はありましたね。
なので結果的には上手く行ったんじゃないでしょうか。
彼の両親の私への態度が劇的に変わりました。掌返しとまで表現する気はないものの、事実そうとしか言えない変わり身でしたからね。
それまでも(内心はいざ知らず)直接的に不快な言動は一切なかったんですが、彼の診断以降は私にものすごく気を遣って「きーちゃんのおかげで、きーちゃんでよかった」とわざわざ口にするようになりました。
『きーちゃん』というのは私の愛称です。
名前が嫌いなので、当然名前で呼ばれるのもまっぴらごめんなんですよ。
新しい環境に入る毎に、「友人」と呼ぶ関係だろう相手には余さず「
大抵は『西尾ちゃん』でしたね。あとは『きーちゃん』。そのまま『西尾さん』もいました。かなり親しい間柄でも。
結婚して約三十年、直幸は決して私を「聖子」とは呼びません。おそらく呼んだらその場で終わりです。
他人に紹介するとき(「妻の聖子です」)と、私の親と話すとき(未だに「聖子さん」です)だけですね。
現在、私を「聖子」と呼ぶのは親くらいです。
それが彼らに会いたくない理由の最上位に食い込むくらい、名で呼ばれるのが不愉快なんです。
今はもう子ども(両親にとっての孫)としか行きませんから、基本的には「ママ」で通しています、向こうも。
「ママが言ってたよ・ママに訊いてからね・ママ、これで良いのか?」という感じでした。
祖母と伯母・叔母も「聖子と呼ぶ憎むべき存在」でしたが、もう会うこともないので安心です(祖母は十年ほど前に死んだそうで。伯母もすでに故人。どちらが先かも、死んだ正確な時期さえ知りません。
叔母の方は、とりあえずはまだ生きているようです。
独身(死別・未婚含め)の母娘三人で父の実家にずっと住んでいたそうですが、今はどうなのか興味がないので訊いていません。
おそらく八十代なので、二度と顔を合わせる機会はないでしょう。