王立魔法学校のカリキュラムは、座学、実験、魔法実技、フィールドワークで組み立てられている。
その日の一限目は実験だった。
実験台の上には液体が入った小瓶と試験管が数本、教科書、そして鉢植えの萎れた花が置かれてある。
教壇から白衣のギルが指示を出す。
「今日はオリジナルポーションで元気のない花を蘇らせてください。基礎魔法なので、制限時間は30分。用意始め!」
「はいっ!」
リタは大きく返事をした後に、自分だけだと気がつき、伸ばした右手を慌てて下げた。
クラスメイトたちがヒソヒソと囁き合う。
「サイコパス聖女が張り切ってる」
「やめろ。目を合わせるな」
「山を消し飛ばす女だぞ」
それを聞いた瞬間、リタの胸はつきん、と痛む。
「山にはたくさんの動物さんたちがいました。それが一瞬で粉々に……流石にあれは想定外です」
「やっと己の罪に気がついたか。お前は歩く害悪なんだよ。校長の時戻し魔法がなかったらどうなってたことか」
正面のハンスがここぞとばかりに責めてくる。
リタの脳裏に当時の事が浮かび上がった。
「すごい。すごいよ! リタ君!!!」
興奮冷めやらずと言った感じでローランドはリタの手を取り、握手をするようにブンブンと振った。
「さすがは1000人に1人、いや1万人に1人の天才だ!」
「私は崖っぷち聖女見習いです。新しい肩書きに死神も付け加えてください。どうしましょう。あの山には鳥さんやクマさんがたくさんいたのです。私、彼らの命を奪ってしまった……」
その代わり、カカシの命は守れたけれど、どちらが良かったのか今ではもうわからない。
「リタ君は。優しいね。でも、もうこれ以上同情しちゃダメだ。2つ目の山まで失ってしまう」
「はっ」
リタはぴん、と立ち上がった己の髪を手で押さえつけた。
「私に任せなさい。時戻し!」
ローランドはパチンと親指を鳴らす。
と、次の瞬間、消えていた山が復活したのだ。リタが飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
「はい。ローランド校長は素晴らしい人です。一家に一台常備したいですね」
「お助けグッズじゃねえんだわ。ったく人騒がせな女だぜ」
「っ! ……ハンスさんったら……」
なぜか瞳を潤ませるリタを見て、ハンスはぎょっとしたような表情を浮かべた。
「おま、泣くなよ? 泣きたいのはこっちだかんな!!!!」
「す、すみません!」
リタは頬に落ちた涙を指でなぞった。
「感動してつい……だって、ハンスさんが、こんなに普通に喋ってくれるなんて……」
「お前の普通って、こんなにギスギスしてんの?!」
「前はハンスさん、凄く怖がってたじゃないですかー。この感じ、私にすっかり慣れましたね?!」
キラキラの目を瞬かせながらリタは言う。
「慣れたっつーか、疲れたっつーか、俺はさ、エネルギーを温存しときたいタイプなわけ。根はクールなんだよな」
「嬉しい!! 荒療治が効きましたね!」
「お前、鬱陶しいぐらいくっついてくるからな。いちいち追い払うのも面倒つーか」
「ずっと仲良くしてくださいね。私、ハンスさんしか友達いないんですから」
「勝手に友達にすんな!」
ハンスはぷい、と顔をそむけ、ポーションの調合に取り掛かる。
(とかいいながら、以前のような恐怖は感じられません。ぴったりくっつく荒療治、成功です!)
リタは内心ほくそ笑む。
そして思った。
(ハンスさんに、私が出来ることないかなあ。もっと親睦を深めるためにも何かプレゼントしたいです)
◇
数分後、教室は薬品の混ざり合う匂いに満たされた。
ハンスは、ちゃきちゃきと色とりどりのポーションを作っている。
「ったく、ポーション作りとか簡単すぎるだろ。色水遊びかよ」
ちょちょいのちょいとね、と鼻歌まじりのハンス。
ハンスが調合した液体を鉢に垂らすと、しおれきっていた花は、みるみる元気を取り戻し、ビロードのように美しい花弁をひろげた。
華やかな色合いに芳しい香り。
余裕綽々な態度もうなずけるほど、彼のポーションは際立っていた。
「うわあああ! ハンスさん、すごいです!!」
「わっ! なんだよ、脅かすな!」
びょーんと氷山へ乗り上げたシャチみたく身を乗り出してきたリタに、ハンスはびくりと体を震わせる。
リタは、引き気味なハンスの反応に気がつかず、ハイテンションにこう告げる。
「なんて綺麗な花なんでしょう。さすが蘇生のプロ、ハンスさんです。なんでもお得意なんですね!」
「蘇生のプロだって」
「死体のプロって聞こえちゃった」
「くくっ。俺も」
実験室のあちこちからくすくす笑いが聞こえてくる。
ハンスは顔を赤くした。
「くそう。バカにしやがって。この疫病神め」
ハンスはぷい、とリタから顔をそむけ、新しいポーションを花の表面に吹きかけた。
赤い花弁がみるみるレインボウカラーへと変化する。
「ほおおおおおお」
リタは両目を見開いた。
「美しすぎる……どうしてこんなことができるんですか!?」
リタは口をぽかんと開けて、輝きまで放ち始めた鉢植えの花をじっと見た。
「俺はただ器用貧乏なだけ」
ハンスはそう言いながら、せっせとポーションをふりかけている。
「器用貧乏? 初めて聞く言葉です。先生、どう言う意味ですか?」
ちょうど近くに来ていたギルに尋ねれば、
「『いろいろできるのに大成しないってこと』ですかね」
そんな答えが返ってきた。リタの目がまた潤む。
「ハンスさんったら……奥ゆかしい……」
ハンスは眉根をきゅっと寄せる。
「うるせー! ったく何言われても腹立つな」
クラスメイトの1人が呆れ顔になる。
「花のビジュアルなんか、成績には関係ないんだよ。無駄じゃん」
ハンスは一蹴した。
「放課後、花屋のおばちゃんにプレゼントするんだ。待ってろよー。おばちゃん」
「換金するつもりだね」
「小金稼ぎよりもっと別なことに力を入れればいいのに……」
クラスメイトたちのツッコミはリタの耳には届かない。
「……プレゼントだったんですか……」
ちょうど2つ目の蕾が花弁を開いた。
キラキラした花粉が天井まで舞い上がる。
リタは思わずつぶやいた。
「ハンスさんの思いがのってる花」
そう言いながら、思わずうっとりとなってしまう。
「だからこんなにも……美しい……」
ギルが頷く。
「リタ君はいいところに目をつけましたね。その通り。誰かを思う気持ちは力になります」
「なるほどっ!」
「リタ君も早くとりかかって。制限時間がありますからね」
「はいっ。すみません!」
リタは慌てて持ち場に戻った。
実験台の上にはウンともスンとも変化のない試験管があった。
年月によって磨かれたリタの審美眼がこう言っている。
「このポーション、ただの水ですやん」と。
特区にいた頃からそうだった。
幼なじみたちがバリバリ使いこなしている魔法水や薬草が自分には何の役にも立たない。がんとしてリタの言うことを聞いてくれない、という印象。
しかしポンコツなりに、対策はあった。
「ギル先生にいただいたアドバイス。あれを早速実践します!」
リタはじっとハンスを見た。
(いい機会です。ハンスさんに蘇った花をプレゼントするのですっ!)
「直感を信じて!」
リタは目をつむり、手近にあった液体を、適当に試験管の中へ突っ込んだ。
「あ、ダメだ」
ギルらしき人の声が聞こえ、片目を開ける。
すると、丸太くらいの大きさに膨らんでいる試験管が目の中に飛び込んできた。
「え」
とっくにそのサイズは限界を超えているはずなのに、何故か割れず、膨張を続けている。
「あ、な、なぜ」
クラスメイトたちも固唾を飲んで巨大化した試験管を見ている。
花の横でひきつった表情を浮かべているハンスの姿が目に入った。
その瞬間何故か試験管の口の部分がくねっと曲がり、ハンスのいる方角へと向けられた。
(いけない。ロックオン体勢ですっ!)
リタは異臭を放つビッグ試験管を両手で抱えた。
自らの力で爆発を抑え込もうとしたのだ。
すると、その力で中の気体が押し出され、凄まじい勢いでハンスを直撃した。
「……え?」
きょとんとしたハンスと、かたわらの花を暗黒色の気体が覆う。
「うわっ……」
悲鳴は一瞬ですぐに静かになり、さらさらという音がリタの鼓膜に届く。
(嫌な予感がします……)
背中に冷たい汗が流れる。
靄が消えた後、リタの目に飛び込んできたのは床にうっすらと積もった砂粒だった。