近年ではスカーレットデイのお返しの日とされる、アルバの日。
しかしこの年は月曜で、隊員の多くは仕事である。
スカーレットデイの時と同様、リタリーは
アンナはいつも通りに残業を終え、帰る道すがらに焼き菓子や蒸し菓子、冷菓を載せた移動販売の手押しワゴンをいくつも見かけた。
仕事帰りの男たちがワゴンを覗き、思い思いのスイーツを買っている。
アンナがオルト軍学校に入る前までは、見られなかった光景だ。
愛する人へのお返しを真剣に考えている男の人たちを見て、アンナは微笑みを浮かべながら家に帰ってきた。
「ただいま、グレイ。ディック」
今日はグレイの方が早く帰ってきていて、すでに夕食が並んでいる。
それを食べ終えると、グレイが無愛想にどでんとスイーツを取り出した。
「グレイ?」
「あー、なんだ。まぁ、製菓店の陰謀に乗ってみた」
「っぷ、陰謀って」
重ねられた箱を、アンナはわくわくしながら順に開いた。かわいいお菓子が姿を露わにし、口元が自然と緩む。
目の前にマカロン、クッキー、キャンディ、シフォンケーキ、プリン、パイが並び、アンナの目はキラキラと輝いた。
「すごい、こんなに買ったの? どれも淡い色合いできれいね……」
「アンナが喜ぶと思うと、ついな。アルバスイーツって呼ばれるらしい」
照れ臭さを隠すためにグレイは無愛想な顔をしているのだと気づいたアンナは、ふふっと顔を綻ばせる。
「ありがとう、グレイ。陰謀に踊らされるのは嫌だったでしょう?」
「まぁ、たまにはいいだろ。経済も回るしな。なによりアンナが喜んでくれるなら、買った甲斐があった」
「ええ、すっごく嬉しいわ! せっかくだしコーヒーを淹れましょう」
「俺がするから、座っててくれ」
「ありがとう」
コーヒーはグレイに任せてソファーに座ると、ディックが気まぐれにやってくる。アンナはディックの黒い毛並みをふわりと撫でた。
「ふふ。あなたのご主人様は、できた人物よね」
こっそり話しかけると、ディックはそうだろうと言わんばかりににゃあんと誇らしげに鳴く。ぎゅうっと抱きしめたい衝動に駆られるが、ディックはグレイ以外にさせないのでグッと我慢だ。逃げられないように優しく撫でるに留まる。
アルバの日は、元々は恋人や夫婦のデートの日だが、平日は中々デートができないので、あまり広まってはいなかった。こうして贈り物を返す日となり、一気に拡散された形だ。
アルバスイーツという言葉が作られ、お手軽にお返しができるというのも、広まった理由のひとつだろう。
コーヒーが入ると、アンナとグレイはお菓子を取り分けて一緒に食べ始めた。
日持ちのしないプリンを先にペロリと平らげた後、まだなにか食べられそうだとクッキーを手に取る。
「トラヴァスやカールも、彼女にお返しをしてるかしらね」
サクッと音を立ててクッキーを頬張りながら言うアンナに、グレイは無愛想な顔で告げた。
「トラヴァスはローズと出かけているのを見たぞ。カールも彼女を大切にしてるみたいだからな、製菓店の陰謀に加担したに決まってる」
「もう、グレイったらまたそんな言い方して」
アンナの言葉にグレイは目を合わせ、二人はプッと同時に吹き出した。
「ははっ、まぁカールは陰謀だなんて思いもしてないだろうけどな」
「本当よ。そんなこと考えるのはグレイくらいだわ」
「ん? そう思わないか?」
「え? 普通思わないでしょう?」
純粋なアンナの瞳を受けたグレイは、ははっと苦笑いする。
「アンナはそういうとこ、カールよりの人間だよな。俺やトラヴァスは疑う方だが」
そう言いながら、グレイはもうなにも食べずにコーヒーだけを堪能している。
グレイの疑う方という言葉に、アンナは〝カールが裏切った時には斬る〟と約束した日のことを思い出した。
アンナはあの時、カールを信じて疑わなかったため、万一の時のまで考えが至らなかったことを。
グレイの判断は間違っていない。しかし裏切った時には処断するという決断ができたのは、グレイが疑う心を持っていたからこそだ。
冷静に状況を分析して、どうすることが最善かを選んだ。そういうところを含めて、グレイは筆頭大将の器だと、アンナは感じている。
「どうした? アンナ」
少し元気のなくなったアンナを見て、グレイはコーヒーを飲む手を止めた。
「グレイって、やっぱりすごいわ……」
「いきなりだな。嬉しくはあるが、そんなつらそうな顔で言われても複雑なんだが」
グレイはそっとアンナの髪を梳くように撫でる。
どうしていきなり元気がなくなったのか、グレイにはわからない。
「カールが裏切った時には討つって判断を下したのは、あなたの見極める能力があってこそだもの。私はただ、カールを信じていただけだった。信じたいっていう自分の気持ちを優先した結果だわ」
「……俺だってカールを信じたいし、信じてるんだ」
「だからこそよ。信じてて、でも疑って……もしもの時のための対策を講じられたのは、あなただからよ。誰よりも筆頭大将に相応しい人だと、私は思うわ」
「それでどうして、落ち込んでいるんだ?」
「だって、私は筆頭大将の器じゃないと思うと……やっぱり悔しいのよ」
素直に気持ちを吐き出し、アンナはしゅんと肩を落とした。
グレイが筆頭大将の器だということはわかっているし、それは婚約者として嬉しいことではある。
しかし同時に、自分は筆頭大将の器ではないと突きつけられたようで、どうしても落ち込んでしまう。
「あのな、アンナ。素直に信じられる力っていうのも、必要な能力なんだぞ」
「……え?」
思いもよらぬ言葉を掛けられたアンナは、下げていた視線を少し上げた。
「俺やトラヴァスは、穿った見方をする分、より実績で認められることが重要になるからな。アンナやカールは性格っていうアドバンテージがある」
「性格がアドバンテージ?」
「ああ。アリシア筆頭を見ればわかるだろ? 〝この人なら信頼できる〟って無条件に思わせるものがあるんだ。人それぞれだが、アンナの場合は人を信じる心があるからだと、俺は思う」
グレイの言葉もわからなくはないアンナだが、アリシアの場合は性格だけでなく、まずは実績がある。だから信用されているのだと、アンナは顔を顰めた。
「だけど信頼させておいて、実際に的確な判断を下せないんじゃ、意味がないと思うのだけれど」
「全部を一人でやる必要はないってことだ。アリシア筆頭には優秀な副官がいるだろ。他にもそれぞれ得意分野を持つ者がいる。それも含めて筆頭大将の実力だ。いつか筆頭が言ってただろ。信頼できる者を、一人でもいいから見つけろって。あれは、そういう意味だと思うぞ」
アリシアの言った意味を、グレイは正確に理解している。それをアンナにもわかってほしいと、伏し目になった黒い瞳をグレイは見つめた。
「信頼できる……」
「誰かできたか?」
「そうね、リタリーかしら。最初こそイメージが悪かったんだけど、ブレないし仕事は早いし、優秀で信頼できる人よ」
アンナは信頼できる人ができにくいと、グレイはカールと話したことがある。なので現在、アンナに優秀で信頼できる人物がそばにいるとわかると安堵した。
「カールにも知らせてやらなきゃな」
「え? どうしてカールに?」
「そりゃ……もう卒隊で、入軍してくるしな」
そんな言葉でグレイは誤魔化し苦笑いをした。
三日後にはカールもようやく卒隊だ。騎士になることがすでに決まっていて、四月からは王宮で一緒に働くことになる。
新隊員の名前には、カールの恋人であるフローラの名前もあり、春からは二人とも騎士だ。もちろんフローラは、支援統括隊の方に配属されるだろうが。
「カールはどこに配属されるかしら」
「戦闘隊なのは間違いないだろうな。俺の隊にくればしごいてやるんだが」
「あなたが上官になるのは、嫌がりそうね。私たちの誰が上でも、カールは嬉しくないでしょうけど」
「確かにな。あいつは年齢のせいで出だしが遅れてはいるが、俺たちと対等な立場でいたいと思ってるだろうしな」
カールの気持ちを理解しているグレイに、アンナも頷く。
この一年、誰よりも悔しい思いをしてきたカールに、二人は思いを馳せた。
「カールは今頃、なにをしてるでしょうね」
「今日はアルバの日だったからな。俺たちの時と同じように、彼女と思い出を共有していたかもしれないぞ」
「ふふ、きっとそうね」
アンナとグレイはたった一年前の出来事を、遠い昔のように思い出し。
今年は二人でコーヒーとアルバスイーツを食べながら、時を過ごすのだった。