一月三日は、仕事始めである。
この日は隊長以上の者が集まり、国王からの新年の言葉をもらえる日でもあった。
アンナとグレイ、そして秋の改編で隊長となったトラヴァスも初めての参加となる。
隊長以上が集まった戦威の間は、王宮の奥まった一角にある、軍の威厳を象徴する特別な空間だ。
壁には歴戦の英雄たちの肖像画や、かつての名将が振るった剣が飾られている。英雄ロイドや英雄アイリスなど、アンナが誕生日にトラヴァスからもらった本に載っていた人物の物もあった。
床には赤と黒の絨毯が敷かれ、天井からは重厚なシャンデリアが戦場の灯火のような輝きを放っている。
厳粛な空気の中、アリシアを筆頭として十二名の将、二十五名の隊長たちが静かに整列していた。
しばらくすると扉が重々しく開かれ、国王シウリスが足を踏み入れる。
その瞬間、隊長たちは一斉に片膝をつき、拳を胸に当てて恭しく頭を垂れた。
シウリスはゆっくりと歩を進めると壇の上に立ち、その場から全員を見渡す。そして静かに口を開いた。
「──よく集まった。立つがよい」
戦威の間に、王の声が響き渡り、三十七名の精鋭たちは一斉に立ち上がった。
その顔には誇りと覚悟、そして新たな年を迎えた緊張感が漂っている。
シウリスは慣れた様子で威厳に満ちた声を発した。
「新たな年が明けた。ストレイア王国がこうして新年を迎えられるのは、お前たち一人一人の働きがあってこそだ。まずは、その忠誠と奮闘に、王として心からの感謝を送る」
国王自らの言葉に、背筋の伸びる思いだ。アンナは一言も聞き漏らさぬようにと、シウリスの言葉を傾聴する。
「一年の始まりは、ただ暦が変わるだけのものではない。我らにとっては、新たな誓いを立てる時でもある」
ひとつ息を吸うと、シウリスは再び続けた。
「今年もまた、我が国を脅かそうとする者は現れるだろう。戦の火種は常にくすぶり、油断すれば一瞬にして燃え広がる。だからこそお前たちには、この国の剣として、盾として、己をさらに磨き上げてもらわねばならん」
王の声は静かだが、一言一言が重くそれぞれの心に響いていく。
「
シウリスの言葉に、ある者は息を吐きそうになり、ある者は苛立ちを滲ませ、そして大半は素晴らしい王だと彼を見つめた。思う心はそれぞれだ。
(シウリス様はそう言いながら、敵と見れば見極める前に殺しちゃってるのよねぇ。頭痛いわ)
(力に固執しているシウリス様は王の器ではない。やはりフリッツ様でなくては……)
(まぁ言ってることは本質をついているよな……)
(さすがシウリス様だわ!)
そんな騎士たちの思いをよそに、シウリスは演説を続けていく。
「お前たちには、剣の腕だけでなく、勝つための知恵と胆力も求める。我が国の軍人として、この国に暮らす民のために勝ち続けよ!」
強い意志ある言葉が、戦威の間の空気を震わせる。
そしてシウリスは間髪入れず、次の言葉を言い放った。
「我が国をより強く、より揺るぎないものとするために、その剣を振るい続けるのだ! 新しき年も、ストレイア王国に勝利と栄光を! 騎士たるお前たちは、全力を尽くせ!」
「「「御意!」」」
その場にいた騎士たちは拳を胸に当て、一斉に強く力強い声で応じた。
戦威の間に、王と騎士たちの新年の誓いが響き渡る。
熱意に満ちた返事を耳にしたシウリスはふんっと笑い、満足げな表情を浮かべた。
「我が王国に敗北はない」
まだ十九歳の国王の威厳ある言葉と表情に、皆はゾクリと身を震わせた。
それは〝俺がいれば敗北しない〟という自信が見え隠れし、安心感が得られるものであると同時に。
〝敗北は許さない〟と置き換えられる、脅迫のような言葉でもあった。
シウリスはそのまま、静かに出口へと歩を進めた。確かな意志を感じる歩みを、騎士たちは見守り続ける。
扉の前に立つとシウリスは振り返り、部屋の全員に向けて短く言葉を残した。
「迷わば斬る」
その一言にビリッとした空気を残して。
シウリスはふんっと笑うと戦威の間を出ていった。
迷わば斬る──迷うことは許されない、つまり、一歩でも誤れば容赦なく斬り捨てられるのではないか……という動揺も、隊長たちの中には見られた。
王が求めるのは、迷いなき強者のみなのだ、と。
若き王の真意など、誰にもわからない。
アリシアは一瞬頭を押さえたものの、すぐにシウリスに代わって壇上に立つ。
「迷わば斬る……そうよ、戦場では一瞬の迷いが命取りになるわ」
騎士たちは、静かに言葉を紡ぎ始めた筆頭大将へと視線を上げた。
心の揺らぎを解決する言葉を、求めて。
そんな彼らの気持ちに応えるように、アリシアは徐々に声を張り上げていく。
「だけどこれは戦場だけの話ではない。あなたたちは己の信念とストレイア王国を信じなさい! 迷いはいらない! いらぬ迷いは断ち切りなさい! あなたたちは軍の上層部よ! 迷えば部下を死なせることになるわ! 肝に銘じなさい!!」
「「「っは!!!!」」」
アリシアの言葉が場の空気を変える。
先ほどまでの動揺は嘘のように消え、アリシアはにっこりと微笑んだ。
そんな筆頭大将を見て、九月に隊長となったばかりの三人は、心で感嘆の息を吐く。
(母さんの一言と笑顔で、こんなにも空気が澄み渡るのね……)
(相変わらずヤバイんだよな、この人は。もちろん、いい意味でだが)
(さすがはアリシア筆頭……すぐさま安心感と責任感を与える演説をされる)
アンナたちだけでなく、その場にいたすべての騎士が尊敬の念を抱く中、アリシアは次の指示を出した。
「シウリス様からの激励をもらった後は、私たちが部下たちを激励する番よ。騎士は全員訓練場に集合させなさい。今から十分以内よ! きびきび動きなさい!」
「「「っは!!」」」
戦威の間に声が響き、全員があっという間にそれぞれの軍団室へと向かう。
毎年恒例の行事なので、各将は一声掛ければ訓練場へと速やかに移動できるよう準備をさせている。
アンナも隊員を引き連れて、訓練場へと並ばせた。
きっかり十分で騎士全員が訓練場へと集まり、アリシアが壇上へと上がる。
「注目!!」
控えていたマックスの一言に、千人を超える騎士たちが一斉に体と顔をアリシアへと向ける。
アリシアは全体を見渡し、緩やかに、しかししっかりとした口調で話し始めた。
「さて、騎士諸君。新しい年の幕が開けたわ」
訓練場に響く、アリシアのよく通る声。
アンナは自軍の将であるスウェルの斜め後ろで、筆頭大将に注目した。
「昨年、あなたたちはよく戦い、よく耐え、国を支えてくれた。けれど、過去の栄光に浸る者に未来はないわ。本年も我らは試される。剣の腕だけではなく、精神、忠誠、誇り──すべてを」
穏やかな調べのように、するりと騎士たちの耳へ、そして脳へと伝わっていく。
アリシアは一度深く目を閉じ、開いた時にはエメラルドのようにその瞳を光らせた。
「あなたたちは、己の剣がどれほどのものか自覚している? 鈍らせてはいないでしょうね、戦場は待ってくれないわよ。訓練を怠る者に、戦場での生はない!」
騎士という地位にあぐらをかく者に喝を入れるように、全体へと視線を飛ばす。
「そしてあなたたちは、仲間を信じている? いざという時、背を預けられる相手はいる!? 騎士とは孤独な戦士ではないわ。陣を組み、隊を成し、互いに命を預け合う。それができぬ者は、騎士ではない!!」
ビリビリと突き刺さる言葉の振動。
古参騎士はこの怒声がなければ新年ではないと口の端を上げ、新参騎士はドッドと恐怖にも似た鼓動を高める。
「けれど、剣の腕だけが騎士のすべてではないわ。規律を守り、仲間を信じるのよ! 誇りは常に心の中に宿しなさい! 迷いを持つ者は、今すぐ騎士を辞めても構わないわ!!」
張り詰める空気。
呼吸音すら聞こえないほどの静寂が、訓練場に広がった。
アリシアは騎士を一望し、少しトーンを下げると、もう一度口を開く。
「腐った根を放置すれば、組織はすぐに瓦解する。今年もあなたたちの忠誠を試す機会はいくらでもあるわよ。けれど、乗り越えるたびに胸を張りなさい」
少しずつ湧き上がってくる、騎士たちの闘志。それを受けて、アリシアは続けた。
「常に覚悟を心に備えなさい。剣を持つ者が覚悟を失えば、それはただの鉄屑よ。あなたたちの刃は国の支えであり、民の守り手であることを、決して忘れないで!!」
「「「っは!!!」」」
騎士たちの返答に、アリシアもまた気持ちを高めていく。
「本年も、戦いがあるでしょう! 暦が変わろうと、私たちの使命は変わらないわ!! 国を守り抜き、民を支え、敵を退ける! それが我らストレイア王国騎士団の務め!! 剣を取り、国と民のために進み続けなさい!! すべては我ら、ストレイア王国のために!!!!」
「「「オオオオオオォォォオオオオオオッッ!!!!」」」
その場にいた騎士全員が、雄叫びを上げて返答する。
空気だけではない、地面まで震わすようなその熱気。
初めて新年の叱咤激励を受けた新人の騎士たちは驚きながらも気持ちを昂らせ。
筆頭大将アリシアによる仕事始めの訓示は、皆の心に火を灯すのだった。
***
「本当に筆頭はすごいよな」
家に帰ってから、グレイはアンナと食事しながら今朝のアリシアによる叱咤激励を思い出す。
「筆頭大将って、あんなこともするのね。何年もやっているから慣れてるんでしょうけど、ちょっとかっこいいと思っちゃったわ」
「いや、めちゃくちゃかっこよかっただろ。前日に演説の言葉を考えてるんだろうな」
「まさか。あの人が前もって言葉なんて考えるわけないじゃない。その場の雰囲気と勢いで言ってるに違いないわ」
アリシアの性格を知り尽くしているアンナである。
「マジかよ、すごいな。俺も筆頭になったら、心に響くあんな演説をしなけりゃな」
「ふふ、今から筆頭大将になった時の心配?」
食事をとりながら、アンナは気の早いグレイにくすくすと笑う。
「まぁな、言ってる間に筆頭大将になる」
「そうね。でも心配しなくていいわよ。騎士の誓いの時のあなたの口上、素敵だったもの。壇上に立つ時には、きっとグレイも隊員の胸に響く言葉が言えるって、私知ってるわ」
婚約者の笑顔と信じる言葉に、グレイはニヤッと口の端を上げる。
「そうだな。俺は割となんでもできる男だからな」
「あなたが努力してるってことも、知ってる」
アンナの言葉に、グレイは食べる手を止めて彼女の瞳を見た。
なんでもできるのは、すべてにおいて努力しているからだと。
知ってくれて嬉しいような、知られたくなかったような、複雑な気分でグレイは苦笑いした。
「……アンナはあれだな。前日に言葉を考えておく派だろ?」
スプーンにすくったスープを口に運び、グレイは話題をアンナの方へと変えた。
「そうね、話すテーマくらいは考えておくと思うわ。あとは、その場の雰囲気ね」
「アンナの新年の訓示か。いつか聞いてみたいな」
「残念ながら、あなたがいる限り無理そうだわ」
アンナが首をすくめて笑うと、グレイは少し眉を落とした。
「それは、悪いな」
「いいのよ。あなたの言葉を聞けるのが楽しみだもの」
「ハードル上げるなよ」
グレイが苦笑するので、アンナはふふっと声を上げて笑った。
いつかそんな日が来るのが楽しみだと、アンナは心から思う。
そうして夕食を食べながら、慣れた様子で激励の言葉を放ったもう一人のことを、アンナは思い出した。
(シウリス様の言葉も素晴らしかったわ。幼い頃から公務をされていたものね。さすがだわ)
シウリスも、アリシアも。
二人とも演説が得意なのだ。
あんな風に、公式の場や大勢の前で心を震わせる言葉が言えるかと問われると、まだわからないとしか言いようがないが。
そんな機会が自分に巡ってくることはないだろうと思うと、少し悲しく感じるアンナだった。