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94.和平の道を歩むことは

 アシニアースが終わると、すぐに新年がやってくる。

 地方の騎士は里帰りが多いため、アンナとグレイは年末までずっと働いていたが、一月一日と二日は休みが取れた。

 アシニアースのあたりから休みを取る者が多くなるので、その間出勤するのは各隊の一割程度だ。そして三日が全体の仕事始めとなる。


「こういう時、地方出身の方がゆっくり休みを取れていいかもな」

「そうね。結婚して王都住まいになる人も多いから、最初のうちだけだと思うけれど」

「今日は筆頭は来るのか?」

「ええ、多分ね。昨日は遅くまで仕事してたみたいだから、今日くらいは休みを取るはずよ。お昼ご飯、作っておきましょ」


 こうしたやりとりももう四年目だ。

 思った通り、昼前にアリシアがジャンと共にやってきて、新年の挨拶のあとは、しばらく四人でゆったりした時間を過ごす。

 食後のコーヒーを聞くとジャンは断ったので、アリシアが勝手にミルクティーの用意を始めた。


「一年が過ぎるのは早いわねぇ……あなたたちも、今年が成人ね」


 成人という言葉を聞いて、ジャンが二人に目を向ける。


「アンナは九月が誕生日だったよね。グレイはいつ」

「俺は八月だ」

「あら、シウリス様と同じ月ね」


 グレイの誕生日を知らなかったアリシアは、ジャンのミルクティーを作るついでに自分も紅茶を淹れた。さらに紅茶にジャムを加えて甘くするのは昔から変わらない。そんな通常通りの母親に、アンナは問いかけた。


「今年はシウリス様の成人の宴があるのよね?」

「ええ。今年はいつもより行事が一つ多くなるわ。本来なら誕生月の八月にするんだけど、その月は……マーディア様が亡くなった月でもあるから、避けられるそうよ」

「じゃあ、九月?」


 アリシアは紅茶を混ぜると、ジャンの前にミルクティーをおいて隣に座る。


「九月は秋の改編時期でドタバタするのよ。特に今年は……ね。いつもよりも前倒しで改編して、成人の宴は十月の始め頃にはしたいわねぇ」

「まだまだ先の話ね」

「言ってる間に来るわ。あっという間よ」


 疲れなど知らないアリシアだが、最近は一年がとんでもない速さで過ぎ去っているように感じている。ジャム入りの紅茶を飲む時間が至福の時だと思うくらいには、多忙だ。


「筆頭は忙し過ぎるんじゃないですか? だから一日が早く感じると思うんだが」

「それもあるかもしれないわねぇ。最近は水魔法の使い手を探せって要請があって、頭が痛いわ」

「水魔法の?」


 回復魔法ができる水の魔法士は、この国にほとんどいない。

 水魔法の適性を持つ者は、十万人に一人と言われていてかなり稀少だ。

 ストレイア軍の医療衛生隊に一人いるが、かなりの老体で無理させている状況だった。光魔法も回復はできるが、書が稀少でこちらも簡単に手に入れられるものではない。

 光の書がない現在、代わりとなる水の魔法士の必要性は、アリシアもわかっている。しかしおいそれと見つけられるものでないことは確かだ。


「どうするの、母さん」

「どうするもなにも、地道に探していくしかないわよ。でも軍入りを説得しなきゃいけないのは、私なのよねぇ」


 そう言って、アリシアはにっこり笑った。

 溜め息を吐きそうになった時ほど笑うのは、アリシアの癖だ。


「ま、どうにかなるわ。それが私の仕事だものね」

「手伝えることがあれば、なんでもやります」

「ありがと、グレイ。その時はお願いするわ!」


 いつも元気なアリシアだが、誰が見ても働きすぎだということはわかる。

 アンナはそんな母親を尊敬すると同時に、心配と呆れが混ざった声を出した。


「筆頭職って、本当に大変よね」

「そうねぇ。将にはなっても、筆頭大将になりたいという気概のある者は出てこないのよね。毎年会議じゃ筆頭職の譲り合いよ。情けない」

「それで母さんがずっと筆頭大将に君臨してるのね」

「ありがたいことに満場一致なのよね。まぁ私も、ひよっこどもに譲るつもりはまだまだないけど」

「そのうち俺が満場一致で筆頭の座を奪ってやりますよ」


 そう言ってグレイはニヤリとアリシアを見て。


「そういうことはせめて将になってから言いなさいな。せいぜい私に楽をさせてちょうだい」


 アリシアは足を組みながら言うと、向かいに座る自分のより背の高いグレイを見下ろすように笑う。

 二人の視線がぶつかり合い、バチッと音がしたような気がするアンナとジャンだ。


「筆頭職をやりたいだなんて、奇特すぎじゃない」


 呆れるジャンに、アンナは目を向ける。


「そう? 私も筆頭大将を目指してるわ。グレイがいるから、難しいかもしれないけど。やるからには、上を目指したくならない?」

「別に俺は、筆頭の下で十分だから」

「覇気がないわよ、ジャン」

「そういうのは君ら若者に任せる主義だし」


 グレイとアリシアがバチバチし合う中、ジャンはそう言って薄く笑い、アンナもふふっと声を出して笑った。


「そう言えば、ジャンはまたしばらくフィデル国に行ってたのよね。例の情報工作だったんでしょう? 聞いても構わない?」

「筆頭」


 アンナの質問をパスするように、ジャンは隣のアリシアへと目を向けた。アリシアはバチバチするのをやめると、すぐに首肯する。


「ええ、いいわよ。隊長以上にはそのうち機密の文書を回すつもりだったから」


 筆頭大将の許可を得たジャンは、フィデル国での調査と工作の結果を話し始めた。


「全部の集落トライブってわけにはいかないけど、主要な集落トライブには人と組む際の不利益を流しておいた。元々人間に不信感がある種族もいるから、割と簡単だったよ。行くたびに少しずつ情報を流していくから、そう簡単に全種族をまとめることなんてできないはずだ」


 それを聞いて、アンナもグレイもほっとする。

 勝ち目の見えない戦いを、フィデル国が仕掛けてくることもないだろう。つまりはしばらくの間、現状維持ということになる。

 それは、小競り合い程度は発生してしまうということでもあったが。

 大きな戦争に発展しないならば、とりあえずはこれで上等だ。


「フィデル国って、色んな種族が住んでいるのよね。なんだか不思議だわ。ストレイア王国じゃ、人しかいないもの」

「初めて見るとびっくりするかもね。基本は人の形をしてるけど、獣の耳や尻尾がついてるから。エルフは透き通るように綺麗だし、ドワーフは大人でも身長は子どものように低い」

「面白いわね」


 アンナはそんな種族が街を往来している姿を想像した。物語の中に入ったような、わくわくした感情が内側から押し寄せてくる。


「フィデル国って、不思議な国よね」

「機会があれば、その目で見てみるといい。人も景色もストレイアとは違う国だ。けど、良い者も悪い者も、平和主義者も危険思想を持つ者も色々いる。そういう意味ではストレイア王国と変わらない」


 ストレイア王国にはストレイア王国の、フィデル国にはフィデル国の生活がある。

 小競り合いが起こるのは、いつも国境沿いの町だ。

 何年も何十年も何百年も積み重なって、双方には埋められない溝があることも、アンナもわかっている。


「和平の道を歩むことは、無理なのかしら……」

「どうかな……互いに血を流し過ぎてる。シウリス様が王位についてからは、特に──」

「ジャン」


 アリシアの鋭い声が飛び入る。ジャンはすぐさま口を閉ざして話題を変えた。


「ああ、そうだ。カールの言ってた、ストレイアの兵士に扮した女の存在を確認したよ」


 ミカヴェルをカールの家から連れ出したのは、三人いた。

 そのうちの二人は百獣王ブラジェイと刹那狩りのユーリアスだと判明していたが、もう一人の存在は確認されていなかったのだ。


「確か、ティナと名乗った小柄な女よね?」

「そう。名前はそのままティナだったけど、少し厄介な女性だった」

「厄介?」


 アンナの疑問の声にジャンは頷くと、その女性のことを語り始めた。


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