秋の改編後、二度のフィデル国との小競り合いはあったものの、激化することなく収束した。
魔物退治で行軍することもあったが、バキアのような巨大竜ではない。ワイルドスニップという群れを成す猛禽の鳥類や、トカゲ型のスパインリザードという小型の魔物がうじゃうじゃ大量発生していたのを、片っ端から退治していった。
基本的に魔物退治は、各のエリア担当の兵士や、カールの父親のように雇われた者が行う。しかし数が多くなったり手に負えない強い魔物が現れた時は、騎士が出動するのだ。
敵国が攻めてきた際はエリアの兵士が真っ先に出るものの、すぐに騎士が派遣されて陣頭指揮を取ることになっている。
魔物相手とは違い、ただ殺し合いをすればいいというわけではないからだ。その時々で的確な対応を迫られる。
大抵フィデル国相手に出るのはアリシアかシウリスで、アンナたちにまだ出番は来なかった。
その代わりうんざりするほどスパインリザードを倒しまくり、アンナは少しの間、トカゲを見ると顔色を悪くするのだった。
そんな日々を過ごし、季節は冬となってまたアシニアースがやってくる。
平日で仕事ではあるが、多くの隊員は終業時刻の五時に切り上げる者が大半だ。
この国では、家族と一緒にアシニアースを過ごすのが一般的である。家族以外の者と過ごすと幸せになれない、というジンクスまである始末だ。
トラヴァスも今日は家族で過ごすからと、下町にある実家へと帰っていった。アンナとグレイも今日は早く切り上げようと約束している。
しかし定時を少し過ぎてしまったアンナは、必要書類を第十軍団へと提出しに急いで軍務室を出た。
(今日はどこの隊も早く終わりたいでしょうから、急がないと)
将以上は中々早く帰れないのが現状だ。しかし他の隊員はアシニアースには早く帰りたいはずだと、アンナは第十軍団の執務室をノックした。
「はい」
すぐに扉が開けられ、顔を出したのはローズである。
「あら、アンナ隊長」
「遅くなってごめんなさい。これ、今日の記録よ」
「大丈夫よ。みんな滑り込みで持って来るもんだから、今から作業だわ」
ローズの後ろには数人残っているものの、支援統括の隊員もほとんどが帰っている。
「アシニアースなのに、大変ね」
「まぁ明日に回しても別に構わないんだけどね。でも私は地方出身だから、家族に会いに行けないし。仕事でもして過ごしておくわ」
「トラヴァスと一緒に過ごせばいいじゃない」
「そうね。誘ってくれれば、そうするつもりだった」
眉を下げて寂しく笑うローズを見ると、アンナの胸はなぜだか痛む。
「トラヴァスもジンクスを気にしているのかしら」
「どうかしら。非合理なことは信じない主義だけど、ご家族はわからないものね」
「そうね……」
ローズに同情の心を寄せると、彼女はさっと切り替えて明るく笑う。
「どうしてアンナがそんな顔するのよ! あなたはグレイ隊長と一緒に過ごすんでしょう? 楽しんでくればいいの。ほら、来たわよ」
「え?」
振り返って見てみると、グレイが廊下をすごい勢いで歩いていた。
手には先ほどのアンナと同じように書類を持っている。
「グレイ!」
「よかった、アンナも今終わりか」
グレイはそう言いながら、封書をローズへと渡す。
「悪い、遅くなった」
「構わないわよ。お疲れ様です、グレイ隊長。確かに受け取りました」
封書の中身が入っているかだけ確認したローズは、にっこりと笑った。
「じゃあ、いいアシニアースをね、アンナ」
「ありがとう。あなたも」
そう言うとローズは扉を閉め、軍務室へと消えて行く。
扉前から少し移動したアンナは、急いで仕事を終わらせた婚約者を見上げた。
「ちょうど同じになったわね。もう終わりよね?」
「ああ、一緒に帰ろう。どこかで食べていくか?」
「アシニアースはみんな家族で過ごすから、お店も早仕舞いしちゃうのよね。さっさと買い物をして、家でゆっくり過ごしましょう」
「そうだな」
結局アンナとグレイはいつも通り家で過ごすことになった。
デザートにケーキを買い、ほくほくとするアンナを見て、グレイは目を細める。
いつもよりは時間があるので、食材を買って久々の手作りだ。
二人であれこれと指示し合いながら料理を作り、出来上がると席に着く。
「アシニアースといえば、チキンだよな」
「いつもなんだかんだとお肉を食べているじゃないの。しっかりサラダも食べてね」
金色に輝くローストチキンが、テーブルの中央に堂々と置かれている。香ばしい皮はパリッと焼き上がり、ナイフを入れると中から肉汁が溢れ出した。周りにはハーブで香りづけしたじゃがいもやにんじんが添えられ、ほんのり甘いグレイビーソースが艶やかだ。
テーブルには赤ワインのグラスが並び、バターたっぷりのふわふわのパンやチーズとハムの盛り合わせも彩りを添えている。もちろん、生野菜のサラダも用意した。
暖かなロウソクの灯りが食卓を優しく照らしていて、アンナたちはいつもより豪勢な食事を堪能する。
アンナは幸せを噛み締めると同時に、まだ家族ではないグレイへと目を向けた。
「わかってたけど、アシニアースって本当に家族で過ごす人が多いのね」
地方出身だと言っていたローズを、アンナは思い浮かべる。
アンナはいつもアリシアが仕事だったので一緒には過ごせなかったし、誰かの家に呼ばれたこともなかった。
当時アンナは、〝家族以外と一緒に過ごすと幸せになれない〟というジンクスを知らなかったが、気にする人が多かったのだと今となっては納得である。
「まぁ、家族のイベントだしな。地方出身の独身者は、この時期から休暇を取って帰るくらいだ」
「新年も近いし、そのまま休暇を消化する人が多いものね。人数が減った分、年明けまで回していくのは大変だわ」
「将たちはまだ仕事してたしな。俺たちも来年からはこうしてゆっくりしてられないぞ」
「来年は将になっているってこと?」
「当然だ。来年の秋の改編には、将になる。アンナも一緒だぞ」
「ええ、頑張る」
グレイの意気込みに圧倒されるように、アンナは頷いた。
できれば一緒に将になりたい。実力はグレイの方が上だとわかってはいるが、置いていかれたくないという意地は、アンナにもある。
「じゃあ来年は、こうして一緒に過ごせそうにないわね……」
付き合い始めてから、ずっと一緒に過ごしてきたアシニアースだ。
思い出のあるイベントを、このままずっと続けたかったとアンナは肩を落とす。
「まぁ、ゆっくりはできないだろうが……仕事を終えてから、一緒に過ごせばいい。さすがに日付けが変わるまで仕事ってことはないだろ」
「ええ……そうよね」
そう言いながら、アンナは背筋をぶるりと震わせた。
ずっと一人で過ごしてきた、アシニアース。これからもグレイと一緒に過ごそうと約束しているというのに、今この時が幸せ過ぎて。
「どうした? アンナ」
微かに震えるアンナに、グレイは眉を寄せる。
「……ごめんなさい。もうこんな時間が過ごせないのかと思うと、残念で……」
「アンナ……」
将になれば、ゆっくりした時間は取れなくなってしまう。
今までと同じようには過ごせないが、それを大したことではないと流すには、アンナは孤独を知り過ぎていた。
グレイはそんなアンナを見て、決意の表情を向ける。
「じゃあ、俺たちが将になった時には変えてやろう。遅くとも六時に仕事を終わらせる。そうすれば、今日と同じように過ごせるだろ?」
「そんなこと、できる?」
「意地でもやるさ。心配しなくていい。これからもアシニアースは、ずっとこうして過ごすぞ」
本当にそうしてしまいそうなグレイを見て、アンナはこくんと頷いた。
「ええ……来年も、再来年も、ずっとずっと……私と一緒にアシニアースを過ごしてくれる?」
「当たり前だろ。十年後も二十年後も、俺が生きてる限りずっと。アンナとアシニアースを過ごす。これは確定事項だからな」
力強いグレイの言葉に、ようやくアンナは安堵してほっと息を漏らした。
約束を違えるような男ではない。
ずっとずっと、死が二人を分つまで、こうしてアシニアースを過ごしていけるのだと。
「さて、お待ちかねのデザートタイムだぞ。コーヒー淹れるか。アンナも飲むだろ?」
「ええ、お願い。私は食べ終えたものを片しておくわ」
グレイは豆を挽き始め、アンナは食器を片付ける。
用意ができてアルコールランプをかけたグレイは、アンナを手伝わずに自分の部屋へと入った。
アンナが食器を洗い終えた頃、グレイがディックを肩に乗せて戻ってくる。その手に、プレゼントの袋を持って。
「やだグレイ、またなにか買ってくれたの? 今年はしないって言ってなかった?」
「いや、まぁ本当に大したもんじゃない。期待するなよ」
グレイは無造作にプレゼントを渡し、アンナは首を傾げる。
「結構大きいし、重さもあるわ。なにかしら。開けてもいい?」
「もちろん」
承諾を得たアンナは、袋をがさがさと開けてみる。すると中から陶器製の植木鉢が出てきた。
「わ……植木鉢ね! かわいい!」
白磁の滑らかな表面に、淡い青の絵付けが施された陶器の植木鉢だ。丸みを帯びたフォルムで、縁には繊細な唐草模様、中央には大胆かつ優美な蔓模様が描かれている。
しっかりとした厚みがあり、重厚感も漂うものだった。
アンナは手に持った植木鉢を割らないように、そっとテーブルの上に置く。
「素敵! ありがとう!」
「まさか、そんなに喜んでくれるとは思わなかったな」
アンナの喜びように、グレイの方が逆に驚いてしまう。
グレイとしては、本当に大したものをあげたつもりはなかったのだ。
「嬉しいわよ。私の好みにぴったりだもの。お庭のお花のお世話ができなくて何年も経ってるし、彩りが欲しいと思っていたのよね。だから植木鉢をくれたの?」
「いや、最初は花束でも買おうと思ってたんだが。事前に用意できないのと、俺のガラじゃないと思ってな。鉢植えの花もなにがいいかわからなかったから、結局植木鉢だけになったって話だ」
「ふふ、色々考えてくれたのね。それだけで嬉しいわ」
本当は、たくさんのバラの花束を抱えて喜ぶアンナの顔が見たかったグレイである。
しかし季節的にバラに限らず花はほとんどなく、悩んだ結果、植木鉢だけになってしまったのだった。
「でも、花束が柄じゃないなんて思う必要はないわよ。あなたはなにをしてもかっこいいもの」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだが。実際俺がバラの花束を抱えてたら、隊員たちに化け物を見るような顔をされるだろ。カールがいたら、大笑いされそうだしな」
グレイの言葉に、アンナは『似合わねぇー!!』とゲラゲラ笑うカールの顔が浮かんだ。
もしそういう状況になってもグレイは気にせず、カールをヘッドロックして懲らしめるだけだが。
しかし花束を持った姿が、究極に似合わないことを自覚しているグレイである。アンナが喜ぶことなら厭わないが、少し抵抗があることも確かだった。
「花束もいいけれど、男の人が買うのは勇気がいるものね。植木鉢、ありがとう。大事にするわ。なにを植えようかしら」
「言ってくれれば種でも苗でも買ってくるぞ。なにがいいのかわからなかったからな」
「この時期はまだ、植えられるものも少ないから、ゆっくり考えるわ。ありがとう」
アンナはにっこりと笑って、丸みのあるかわいい植木鉢を撫でる。
満足顔で頷いたグレイはコーヒーを淹れて、ソファーのある方のテーブルへと置いた。
アンナもケーキをお皿に載せると、テーブルに置いて一緒にソファーへと腰掛ける。
「うまそうだな」
「美味しいに決まってるわ。いただきましょ」
ふわふわのスポンジに甘酸っぱいクランベリーと滑らかな生クリームがたっぷり挟まれたケーキ。トップには宝石のような赤い実が散りばめられていて、見るものを笑顔にさせる。
粉砂糖がふわりと降り積もり、聖夜の雪景色を思わせる華やかなケーキだ。
二人はコーヒーを飲みながら、ケーキを口へと運んでいく。
「うん、甘さがちょうどいいな。クランベリーの酸味がいいアクセントになってる」
「ふわっふわだし、クランベリーの色もかわいいわ。見た目も味も最高ね」
満面の笑みを浮かべたアンナの方がかわいすぎて、グレイは思わずアンナの唇を奪った。
アンナはとろりとグレイを見上げる。込み上げる幸せを伝えるように、グレイの胸元へとしなだれかかった。
「ありがとう。今年も一緒にいてくれた上に、素敵なプレゼントまでくれて」
「大したことじゃない。俺がしたかっただけだからな」
「グレイ」
「ん?」
アンナは誰より優しい婚約者へと、気持ちを溢れさせる。
「愛してるわ……この世で、一番」
「アンナ……」
「来年も再来年も、ずっとずっとこうして私のそばにいてね?」
「ああ、もちろんだ。毎年、プレゼントし続ける。俺がそうしたいんだ」
グレイの言葉に、アンナは嬉しくて、なのになぜか胸が張り裂けそうで。
ずっと続くであろう喜びと、少しの不安。
アンナはこの幸せを手放すまいと、グレイをぎゅうっと抱きしめて。
二人は互いの瞳を見つめると、聖夜のキスを交わした。