支払いは最初にローズが宣言した通り、トラヴァスの財布からすべてを支払い、店を出た。
三人は宿舎住まいだ。そこで別れるつもりだったアンナだが、ローズだけが「家まで送るわ」とついてきた。
「送るって、私は平気よ。あなたの方が帰りに一人になるから危険じゃない。支援統括の隊員は、あまり剣を振るうこともないでしょう?」
「気にしないで。トラヴァスに家まで送れと言われてるのよ」
「もう、トラヴァスったら。自分の彼女に送らせるなんて、なにを考えてるのかしら」
アンナがむうっと唸ると、ローズはいたずらっ子のようにうふふっと笑う。
「実はトラヴァスは、アンナの家の前で待ってるのよね。帰りはトラヴァスが送ってくれるから大丈夫よ」
「なぁに、それ。なんだかややこしいことをするのね」
「それだけ、あなたのことを気にしているのよ」
「私の周りには、心配性が多過ぎるわ。私ってそんなに頼りないかしら」
グレイにしてもトラヴァスにしても、大袈裟過ぎるとアンナは息を吐いた。
すっかり日の落ちた道では、ローズが暗い顔をしていることなどアンナは気づかない。
「なんにしても、誘ってくれてありがとうローズ。女子会なんて初めてだから嬉しかったわ」
「私も頼まれた時はどうなるかと思ったけど、そう言ってもらえたならよかったわ。まぁ少し、気掛かりな人もいたけど」
「気掛かり? もしかして……リタリー?」
アンナの予想は当たり、ローズは首肯する。打算だと高らかに宣言する彼女は、誰が見ても気になるものだ。
「貴族が平民に声を掛けるって、まずない話よね。しかも勤務中の騎士によ。そりゃ、世の中にはいろんなロマンスが転がってたりするんでしょうけど」
ローズの指摘に、そういう見方もあるかとアンナは気づいた。
アンナは平民であるのに、王族のシウリスと幼馴染みだったため、その辺の違和感には気づけなかったのだ。
よくあることではないにせよ、お互いが惹かれ合うなら、なくもない話だと思っていた。
「少し、気をつけてあげた方がいいかもしれないわね。なんだか彼女、必死になってるみたいだったし」
「そうね……そうするわ、ありがとうローズ。優しいのね」
「まぁね。放って置けない性分なのよ」
長いウェーブのかかった髪を後ろへさらりと流しながら、当然のように認めるローズ。アンナはそんな姉御肌ではっきりと物を言う彼女が好ましくて、クスクスと笑った。
そうこうするうちにアンナの家が見えてくる。門の前にトラヴァスが立っているのが見えた。
「ローズ、アンナ」
名前を呼ばれた二人は、同時に微笑んだ。
お互いに歩み寄ると、アンナはトラヴァスを見上げる。
「トラヴァス、今日はありがとう。わざわざローズに頼んでくれて」
「一人で過ごさせるのは、グレイも心配だったろうしな。楽しかったか?」
「ええ、とっても」
「ならよかった」
トラヴァスは目だけを少し細めてそう言うと、すぐにいつもの無表情へと戻りローズへと顔を向けた。
「すまんな、ローズ。助かった」
「あなたの頼みだもの、断れないわよ。はい、これお財布。結構使ったわよ」
「構わんさ。ローズも楽しめたか?」
「ええ、思った以上には楽しかったわ。ありがとう」
「礼を言うのは俺の方だ。ありがとうローズ」
トラヴァスが恋人同士の会話をしているのを初めて見て、アンナはなぜだか嬉しくなり笑みが溢れる。
「どうした、アンナ」
「ふふ。トラヴァスったら、彼女がいること全然言わないんだもの。知れて嬉しかったのよ」
「そういうものか」
相変わらず淡々としているトラヴァスだ。彼女の前でも浮かれる姿を見せたりなどしない。
「まだグレイが帰っていないが、平気か?」
「グレイの帰りが遅い時は、いつも一人で待っているもの。大丈夫よ」
「そうか。ならば私たちは帰るが、しっかり戸締りしておくのだぞ」
「ふふ、わかってるわ。トラヴァスったら、親みたいね」
アンナの発言にトラヴァスはほんの少しだけ口元を上げた後、ローズへと顔を向けた。
「行こう、ローズ」
「約束、忘れてないでしょうね?」
「問題ない。ちゃんと覚えている」
「ふふっ。じゃあね、アンナ。おやすみなさい!」
「ありがとう、ローズ。おやすみなさい」
宿舎住まいの二人は手を繋ぐでもなく、しかし宿舎に向かう道とは別の方角へと消えていった。
どこへ行くのかなどという詮索はせず、二人を見送るとアンナは家へと入った。ディックの香りがしたが、まだグレイが帰って来ていないので二階から降りてくるかはわからない。ディックは気まぐれに触らせてくれたりもするが、基本的にグレイにしか懐いていないのだ。
アンナは先に風呂に水を張ると、熱石という魔法力のこもった石を入れて沸かす。すぐに沸く上、しばらくの間は一定温度に保ってくれるので、熱石は便利だ。そこそこ値が張るので、毎日使うと大変な金額にはなるが、アンナたちは稼いでいるので問題ない。
そうしてお風呂に入り、出てくるとグレイがちょうど帰ってきたところだった。
「グレイ、お帰りなさい!」
「ただいま。悪い、遅くなった」
「大丈夫よ。どう、楽しく過ごせた?」
グレイは室内シューズに履き替えて、迎えたアンナの髪を撫でる。
「まぁ、そうだな。筆頭とジャンはすぐに帰ったが」
「二人が?」
「筆頭の救済の異能が発動したんだ。ジャンを連れて誰かを助けに行ったんだろうって、残りのメンバーは平然としていてな。結局は四人で食ったようなもんだった」
「そう。まぁ母さんだものね。自由に動ける状況で放っておくことはしないわ」
母親の性格を知っているアンナはあっさり納得する。まったく心配もしていない。
部屋へと移動すると、ディックが待ってましたとばかりに降りてきて、グレイの肩へと飛び乗った。
「それで、どこで食べて来たの?」
「下町にある赤熊亭ってところだ。美味かったぞ。ちょっと食べすぎたな」
「赤熊亭は行ったことないわね。フラッシュはよく食べるから、下町の方がいいってマックスに聞いたことがあるわ」
「あいつ、本当に底なしなんだよな。俺も負けじと食べたが、ギブアップして帰って来た」
「そんなことで張り合わなくてもいいのよ。じゃあフラッシュは一人で食べてるの?」
「マックスが付き合わされてるぞ。俺とルーシエは先に逃げてきたんだ」
「ふふ、マックスって人がいいのよ。災難よね」
グレイはルーシエにも災難と言われていたことを思い出ず。寒いのが苦手なジャンが、マックスの家へと避難していると言った時だ。
「確かにマックスはなんだかんだと全部引き受けるからな。俺も困った時は頼りやすい。自称雑用係だなんて言ってるが、相当優秀だぞ、あいつも。筆頭が直属の部下にする気持ちがわかるな」
「私も将になった時には、マックスたちのような部下が欲しいわね。できるかしら……コーヒー飲むの?」
コーヒー豆を取り出して挽き始めたグレイを見たアンナは、くすりと笑う。本当にグレイはコーヒーが好きだ。
「ああ、アンナも飲むか?」
「じゃあ、もう夜だし少しだけ。ミルクを入れて飲むわ」
「わかった」
コーヒーは基本的にグレイがすべてするため、アンナは任せてソファに座った。
ディックはコーヒーのガリガリと挽く音から逃げるように、また二階へと戻っていく。
「部下と言えば、今日は誰か部下を食事に誘えたのか?」
「ふふ、それがね。ローズが食事に誘ってくれたのよ」
聞き慣れない名前に、グレイは豆を挽きながら首を捻る。
「ローズ……支援統括隊の班長だろ。アンナと食事に行くような仲だったか?」
「いいえ。でもトラヴァスが頼んでくれたみたいなの。知ってた? ローズって、トラヴァスの恋人だったのよ」
「ああ、なんか隊員が言ってた気もするな。興味もないから特に気にしてなかったが」
「仲間なのに気にならないの?」
「報告すべき時にはしてくれるだろうしな。根掘り葉掘り聞くようなことでもないだろ」
「もう、男の人ってそういうところドライなんだから」
女が首を突っ込みすぎるんじゃないか、という言葉をグレイはぐっと飲み込んだ。ガリガリ挽き終えた豆を、ロートの中へ入れてセットする。
「で、ローズと二人で食事してたのか」
「いいえ、ちょうどその時残ってた、リタリーとユーミーも一緒に行ったの。四人で初めての女子会だったのよ」
「そうか、初めての女子会か……よかったな、アンナ」
アンナが一人で食事をせずに済んだと知って、グレイはほっと息を漏らす。
ニコニコ顔のアンナを見れば、楽しかったのだと容易に想像はついた。
「女の子の情報ってすごいわね。誰と誰が付き合っているとか、すごく詳しくなっちゃったわ」
「ああ、女の情報は侮れないよな……一瞬で広まるしな……」
「スウェル様って、補給隊のソフィア様と付き合ってるんですって! 知ってた?」
「それ有名だぞ、アンナ……」
「まさかスウェル様にそんな人がいるなんて思いもしてなかったから、びっくりしちゃった」
グレイはフラスコに水を入れ、アルコールランプをかけるとアンナの隣へと座る。
コーヒーが出来上がるまでの間も、アンナは誰と誰がどうやって結婚したか、どんなロマンスがあったのかを、次から次へとグレイに説明した。
滅多にしない恋の話ができて、アンナは高揚しながら披露する。そんな彼女を見て、グレイはクスリと口の端を上げた。
(こうして話しているのを見ると、アンナも普通の女の子なんだと思うな)
一度離れてコーヒーをカップに入れ、アンナ用にミルクを入れている間も、満面の笑みで話し続けるアンナ。
よほど楽しかったのだとわかり、信頼関係を築ける仲間が増えてくれればいいと、グレイは心から思った。
(アンナが切り離された相手は、シウリス様なのかなんて……本人に確かめる必要はない。俺はアンナのこの笑顔を守って、自力で真実まで辿り着いてやる)
グレイの決意など露知らず、アンナはミルク入りコーヒーを飲み、ほうっと温かい息を吐き出す。
「ミルク入りも美味しいわよ。グレイも飲む?」
「いや、俺はブラックがいい」
「言うと思ったわ。本当にグレイはブラックコーヒーが好きよね」
「俺はこう見えて一途だからな」
そう言ってグレイは目を細め、婚約者に優しい視線を送る。
アンナは「知ってる」と笑うと、グレイの腕に包まれるようにキスを交わした。