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90.そんなに仲が良かったの?

 グレイが飲み会で王宮を出ていった後、アンナは軍務室で明日の段取りをしていた。

 残っているのは隊長と小隊長、そして班長と隊員が数名だ。

 退勤時間を迎えているので、残っている者はほとんどいない。


(今日は早く帰ってもグレイはいないし、もうちょっとやっていこうかしら)


 そう思いながら、明日の準備のために軍務室を出て廊下を歩いていると、トラヴァスが向こう側からやってきた。明らかに第六軍団の執務室に向かっているとわかって、アンナは声を掛ける。


「どうしたの、トラヴァス。第六軍団になにか用?」

「アンナ。ちょうどよかった、これをガッド隊長に渡しておいてもらえるか。別に急ぎでもないんだが、帰る前にと思ってな」

「わかった、渡しておくわ」


 アンナはトラヴァスから封書を受け取った。

 二人とも小隊長という役職で同等の地位にあるので、王宮でも気安く話せる仲だ。


「第一の軍務室にも行ったんだが、珍しく誰もいなかった。今日はなにかあるのか?」

「ええ、小隊長以上で飲み会らしいのよ。それで全員、五時に切り上げたみたい」

「小隊長以上……ということはグレイもか。アンナはまだ仕事か?」

「ええ。早く帰っても一人だし、もう少し仕事していこうかと思って」

「わかった」


 それだけ言ってトラヴァスは踵を返し、去っていく。

 なにが『わかった』なのかアンナはわからず、首を傾げながらトラヴァスの後ろ姿を見送った。

 不思議に思いながらも、アンナは用事を済ませて軍団室に戻ってくる。

 ガッドに封書を渡すと、今日やるべきことはすべて終えていた。


(これ以上長くいても部下が帰りにくくなるかもしれないわね)


 手伝いを申し出ることも可能だったが、アンナはまだ残っている部下たちのことを思い、帰る準備を始める。

 すると軍団室の扉からノックの音が聞こえてきた。基本的に第六軍団の者はノックなしに自由に出入りするため、別の軍団か王宮の使用人だと検討はつく。

 残っていた隊員のユーミーが対応し、扉を開けた。


「第十軍団の班長ローズです。アンナ小隊長に用があって参りました」


 第十軍団というと、支援統括隊である。

 戦闘関係は行わず、軍の円滑な運営を支える管理や調整を専門とし、支援する軍団だ。

 情報や作戦の記録、戦闘報告書の整理や分析、軍の各部隊の実績管理、兵の給金や階級管理、物資や装備の使用記録、軍法違反者の記録や処理手続きなどである。

 各軍団にも支援統括要員は数名いるし、隊長が兼任していたりする軍団もあるが、最終的にそれらをまとめ上げて一挙に引き受けているのが、支援統括隊である第十軍団だ。

 そこで班長をしているローズが、アンナを指名して呼び出した。なにか書類に不備があっただろうかと、アンナは顔を引き締める。


「アンナ様」

「今行くわ」


 ユーミーに呼ばれて、アンナはすぐローズの元へと向かった。


「呼び出してごめんなさい、アンナ小隊長。仕事は終わったのかしら?」

「今終わったところだけれど、書類に不備があったのならすぐに書き直すわ」

「いえ、問題ありません。完璧でした」

「じゃあ、用事ってなんのこと?」


 アンナが眉を寄せると、ローズもまた困ったように眉を落として笑う。


「アンナ小隊長を食事に誘って欲しいと頼まれちゃったのよね」

「え?」


 アンナはローズと友人というわけではない。仕事上のやりとりがある程度の仲だ。

 いきなり食事にと言われても、首を傾げるしかなかった。


「仕事が終わったなら、どこかに食べに行かない? 二人きりだと私も困るから、誰か他に部下でも誘って女子会なんかどうかしら」

「他に誰かって言われても……」

「アンナ様! 私行っていいですか!?」

「私も行きたいわ、アンナ小隊長」


 名乗り出たのは、まだ残っていたユーミーとリタリーだ。

 断ろうと思っていたアンナだったが、二人が名乗りを上げたため、断れなくなってしまった。


「ええっと、あなたたちの名前は……」

「第三班のユーミーです!」

「第七班の班長リタリーです」

「ユーミーにリタリーね。私はローズよ、よろしくね」

「すぐに仕事を終わらせます!」


 ユーミーは元気にそう言って、急いで片付けを始める。リタリーはちょうど終わったところで、行く用意はバッチリだ。


「くそう、俺も行きたかったなぁ……」


 残念そうに溢したのは、ロディックだった。


「あんたは男でしょ! 今日は女子会! 残念だったわね!」

「ちぇっ」


 ロディックは拗ねた顔で訴えるようにアンナに目を向けていたが、ローズが女子会と言った手前、ロディックも来ていいわよとは誘えない。

 結局、アンナとローズ、それにリタリーとユーミーという奇妙な組み合わせで女子会をすることになった。


 ローズが向かった先は、以前トラヴァスとも来たことがある〝銀の羽根亭〟だ。

 リタリーとユーミーが尻込みしているのを、ローズは「いいから入りなさい」と誘う。

 それぞれがなんとか注文を終えて、ようやく四人はお互いの顔を見ることができた。


「ここからはプライベートだし、気兼ねなく話しましょ。もちろん、一番上の役職であるアンナ小隊長がよければだけど」

「ええ、私は構わないわ。せっかくの女子会で堅苦しいのも、いやだものね」


 アンナの承諾を受けて、リタリーは良かったと微笑む。


「じゃあ、アンナ、ローズさんって呼ばせてもらうわ」

「私はアンナ様って呼ぶけどね!」


 一番年上のユーミーがそう言って、アンナは苦笑いした。


「まぁ、好きに呼べばいいわよ。今日は出資者がいるから、気兼ねなく食べてちょうだい」

「出資者って……ローズが出してくれるの? 私が出すわよ。一応、小隊長だもの」

「違うわ、トラヴァスよ。財布ごと預かってるから、いっぱい使ってやりましょ!」

「あ、じゃあ私、追加でたのんじゃお! あんまり高いから、怖くて頼めなかったんです!」


 ユーミーが遠慮なく注文し始めて、リタリーもそれに続く。

 ローズに頼んだ相手はトラヴァスであろうとアンナは検討をつけていたが、それでも二人はどういう関係なのかと疑問を浮かべる。


「アンナも遠慮しなくていいのよ?」

「あとでデザートを注文するわ。それよりトラヴァスが財布ごと渡すなんて……そんなに仲が良かったの?」

「ああ、知らないのね……まぁトラヴァスは、ペラペラ話すタイプじゃないものねぇ。そこがいいんだけど」


 なんのことを言っているのかわからず首を傾げるアンナに、隣にいるリタリーが呆れた口調で声を上げた。


「アンナ、知らないの? トラヴァス小隊長とローズさんは、付き合ってるのよ」

「え!? そうだったの!?」


 まったく気づきもしなかったアンナは、心底驚いて目を丸めた。

 オルト軍学校にいた頃は、トラヴァスには付き合っている女がいるとも、別れたんじゃないかともカールは言っていたが。

 軍に入ってからは、そういう情報を得ることがなかったので、トラヴァスには彼女がいないものと思い込んでいた。


「まったく気づかなかったわ。トラヴァスって、そういうこと全然言わないから」

「そういう人なのよね。今日はあなたが一人だと知って、すぐに私のところにやってきたのよ。『食事に誘ってやってくれ』ですって」


 仲間とは言え、そこまで気にしてくれるとアンナは思ってもいなかった。それも他ならぬ、自分の恋人に頼んでくれたことに、驚きは隠せなかった。


「それでローズが来てくれたの?」

「ええ。お互いに恋人がいるのに、男女が二人っきりになるわけにはいかないからってね。私と三人で行けばいいじゃないって言ったんだけど、どうしてだか嫌がったのよ。あまり関わりのない私たち二人っきりの方が気まずいって、わかってないんだから」

「それで女子会になったのね。ありがとう、気を遣ってくれて」

「礼ならトラヴァスに言ってちょうだい。彼に言われなきゃ、女子会なんて開いてないわ。あなたたち、本当に仲いいわよね」

「ええ、大事な友人よ」


 トラヴァスの気遣いに感謝していると、ワインが注がれて皆で乾杯した。

 その場で集まっただけの四人だが、女子が集まると恋愛の方へ自然と話が流れていく。


「ローズさんがトラヴァス小隊長と付き合い始めたのは、いつからです?」

「入軍して、一ヶ月が経った頃だったわね。もう二年と四ヶ月になるかしら」

「そんな長く付き合ってたのね、知らなかった。結婚はまだしないの?」

「どうかしら……あんまりそういう話をしないのよね、彼」


 ローズはそう言うと同時に、まつ毛を伏せて息を吐く。

 トラヴァスはなにを考えているのかわかりにくい人間だ。それが彼女を不安にさせているのだろうとアンナは考えた。

 ローズは沈んだ顔をすぐに戻すと、アンナに目を向ける。


「あなたはいいわね。もう婚約済みなんでしょう?」

「ええ。私が将になるまでは、結婚はお預けだけれど」

「アンナ様ならすぐですよ、すぐ!」


 料理に舌鼓を打ちながら、ユーミーはアンナの早期出世を信じて疑わない発言をする。


「ありがとう、期待を裏切らないように頑張らなきゃね。ユーミーもそろそろ班長くらいにはなれるように、頑張ってちょうだい」

「私は遠慮しときまーす。騎士になれたのだって奇跡だったし。ロディックの尻を叩いて出世してもらうつもり!」

「ロディック?」


 どうしていきなり彼の名前が出てくるのかと、アンナは首を傾げた。

 するとユーミーは照れくさそうに笑いながら、口元を緩める。


「実は私、ロディックと付き合い始めたんですよね」

「えええ! そうなの!? いつから??」

「つい最近なんですけど。あいつほんと、情けなくって放っておけなくて。でも最近、すごく頑張ってるから応援している間に、そんな感じになったっていうか」

「そんな風に好きになることなんて、あるのね」


 情けない相手を好きになるとは、アンナには理解し難い感覚だ。

 ロディックはとてもじゃないがアンナの対象・・にはなり得ない。


「アンナは強い人しか興味ないから、理解できないんでしょう」


 ローズの言葉に、アンナは驚いて彼女を見る。


「どうしてそれを……」

「トラヴァスが、多分そうだって言ってたわ。アンナの眼鏡に適うには、一定以上の強さが必要となるってね」


 まさかトラヴァスにも見抜かれているとは思わず、アンナは眉を下げた。


「そういうつもりはなかったんだけど……結果的にそうなったのよ」

「人を好きになる理由なんてそれぞれだわ。本能で好きになることもあるでしょうし、好きじゃなくても打算で付き合ったり結婚することもあるでしょう」


 打算という言葉が出てきて、アンナはついちらりとリタリーの方へと目を向けた。

 リタリーはまったく気にせずに、にっこりと笑う。


「打算なら任せて。私は打算しかないわ」

「もう、リタリーったらそんなこと言って……」

「本当のことよ。今ちょっと、いい人と知り合えたのよね。絶対ものにしてみせるわ」


 ギラギラとするリタリーを、止められないとわかっている。それでも彼女が不幸になるのではないのかと、アンナは心配顔を隠せなかった。


「リタリーがいいならいいんだけれど……騎士の誰かなの?」

「いいえ、実は……貴族なのよ。舞踏会の警備の時に話しかけられたの。身分差があって難しいけど、気に入られているし、狙っていくわ」


 最初は出世しそうな人を探していたリタリーだが、要は金持ちならば誰でもいいのだ。貴族ならば、それこそ問題はない。

 ローズはリタリーの話を聞き、「ふうん」とだけ顔色を変えずに呟き、アンナは「そう」と言うに留まった。

 四人はそれからも、誰と誰が付き合っているやら、どこそこのスイーツが絶品だとか、ファッションやメイクの話などで盛り上がる。

 オルト軍学校にいる時から、男ばかりに囲まれていたアンナには新鮮な話題で、食事が終わるまで楽しむことができたのだった。

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