アリシアとジャンが出て開けられっぱなしの扉を、ルーシエが閉めに行く。
店の人やお客に頭を下げて謝ると、彼は優雅に席へと戻ってきた。
「こういうこと……よくあるのか?」
「そうですね。今のように自由の効く時であれば、たまに」
自由の効く時という言葉の意味を考え、グレイは眉を寄せた。
「つまり、異能が誰かの危機を知らても、行けないことがあるってことだな」
「当然、そうなります」
アリシアは筆頭大将として君臨しているのだ。
大事な会議や、貴族も出席する宴に参加したり、警備を担当することだってある。
自由気ままに人助けが行える環境にはない。
「きついだろうなって思うよ……人が死ぬとわかっていて、動けない状況の時は」
「筆頭はそーいうこと、微塵も感じさせたりしねぇけどな」
マックスとフラッシュも、アリシアの心情を思って心を痛ませた。
「特に戦場では、何人もの仲間の顔が浮かんでくるみたいですしね……普通の精神力では、あの異能を持ち続けられませんよ。寝ている時も起きている時も関係なく、能力は発揮されますから」
グレイも、その可能性は考えていた。だからアンナが〝書を習得するなら魔法より異能がいい〟と言い出した時、救済の異能はやめてほしいとグレイが顔を渋くした理由はそれだった。
グレイは幼き日に、アリシアの異能で助けられたことを感謝してはいる。しかしその救済の異能を、大事な〝俺の嫁〟が習得するとなると、話は別だ。
「でも筆頭は救済の異能を取り出す気ねぇもんなぁ。俺なら即やめるけどな」
フラッシュは肉を食べる手を止めることなく、もしゃもしゃ食べながら呆れるように言った。
それには同意すると、ルーシエもフラッシュの言葉に頷きを見せる。
「あの異能は、人を助けるために老化を遅らせるという効力があるようですが、それにしてもデメリットが大き過ぎますからね。助けられるだけの強大な力と、見捨てる覚悟も持たなければ、簡単に習得してはいけないものです」
「だよな。力のねぇやつは、助けに行っても殺されるだけの
「普通は心が病んでもおかしくないと思うよ。筆頭だから正気を保てる異能だよな」
改めて筆頭大将の凄さを確認して、部下たちは感嘆とも呆れともつかない息を吐いた。
「俺たちは行かなくてよかったのか?」
「どうせ筆頭が全部片付けちまうからな。大勢で行っても邪魔になるだけだろ」
「ジャンを連れているので問題ありません。私たちが行くと筆頭に対する信頼を裏切ることになりますので、気にしなくとも大丈夫です」
「ま、気にせず食えってことだ! お姉さん、エールおかわりー!」
フラッシュが何杯目かのおかわりをして、場の空気を入れ替えた。
せっかくの飲み会の場だ。グレイとしても、重い雰囲気にはしたくない。
「フラッシュ、明日も仕事なんだから呑みすぎるなよ。適当なところで切り上げるからな、俺は」
「大丈夫だ、今日はグレイがいるぜ!」
「グレイもアンナちゃんが待ってるんだから、遅くまで付き合わせられないだろっ」
「っちぇー」
そう言いながら注がれたおかわりをフラッシュはごっきゅごっきゅと飲んでいる。
「適当なところで抜けて大丈夫だからな、グレイ。フラッシュのお守りは慣れてるから」
「よしっ、朝まで呑もうぜマックス!」
「呑まないって!!」
「ふふ、昔からこの二人はこうなんですよ」
乾杯の一杯しか飲んでいないのに、ほろ酔い加減のルーシエが微笑む。
そんな三人を見て、グレイの頬は少し緩んだ。
「みんな同い年なのか?」
「私とジャンは同じですね。マックスはひとつ下、フラッシュはさらにひとつ下ですよ。オルト軍学校の時からこのメンバーで一緒に過ごしてきたんです」
「なるほど……俺たちと似たようなもんか」
グレイはアンナとトラヴァス、カールを思い浮かべる。
三十歳になってもずっと仲良くしているルーシエたち。彼らを自分に重ね合わせたグレイの口元は、ニヤリとした笑みが自然と出ていた。
(俺たちも三十になっても……五十になっても。ずっと四人掛けのテーブルを埋め続けるんだろうな)
グレイの隣にアンナ、対面にはトラヴァスとカール。
いつもの指定席で、何歳になっても一緒に過ごす姿が、グレイの脳内で鮮やかに映し出される。
「グレイも俺たちと同い年だったらよかったのになぁ! まぁお前は年下って感じしないんだけどよ」
「グレイは私たちのことを、昔からの友人のように呼びますからねぇ〜」
「それは、あんたたちがそう呼べと言ったからだろう」
グレイはルーシエたちのことを、隊長と呼ぶわけでもなく敬称をつけることもなく、呼び捨てている。
ジャンさんと呼ぶと『気持ち悪いからやめてくれる』と言われ。
フラッシュ隊長と呼ぶと『顔の貫禄はお前の方が上だからフラッシュでいいぜ』と訳のわからないことを言われ。
ルーシエ隊長と呼ぶと、『私は副官ですから隊長とは呼ばないでいただけますか』とにっこりした圧を向けられ。
マックス隊長と呼ぶと『俺はただの雑用係だから本当にやめてくれよ』と懇願され。
そんなこんなで結局は呼び捨てに落ち着いたのである。
しかし全員、〝筆頭大将に失礼な言動は許さない〟というスタンスであったので、もちろんグレイはアリシアに対しては敬意を示しているが。
しかしルーシエたちに対しては、たまに『もしかして本当は俺が一番年上なんじゃないか?』と勘違いしそうになるグレイであった。グレイがそれだけの人材である、ということなのだが。
「けどもしグレイが俺たちと年が近かったとしたら、アンナちゃんとは婚約してなかったんじゃないか?」
マックスがははっと笑いながら言うも、フラッシュはちっちっちと舌を鳴らした。
「グレイがジャンたちと同じ三十歳だとしろよ? それでもアンナとの年齢差は十二だぜ。あるな、全然ありだ! グレイは年下のアンナに手を出すぜ!」
勝手に結論付けられて、グレイはフラッシュをギロリと睨む。
「さすがに十二歳も年下のアンナに──」
と言いかけて、グレイは想像してしまった。
自分が三十歳になり、尊敬の念を向けられながらキラキラした顔で見上げる十八歳のアンナの顔を。
(……有りだ)
「お、今想像したな、グレイ!」
「うるさい、フラッシュ」
「わはは! 照れなくてもいいじゃねーの!」
自分を慕う年下アンナの妄想が頭を離れず、グレイはグビっと乾杯した時の酒を飲み干した。
「まぁ、アンナちゃんは実際かわいいしな。俺たちはアンナちゃんを子どもの頃から知ってるから、グレイのようなしっかりした男と婚約してくれて、嬉しいと思ってるんだ」
マックスは相変わらず呑みもしないロックのウイスキーを手にして、うっすらと笑みを見せる。
ルーシエとフラッシュも同様に、優しい目をグレイへと向けた。
慣れない視線を受けて、グレイは少し動揺しながらも感謝に言葉を口にする。
「アンナのことを大切にしてくれているのは、ありがたいと思うぞ」
「俺たちはアンナに幸せになってもらいてーんだよな。あんなことがあったしよ」
珍しくフラッシュが遠い目をしていて、グレイは眉を顰めた。
「あんなこと?」
「あ、ばかフラッシュ!」
「う、やべっ」
慌てるマックスに、胃を押さえるルーシエ。
アンナに関してなにか良くないことが隠されているとわかり、グレイは形相を変える。
「アンナになにがあったっていうんだ。言え、フラッシュ」
アンナのことになると気が気でなくなるグレイは、迫力満点の顔でフラッシュを睨んだ。
どう見ても一番年上の貫禄に、さすがのフラッシュとマックスの顔色は悪くなる。
「お前のせいだぞ、どうするんだフラッシュ!」
「これ、言っちゃマズイよな!?」
「あったりまえだろ!」
「いいから言えッ」
「「ぎゃー!!」」
「待ってください、グレイ」
抱き合うフラッシュとマックスを前に、ルーシエは穏やかな口調でグレイに話しかけた。それでもグレイの迫力は変わらず、今にも人殺ししそうな目をルーシエに向ける。
「なんだ、ルーシエ」
やはり年上の貫禄である。しかしルーシエは普段、バキアのようなアリシアを相手にしているので、まったく動じなかった。
「申し訳ありませんが、これは軍の機密です。私たちに口外する権利は与えられておりません」
「……」
機密と言われると、無理に聞き出すわけにはいかない。
話したことがバレれば、彼らは確実に降格する。内容によっては、騎士を辞めさせられることだってあり得る。
機密の内容は詳しくわからないものの、グレイはひとつの仮説を立てることはできた。
(アンナも関わっている機密というと……シウリス様のこと以外になくないか……?)
一般人が機密に関わることなど、まずない。
カールの家庭教師の時のようなこともあるにはあるが、ごく稀だ。
それよりも、王族に関してなにか都合の悪いことを隠すことの方が、よほど確率が高いとグレイは考えた。アンナが関わっていた王族というと、幼馴染みのシウリスだろうと。
そしてそれは当たっている。
アンナが十歳の時。フラッシュが言っていたのは、シウリスが母親であるマーディアを殺害した時のことなのだから。
機密だから当然ではあるが、グレイはアンナになにも聞いてはいない。真面目なアンナは、結婚して家族になっても話すことはないだろうという予測がつく。
(シウリス様となにがあったんだ? 確かアンナは以前、シウリス様と関わりがあったのは十歳までと言っていたよな……)
── 王妃様の生家とは、家が近いの。でも関わりがあったのは、十歳までの話よ。今ではそう会うこともないし。
アンナの言葉を思い出し、グレイは王族になにがあったかを思い出す。
(アンナが十歳ということは、俺もシウリス様も十歳の時か。確かあの頃は、ラファエラ王女が病死されたとかで騒ぎになっていたよな。あとは……マーディア王妃が心神虚弱で亡くなったとかなんとか。いや、あれは俺が十一歳の時だったか。けどアンナはまだ誕生日が来てなかっただろうから、ギリギリ十歳だ)
そう考えながら、グレイはパズルのピースがはまっていく気がした。
十歳から関わりがなくなったというアンナ。
その年に、ラファエラとマーディアがなくなっているという事実。
(二人の死は、本当に病死か? 報道と真実が違うとすれば……それが機密だ。だとすると、アンナは二人、もしくはどちらかの死に関わっているか、真相を知っているということになる)
さらにグレイはもう一つのアンナの言葉を思い出し、どくんどくんと心臓が鳴った。
── ……私に……奇跡は起こらない……切り離されて……寂しくて……アシニアースも、ずっと一人で……
(十歳の時になにかがあったのは確実だ。それでアンナはシウリス様に会えなくなった)
そこまで考えると、グレイは頭を抱えた。
(切り離された相手っていうのは、シウリス様のことか……!!)
実際にはどう切り離されたのか、グレイにはわからない。
しかし、アンナに苦しい思いを、悲しい顔をさせていた相手は、シウリスだったと確信が持てた。
シウリスがアンナを切り離して孤独を味わせたことが許せず。
仕方がないとは言え、アンナにそのことを話してもらえない事実が悲しく。
自分だけが蚊帳の外にいることに、グレイは悔しさを覚えた。
(なにがあったか、詳しく知りたい……そうすれば、アンナの孤独を俺が埋めてやれる! 誰も言えずにいる苦しみを、俺が解放してやれる!)
「グレイ、大丈夫か?」
マックスの心配声がグレイの耳へと入ってくる。
なにがあったか聞き出したい気持ちはあるが、アリシアの部下が簡単に機密を口にするわけもない。
「……どうすれば、機密を知れる?」
グレイの絞り出した声に、マックスとフラッシュは難しい顔をした。
「俺たちは、話せないしな……」
「降格は困るぜ」
「いえ、方法はあります」
三人目の言葉に、グレイは優秀なアリシアの副官へと目を向ける。
「どうすればいいんだ!?」
「グレイが筆頭大将になれば、すべての機密が書かれたファイルを読むことができますよ」
「……確かに、そうだな……」
ルーシエの提案に、グレイは顎に手を置く。
「確実なのは筆頭大将になることですが、将になりさえすれば、アリシア様が判断なさった時には機密の共有をすることもあります」
先にそれを言わなかったということは、可能性が低いのだとグレイは判断した。
すべてをきっちりと知るには、自らが筆頭大将になる必要があるのだと。
(元より、俺はアリシア筆頭を超える気でいるんだ。意地でも筆頭大将になってやる)
グレイはそう決意すると。
フォークでグサっと肉を刺し、もりもりと力をつけるように食べ続けるのだった。